165枚目 「胸壁を望むアッシュブラック」


 西地区で、賊の一人が陸橋を見上げている。


 灰色のシャツに晶砂岩のループタイ。三人組の使用人は何を焦っているのか全力疾走で竜の肋骨ドラゴン・コストラを駆けていく。


 彼らは雨を気にする様子もなく、真っ直ぐに何かを目指しているようだった。


 理由や目的はともかくこの状況下で自由に動いているということは、雨の対策をしたスカルペッロ家の人間だと見てまず間違いないだろう。


(調査報告に無い顔も混ざっているが、些細なことだな)


 自陣の構成員全員の顔は憶えていないが、黒髪の人族やツノつきの獣人はともかく、中途半端に灰色な髪をした人族が記憶にない。それだけ情報が秘匿されているなら、イシクブール町長が可愛がっているらしい孫の「キニーネ」と見て間違いないだろう。


 飛んで籠に入る牙魚である。


「あぶり出されたみたいで納得いかない部分もあるが……。聞こえるかモドキ班」

『――はっ、はい。聞こえておりますベイツ先輩! こちら西地区路地裏、陸橋の様子もみえております! 私は! いつでもいけますよ!』

「待て。なぜ一人しか応答しない」

硝子ビードロを所持していた私が真っ先に迷ったからです。ベイツ先輩!』

「……」


 どうやら、飛んで籠に入る牙魚よりもアホな人間が自陣営に居たらしい。


 ベイツと呼ばれた青年は眉間に刻んだ皺をぐりぐりと親指で押しつぶす。

 石組みの橋を駆ける少年少女は、未だこちらの存在に気付いていない様子だ。


(スカルペッロ家の跡継ぎ候補、キニーネ・スカルペッロ=ラールギロス。得意な系統は「水」――直前まで雨の匂いも湿った風もなかった。先程の雨は当人の仕業とみて間違いないだろう)


 ベイツは黒髪を搔き乱しながら回線硝子ラインビードロに意識を向ける。

 こちらはこちらで、生存確認ができただけでも御の字だった。


「そっちは一応、無事ではあるんだな」

『無事? はい! 実のところ、パン屋さんに雨宿りさせていただいてますね。「枝」もそうですがこのパン屋さんの新作がめっちゃくちゃ美味しいんですねー! ベイツ先輩も食べに来ません?』

「……お前はそこで祭りを楽しんでいろ。頼むから動くな。いいな、動くなよ?」

『えぇー』

「何が何でも待機だ」

『ふぁーい』


 不確定要素の芽を摘み、回線硝子ラインビードロの通信を切る。


 周囲に気を向けてみれば道ひとつを挟んだ反対側にも構成員の姿が見えた。どうやら突然の雨の影響もあって、上の通路に残った賊はいないらしい。


(俺たちが雨を避けて通路の影に潜むと読んだか……? 温室育ちのお坊ちゃまにそんな判断が下せるとはとても思えないが)


 黒いグローブを手に嵌め、ベイツは顔にかかったアッシュブラックの髪を摘まみ、払った。


 幸い、霧雨はこちらに害をなす様子がない。あえてまで一般人を狙い撃ちした思考は理解できないが、この状況は積極的に活用するべきだと考えた。


 潜伏担当「モドキ班」は人員の欠けをものともしない規模を誇る。


 何割かは蚤の市の最中に姿を消しているが、彼らにとってそれは些細なことだった。

 彼が背をつく路地には、なにも彼一人が居るわけじゃあない。


「……はぐれた奴らは放置して、後に合流する。この場は俺たちで動くぞ――楽しめ、追い込み漁だ」


 周囲に待機していた賊たちはベイツの言葉に各々頷いて散開した。







「――後方斜め下、五時の方向から攻撃魔術!」

「キーナさん、踏ん張って!」

「ま、任せろ!」


 肩にゴーグルーを巻き付けた灰髪の少年が意気込むと同時に、『正鵠に帰巣するホーミング』が付与された火系統魔術が目の前で炸裂する。


「ひっ――つあぁつい!? 熱くはないけど!!」


 魔術で作られた障壁があるとはいえ、殺意がこもった黒魔術が目の前に飛来するのを受け止めるのは心臓に悪いのだろう。キーナは目を白黒させながら伊達眼鏡の位置を直し、胸に手を当て平静を保つ。


