176枚目 「穿孔ガーデンハット」

 

 スカルペッロ家邸宅前で向けられた笑みに、針鼠は顔の引き攣りをもって答えた。

 車椅子型の駆動に乗った栗髪の女性が、ゆったりとした挙動でこちらへ寄って来る。


(思わず声をかけたのが、失敗だった)


 彼はこの町に「ハーミット・ヘッジホッグ」としてやってきた。

 鼠頭を被って、香水を纏って、挙動を替え、口調を誤魔化し、態度を偽って。


 それらの殆どは外見的特徴だ。ハーミットの身体が十三歳の時点で成長を止めている以上、彼の声に限っては六年前と大差ない。


(普段から聴覚情報を頼りに生きている人を相手に声をかたるなんて、考えが甘すぎた)


 思えば、声紋認証なるセキュリティ技術が故郷では採用されていたじゃあないか――なぜ魔王側につくと決めた時点で自分の喉笛を焼かなかったのか、今になって悔やまれる。


 それに、「無理をさせてはいけない」とハーミットが認識する程に彼女の身体は弱かったはずだ。それが今日に限って町へ繰り出すなど予想もつかない。完全に不意打ちである。


 足を後ろに引こうにも、もしハーミットがこの場を逃げ出そうものなら。彼女は六年前より幾分進化したらしい駆動車椅子をかっ飛ばして、逃げた針鼠を追いかけて来るだろうと予測できた。


 鼠顔の少年は声を上げることなく自身と距離を詰める駆動を待つ。

 逃げるも誤魔化すも難しいとなると、後は何ができるだろうか。


 エイストレーグ・スカルペッロ――アステルは元駆動技師資格保持者であり、キーナの母親だ。


 アステルは、少年が勇者と呼ばれていた六年前にも交流があった数少ない内の一人である。

 ハーミットは浅く息を吐き、赤手袋が無意識に腰元に触れる。


 星のような煌めきを放つ青い回線硝子ラインビードロ。素手で触るには遅すぎたそれを握り締める。

 この硝子ビードロの向こう側で、自分のことを誰が監視しているかなど。嫌というほど知っていたはずなのに。


 きぃ、と。目と鼻の先まで近づいて、駆動を降りたアステル。

 杖を手に取ってかつんかつんと辺りを捜索し、ハーミットの革靴へ辿り着くと顔を上げた。


 彼女は少年の表情など見えてはいないし。少年の事情など知る由もない。

 色の薄い紅をのせた唇が開かれ、鼠顔からは血の気が引く音が聞こえた。


 ――アステルは、笑って口を開いた。


「ごきげんよう紳士な方! イシクブールの蚤の市はいかが? どうやら今日は人の入りが悪いようですが。楽しんでいらっしゃいますか?」

「……はい。それなりには」

「ふふっ。息はしていいんですよ?」


 のっぴきならなくなった時は、何も考えずに深呼吸するのが一番です。

 アステルはそう言って、ふわりと笑う。


「屋敷から抜け出すまでは上手くいったのですが、あまりにも人が居ないので苦心していたんです。貴方はどうしてこちらに? 街道なら、二つほど道を挟んだ向こう側ですが」

「……道に迷った訳ではないんです。西の方に用事がありまして」

「そうですか。そうですね、でも西地区へ行くのはあまり勧められませんわ。お祭りのような音がしていますし」

「お祭り」

「はい。貴方なら、私の耳の良さをご存じなのではありませんか? 魔導王国の役人さま――貴方が、ハーミット・ヘッジホッグさま。ですね」


 鼠顔が「びくり」と跳ねる。恐る恐る女性の顔を覗いてみれば、大きな鍔付き帽の影に濁った碧眼が浮かぶ。その口元は絶えず、微笑みを崩さない。


 どうやらこちらの反応を面白がっているようだ――とてもじゃないが、心臓に悪い。

 口に出さずとも、そのような空気を醸していたのか。苦笑しつつアステルは距離を取る。


「わたくしはエイストレーグ。直接お会いするのは? もっとも、貴方が一方的に私を知っていたとしても驚くことはありませんが」

「――はい。僭越ながら、スカルペッロ家について調査させてもらった際に。貴女のことも存じ上げています。エイストレーグさま」

「ふふふ。『アステルさん』で構いませんわ」


 なんだか手のひらの上で転がされている気がする。そう思うものの、この場ではそれ以上の対応を思いつかない。ハーミットは軽く頭を下げたまま、周囲への警戒を強めた。


 賊が跋扈している町に、スカルペッロ家次期当主を一人残していくわけにもいかない。

 言われた通りにしているようで癪だが、ハーミットは一度だけ深呼吸をする。


「……アステルさん」


 混乱していることに嘘はないが、これでも彼は魔導王国の四天王だった。

 立場上、問うべきことは問わねばならない。


「貴女こそ、どうしてここに? この頃は調子が悪いと、風の噂で聞いていたんですが」

「散策ですわ。せっかくの蚤の市ですのに、寝所に籠もっていては気分が晴れないでしょう?」


 間髪入れず発されたその言葉に、少年は眉間に皺を寄せた。


「興味をそそる露店でも?」

「ふふふ。聞いて驚け、ですわ。この駆動のスプリングを新調しようとした矢先、受注先の業者が蒸発しましたの。その末端が今日蚤の市に来ると聞いて、いても経ってもいられなくて!」

