167枚目 「眩く瞬くアガットバレル」


 町中に降り注ぐ日の光を乱反射する白い町。

 漆喰固めの瓦を踏みしめて、小柄な体躯が宙を舞う。


 眼下にうろつく賊を見かけ、家から家へと飛び移った瞬間に身をよじり短弓を構えた。

 カムメ羽製の矢羽が音を殺し、目にも留まらぬ速さで賊の一人を昏倒させる。


 痺れ毒で呻く男を放置して少女はその場を飛び退いた。


 ――何処からともなく、砂岩の壁にダートが突き刺さる。


 バレルが燻るように煙を上げ、数秒後には耳を裂くような爆発音が町に響き渡る。


 目が眩むような閃光と火薬の匂い。砕け散った砂岩の欠片を躱し、レミーは振り返る余裕も無く次の屋根へと飛び移った。灰色のフードはとっくの昔に外れ、乱れたドレッドヘアが宙を舞っている。


(ああ、もう。まぶしいし最悪!!)


 ぎりときつく細められた碧眼に映るのは身を焦がすほど照らしつける日の光と、それを反射する白塗りの町並みだ。


 後方で黒煙が昇る。襲い来る賊が景観の保護に留意する訳もないが、町を駆け回るレミーにしても、今は景観美よりも光量が多い視界にうんざりしていた。


(中距離までは引き離せたけど、これ以上は間合いを取れそうにない。私の弓は速射特化で威力がないからダートを撃ち落とすこともできないし)


 母親から武器に関する指導は受けているが、目の前の賊が放つダートはレミーが知るそれよりも大型だ。今握っている矢の半分はあるように思う。


(あの妙な爆発もそうだけど、あんなの身体に当たったら痛いに決まってる)


 思考する内にまた爆発音がする。


 ダートの精度から見て、砂埃で悪くなった視界がこちらの味方をすることはないようだった。


(やりようはあるけど足止めがせいぜい……一発勝負ね)


 レミーは店の裏に積まれた木箱を足場に屋根から飛び降りる。

 石畳の地面に僅かな水たまりを作った催涙液。踏みつけたそれが蒸発するのに時間はかからない、が。


 足元で起きた爆発に、軽い身体が宙に浮く。


「うぁっ!?」


 直撃は免れたが、重力に逆らえない身体が地面に着地する。


 腰に提げていた矢筒が中身を地面に撒き散らす。

 固く握りしめていた筈の弓が、石畳を滑って何処かへ消えた。


「逃げ足速いね! でも、そろそろ疲れてきたでしょ?」


 すとん、と屋根の上から少女の目の前に着地したのは、グリーンアッシュの髪をビーズで結えた女性――スキンコモルである。


 レミーは咄嗟に身体を起こそうとするが、既に掴まれた後だった。


 視界が瞬く間にひっくり返される。仰向けになったドレッドヘアに指を絡め、スキンコモルの薄い手袋を嵌めた掌が、無遠慮に喉を這った。


「……っ!!」

「大人と子どもじゃあ体力に差がありすぎるの。こんな真夏日に駆け回ったらどうなるかなんて分かるでしょうに」

「それは、貴女が追い回すから」

「はぁ。アタシはレミーちゃんが逃げるから追いかけただけだけど?」


 そう口にして頸動脈をなぞる指に、言葉にならない声が上がる。

 身をよじって逃れようとする細い体躯を抑え込み、スキンコモルは黄色い瞳を細めた。


「降参してくれるなら、私はアナタたちにこれ以上手を出さないって約束してあげる。……だから、話ができる大人を呼んでくれない?」


 首を縦に振ることができなかった。それは「町を売れ」と言われているも同義だった。

 そして、彼女がまだ、レミーを子ども扱いしているという証拠だった。


(体格、実力、何も勝れる要素が無い。それは分かってる。分かっている、けど)


 レミーは噛みしめていた奥歯を離す。青い瞳を歪めて笑む。


「降参? ふざけるな。私たちの町に厄介ごとを持ち込んだのはそっちでしょう!?」

「!」


 無事だった手のひらが魔力を発し、町を走り回った理由が空を駆ける。

 この場を囲むように四方八方から飛来するのは岩というには小さい『ツブテ』。


 一つ一つの粒は小指の先程しかない。だが、それが魔力に引き寄せられ弓矢のような速さで人間に飛来したならどうだろうか。


 僅かな魔力しか持ち合わせておらず、魔法具に頼らず使用できる魔術がこれ一つだとしても。使いようによっては立派な凶器足りえる。


 あの針鼠が、勢いを殺す為にコートを盾にしたぐらいの威力はある!!


