173枚目 「小人の憂鬱」

 

 魔法瓶の内側、東市場バザールを襲撃した賊の一人であるクレマスマーグ・サンゲイザーは瓶底に胡坐をかいてアプルを頬張る。


「しゅるる。対策ねぇ。あー、オレたちと敵対する時におすすめしねぇのは「小人」に嘘を吐くことと、真正面から「泥眠りの舌」の相手をしないことだ」


「幹部は他にもいるが大半は脳筋だし、オレを越える戦力は今の所いないだろうな。だから、押さえておくべきは「思考できる実力者」だろうぜ。特に「泥眠りの舌」は異名通り対峙した大抵の相手を眠らせちまうから、遭わねえのが身のためだぁな」


「しゅる。ん? そんな勝ち目の薄い相手とどう立ち回るのかって? まあ、「泥眠りの舌」は引く程騙されやすい上に馬鹿だから、口が上手い奴が対応すりゃあ、どうにか隙が作れるんじゃねぇの。問題は「小人」の方だ」


「アイツはマイペースなくせして何に関しても気を抜かねぇし強かだ。その上格闘に関してはアイツの右に出る奴はいない――放置すりゃあ、後ろめたいことを隠そうとした奴等から順番にボコボコにされることだろうさ! 「気に入らないです!」ってなぁ!」


「しゅるるるる!! ざまぁねえな針鼠もどき!! よりにもよってお前さんとは相性が死ぬほど悪い!! 精々お仲間がやられていくのを手袋噛んで眺めてりゃあいいぜ!!」


「…………ちょ、待てよ、振り回すつもりか、あれ酔うんだぞ、おい、仮にも取引相手に血も涙もねぇのかてめ、辞めっ、このっ憶えてろよこのやろぎゃああああああああああ!!」







 針鼠の少年は赤手袋を嵌め直し、脳裏によぎった某蜥蜴の獣人の叫び声に溜め息をついた。

 といっても、あの場で勢いよく瓶を振ったのは他でもない自分自身なのだが。


(サンゲイザーが口にした情報が正しければ、「泥眠りの舌スキンコモル」の魔術に致死性はない――もし彼女の魔術で無力化されたとしても、追撃がなければ無事でいられるだろう)


 女の子の元に駆けつける道中に目にした、気を失った男の子のことを思い出す。


「……無事に、教会に辿り着けてたらいいんだけどな」


 他でもないグリッタにあの子たちを送り届けるよう頼んだのだ――彼はきっと、私情と役割を混同しない。だからきっと大丈夫だろう、と判断して。


 結果としてはその選択が、更なる戦力の分散を招いたのだけども。


「……」


(あとは話に上がった「小人」だけど……城門前でも何名かそれらしい人を捕まえてるから、誰のことを指しているか分からずじまいだな。潜伏していないことを祈るしかないか)


 無言のまま、うんともすんとも言わなくなった回線硝子ラインビードロに視線を落とす。今朝からこれまでの間、ラエルからの通信は一度も入っていない。


 町の異変にいち早く気がついたからなのだろう。ノワールからの報告がなかったことを考えると、催涙雨が降った時点でそのような状況に陥っていたとも考えられる。


 となればあの雨は一般民の避難誘導や賊のあぶり出しを目的にした単なる思いつきではなく、顔も実力も分からない第三勢力を混乱させる為の作戦でもあった、と。


(広範囲の情報収集に雷でも突風でもなく、を使うとか……予想外だ。まんまと死角を突かれたな)


 人族や獣人のような魔力適正が低い種族の瞳にも、魔力の見え方には個人差がある――物陰に隠れ鼠顔越しにゴーグルーをかけるハーミットは、視界に映る色付きの魔力に目を細めた。


(しかし、魔力弱視者のデータを元に可視化しやすくしているとは言っていたけど……これどういう仕組みなんだ? 俺にも見えるってことは物理着色? まさか液晶?)