「スプリングなんて入ってるんですか、その椅子」

「ええ、範囲適応型のものを採用していますわ。駆動のサドルは、ゆりかごのように居心地良いものでなければ」


 よいしょっ。と声を出しながら元の椅子へ座り、杖を納めるアステル。


「しかし、楽しい蚤の市はお開きになってしまったようですね。これはいったい、どういう状況なのでしょう?」

「……」


(流石に、町の異変に気が付かないというのは都合が良すぎるか)


 ハーミットは状況を説明しようと口を開きかけ、しかし躊躇う。


 捕縛した賊の首領は「風」で情報を集める第三勢力がいると仄めかした。この会話を聞かれている可能性だってゼロではない。


 口に出せるのは「誰でも知っているような情報」に限られた。


「……第三大陸へ渡って来た賊たちが、この町を襲撃したんです。制圧はほぼ終了していますが、まだ潜んでいる輩が居るかも分かりません」

「なるほど。貴方程の実力者であっても、誰が味方か分からない状況は効くものなんですね?」


 ばれている。


「今、顔を歪めたでしょう」

「本当は見えてたりします?」

「まさか、光も追えぬ隻眼ですよ。貴方はわたくしが目を潰した経緯も知っているでしょうに」


 針鼠の少年は無言をもって答えるとアステルのすぐ隣に立つ。こげ茶の鼠顔と針並みがもさもさと揺れた。


 アステルは少年の行動を追いながら、懐かしい足音に頬を緩める。


「まあ、今回の一件に関しては心当たりがあります。悟るも何もありませんわ」

「――」


 喉の奥まで出かかった声を飲み込んで、ハーミットは一人で噎せた。

 飲み込みそびれた唾が気管の入り口を荒らす。振動が伝わった両腕が鈍い痛みを発する。


(……成程、アステルさんが出てきたのはそういうことか)


 深窓の令嬢。車椅子が手放せない体質。見えない両目。それらをひっさげ、駆動なんて目立つものを起動させながら邸宅を抜け出すのは至難の業だっただろう。


 それが成功しているということは、邸宅の中に彼女の外出を止められる人間が居なかったということである。


(スカルペッロ家の使用人には頼れない――いや、頼れないように仕組まれている。と)


 特に、「心当たりがある」という台詞は大いに気になる。


「ということは、散策以外の目的があって町へ出られたんですね」

「ええ。ですから、早急にキーナのところへ案内して頂きたいのですが」

「護衛は構いませんが、彼の居場所までは把握していません。共通網を組んでいた回線硝子ラインビードロが不調なんです」

「あら、それは困りましたわ。誰か、身軽で単独に動ける方はいらっしゃらなくて?」

「……はい。残念ながら」


 答えながら、ハーミットは魔導王国から持ってきた回線硝子ラインビードロを繋ぐ。

 この現状、身軽で単独で人の目をかいくぐる役目を任せられるのは、一匹しか居ない。


 混乱する状況下に置かれると個々人のパフォーマンスは等しく落ちるものだ。霧雨が止んだ時点で指示を出すべきだった――猛省しつつハーミットはアステルと会話を続け、伝書蝙蝠に暗黙の指示を飛ばす。蝙蝠が羽ばたく音がしたのを確認して回線ラインを切った。


 ノワールが彼らを見つけるのが早いか、こちらが合流するのが先か。


 ハーミットは鼠顔越しにゴーグルーをかけた。

 アステルと話す間、これといった風は吹いていない。石組みの町に蓄えられた熱が、じわりじわりと身体を温めていく。


 視界には、魔術の残滓すら映らない。どころか西地区側の喧噪も止んでいるようだ。

 朱く染まり始めたイシクブールは、酷い静寂に包まれている。


 アステルは顔を曇らせ、駆動の背を邸宅に向けた。


「……嫌な感じがします。急ぎましょう」


 ぎ、と。駆動を半回転させる。

 栗髪を抑えていた帽子が風に攫われた。針鼠が殺気に振り向いたのはその時だった。


「!!」


 石畳の地面を蹴り砕く。風に舞い上がった髪を押さえ呆然とする彼女の顔を見る余裕もない。

 黄土色の腕が魔術の射線に入る。風に舞い上がったつばつき帽が撃ち抜かれる。


 針で覆われた背中に、一筋の紫電が突き刺さる。


「っう、ぐ――」


 火鼠の衣で吸収できるのは魔術で発現した現象のみ。


 軌跡が目に見えるほどはっきりした雷が相手なら、「雷撃」の他に「衝撃」と「熱」と「音」と「光線」が同時に発生する。その威力は「炎弾フォイア」とは比べ物にならない!!


