175枚目 「ナット・ライング」


 賊の制圧が済んだ喫茶バシーノの店内。手足を拘束されていたイシクブールの住民を開放して、アイベックの足を縛る紐に手をかけたシグニスはようやく口を開いた。


「捜しましたよアイベックさん。こんな時に何処をほっつき歩いていたんですか」

「……それはこちらの台詞だ。幾らなんでも一人で突っ込むことはないだろう」

「窓越しに店内を見た際、貴方がカウンターの裏に居ると分かりましたから。角を隠せてなかったので賊に見つかるのも時間の問題だと思いまして」


 アイベックは目を逸らし、頭上の黒い角を手で撫でる。

 神経が通っている部位を切り落とす考えは浮かばなかったらしい。


「べぇ……」

「詰めが甘いんですよ」


 今回は突入のきっかけになりましたから、こちらとしては助かりましたが。そう言いながら、シグニスは青い瞳を細める。それは、彼女が心から入れ込む者のみに向ける視線だった。


 黒毛の獣人は依然、目を逸らしたまま。彼女の表情を知ることはない。


「べぇ。キミがあんな形相で詰め寄って来なければ、工房から逃げ出したりなぞしなかったんだが……それに、最終的には睡魔が勝ってしまったしな」

「雇っていただけたのに睡魔が勝ったらいけないでしょう。あとでバシーノさんたちに謝ってくださいね」

「おかしいな……助かった筈なのに胃が痛くなってきた気が……」

「気のせいじゃあないですよ。心配させた分、しっかり胃を痛めていただけると――あぁ、外れましたよ、足の紐。随分と緩い拘束でしたね。貴方のツメでも千切れたのでは?」

「君の腕力がおかしいだけなんじゃないか?」

「何か?」

「いいや何も」


 引き千切った草紐を床に落としたシグニスは、住民たちに見張られながら沈黙している賊たちに目を移す。


 しっかりときつく縛り上げられた彼らは、舌を噛むことすら許されず紐を銜えさせられていた。後ろ手と足を縛るそれぞれの紐が繋がれているので、非常に苦しげである。


 縛られた中には、つい先ほど両脛を殴打したばかりの小人の姿もある。


 青黒く痣になった内側ではもしかすると罅が入っているかも知れない――悪いことをした、とシグニスは思いながらも、彼が自身に襲い掛かって来た事実を飲み込んだ。


(無害だと判断して泳がせたつもりだったのですが、当てが外れてしまいました。やはり針鼠さんから話を聞いていて正解だった……)


 シグニスは一般民である。それは間違いではない。

 現に彼女は、スカルペッロ家の跡継ぎ候補から身を引いている。


 だが、幼い頃から色々仕込まれた身として。彼女には身に着けた技術を有事に活用する義務があった。町の人間が危機に陥った際に力を振るう責務があった。


 それが、彼女が遊撃衛兵という役職に収まっている理由である。


 遊撃衛兵としての彼女は一般民扱いではあるが――まあ、風の噂で知らされることぐらいは把握している。とはいえ、今回は回された情報が少なすぎたようにも思うが。


(戦う相手は私が勝手に決めて良いことになっているし、法的にもガバガバなんですが。賊を名乗ってるウィズリィ姉さんよりは遥かにましなのかなぁ……微妙ですよねぇ)


 昔から引っ込み思案な性格で他者を打ち負かすことに快感を覚えることも無い。格闘家としては無二の才を持つものの、彼女は鍛えた身体の殆どをパン生地をこねる力に転用している。


 しかし、その力で恋する人を守ることができるのなら願ってもいないことだ。

 シグニスは目の前で角をさするアイベックに目を移す。


「案外、あの人が言った『■■■■■■■心配はいらない』という言葉も気に掛ける必要が無かったかもしれませんね。少し気を張りすぎたようです」

「べぇ……ここに来る途中、誰かと会ったのか?」

「いいえ? 地下道に入る直前になって、繋がらなかった共通回線ラインが一瞬だけ使えたんです。貴方も、遊撃衛兵の取りまとめ役はご存じでしょう?」


 アイベックはそう言われて頭を捻る。

 瞼の裏にぼんやりと、顔つきを思い出せない使用人の姿があった。


「ああ、知ってはいるけども……面と向かって話したことはない、べぇ」

「そうですか。彼は案外話しやすい人なんですよ。本邸に来てからも、長いですし――」


 そう、微笑ましい世間話を始めた男女に水を差す者はいない。

 小人の瞳が見開かれたことなど、誰も気がつかない。


 シグニスは微笑みながら、言葉を続ける。


「彼は■■■■■■■■イシクブールいち■■■■■■■■の術士ですからね。魔力潜性の家系であるスカルペッロ家にとって、彼が最も■■■■■信頼できる使用人ですから――」


