174枚目 「瑠璃唐草の遊撃衛兵」


 恋や愛は美しいもの。

 姉たちや母を見ていて心底そう思う。思い知らされて生きて来た。


 彼等が幸せそうに謳歌する「愛」は、私が彼に抱いている恋やら愛やらに擬態させた醜悪な商売根性や偽善的思考の果てに産まれた感情とは、どうにも形が違うのだ。


 「恋」や「愛」は、少なくとも憐憫や同情なんかよりずっといいものであるはずだ。


 私が誤認するそれは、根本より材料が違っているのだろう。

 水の質は悪くなかったのに、何故か根腐りした植木とでもいおうか。


 どちらにせよ。


 一度愛した女性を失っている男性に、その女性に一生適わないと知りながらも恋をしてしまった自分のことが、どうにも滑稽でならなかった。


(故人に勝つなんて、そんなこと無理に決まってるじゃないですか。そんな人を支えたいと思ってしまった私自身に嫌気が差すくらいには、わきまえている)


 わきまえている、つもりでいる。


 シグニスには、恋に盲目になった自覚があるつもりだった。

 「つもり」の部分、つまるところは自分を信用しないということもしっかりと含めて。


 彼女は一般人だ。長女ウィズリィのようなとびぬけた度胸や責任感はないし、次女アステルのような手先の器用さや熱意も無い。

 どちらかと言えば不器用で、いつもにこにことしている父親似だといわれる。シグニスにしてみればそれが不思議でならなかった。


 自分はそんなに大人しい人間に。頼りない人間に見えているのだろうか――と。


「ちょっ!! 足はっや!? 待ってよパン屋のねーさん!!」

「……えっ、貴方も来たんですか?」


 西地区の隘路あいろを抜け、普段は服が汚れるからと使わない抜け道を走って来たシグニスは驚いた声音で振り返る。かなり全力疾走に近い走りでここまで来たつもりだったので、まさか追いつかれるとは思ってもいなかった。


「来たんですか、じゃないです! いきなり飛び出してったのはそっちでしょ!」


 シグニスに追いついた彼は――何を隠そう彼こそ賊の構成員の「小人」なのだが――その細身に似合わない筋肉質な身体を隠す様にマントを肩にかけている。腰に下がったナックルが彼の得物だったが、今は足を重くする役目を担って揺れているだけだ。


「っていうかここ、空気薄っ!? どうして全力疾走できるんですか!?」

「あまり叫ばないで下さいね。酸欠になりますよ」

「…………!?」


 戸惑いと呆れと疑問を脳内でぐるぐると回しながら「あれ、もしかして自分の方がおかしい?」と自らを疑い始めた小人は、そろそろと周囲を見渡す。

 西地区の舗装されていない地面の真下、彼らがいるのは東西の区画を繋ぎ合わせる地下通路である。


 実は彼等がこの通路に踏み込んだのとほぼ同時刻に、土塊でふさがれた通気口を針鼠が破壊して回っていたのだが――これは全くの偶然で、またとない幸運だった。


 お蔭で酸欠になることなく、空気が薄い通路をシグニスと小人は走ることができている。当の本人たちはそんなこと知る由もないのだが。


「なにここ。この町に地下なんてあったんだ……」

「戦時に一般民を逃がすために作られたものです。外の方は知らないかと」


 じゃら、とシグニスの手に握られた鍵束が擦れ合って音を立てる。

 古い鍵のようだが、一見すると鍵には見えないスティック型をしていた。


 スカルペッロ家の三女は追いかけて来た小人のつま先から頭の天辺までを流し見る。


「やはり貴方は一般人ではないですね、鍛えていらっしゃる。町を襲ってきている賊の方々も、貴方のような体力を持っている方ばかりなんでしょうか……だとしたら、ますます彼のことが心配ですが……」

「は!? いやいやまさか、私だって死ぬほど無茶して幹部になってるんですからそれはないですよー。安心してください――って安心させてどうするんだ馬鹿ぁ!!」


 一人でボケて一人でツッコミを入れ、一人で疲れる小人。

 シグニスはその様子をぽかんと眺めていたが、すぐに口の端を緩めてみせた。


「ここからは歩きましょうか。雨で床も濡れているみたいですし」


 シグニスは小人に背を向けて先を行く。一人で酸欠になりかけていた小人はその様子にまた呆れて、ツッコミをいれる気力すら失くしたようだ。


「隙だらけな癖に嘘の一つも吐いてくれやがらない……そんな人間って居る……?」

「何か言いましたか?」

「いえいえ何もー! 何もー!」

「そ、そうですか」


 小人は両手を前に突き出してぶんぶんと左右に振ると、腕を組んだまま駆け寄ってシグニスの一歩前に出た。戦う意思がないという意思表示なのか、それとも彼女の先を歩きたいのか。彼の心情はいまいち読めたものではない。