「は、ハーミットさ」


 声を上げようと身を捩ったアステルを押さえつけ、針鼠は必死に息を殺す。

 一度目は庇えたとはいえ、追撃が無いとは――あった。


 背中に同じ熱を受ける。

 一回、二回、三回。


 長い針並みが地面についてアースの役割を果たす。かなり執拗だが二回目からはどうにか耐えられた。背骨は軋むし内臓が割れると錯覚するほどの衝撃を受けているが、ゴーグルーの受け流す壁パリングとプロテクター入りのコートが挟まっているだけで大分、楽……。


(――って!! センチュアリッジでの失敗を繰り返すつもりか、俺は!!)


 落ちかけた意識を無理矢理引き戻す。多少舌を切ったが戦闘に支障はない。


 ほぼ生身の状態でラエルの『霹靂フルミネート』を受けたハーミットである。

 あの衝撃に比べれば!!


「っ――ぁあああああ!!」


 思い切り右腕を背に回し、手袋越しに引き抜いた針を投げつける。

 ダートに似た鋭利な棘針が、雷を纏って術者へ舞い戻る。


 放たれたそれが次々に邸宅の窓枠に突き刺さると、追撃は収まった。

 術者本人の姿は見受けられないが――ハーミットは、押し倒してしまった車椅子とアステルを一緒に引き起こす。


 腕を通していたコートをアステルに押し付け、外した鼠顔までもを被せた。

 肩の上で切り揃えられた髪が振り乱され、金糸が夕焼けの色に染まる。


 急に新しい帽子をかぶせられたアステルはゆったりと鼠顔を触り、針の衣を撫でて苦笑する。


「優しいのは相変わらずですね」

「変わらないのはお互い様ですよ」


 ハーミットは言って、額にしていたゴーグルーまで――受け流す壁パリングを発動させた状態で――アステルへ手渡す。


 次に降って来るだろう黒魔術に、彼女だけでも耐えられるように。


(……見誤ったのは「規模」か……!!)


 そも、捕縛した賊の首領から町全体へ風を渡らせる魔術士の話を聞いたハーミットは、第三勢力を十数人単位のグループであろうと予想した。


 浮島での大規模魔術の施行だって、巨大な魔法陣があってのものだ。

 だから少年は、経験から「第三勢力も複数人だ」と思い込んでいた。


 しかし、その仮説は棄却された――情報として把握しているイシクブールの住民で、雷魔術の上級を軽々と操れるような人間には一人しか心当たりがない。


 そして「彼」がそうなのであれば。一人で事足りてしまう作戦だった。


(だから、俺を避けたのか。接触回数を減らすことで信頼度を上げようとしたんだ)


 監視役にノワールをつけていたにもかかわらず、その情報を生かせなかった結果がこのざまである。あんまりにもあんまりで、乾いた笑いがこみあげて来る。


 賊の規模が大きかったこと。対するイシクブール陣営の戦力が心許無かったこと。

 第三勢力に気付いた人間がそう多くなかったこと。連絡網が使い物にならなかったこと。


(ラエルたちがどうして、もっと気にするべきだった――分散が目的だと分かった時点で、合流を選択するべきだった)


 反省や後悔を山ほどしたところで、現状は変わらない。

 震えを止めていた腕は既に限界で、熱に茹った身体の動きは鈍い。


 あと数時間で夜になる。タイムリミットは目の前だ。


 金髪少年は無言のまま、背中から剣を引き抜く。

 見上げた本邸の上空には、練り上げられた魔力圧で視覚できる「滲み」が生まれている。


 邸宅の屋上から狼煙のような黒煙が上がった。

 ハーミット・ヘッジホッグは身構える。


 ――空が弾けた様に白く輝く。目の前に熱と衝撃が落ちて来る――!!


(雷魔術が相手じゃあ――避けるも何もないんだけどな!!)


 構えた剣を盾に、どうにか頭部を守ろうと身をかがめ。近距離で爆ぜたその音に歯を食いしばる。


 食いしばる。が。


「…………!?」


 いつまで待っても衝撃が身体を通過しない。

 明滅する視界が、まだ自分の意識があるという現実を教えている。


 馬鹿になった鼓膜に――この場で聞こえるはずがない、特徴的な獣人訛りが届いた気がした。




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