 がんがん。がんがんと。

 頭の裏を殴られるように、パン屋の声が小人の脳裏で反響する。


 人に嘘を吐かれた時。

 信用のならない言葉や情報を耳にした時。

 耳障りな鐘は容赦なく――小人の脳を叩くのだ。


「……はの、はんやのほへーはん……」

「?」


 解放されて尚、店内に待機していた住民たちがざわつく。

 口を押さえられた賊の一人、小人が何かを言っている。


 轡を噛む彼の言葉は、たどたどしい発音が伝える意思は、明瞭ではない。

 シグニスは困ったように眉根を寄せると、宿屋を訪れる客を対応するように張りつけるような笑みを浮かべた。


(ああ、嘘を吐く彼女の顔を見るだけで。がんがん。と。頭が痛い)


 痛みをこらえるあまり、小人は縛られた腕に爪を立てた。脛も痛いというのにまた傷を増やす自分が憎くてたまらない。それでも、どうしようもない頭痛が警鐘を鳴らす。


(うるさいなあ分かってるんだよ、分かってるからいい加減に鳴り辞めって……!!)


「……弁明は聞きませんよ? パンが美味しいといっていただけたのは嬉しかったのですが、貴方は私に拳を向けてしまったので。ことが済むまでは大人しく」

「っ、ひがふ……ほうじゃはい……!! っつ、ぷ、は!!」

「あっ」


 轡代わりの紐を口から外し、小人はぐいと顎を上げる。

 この体制なら、距離が離れていても声が届く。


「げほ、まって、私の情報を流したのって誰!?」

「……魔導王国の方ですけど?」

「え!? じゃあそっちじゃなくて!! もう一人の方は!?」

「……いえ、あの。個人情報は流石に」

「いいから!! 言って!! お願いだから!!」


 あまりの剣幕に押され、シグニスとアイベックは顔を見合わせた。命乞いや裏切り者を探すにしても、切羽詰まりすぎではないだろうか。


 それに、シグニスにしてみれば彼が先程口にした「嘘つき」の存在が気になるところだ。もしその関連の情報なら、聞いて悪いものではないだろう。


 シグニスは店の戸口を背に、西日を背負って小人の横に膝をつく。

 逆光に晒された彼女の表情が見えなくなって、小人は警鐘が弱まったのを感じた。


「聞きたいのは、遊撃衛兵の取りまとめをなさっている方のこと、ですか?」

「そう。そうだと思う。信用できなかったのはその辺の話題」

「……」


 シグニスは一瞬だけ考える。今朝いちに顔合わせをした魔導王国の針鼠曰く、危惧すべき賊の中には「嘘」に反応する人物が居るという話があった。


 ついさっきまでアイベックと話していたその中で、彼女は一度も嘘を吐いた覚えがない。

 だが、目の前の小人は苦悶の表情でこちらを見上げている。なれば彼こそ、正直者か。


 目の前の小人の魔術が「嘘」ではなく――「信用性」を測るものなのだとすれば。


 シグニスはそう考えて、勿体ぶることなくその口を開いた。


 栗色の髪が舞う。風が店内に流れ込む。

 意味も分からないまま、急に世界が静かになった。


 気づけば彼女は店の床に伏していて。彼女の目の前には見開かれた小人の目があって。

 駆け寄って来る獣人や住民の叫び声が聞こえなくなる。視界に砂塵が舞う。黒い砂。

 耳元で何かが爆ぜる音がする。雑音が大きくなって、何も聞こえなくなる。


 頬に誰かが触れた。肩を揺すられている気がした。


 思考の端には、最後に口にした言葉が回っている。


(――ああ、成程。口にした時点で排除するように術式を組んでいたのか。確かに頭の回る「彼」がそうだったというのなら、今日一日を通して連携が不調だったことにも納得がいく)


 けれど。もし「彼」が裏で糸を引いているというのなら、それは。


(まさか……六年前と同じ……、こと、が?)


