166枚目 「有口無行のシースナイフ」


 使用人は言った。


「――貴女には、発現した魔術への観察力が足りていません」


 それは数日前、町長宅の庭で魔術基礎を叩きこんでもらった時のことだった。


 魔術紙スクロールの内容を理解した気になって暗唱していたラエルは、使用人ネオンの言葉にがくりと肩を落とす。


「はっきり言うわねぇ……」

「事実ですから。寧ろ『貴方は今までどういう理屈で魔術を使って来たんですか』と聞きたいくらいです。貴女の魔術は付け焼刃ですらなく、まるで戦地をかいくぐって来たような身に着け方じゃあありませんか」

「せ、戦地」


 苦笑いで回避しようとしたラエルに対し、ネオンは真剣な眼差しを向ける。

 サバイバル生活のことは明かせないが、それとなく察されてしまったらしい。


「自分なりに真面目にしていれば『点火アンツ』くらいは調整が利くようになると思ったのだけど。そう簡単じゃなかったのね」

「……私は、貴女が不真面目な方だとは少しも思いませんでした。寧ろ勤勉でよく復習をされる方なのではないかと。事実、私の『点火アンツ』を見た後は暴発しづらくなったでしょう?」

「それは、そうだけれど」


 魔術発現イメージの欠如を補うには、膨大な訓練と経験が必要だとされる。


 魔術師の素養があるとみなされた子どもが初等教育から魔術を学ぶように、大人になるまでの成長期間に必要最低限は叩き込まれていて然るべきだろう。ネオンはそう考えていたが――この世界には、満足な教育を受けていない者も多い。


 ラエルは努力家である。だが、腕のいい魔術士でも過ぎた時間までは取り戻せない。

 使用人は、現状での結論を述べておくことにした。


「……それなら、多くの魔術を見て、学ぶしかありません」

「魔術を、見る」

「そして、発現時の応用を考える。思考実験を繰り返すような習慣をつけるといいでしょう」


 魔術を観察し、魔術以外を観察し、魔術発現に応用、適応する。


 言い換えれば、元々ある魔術を作り変えて使用することが可能になるということで「魔術の創作」をするということに間違いない。


 口ではそう言いながら笑ったネオンが、内心でどう思っていたかは分からない。

 だがまあ、大体はこういう風なことを思い浮かべていただろう。


 人に助言されただけでそんなことができるのは、死ぬほどに努力してきた人間か。


 余程の馬鹿才物だけだろう、と。







 さて。

 ラエル・イゥルポテーは、紛れもない馬鹿だった。


「私は!! やれば!! できる――っ!!」


 半ば自己暗示のような叫び声と共に、魔術が発現する。


 舗装されていない地面が隆起して、土の柱を形成しかけ――しかし、彼女の手袋に施された呪いがその発現を妨害する。


 せり出た石柱は空気に触れた先からボロボロと崩れ落ち、崩れて砕けて細かくなって、遂には砂のようになってその場に噴き上げた。まるで、砂の間欠泉であるかのように。


 灰髪の少年は伊達眼鏡ごとサンドスプレーを顔面に受けることになったし、黒髪の少女も着地位置を間違えないよう必死だったので色彩変化鏡を庇うことを忘れていた。隣を落ちていくペンタスが、唖然とこちらを凝視していたことだけは分かる。


 彼は何か言いたげだったが、自身の着地を成功させる為に目を逸らした。


 魔力量過多が主な原因となって失敗した魔法のことは「暴発」と言うが、転じて魔力量矮小が原因となって失敗した魔法を「不発」と言う。


 魔法の不発が引き起こすのは、火ならば鎮火、水ならば蒸発、風ならば凪、雷ならば火花。


 土ならば――崩壊だ。


 砂の噴水に革靴を乗せ、じわりじわりと失速したラエルとキーナは地面に転がるように着地した。不発に終わった『上昇するアサリエ・地の利バンタジオ』も徐々に勢いを失って沈黙する。魔術の後には砂の山ができていた。


 上に居る賊たちがおろおろと慌てた様子で飛び降りたものか迷っているようだ。

 間髪入れず追って来るかと思っていたラエルにしてみれば、これは好機である。


 首を振る。全身からばらばらと砂が落ちる。キーナは隣で砂を吐き出した。

 一方、すぐ近くに着地したペンタスは本当に怪我一つない様子で慌ててこちらへと駆け寄って来た。


「二人共、怪我は!?」

「あははは、変化鏡が大破しちゃったわ」

「こっちも眼鏡が砕け散ったけど、その程度で済んだみたいだ……あ、いや、ちょっといろんなところ擦りむいてるけど、死ぬよりかは些細だよね。そう思うことにする」

「めぇ! 心臓に悪い!」


 砕け散ったレンズを拾って苦笑するキーナからそれを取り上げ、苦い顔で砂の山の底に埋めるペンタス。割れたガラスを踏まない様にしているのだろうか。後で回収する必要がありそうだった。