 ともあれ、分からないなりに使える道具は使うがモットーのハーミット・ヘッジホッグは、ゴーグルーを額に上げて立ち上がった。


 閑散とした町に、革靴の音が酷く響く。


 道中の賊を蹴り倒して捕縛していくと、町のあちこちにある屋根付きの通気口が泥のような土塊で覆われていると分かった。見つけ次第破壊するものの、数に限りは無い。


(町の地下通路で東から西に繋がっているのは噴水広場周辺に二本、邸宅前に一本、教会側から一本、墓地側からの一本の計五本。どれも日の差さない完全地下だったはず)


 地下というからには必ずどこかしら空気穴が必要になる。ここまで計画的に通気口が塞がれているとなると、町に潜入していた賊の目的はこれだったのかもしれない。


 ハーミットは脳裏に地図を広げ、イシクブールの全体を俯瞰する。


(行動経路の阻害……けど、見る限り東と西を繋ぐ経路だけを集中的に潰してる。一般民が通行できるような地下道周辺に細工がされていないってことは……町を知ってる人間だな)


 数日前、町長宅で行われた会議の様子を思い出す。


 あの日あの場に居た人間で、あの場に足を踏み入れてもおかしくない人間で。

 あの資料を目にしても不自然に思われない人間の中に――明らかに内部の関係者の中に、裏切り者がいるということだ。


(イシクブールを襲撃させることに一体何のメリットがある。第三大陸のことを知っている人間であれば、この町こそ真っ先に狙いから外すはずなんだけど)


 外敵の侵入を阻む城壁。

 晶砂岩で組み上げられた堅牢な町。


 道向かいの人間が今日どうやって足を捻ったか――そんな些細な情報ですら、あっという間に町中へ伝わる驚異的な情報網。そして、決して表舞台に現れない次期当主。


「………………」


 ハーミットはそこまで考えて、閉口する。


 元より誰かと話していた訳ではない。思考の海に沈む内に半開きになっていた口が、唾を呑む為に閉じられたというだけ。


 硝子の内側、琥珀が青く濁る。


(……まさか。?)


 髪を搔き乱そうとして掲げた掌は、針山をなぞったところで止まる。


 恐らくは、自覚しているよりも残された時間は少ない。

 悩む暇があれば足を動かせ。思考を休めるな、自分が何をすべきかを考えろ。


 腕を下ろした少年が無言のままコートについた砂をはらう。

 走って走って――けれど。邸宅の前を横切ろうとしたハーミットは、その足を嫌でも止めることになる。


「アステル、さん」


 耳慣れない駆動音と、見知った姿。かつては寝たきりだった盲目の駆動好き。

 その人は栗色のストレートを揺らし、車いす型の駆動と共に石畳の上を行こうとして。


 投げかけられた声に花が咲いたかのような笑顔で。針鼠の方を振り向いた。







 一方。乱れた栗髪に、淀んだ瞳を携えて。


 ようやく霧雨が止んだ西地区をガラス越しに眺めるのは、パン工房に引きこもっていたシグニシア・スカルペッロ――スカルペッロ三姉妹三女のシグニスである。


 蚤の市では焼きたてパンを売り歩き新作の試作も歩いて配っていた彼女は当たり前のように催涙雨に降られ、その被害に遭った。

 洗っては擦られた両目や口元が、生来辛い物が苦手な彼女に与えられたダメージの大きさを物語っている。


 それに工房へ逃げ込んですぐ、あちこちから戦闘音が聞こえ始めたのだ。誰が前線に居るかまでは把握できないものの、シグニスにしてみれば迷惑な話である。


 外に出していた看板を取り込み、逃げ遅れた住民と観光客を工房へ招き、スカルペッロ家の三女として然るべき対応を取る。彼女ができることといえばそれだけ。


 工房の中は不安げに外の様子を伺う住民たちの視線と、湿り気のある重たい空気と、パンの匂いで満ちている。数年前の戦争を思い出させる光景は、目の端に入れるのも億劫だった。


「……あの。貴女がこのパンを?」

「え? ええ。そうです、けど」


 思考の最中、声をかけられて振り向いたシグニスはゆっくりと首肯する。相手はこの辺りでは見かけない顔だった。


 町で見かけたことがある長女の子どもたちよりも少し幼いような風貌。しかしその声音は声変わりした男性のものである。口調が明るく語尾が上がる為に暗い印象は受けないが……第二大陸に居るという「小人族」だろうか。


 茶色の髪に黒の瞳。シグニスは瞳孔の見えない色の濃さに一瞬だけたじろいだ。


 それは第三大陸では目の色がここまで濃い人をあまり見かけないからだったのだが――彼は目をきらきらと子どものように輝かせながら今朝開発されたばかりの新作パンにかじりついていて、飲み込むなりぺろりと口元を舐めとった。