(この町を害そうというなら。私は、許さない)


 母親が身を挺して守るこの町を、守り続けてきたものを害すなど。


(それに、この人は兄さんを!!)


 必死の形相で石礫を引き寄せる少女に、スキンコモルは何も言わない。


 着弾した。人の身体に穴を穿つような勢いで石の雨が賊の女性を殴打する。

 少女は繋いでいた魔力の全てを引き寄せた。それは、文字通り全力の抵抗だった。


 自分に覆いかぶさったまま瞬きもせず微動だにもしない賊の女性に、レミーは思わず息を呑む。


 栗髪の少女がやったことは人の身体に穴を開けるほどの衝撃を叩きこむのと同じだ。相手が人族であれば致命傷どころの話ではないだろう。


(……やった……の?)


 レミーは身体を起こそうとして、身動きしない女性と目を合わせ――ぎょっとした。


 黄色い虹彩に、細い縦長の瞳孔。その上に、半透明の瞼が降りている。

 それは明らかに人族の目ではなく。


 呆然と見開かれた青い瞳に映るのは、女性の背中から転がり落ちる石礫。渾身の力を込めた筈のそれらには、血の一滴もついていなかった。


 賊の首領は、ゆっくりと二枚目の瞼を上げ。べろりと舌なめずりをしてみせる。


「……何か仕掛けてるなぁとは思ったけど。なあに、これでおしまい?」

「そ、んな、貴女、人族じゃ」

「アタシねぇ、ダブルなの。人族と獣人のね」


 耳が人族だったからそう思ったのかな? と髪を掻き上げるスキンコモル。

 よく見るときっちりと噛み合った鱗が滑らかに動き、顔を、肌を覆っている。


 人肌の色をした鱗が歪み、人の笑みを形作る。


「……!!」


 完全に、見誤った。敵対した時点で見た目から純人族だと頭の何処かで思い込んでしまっていた。


 石畳に押し付けられた肩が軋む。

 喉に回った手のひらが柔く、けれど着実に締まったのが分かった。


 すがるように抵抗するレミーの手を振り払って地面へ縫い付け、もがき苦しむ少女を冷たい瞳が見下ろしている。


 ああ、手のひらに収まる首一つがこんなにも脆い。それなのに守り手の一人も現れないとは。

 憂うような、憐れむような――そう言わんばかりに。


「……薄情な町だね。ここは」


 ぽつりと、賊の口から言葉が零れた。


 スキンコモルは指先に込める力を強くする。この子どもの意識を奪って、先程の男の子の傍に転がしておけばいいだろう。首領としての仕事はその後でも遅くはない。


(しかし。聞いた話だと『彼』が居るのはこの先の邸宅のはず。この辺だとアタシが何してるのか見えるよね? それなのに迎えも応援も寄越さないあたり用意周到というか……)


 そも、町の子ども一人すら守れないイシクブールの衛兵や雇われ者など期待外れも甚だしい。城壁の外に居た男二人は、まあまあ見どころがあると思ったのだが――。


(案外、相手方も一枚岩じゃなかったりしてね)


「まあいいや。レミーちゃん、ちょっと寝てると良いよ」

「……っ」


 レミーはぼやけた視界の向こうで、自らの首を抑えた賊の顔を見た。


 賊の言葉が重なって聞こえる。視界が霞んで色が無い。目を開けているのも億劫だ。

 背中は暑いが心臓は冷たい。それは、妙な感覚だった。


 空が青い。香辛料の霧が晴れ、蒸し暑い夏のイシクブール。


「……」


 スキンコモルが、身動きのとれないレミーに距離を詰める。

 黄色の瞳は調合した毒のように透明で、舌に絡まった術式刻印がまがまがしいものに思えた。


 もう口を動かす力は無い。指を持ち上げる気力も無い。目元から水が溢れる。


 ――いやだ。こないで。


 兄を助けなければ。母の助けにならなければ。


 ――怖い。


 ああでも、この場で膝を折った私が次に目覚める保証などどこにもない。


 ――私まだ、死にたくないよ。







 誰か。







「――!!」


 口づけを落とす寸前。蹴り放つような衣擦れが聞こえて身を起こしたスキンコモルは、両腕で身を護るように自らをガードし、ふっとんだ・・・・・


 開放された身体を引き起こし呆然とするレミーの隣に、小柄な人影が着地する。


 立ち上がろうとしてふらついた彼女を支えたのは黄土色のコートを着た獣人もどき――ハーミット・ヘッジホッグだった。




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