163枚目 「琥珀と白壁」


 イシクブール正門前。

 最後の一人になる賊に瓶の底をあてがい、少年は針だらけの背を揺らして深呼吸した。


(途中から数えるの忘れちゃったけど、百人は居たか……こんなに大規模な賊が、まだ居たのか。俺の情報収集力もまだまだだな……)


 蝙蝠が言うには、今正門前で迎え撃った人数だけで町中で控えてくれている味方の八倍近くの規模があったというじゃあないか。


 取り敢えず視界に入った賊は片っ端から捕縛できたはずだが、ばらけて林に逃げられると追いかけるのは難しい。その辺りは、後で蜥蜴の獣人と話をつける予定である。


 ハーミットは周囲を見回してグリッタの無事を確認すると、鼠顔の位置を直しながら先が丸い両手剣を地面に突き立てた。


「はー……お疲れさま、グリッタさん。ひとまず様子を見ようか」

「おうよ。というかハーミットくん、もっとお兄さんに回してくれてよかったんだぞ」

「グリッタさん、二人以上は厳しいって言っていたじゃないか。良いんだよ、十分助かった」

「そうは言うがなぁ」


 カフス売りは長剣についた血を払い、腰元から取り出した布で拭き取ると鞘に納める。


 少年が幾ら最小限の動きをしているとはいえ、夏の暑い時間に一時間近く動けば脱水は避けられない。どれだけ鍛えようが、小さいその身体で一度に放出できる熱の量には限度がある。


 レーテの結界術式が無事に発現し、背後から強襲を受ける確率が減ったと認識するや否や、門前の坂を瞬く間に下って馬車に突撃した針鼠の少年のことを、グリッタは見逃さなかった――呪いの剣は、使用者の体力的にも諸刃の剣だったのだ。


「影にでも行くか?」

「うん。そうしようかな」


 ハーミットは剣を地面から引き抜き、背中に納めた。


 城壁からそう離れていない木陰の中で胡坐をかく。

 壁一枚を隔て、喧噪も何も聞こえない状況に、男二人はほんの少しだけ安堵した。


 実際は壁が厚いから聞こえないだけで、催涙液に降られた一般人が町を右往左往していたのだが……外回りを任されている彼らが知る由もない。


 ハーミットは周囲にグリッタ以外の気配がないことを確認して、鼠顔を外した。


 木漏れ日に晒された金糸のような髪が、汗と熱で貼り付いて湯気を上げている。

 ばさばさの睫毛の内側に琥珀色の大きな目、朱色の唇と合わさって人形のようにも見えた。


 そりゃあ、被り物をしたまま酷暑の草原で剣を振るえば、外したくもなるか――とグリッタは思考して。


 二度見した。

 端麗な容姿に驚いた。のは、その通りだが、それ以前の問題である。


「はぁ!? それ取ってもいいのかよ!?」

「そりゃあ、熱中症で死んでも怒られるからね」

「り、理不尽だなお前さんの上司は……!!」

「そう?」


 ハーミットは疲れた顔を隠すことなく首をかくりと傾げ、力無く笑う。


 はっきりと顔を見るのは初めてでも、その動きだけで鼠顔の彼だと分かってしまうのは、グリッタがハーミットのことを見慣れてしまったからだろうか。


 金髪少年は顔をぐにぐにと揉み解しながら、木漏れ日を目で追った。


「はー。流石に百人切りは骨が折れるね。次来たらどうしようか」

「蝙蝠ちゃんから何も連絡入ってねぇんだから、今ので終いじゃあないのか?」

「――そうだね」


 訝し気に眉をひそめたグリッタに、慌てて首を振るハーミット。

 可能性を危惧するのは一部の人間だけでいい、そう判断したようだ。


「各市場バザールからも、サンドクォーツクからも連絡は入っていない。捕縛した賊から得た情報に信憑性があると仮定して、あとはイシクブールに紛れ込んだ残りの構成員と、山狩りならぬ林狩りで逃げた残党を捕まえるだけかな」