 命の危機にさらされたことは一度ではないが、圧倒的な力量差がある多数の人間に囲まれて集中砲火を食らう経験はこれまでなかった――そうこうしている内にまた一つ、水の矢が障壁に弾かれて砕け散る。不意のことにキーナは肩をビクリと震わせた。


「当たり前だけど、この通路の上は目立つわね!」

「めぇぇ! 西地区は一時期軍事基地の代わりになったくらいなんです! この橋の上では嘘を吐けないとまで言わしめるほど、声は通るし届きます! なんなら下で喋るより上から話しかけた方が耳に入ると!」

「そう……! なら、この会話も下には聞こえてるってわけね……!」


 西地区の下通りは路地が入り組み物陰も多く、不意打ちされる可能性が高い。リスクを負ってまで通路を走ることを決めたのは、その他の道のどれよりもましだと判断したからだった。


 ペンタスは西地区へ差し掛かる前に、こう言っていた。

 一般人と賊。「それらが混ざる程に敵方は居る」と考えよう、と。


 その言葉通り、肋骨と呼ばれる晶砂岩の通路の中心辺りに差し掛かって、真っ先に異変を察知したのはペンタス本人だった。

 下から時折飛んでくる魔術を受け流す壁パリングで弾き、前後左右の通路から走って来る賊をラエルが蹴り飛ばす。ここ数分はずっと、その繰り返しである。


「キーナさん、まだいけそう!?」

「だ、大丈夫!! ラエルさんこそ!?」

「私は何をやってもギリギリだから、あまり期待しないで頂戴!!」


 言って、一瞬キーナの肩に手をつくラエル。

 跳躍して少年を飛び越え、追って来た賊の顎を蹴り上げる。


 畳みかけるように、ふらついた賊の後ろから刃物を持った賊が身をかがめて少女の心臓を狙う。

 ラエルは黒髪をたなびかせ灰色のループタイと共にひらりと突きを躱すと、手首を返そうとした賊の腕を絡めとり、相手の肘頭に膝を叩きこんだ。


 めきゃり、と。おおよそ人体から鳴ると思いたくない音が響き渡る。


「うぎゃああああああ!?」

「うわあああああああ!!」

「怖いなら見ないでって言ったでしょう!?」


 二人の賊を通路の上から蹴り落とし (どうせ賊が拾うだろうと予想してのことである)、ラエルは二人の元に後退する。間も置かず飛来した火魔術は彼女の髪先を焦がすに留まり、その肌を焼くことはなかった。


「うあああああ、う、腕ってあんな簡単に折れ……うっ」

「が……頑張れキーナ! これが終わったら美味しい物沢山食べようめぇ! 肉とか!」

「無理無理無理無理カムメとか暫く食えそうにない! いつも通り果物オンリーでいい!」

「めぇえええええ栄養バランス!! あっ、左下前方ボクから八時、魔術来ます!!」

「構えて!!」

「あああああもぉおおおおお!!」


 飛来した魔術に右肩を向け、ゴーグルーの障壁を発動させるキーナ。

 マツカサ工房の技術は伊達ではなく、中級までといわず上級魔術まで防ぎ切る仕様に思えた。


 魔術の余波から目を庇いながら、前方に現れた賊を対処する黒髪少女。


 依然中級以上の魔術が封じられているので素手での戦闘が主だが、これは刃物を抜く余裕がないからである。この切迫した状況下で魔術の枷が無ければ『霹靂フルミネート』を乱発していたところだろう。


(障壁が二枚あるから、渡りきるところまでは行けそう……けれど、このまま相手が何もしてこないとは思えない)


 周囲を警戒し続けながら、三人は徐々に肋骨の上を進んでいく。霧雨の勢いは弱まり、特攻してくる賊の数も増えて来た。加えて魔術を撃ちこまれるペースも早まっている。


 雨が完全に降り止むまでは、ラエルがキーナたちと離れて行動できる時間は限られている――目を閉じ、息をせず、そんな状態で殺意ある敵を相手にできるのなら話は違ったのかもしれないが。ラエルはそのように人間離れしていない。