 彼はこう見えても渥地あつしち酸土テラロッサ内でも取り扱いに困られている小人である。ベイツとのやり取りで単独行動を咎められていたのもその為だ。


 誰にも信用されていないし、誰のことも信用していない。彼が使う魔術の性質も原因かもしれないが、小人の方だって他人に嘘を吐かれるのは苦手だった。言い繕わずはっきり言ってくれた方がましだと考えるところがある。


 そんなことは露知らず、シグニスは小人に問いかける。


「あの、一つだけお聞きしても?」

「はい? (もう何もツッコミやしない)」

「貴方たちがこの町を狙った理由は何ですか?」

「っ……!?」


 ぴし。と空気が軋む音がした。天井から滴り落ちる雫の音がやけに大きく聞こえる。


 「はっきり言ってくれた方がまし」と、彼の信条的には確かにそうなのだが。だからといって面と向かって地雷を踏み抜かれるとは思わなかった。


 シグニスはしばらく無言でいたが、返答が望めないと分かると首を振った。

 足を止めた小人を追い越して、彼女の背中がまた無防備に晒される。


 小人は思考する。


 この女性は例の「紫目の娘」とは別人かも知れないが、話が通じるような相手でもない、と。

 生憎彼は事前の情報収集で、シグニスが「スカルペッロ家の人間」であることを知っていた――そう、シグニシア・スカルペッロには利用価値があると知っている。


 彼女を人質に取るなりして町長らを脅せば、目的とする情報の類は容易く手に入ることだろう。行方不明になった構成員の行方も、無残に殺された先代首領の死の真相も。


(美味しい料理を作る人に悪い人は居ないとは思いたいけど、やっぱり私は――)


 腰元のナックルへ指を伸ばす。金属の冷たさが指の腹をなぞる。


「では、こちらなら答えて頂けますか?」


 思考を遮るように言葉が振られたのはその時だった。小人は顔を上げる。シグニスは少し先の方で立ち止まった。

 通路のカンテラと暗さが混ざってほの暗い夜の闇のように深い青。魔力潜性を示すその瞳が、僅かな好奇心と共に振り返る。


「先程の新作パン、本当に美味しかったですか?」

「……は?」

「お店の中には私以外の方もいらっしゃいましたし。お世辞の評価だと困るので……その、町の皆さんはちょっと優しすぎるので、指標にならないんです」

「えっ、ええと、えぇ? 忖度なしに美味しかった……けど……!? それが!? どうかしました!? 今話すことですか!?」

「……よかった。町の外から来た貴方がそう言うなら、あのパンは成功ということですね」


 ほっとしたように笑うと、シグニスはさくさくと先へ進んでいく。

 小人は眉間に皺を寄せ、まだその後を着いていくようだ。


 東地区へと抜ける階段を昇ると、地下通路は徐々に明るくなっていった。

 真昼間を越え、傾き始めた日の光が西から東へ光の帯を落とす。


 鍵を使い、扉を開け放つ。


 まぶしさに目を細めたシグニスの視界には催涙雨が染み込んだ石畳の水たまりがあるのみで、攻め込んできたらしい賊の姿は見当たらない。けれど、所々砕けた地面をめにすれば、ここも闘いの場だったのだと理解できた。


 裾の長いスカートには、煤や泥がついてしまっている。しかし彼女はそれを気にすることなく、隆起した石畳の凹凸に足を取られぬように軽快なステップを踏むだけで、小人に対して少しの警戒心を向ける気配がなかった。


