164枚目 「グリーンアッシュにビーズを足して」


 スカルペッロ家本邸屋上。


 町の危機を横目にオットマンへ足をのせるのは、灰色のワンピースに黒のベストを着たイシクブール町長スカリィである。


 眼下には人がはけた蚤の市の会場と、たった今竜の肋骨ドラゴン・コストラを昇り始めた少年少女の姿がある。彼らは八方を包囲される危険よりも、挟み撃ちされるデメリットをよしとしたようだ。


「それにしても、作戦の内容を土壇場で変更するなんて」


 ただ雨を降らせる予定だった筈が、なぜ直前になって催涙液を採用したのか。


 悪戯を企てる際もレーテかスカリィに相談することが多かった孫がなぜ、何も報告することなくことに及んだのか。スカリィには心当たりがない。


(町の外に賊の集団が確認されている以上、キーナがこの一件に噛んでいるとは考えづらいのですが……ラエルさんの入れ知恵でしょうか?)


 もしそうだとしても、なぜキーナとペンタスは彼女の意見を良しとしたのだろうか。


「はぁ。一体誰に似たんでしょうねぇ」

「 (君だろうなぁ……)」

「レーテ、私に何か言いたいことでも?」

「いいえ何も!?」


 屋上の魔術陣に手を着いたまま答えた彼女の旦那は、町を覆った結界を安定させるとその場にへたり込んだ。


 町全体を覆うものとは別に、屋上にも結界は構築されている。

 レーテは冷や汗を流しつつ魔力補給瓶ポーションに口をつけ、一息に呑み干す。


「……ふう。これで二時間は保つかな」

「そうですか。二時間で終わるといいですね」

「ははは、全くもってその通りだ。ネオン、飲み物と軽食の用意を頼めるかい?」

「はい。すぐにご用意いたします」


 できる使用人の後姿を見送って、レーテはその場に胡坐をかいた。直射日光が降り注ぐ邸宅の屋上にある唯一の影に腰を下ろした形になる。


「スカリィ、体調はどうだい」

「問題ありません。私、子どもたちのようにヤワではありませんから」

「そうかい。今日は日除けが充実しているからかなぁ。快適だね」

「ええ。町の危機かつ家の屋上だというのに、まるで旅行にでも来た気分です」

「……しゅるる」


 椅子に座ったスカリィと、彼女に日傘をさしたまま日光浴をしている獣人――首の太さが既定の使用人服では合わずカフスが三つほど外されているが、一応タイをつけている――取引でイシクブール側についた賊の構成員クレマスマーグ・サンゲイザーは、長い舌を揺らして場の甘さに耐えかねていた。


「あぢぃ……!」

「あら、日傘が喋るなんて珍しいですね」

「誰が日傘だこんちくしょー……体格が良いからって日除けにしてくれやがって……!」


 ぶつくさ言いながらもその立ち位置を維持しているのは確かに日光浴の意図もあったが、現在は雨もどきが降ったせいで蒸し暑い。

 鱗で全身が覆われている蜥蜴の獣人からしてみれば、上がりすぎた体温を下げるために今すぐ影へと駆け込みたいところである。


 スカリィはそんな彼の思惑を見越してか、青い瞳を楽しそうに細めて見せた。


「あらあら、貴方にとって日光浴は体力充填になるのではなかったのですか? 申し訳ありません、気が利かなくって。やはり貴方に任せられる仕事では無かったかもしれませんね」

「そうだね、何事もやりすぎは身体を壊してしまう。やはり聖樹信仰教会から借りて来た水鉢の中から傍観してもらった方が」

「しゅるる!! お、オレは日傘で構わねぇでぇす!!」


 視界に入った魔法瓶と水がなみなみ注がれた硝子の鉢から顔を背け、精一杯の笑顔を作るサンゲイザー。仲間と合流するまたとないチャンスだというのに、屋上の結界の中に閉じ込められ日傘持ちをさせられているこの状況をどう打開したものか必死でたまらなかった。


(つぅか、町長ってこの町の中枢っつーか司令塔だろうが!? オレみたいなやつを隣に置いてどうするってんだよ!!)