 頭上でぶつくさ言っている賊たちを放置して、ラエルら三人は速やかにその場を離れる。馬宿の近くまで行ってしまえば、後は中央通りに繋がる一本道を抜けるだけ。だった。


 ……ラエルがぴたりと足を止める。


 キーナとペンタスが自分を追い越して振り返る。

 ラエルはその場でうんと伸びをして、何事もないように笑った。


「貴方たちは先に行って頂戴。彼女に言われた通り、彼によろしく」

「え、どうしていきなり……ペタ?」

「キーナ、急ぐ。めぇ」

「……おう」


 肋骨の影が落ちる西地区を、二つの人影が駆けていく。


 黒髪の少女はそれを見送って、一人悠々と髪を解いた。

 ばさりと巻きの強い黒髪が背中を覆い、絡まっていた砂が落ちる。


 のんびりと髪を結い直しながら、口を開いた。


「……身支度を待ってくれるだけの余裕はあるのね。思ったより紳士だったりするのかしら」


 白黒のリリアンで髪を直した黒髪の少女は踵を返し、一歩、二歩と前進する。

 壊れた色彩変化鏡を外し、引き出しの箱ドロワーボックス搭載ポーチに収納する。


 虹色の空間に吸い込まれた金縁ハーフリムを興味深い視線で追いかけたのは、アッシュブラックの髪が特徴的な人族だった。


 ラエルは紫目を露わにし、その茶色の目を視界に入れた。


 同時に、肌がぴりつくような緊張感がその場を支配する。彼ら賊にとって紫目の少女というのは、同胞を屠った復讐の対象――殺意を向ける怨敵である。


 砂漠で砂魚や砂虫に向けられた食欲とも、浮島で王様と相対した際に感じた威圧とも違う。

 ストレンから向けられたそれよりも、はるかに粘着質な殺気であるように感じた。


 男は腰の短剣を抜く。右腕と左腕にそれぞれ、大きさの違う短剣を握る。


「私はラエル・イゥルポテー、諱は知らないわ。貴方は?」

「……ベイツ・バレルボルト。偽名だ」

「そう。仲良くなれそうね?」

「不愉快なことにな」


 ラエルはスカートをたくし上げると、ガーターベルトに括りつけた鞘からナイフを抜き取り、構えをとる。


 片足を引いて腰を落とす。体格差がある相手と闘う――あの島の天幕テントで目にした針鼠を真似たものだった。


 黒魔術士のラエルにとって、近接戦闘は専門分野外である。産まれてこの方、人を相手にこれといった武器を振るったことがない。


 手元にあるナイフだって、本格的な使用は肉を捌いたのと草刈りをしたぐらいだ。


(素手の方が身軽でいいけれど、刃物を素手で弾いたりいなせるほど体力と集中力に自信があるわけじゃあない。魔術が乱発できない今、私にできることは限られてる)


「……気分はどうだ? 賊に囲まれて、これから起こることを予測していないわけでもないだろうに」


 状況は、酷く詰んでいる。

 ラエルは恐怖からではなく、危機感から息を呑んだ。


 ベイツと名乗った男の周囲には賊が集まりつつあった。

 あれほどハーミットから避けるように言われていた多対一の状況に追い込まれていく。


 加えて、レンズが割れる直前――魔力可視を最大にしたその時。目の端に新たな風の流れが見て取れた。


 分かれてまで針鼠との合流を促したのは、状況を打破する要が彼らの手に握られているからだ。


(しっかり把握できていない第三勢力だって、私たちが予想していたより立て直しが早い。一体誰が、町中の状況を把握しようとしているのか……結局、推測すらできなかったけれど)


 どうやら物事を深く考えるのは、針鼠の仕事らしい。

 彼女に残された仕事は、生き残ることだ。


 ラエルはベイツの質問に答える。

 回答する義理は無かったが、自分自身を鼓舞する為にも声を出していたかった。


「……最悪の気分よ」

「そうか。それなら、殺しがいがありそうだ」


 男が片腕を上げたと同時に大地が少しだけ揺れ、周囲の賊が騒めく。

 ベイツはそのまま特攻し、ラエルはそれを迎えうった。


 男は知らない。

 目の前の少女が、対人戦に関しては全くの初心者だということを。


 少女は知らない。

 男が手にした二本のナイフが、勢いに任せて握っただけのものだということを。

 なんなら、ナイフのど素人にも拘らず相手を委縮させる為だけに両手にナイフを構えてしまったのだということを――。


 同時刻、東地区で轟と上がった火柱に気を取られながらも「手だし無用」を指示された賊たちは大いに戸惑った。


 行き場のない手を振って観戦する賊の構成員たちは、肋骨や路地裏や屋根の上に控えながら、冷や汗を垂らしつつ何も知らないふりをする。


 泥沼の争いになる予感だけがした。







「はぁっ、はあ、はあ、はあっ」


 栗色の髪。ドレッドヘアの息が切れる。

 動悸が酷い。体力的にも、精神的にも、これ以上逃げ続けるのは難しいだろう。


回線ラインは繋いだ。応援は来るはずだ――来る、はず)