(私は眼鏡があるから何とか最小限の被害で済んでいるけれど、それにしてもからいし痛いし、涙をこらえるのも限界が近い……でも、せめてキーナさんたちが城壁側につくまでは、まだ・・


 事実、彼女は自身で発言した通りに「ぎりぎり」を綱渡りしている状態だ。

 眼鏡をしているとはいえ、一粒でも催涙液が眼球に落ちれば大きな隙になりかねない。


「……!!」


 ラエルが賊の対応をしている間に後方で魔術が弾ける音がした。


 ラエルはともかく、背後に控えるキーナたちは一般人だ。しかも戦闘慣れしていない彼らは魔術の猛攻に萎縮して中々足を進めることができずにいる。

 魔術障壁を信じて駆け抜けることができるならまだしも、一つ一つの衝撃が情報として真新しすぎて混乱しているのだろう。


 キーナが使い物にならない代わりにペンタスが平静を保とうと必死だが、人族の耳では聞き取れない情報を処理する彼自身も強烈なプレッシャーに晒され続けている。

 ラエルが敵に特攻できているのも「痛みに対する恐怖がない」からであり、相手に勝てる確信があって拳を振るっているわけではない。


(おかげで加減が分からなくてやりすぎちゃった人もいるけど、私は魔法瓶持ってないから捕縛できないし、何よりその余裕がない――)


 ここは陸橋の上、竜の肋骨ドラゴン・コストラの上。


 枠外へ身を乗り出せば自由落下できる足場の上なのだ。死や痛みへの恐怖は無いにせよ、落ちたら痛い。そんな当たり前に嫌なことが黒髪の少女を逡巡させる。


 通路の幅が狭いということだけがラエルにとっては救いである。しっかりと鍛えた人間が二人も横に並べば道が塞がるということは、一度に二人以上を相手せずに済むということだ。


(とはいっても、魔術の遠隔攻撃と挟み撃ちがなければの話だけれど!!)


 限界まで引きつけた相手を石組みの通路に叩き付ける。着地した右足で思い切り後ろに飛び退くと、目の前を大ぶりのナイフが一枚横切った。


 銀線が弧を描き折り返し戻って来る直前、少女は膝をつくようにペンタスの背後に座り込む。


 獣人の青年を中心に展開される障壁に刃物が振り下ろされる一瞬を見計らって、ラエルは相手の懐に駆けこんだ。


 勢いをそのままに降ろされた切っ先は、受け流す壁パリングに触れるなり瞬く間に刃こぼれる・・・・・!!


「っ!?」

「――邪魔!!」


 固く握り込まれた拳が見事に顎へと吸い込まれた。

 使い物にならなくなった得物を手放し、賊の身体が宙を舞う。


 順調に思えるが、先程から一歩も進めていない。休憩もとれず賊の相手をし続けているラエルは、浅い呼吸を繰り返しながら歯を軋ませた。


(駄目、このままじゃ持たない)


「ペタさん、端まであとどれぐらいあるの!?」

「目測が正しければあと半分です!!」

「……半分!?」


 じりじりと日差しに焼かれながら水分補給も碌にできず、人員交代が可能な賊側に対してこちらはそうもいかない。


 ラエルは受け流す壁パリングの内側で飛来した魔術を確認しながらキーナの方を伺う。


 灰髪の少年は口元を抑えながら、必死になって襲い掛かる賊の顔を視界に収めていた。

 抱えたままの魔術書には未だ錠がかかっていない。


 やはり、キーナをハーミットに引き合わせる作戦自体が無謀だったのだろうか。

 ラエルの中でネガティブな思考が顔を出そうとしたが、切羽詰まった声に意識を引き戻された。


「……真下!! 何かやばそうですラエルさん!!」

「キーナさん立てる!?」

「む、無理。ごめん。吐きそう」

「揺れるわよ」

「むぎゃ!!」

「めぇえええええ!!」


 ラエルがキーナのことを抱えて駆け出しペンタスがその後を追えば、彼らが先程まで居た位置がじわじわと赤熱して砕け、破壊された。


 魔術書を手放さぬよう右手が塞がっているキーナは左の手のひら一枚で口元を抑える。


 ペンタスの足の速さがどれほどなのかラエルは把握していなかったが、第二大陸出身者である彼にとって逃げ足の速さは重要なステータスだったのだろう。砂漠生活で鍛えられたラエルと近いものがあるのか少女の後ろをピッタリとついてきていた。涙目だが。