 思えば会議の時から不思議だったのだ。なぜあの針鼠は嘘を吐くかもしれない自分を情報源に作戦を立てるのか。なぜあの場の全員が当日の自分まで作戦に組み込むことを了承したのか。なぜ迎え撃つ賊の構成員である自分を、イシクブール町長の膝元に日傘役として突っ立っていることを命じたのか!!


(――やってらんねぇ!!)


 ばらばらばら、と。気が立った蜥蜴の鱗が開いていく。

 町長夫妻は紅茶を淹れた器を片手に、日傘から生えた動く影を眺めることになった。


「日傘って逆立つものなんですねぇ、レーテ」

「そうらしいなスカリィ。多分最新式なんだ。影の範囲を広げてくれているんだよ」

「あらまあ。気が利く日傘ですね?」

「しゅっ……あんたらはあんたらでオレのこと何時まで日傘扱いするつもりなんだよ!?」

「今日一日はそうなるね。裁量計測前の犯罪者が町長の真横に立つにはそれなりの理由が必要だ。その点、『日傘』なら問題はない」

「しゅるるるるるぅ!!」


 だとしても納得がいかない!! と舌を鳴らすサンゲイザー。スカリィは困った様子で何か考えると、足元のオットマンに目を落とした。旦那は妻の肩を揉む。


「スカリィ。それは駄目だぞ」

「確かに、日傘を足元に敷くのは行儀が悪いですね?」

「……はぁ……」


 蜥蜴の獣人は黄金の目を細め、眼下の町へと視線をやる。


 城門近くの戦闘はあらかた終了しているらしい。彼らのもくろみ通り、誰一人命を奪うことなく作戦が進んでいるということだろうか。


(霧で視界は悪いが、この町にはまだまだ渥地あつしち酸土テラロッサの構成員がうろうろしてるだろう……オレが危惧するのもおかしいが、西に行った三人組……どうして誰も応援に行こうとしない?)


 非戦闘員にも拘らず南へ向かって行ったということは、城壁外に居る針鼠らとの合流を目指しているのだろうが――それにしたって、あの会議で散々確認していた連絡網で呼び戻せばいいはずなのだ。足の速さを考えても、そちらの方が合流は早いだろう。


(……町中に配置されているはずの戦闘要員も姿が見えないが……まさか催涙雨にやられたのか? 自陣営の戦力を削るなんて、デメリットしかねぇだろうが)