「このパン、美味しいですね。食べてしまった後で申し訳ないけどおいくらです?」

「それは試作品で……まだ値段はないんです。外の騒ぎが長引きそうなので、手軽に食べて貰えたらなと。美味しかったなら嬉しいです」

「えっ。本気?」

「ええ。それに、立案者の意見も参考にしたいんです。……どうしても、彼が作ったものには及ばないみたいなので」

「ふーん。パン屋さんも大変なんですね」


 言いながら二つ目を手に取り、こちらへ目配せして見せる小人。


 どうあれ手をつけられたパンを他者に渡すことはできないので会釈を返すシグニスに小人はぱっと顔を明るくして、二つ目の新作パンを口に放り込んだ。


 町の住人たちはというと、食事を摂る意欲も起きないのか水をちびちびと口に含んでいる。

 戦事下の食料難を生き抜いた彼らにとって、長期戦になった場合にどう対応すべきかは身体に染みついているようだった。


(それにしても、随分と久しぶりに怒号入り混じる喧噪を耳にしている気がする)


 窓の外で繰り広げられる賊と肋骨コストラを走る誰か (パン工房が一階なので通路の上までは見えないのだ)との慌ただしい追いかけっこをぼんやりと眺め――やがて静かになった西地区を前に、シグニスは唇を噛んだ。


(……長引けば長引く程、我慢はきかなくなってくる。今日中には片付いて欲しいところですが)


 もしゃり。と、隣からパンを咀嚼する音がする。


 小人は顎の動きを一度止めて、懐から回線硝子ラインビードロを取り出した。

 錆色の明滅は、一刻も早い通信許可を求めている。


「パン屋さん。少し、いいですか?」

「え? ええ」

「そこにお座りになった皆さんも、ほんのちょっとだけお口を閉じていただけると」


 ぽつぽつと会話をしていた住人たちがこちらを見やって軽口を止める。

 茶髪の小人は子どものような姿をしていても声が大人なので、どうやら真面目な話をしたいのかもしれないとその場にいた誰もが息を呑んだ。


 忘れてしまいそうになるが、今日は蚤の市だ。大陸の外からやって来たのであれば、友人の一人や二人連れていそうなもの。もしはぐれたのだとしたら、今すぐにでも合流したいと考えている筈だ。その場の誰もが、そう思った。


 小人はわざとらしく咳をして、それから硝子ビードロに口を近づける。蛇の装飾が成されたそれは、使い古されているがしっかりと手入れされていた。


「……うん。うん、やっぱり? そっかー。それじゃあ仕方がないです。りょーかい」


 一通り話が済んだらしい。うんうんと頷きながら通信が切れた回線硝子ラインビードロを懐にしまい込んだ小人は笑って、座り込んだ住民たちに会話の続きを促した。


 シグニスは不思議に思った。


 彼は少し前にも同じ硝子ビードロで話をしていたように思うのだ。その時は外の戦闘も激化していなかったのだが……西地区が静かになると同時に再度連絡が入るのは、タイミングが良すぎるのでは、と。


 小人はシグニスを気にしてか、視線を外したまま独り言をぼやいた。


「あーあー。やっぱりこうなった。だから言ったのに」

「……何かあったんですか?」

「ええ。協力者に嘘つきが居ました。もう、最後の最後で運がないんですからぁ」


 嘘つき。


 目を伏せて紡がれたその言葉にシグニスは首を傾げる。言葉の端と思考の端を繋げ、行きついた結論を口にしようとして――それを、小人が制する。


 この工房には避難して来た住民がいる。

 碧眼を見つめる黒い双眸は「余計なことを言うな」、「騒ぎにするな」と言わんばかりだった。


 硬直したシグニスに、小人がくすりと笑みを作る。


 最悪、この工房が立てこもりの現場になってしまう可能性すらある――身構えた彼女だったが、どうやら彼にそのつもりはないらしかった。


 あっけらかんとしながら、眉根を寄せて困ったように笑う。

 また一つ、パンが飲み込まれて消えて行った。


「どちらにせよ私たちはもうおしまいです。これ以上抵抗する意味も利益もない。美味しいパンが食べられたので個人的には満足。それだけは得でしたね」

「……嘘つきが、居たんですか?」

「居たみたいですねー。細かいことは知りませんが、こちら側・・・・ではなかったようです」


 気になります? と茶化す様にシグニスに問う小人の瞳は暗く濁っている。

 シグニスは首を振ることも頷くこともせず。ただ純粋に、先の発言が気になった。


 小人が言う「嘘つき」――賊の中で裏切り者がでたという事実は、町を守るスカルペッロ陣営に果たして好影響を与えるだろうか? 単純に喜ぶには、何かが引っかかる。


 青い瞳が彫刻工房へ続く扉を流し見る。

 黒毛の彼は今、この彫刻工房の中にはいない。朝方の一件からずっと、戻ってきていないのだ。


 第二大陸を生き抜いた彼ならば、賊と追いかけっこをする分には問題なく生還できるだろう。だが家を飛び出した時点でふらつくほどの睡魔に襲われていた彼が、この状況下において建物の外に留まることがあるだろうか。