 流石に毒気を抜かれすぎて気怠くなってきた小人は、やがて駆けだしたシグニスにまた呆れて項垂れつつも並走し、への字にしていた口を開く。


「君こそどうして、そこまでして迎えに? 私が言うのもなんですが、こちら盗賊同盟側は既に壊滅的状況にあります。今更危惧する必要などないと思いますが」

「ああ、それは――まだ、終わらない気がしてならなくて」


 シグニスは小人を振り向くと、憂うように青い瞳を北へ向ける。その方向には、町長たちが控えるスカルペッロ家の本邸があるはずだ。


「今日は掃討に時間がかかりすぎているんです。状況を知らせる為の連絡網も満足に機能していない。こんな状況は、戦時下ですらありえなかった」

「……」

「それに、情報が停滞している中で過度のストレス下に置かれた人間が集団であった場合、私たち一般民にできることは限られます。現に私が店を出た後、彼等は内鍵を落としたでしょう。自分たちの身を守るために、躊躇うことなく」


 ――わが身が可愛いのは誰しも同じだ。


 シグニスは口には出さずに、けれど静かな怒りを称えていた。

 人が恋に盲目であるように、他者の命に盲目なのだと。噛みしめる。


「だから私は、彼を守ることができるなら何だってやります。例え一年の大半を工房で過ごすひきこもりだろうと、パン作りの才能があるのに彫刻を辞めない無謀者だろうと、関係ありません。相手が賊だろうと魔導王国の役人だろうと親だろうと姉妹だろうと。構いません――繰り返すわけには、いかないので」

「繰り返すとか終わらないとか、私にはよく分かんないことばっかだね……」

「ええ。色々あるんですよ。この町には――それでも、この町が盗賊さんに狙われるような理由だけは、思いつかないんですけど……」


 中央広場横、芋揚げが美味しいことで有名なカフェ「バシーノ」を前に、シグニスは足を止める。


「……小人さん。私、これから人を迎えに行きます。もしかしたら、貴方と同じ賊の方がいらっしゃるかもしれません。その場合は――」


 パン屋の女性は言いかけて、辞める。言葉の続きは無かった。


 小人は溜め息をついて石畳の目を数える。

 ああ、本当に残念だ。この人は最後まで嘘をつかなかった――そう思いながら。


 彼が顔を伏せている間に、扉が開け放たれる音がした。


 べきめきばき。と、嫌な音が耳に届く。


 硝子が砕ける音と、壁に穴が開く音。何か物が飛んでいる。不時着した人間の音。子どもの鳴き声。怒号が破れる。聞きなれた罵声が途切れる。殴られる音。蹴り砕かれる音。


(……いや、ちょっとまって)


 小人は一度目を閉じ、深呼吸して顔を上げる。


「――今ぁ!! 不時着した人間の音がしたんですけどぉ!?」

「はい?」


 ぶち抜かれた木製扉が丁番を捩じられて浮いている。

 ぎいぎいと留め具がお亡くなりになった窓は、閉める理由を見失う風通しの良さだ。


 店内では賊の構成員による立てこもりでも起きていたのだろう、一般民は賊の顔つきの怖さに……というよりかは、救助に入った筈の女性の無表情さに怯えている!!


「いっ、今の流れ!! 流れ的に!! 私が身内を裏切って君の代わりに特攻する場面とかじゃなかった!? 一宿一パンの恩義を返すって!! ねぇ!?」

「一宿一飯の恩義って……まさか、同士討ちさせるほど非道じゃありませんよ」

「こちとら手加減の余地もなく既に仲間がフルボッコにされてるんだけど!?」

「それはまあ、はい。民間人に危害を加えた時点で捕縛対象でしょう」


 べきめきばき。と何処からともなく耳に入る異音の元凶は、シグニスの指関節だった。


 パン生地をこねる優しそうな女性の手つき――では、ない。

 その証拠に、身の丈を超える男どもの顔面を鷲掴み、ボロボロになったそれを店の奥に放り投げた。


 シグニシア・スカルペッロ。


 彼女は一般民である。スカルペッロ家の三女で、町のパン屋さんで、宿屋の受付係で、イシクブールという町の遊撃衛兵・・・・を担っている――。


 ぷちりと脳裏で何かが弾けた音がする。

 普段は気にかける違和感を、小人は無視した。


 考えるより早くフィンガーナックルへ指を通す。この女性とは手加減なんてものが通用しないほど実力差がある。先手必勝、僅かな運に全てを委ねるしかなかった。


「はあああああああああ!!」

「……」


 シグニスは背後に迫る賊を裏拳でのすと、店に駆け込んでくる小人の姿を視界に入れる。


「――アイベックさん」


 声と共に、壁の裏に居た黒毛の獣人が清掃用具の箒を持ち上げた。


 次の瞬間、小人の賊の両脛には見事な痣が刻まれた。




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