 賊への嫌がらせで催涙雨を降らせたのかと思えば、攻撃対象になったのは観光客や無辜の市民である。賊のあぶり出しに成功したのは「結果的にそうなった」だけだろう。


 サンゲイザーには、どうしてあの少年たちが町の危機にも拘らず計画をぶち壊すようなことをしでかしたのかが理解できなかった。


 暑さに茹で上がりそうになりながらも、わけの分からなさに唸り出す。


「日傘は唸りませんし悩みませんよ」

「……ぐっ……しゅるる……」

「悩むのは私たちの仕事です。貴方は今日一日、日傘としてそこに立ち続けていればいい。何もする必要はないのです。……何も、しないでください」


 スカリィは町を見据えたまま、顔も向けずにそう告げた。

 サンゲイザーはがしがしと鱗をかき、嫌悪を隠さないまま日傘役を続けることにした。


 イシクブール町長の目には西地区の通路を駆ける少年少女の姿とは別に、東地区で屋根を走り回る子どもたちの姿が映っていた。







「……まさか、催涙液対策がこんなに早く役に立つとはね」

「……そうだな。対策をしていなかったらどうなってたか」


 かたや、鉈を片手に賊を再起不能にしていく男の子。

 白い町に紛れるよう灰色の服に身を包み、今もまた襲い掛かった賊の男に痺跳の毒 (針鼠の指導により、人体に害のない濃度にまで薄められている)を塗った刃で切り付けた。


 かたや、短弓を手に屋根を駆ける女の子。

 白い町に紛れるよう灰色の服とフードで頭を隠し、血を分けた兄弟に襲い掛からんとする賊の女に痺跳の毒を塗りつけた矢尻を向け、放つ。


 彼らは揃って、左耳につけた魔法具から加護を受けていた。付与されている特性は「刺激物に対する感覚鈍化」と「毒物に対する感覚鋭敏化」である。


「持ってきた魔法瓶、一杯になっちゃったね」

「今ので最後だな。一度、補充しに戻ろうか」


 子どもたちはドレッドヘアの栗髪を振り、ついさっきまで賊が占領していた道を戻っていく。事情を知らない住民たちは硝子の窓越しに疑問の視線を向けているが、彼らが子どもだからか、敵意を向ける者はいなかった。


「それにしても、どうして催涙液が降ってきたりするの。町の人巻き込んでるし」

「さあな、計画に変更があったんだろう。なぜ連絡が来ないのか不思議だけどな」


 魔法具の補助が無ければ二人も霧雨の餌食になっていたことだろう。地下に入り組んだ通路を抜け、日の光が届く場所までやって来た二人は町長宅を目指そうとして、思わず足を止めた。


 白い石畳の上に一人泣きながら蹲っている女性がいる。グリーンアッシュの短い髪には所々赤いビーズがついていて、活発そうな服装とは裏腹にかなり辛そうだ。


 女の子は咄嗟に距離を取り、屋根の上に控える。男の子はそのまま駆け寄って、観光客かどうかを確認しようと声をかけることにした。


「――あの、大丈夫ですか」


 彼は勿論、疑わしきは捕獲せよという思考で動いているので容赦するつもりはなかった。

 一般人に近いか、手練れに近いか、その判断をする為に声をかけたというのが正しい。


 だからまさか、下を向いていた女性が本当に泣いている・・・・・・・・なんて思いもしなかった。


 不意を突かれた彼は一瞬、たじろぎ――そして、両耳を抑えられる。


 飾られた長い爪がこめかみに食い込んだ。

 畳まれた膝が伸び、瞬く間に足が払われる。


 体制を崩した男の子の頭を持ったまま、女性は今更になって目を丸くした。


「あれれ、子どもだったの。ふふ、痛かったね? ごめんね?」

「!?」


 痛いの痛いの、とんでけ。


 ちう、と。


 男の子の額に口づけが落とされる。

 それと同時に彼の身体は糸が切れた人形のように、静かになった。


 ぐらりと首が力無く下がった彼の耳元から魔法具を奪い取り、女性は周囲を見回す。躊躇うことなく、彼女の耳に魔法具がとりつけられる。


「――おぉ、目が痛くない! 鼻も喉も快適ぃ! んー。もしかして見た目も良い感じ? 鏡ないから分かんないや」


 くるくるとその場でステップを踏み、抱えた男の子の額を撫でる。虚ろな目をしたまま動かない兄の様子を見て、女の子は咄嗟に身を隠した。


 得体が知れない魔術か呪いか、仕組みが分からないものに特攻はできない……!!


「でてきてよー。お仲間さん? その辺にいるんでしょ?」

「……!!」

「私、子ども好きなのよ。別に殺したいわけじゃなくてぇ。ねぇー。聞いてる?」

「……!!」


 兄を案じる声を上げそうになった口を押さえ、必死に気配を殺す。


 先程まで相手にして来た賊とは比べ物にならない気迫――兄を人質にとられた妹は、咄嗟に回線硝子ラインビードロを発動させた。


「んもー。仕方がないなぁ。ちょっとうるさくなるけど、まあいいか! でてこーい! 紫の娘―!」


 東地区にて賊の女性――渥地あつしち酸土テラロッサ現首領・・・はそう叫ぶと、地面に向けて一発の消費型魔法具を放った。


 住宅地の一角に、火柱が立った。




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