 状況は当初聞かされていたものと乖離が進んでいる。


 町長の呼びかけで集められた屈強な若者たちは一人たりとも町へ出て来ない。

 町人が街路に出ない状況は好ましくとも、それが手助けが要らないということにはならないのに、だ。


(さっきの女の人みたいに、催涙雨が効いた賊がもし他にも居たんだとしたら。宿屋や飲食店の中でも立てこもりが起きる可能性がある。お兄ちゃんがそうだったように賊と気づかずに声をかけて、取り返しのつかない怪我をする人も、出るかも)


 砂岩が積み上げられて作られた白い町はどこも窓が小さく、極めて閉鎖的だ。

 日の光が降り注ぐ日中は特に内部の様子が観察しづらい。


(……母さまは、何か変な事があったら全部針鼠のせいにしろって、言ってたけど……)


 目の敵の針鼠は、これまた気に食わないカフス売りの商人と共に町の外である。先程短い言葉で城門外に押し寄せた賊の一掃を回線ラインにて報告していた。


 全くもって規格外すぎる。


 いや、そうじゃない。規格外の彼が現在町の中には居ない――頼れない。それが、一番の問題だった。


 背後で轟音が響き、何度目かになる地響きに足を滑らせる。演技ではなく派手に転んだ額に血が滲んだ。


「あぁ、いたいた! なんだぁ、君も子どもだったのね。うるさくしてごめんねぇ?」

「!!」


 女の子は灰色のフードを被りその場を駆け、耳に入った声から距離を取る。


 砂塵の向こうから現れた声の主は、グリーンアッシュの髪を振り乱して東地区の石畳を滅茶苦茶にしながら――手ごろな大きさになった小石を片手で遊んだ。


 細く筋肉質な左腕には、ピクリともしない兄が抱えられている。


 彼女は女の子の姿を目で捉えると、弄んでいた石ころを全て地面に投げ捨てた。

 男の子を通路脇のベンチに寝かせ、ふらふらと前へ踊り出る。身に着けている物の中に、これといった得物は伺えなかった。


「ねぇー。貴女お名前は? アタシ、ドルー・ブルダレ・スキンコモル!」

「……」

「ノリ悪いなぁー。これから遊ぶ相手のお名前、知りたいだけなんだけどな?」


 魔術の応酬が常のこの世界で、敵と分かっている相手に名前を明かす馬鹿が何処にいるというのだろうか――この場においては、それが脅しと同義ではあるのだけど。


 女の子は、普段兄と使っている仇名を口にする。


「レミー、です」

「そう、レミーちゃんって言うの! ねえレミーちゃん。アタシね、貴女と闘いたくないんだけど。邪魔するなら相手をしなくちゃいけないんだ!」

「……」

「話ができる大人は何処にいるの?」

「……居ません。貴女たちがこの町へ攻め入った時点で、交渉の余地はないでしょう」


 スキンコモルはレミーの言葉に目を丸くして、うむうむと勝手に納得する。


「ふぅむ、そうか。なるほどねぇ。アタシたちに退けない理由があるのと同じで、貴方たちにも道理がある。そう言いたいんだね?」

「……いいえ。私たちには、他者を巻き込んでまで通したい道理などありません」


 栗色のドレッドヘアが、弓をつがえたレミーの顔にかかる。

 細い髪の内側に輝く青い瞳。それは、スカルペッロ家に共通する目の色だ。


「私はこちら側の人間だから、こちら側につきました。貴女だって、そちら側だからそちら側についたんでしょう?」

「……あぁ。所属が違う時点で、そもそも相容れないってわけねー」


 理解、理解。


 呟き、賊は両腕を広げて構えをとる。

 何処に隠していたのか、手品のように幾本ものダートが現れた。


 その一つ一つが石畳を割るほどの火力を持つ、使い捨ての魔法具。


「じゃぁー、気は進まないけど。やろっか」

「……」


 無言を返し、レミーはその場から姿を消す。

 スキンコモルはニタリと笑う。


 蜥蜴のように裂けた口元と、魔術刻印が刻まれた舌。

 言葉とは裏腹に、これから始まる命のやり取りを楽しみにしているように見えた。




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