 そもそも工房を飛び出した彼は誰に会いに行くだろう。蚤の市の喧噪をかき分けてまで会いに行く人……となれば息子のペンタスだろうか。


 手売りのパン籠片手に町を周った時、彼はキーナと黒髪の少女と一緒になって中央広場に居た筈だ。


 可能性として、あの後すぐに中央広場に彼が辿り着いたとする。

 彼はペンタスに状況を説明して助力を求めたことだろう。息子の彼は、父親が徹夜していることを案じて自分の家へ行くように言うだろうか。


 いや、西地区から走ってきた相手に道を戻れとは言いづらい。それに第三の外からやって来た彼らは、スカルペッロ家と一線を引きたがっている節がある。

 シグニスから逃げるのに、スカルペッロ家の本邸に逃げ込むという選択肢も存在していないだろう。


(私が追いかけてしまった以上、逃げ込むとか匿ってもらうという体は取れないだろうから。いっそのことお客さまの目に見えない場所で働く、とか)


 蚤の市の日は街道が天幕で埋め尽くされる。その他に、確実に身を隠せる場所を選ぶなら、元々町に居を構えている店舗に逃げ込むしか――ない。


「あの……皆さん。良ければお聞かせ願いたいのですが」シグニスは住民たちに歩み寄り、籠に新しいパンを追加しながら質問する。「骨竜の像がある中央広場の周辺で、飛び込みのアルバイトを募集しているお店はありましたか?」


 住民は目を丸くして、各々の記憶を辿る。


 催涙雨に降られるわ賊が襲撃してくるわでそれどころではなかった彼らに蚤の市の風景が記憶できているかは怪しかったが、普段から良くしてくれるお嬢様に良いところを見せようと、野郎どもが特に必死になる。


 しばらく唸った後、誰かが芋揚げが美味しいカフェの名前を口にした。

 シグニスはふむ、と考える。あまり迷う様子はなく、椅子に掛けていた薄手の外套を手に取る。


 小人はその様子に目を疑った。思わず聞いてしまうほどに。


「ど、どこか行くんです?」

「はい。新作パンの立案者をお迎えに行こうかと。このような状況ですし、できる限り手の届く範囲にいてほしいので」

「……スカルペッロの本邸に駆けこむとかじゃなくて? 対策本部とかないのこの町?」


 対策本部……というと、この町を襲撃している賊に対抗する為の組織か集まりのことだろうか。残念ながら彼女は一般人なので、そうそう重要な情報を得られる立場にはいない。


 その辺りは大方、母親のスカリィあたりが取りまとめてやっていることだろう。あたらずとも遠からず、シグニスはそうだと予想した。


 賊を捕縛するのも賊を裁くのも、シグニスの仕事ではない。


「いえ、私は人を迎えに行こうとしているだけです」

「君、私の話聞いてた?」


 小人の言葉に、シグニスは声に出すことなく首肯する。


「私にとって貴方は『パンが好きな観光客』です。それ以上でもそれ以下でもない。大切なお客様ですが――それが何か?」

「…………」


 小人はその言葉を理解するのに暫くかかったらしい。


 その間にスカルペッロ家の三女は勝手口の強度を確認して、後方の住人達に「何かあれば、後方の扉を抜けて避難してください」と言い残すと外へ出る為の扉を押し開ける。


 扉が開く音と共に正気に戻った茶髪の小人は、慌てて黒い瞳をかっぴらく。


「あ、ちょ、待ってくださいよ! マジで見てらんない!」


 さっさと行ってしまうシグニスの後を追い、小人も勝手口の外へ駆け出す。


 そうしてパン工房の中から、賊の構成員はいなくなった。

 住人たちは顔を見合わせて、恐る恐る勝手口の内側から鍵を下ろした。




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