 しがみついていた世界が砂塵に撒かれて掻き消える。

 シグニシア・スカルペッロは、青い瞳を晒したまま意識を失った。







 何度目かになる軽食のオーダーを完遂すべく、絨毯が敷かれた廊下を行く。


 蚤の市で町の全体に散らばっているスカルペッロ家の使用人は、この騒ぎの影響もあって半分も屋敷に戻ってきていなかった。


 自ら鍛え上げた遊撃衛兵の後輩たちは、町の住人を第一に守るように訓練している。


 情報が遮断され、観光客の中の誰が「賊」なのか判断がつかない彼等は必然、避難した一般民の傍から離れることができないだろう。


 そんなはずがない、そんな人には見えなかった、信じていた。

 そのような曖昧な主観と思い込みを打ち払うには、積み上げた信用の棄却が必要だ。


 思い込みを破壊する行為は心に大変な苦痛を伴う。情報が思うように手に入らない状況では、決断することも難しくなるのだと。彼はよく、知っていた。


 万が一、真実に思い至ったとしても。一般民の安全までは放棄できないだろう。

 ……そのような逡巡や諦めや使命感を振り払うには、彼等は優しすぎる。


 案の定、勘が良い者から順に足踏みしてくれるだろうという予測は的中した。

 イシクブールの町は賊の姿がなくなったにも拘らず閑散としていることがその証拠だ。


 屋敷に居た使用人に関しては、すべからず通気口完備の地下室に突っ込んできたあとだ。

 鍵を壊し、扉を歪ませるほど熱して溶接したのだ、簡単には出て来られまい。


(懸念材料は多々ありましたが、おおよそ予定通りにことが運んでくれて助かりました)


 妙な動きをしていた盗賊の幹部たちを軒並み戦闘不能に陥らせてくれた魔導王国の役人たちには感謝の念のろいを送ってみたが……これは不発した。しかしどうやら、彼がだと気がついたのは遊撃衛兵の一人だけだ。


 魔導王国の人間が聞いてあきれる。その程度にも気づかないのか。口の端が上がった。


 戦力の分散と各個撃破を徹底したその作戦は、思うように進んでしまった。

 状況は最悪だとぼやきながら右往左往する彼らを風で読み――彼は、黄色い瞳を細める。


(キニーネの装具が発動した時にはどうしたものかと思いましたが……揃っていない魔法具の効力は微々たるもの、風で簡単に打ち消せる――これで、町の住民が教会へ殺到することもない。それに、広範囲解術を行った時点で彼が教会から出ることをパルモは許さない)


 若者には末来がある。それは、あの灰髪の少年に限った事ではない。

 魔術を教えた黒魔術士も、鼠顔を被った四天王も同じことだ。


 徐々に、耳元に届く音がかすれる。

 同調リンクで繋いだ声が聞こえなくなる。


(日が落ちるまでには終わらせなければなりませんね)


 西日が差し込む本邸の廊下。長引く闘いに対して結界の維持は厳しいだろう。そろそろレーテ・スカルペッロも限界が来ている頃だ。


 台車に乗った魔力補給瓶ポーションは差し出す度に魔力濃度を低く、味を濃くしてある。ただでさえ飲み込み辛いそれの粘度を増し、簡単に嚥下できない様にとろみをつけていた。


 階段を昇ろうと台の車輪を転がす。十字型のそれはがらがらと音を立てて高みへ昇っていく。途中、町を一望できる窓があった。彼は踊り場で足を止め、白い閑散とした蚤の市を見下ろす。


 そうして、嫌悪に顔を歪めた。

 目に焼き付けるはずだったその風景に、二つのシミがある。


 駆動に腰掛けた盲目の女性。栗色の髪に帽子を乗せ、にこやかに笑っている。

 その隣には日の光を弾いて煌めく銀の針。黄土色のコート。手袋をした少年。


 高揚する気分は瞬く間に冷却された。

 彼らは、要らない。必要では、ない。


 使用人は台車を壁に寄せて停め、窓を開ける。彼らがこちらに気付く様子はない。


 少しだけ開けた窓の隙間に手袋をした指を向ける。乾燥した空気が弾け、火花が散った。

 晶砂岩のループタイが魔力に応じて光沢を放つ。


 ――ばちばちばち、ばちぃ。




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