 そして、硬貨を潰したような彼の目が大きく見開かれる。


「――ラエルさん!! 前方駄目です!!」

「っ!?」


 ペンタスの言葉が遅れていれば、赤熱した床を踏み抜くところだった。

 すんでのところで後退したラエルは「ぎり」と奥歯を噛みしめる。


 今、目の前で砕け散った通路は町へ降りる通路と目と鼻の先だった。前方と後方の両方に穴を開けた竜の肋骨ドラゴン・コストラの中心に追いやられた形になる。


 嫌な笑顔をたたえ、待ってましたとばかりに飛び移って来る賊たち――嵌められたと気づくもすでに遅い。


 霧雨の時間も終わりのようだ。

 賊たちは、目をギラギラと充血させながら詰め寄って来る。


「これはぁ……万事休すめぇ……!?」

「う、うぐっ」

「キーナさん、もう少しだけこらえて。お願い」


 ラエルは言いながら思考を巡らせる。


 この場で背後の二人を守り切ることができなければ後で大目玉を食らうのは彼女である。彼女は針鼠に嫌われたくはないし、みすみす殺されるつもりもない。


 見捨てるという選択肢は存在しておらず、生き残らないという選択肢もまた有り得ない。


「うぐぇ」

「き、キーナ! しっかり!」

「冷静でいられるかよこの状況で……けほっ。あー、吐いたら楽になった」


 灰髪の少年は乱暴に口元を拭うと、魔術書に目を落とす。あともう少し目に入れて置きたかったが、仕方がないか。そう迷った肩に手が置かれる。ラエルだった。


「今じゃないわ」

「え。今、使わなくてどうしろと」

「これからもっと危険な目に遭うんだから、その後に使って頂戴」


 ラエルは、有無を言わさずキーナを抱え上げる。


「ペタさんは、どう。一人でもいける高さだったりするの?」

「あー……一人で降りるだけなら多分。めぇ」

「おい、一体何の話をして」


 間近まで賊は来ている。魔術攻撃も止む様子がない。

 けれど、催涙雨は止んでいるし必要な距離の半分は越えている。


 残りは、


 ラエルは振り抜かれた拳を紙一重で避けると、鋸壁の一段目に足をかける。

 ペンタスもすぐ隣の鋸壁で同じことをした。

 キーナはその後の展開が読めたのか、口を開いて固まった。


「……ま、まさか」

「そのまさかよ。舌噛まないで頂戴ね」


 自らの頬を伝っていた赤い血を地面に向けて散らしたかと思えば、「とん」と軽く段差を下りるかのような気軽さで――身軽さで、空中に身を投げ出した。


 眼下に迫るのは土の地面。二か月前に天幕テントから飛び出した時とは比べ物にならない高さである。着地が無事に済むとは思えないその状況で鼓膜をつんざかんとする少年の悲鳴が聞こえなくなると、視界のすべてがスローモーションになった。


 風系統魔術は使えない。雷系統魔術は言わずもがな。

 これから行うことを考えれば、火系統魔術や水系統魔術での対応も難しいだろう。


(中級魔術を下級魔術の出力で発現させるなんて、ね)


 だが、この場では発現結果が固形を保つことを望まれていない。

 結合は僅かで構わない。なんなら、砕けて形にならない方が都合が良い。


 出力が足りない土系統魔術が地面に向けられたとき、何が起こるのか。

 結合できなかった土が形を成せなかった時、どうなるのか。


 魔術を使う度に暴発させるのが常だった黒髪の少女は、その結果を事前に実証済みである。


 血液を媒介にほとばしる魔力は僅か。繋がった魔力は一息に少女から魔力を抜き取ろうとする。ラエルは瞬く程の間に、自らが知る知識の中で最も着地しやすい地面を想像した。


 例えば、故郷にあった砂の大地。

 そして、浮島で見た噴水の放物線。


 イメージ元は、ある。


「――『上昇するアサリエ・地の利バンタジオ』!!」




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