 金糸の髪をわしわしとかき混ぜて空気を含ませながら、少年は水筒を額にのせる。

 金属製の容器は見た目以上にひんやりと冷たいらしい。火照った肌の上を汗が滑った。


 グリッタは少年が水筒を片づけたのを確認して、自身の物資に手を付ける。ハーミットは商人の水分補給が済むのを待つ間に、ストレッチを始めた。


「さらっと簡単に言いはするが、かなりの人海戦術だな。門前で捕まえた人数を考えても残った賊の規模と『とんとん』といったところだろう」

「まあね。でも、明日になれば魔導王国に頼んだ応援もイシクブールに着く。そうなれば彼らに後を引き継いで、俺たちは仕事の続きをする――早ければ、明後日には町を発つかもしれない」

「……」

「早ければ、だからね」


 念を押すようにというか、釘を刺すようにというか。ハーミットはグリッタに言って鼠顔を手に取った。会話の合間に済ませた水分補給で昼を乗り切るつもりでいるらしいが、無謀にもほどがある。


「やっぱり被るのか」

「うん。怒られるから、被っておかないと」


 琥珀の瞳が鼠顔の下に消える。

 肩に固定された針束が手動で「もさり」と蠢いた。


 瞳の挙動が分かりやすい琥珀から一転、再び感情の読めない硝子玉の黒目が向けられる。


「グリッタさん。俺の容姿についてはくれぐれも他言無用で頼むよ?」

「お前さん。それ、お兄さんがどういう反応するか分かっててやってるだろう」

「ははは。使える人材には、それなりのパイプを作っておかないと損をするからね!」

「お前さんのは人脈作りを騙った嫌がらせだろうが……」


 グリッタは、ハーミットやラエルの素性を「魔導王国の役人」としか聞いていない。鼠顔の少年が四天王だということも、彼が顔を隠す事情も知らない。

 ……知らないが、少年の態度を観察していれば言われずとも「顔を出すことを控えるような事情がある」ことぐらいは察せられる。


(子どもみたいな姿をしていることよりも顔が割れることのほうが不味い立場なのか……剣の呪いもそうだが、人生でここまで物騒な相手に関わるのは初めてかも知れないな)


 イシクブールを守るという目的が一致していることだけが救いだろうか。

 商人は気を紛らわせようと水筒の水を煽ろうとして――そこで、これまで途切れていた定期連絡が入った。


 蝙蝠のノワールからハーミット個人にあてた回線ラインである。


 作戦中は関係者全員に情報が行きわたるよう、別の回線硝子ラインビードロを使用していた筈だが――町の中で何かあったのだろうか。すぐに回線をつなげる。


「どうしたノワール。何かあったのか」

『……です……』

「ん?」

『前方が視界不良で見えないです……鼻も口も痛い……何が起きてるはこっちの台詞です……!!』

「はぁ!?」


 素っ頓狂な声を上げ、針鼠は町の方を振り返る。


 上の方をよくよく注視してみれば、計画にあった雨にしてはそこはかとなく赤色だった。

 使用する予定だった水がめに毒性のある薬でも混ぜられたのだろうか。だとしたら何も知らない町の一般人にも危険が及ぶではないか!!


「一体何があった」

『催涙雨が降ったです』

「……さ?」

『雨は雨でも、催涙雨が、降ったです……』


 針鼠とカフス売りはその場で顔を見合わせる。


 彼らの脳裏には、町で子どもたちの襲撃を受けた際に竜の肋骨ドラゴンコストラから落とされた催涙液がよぎった。


(魔力提供の都合でラエルもその場に居た筈なのに、どうして止めなかったんだ……?)


 ハーミットはそこまで考えて、首を振る。


 結界構築の遅れと、作戦の崩壊。それでも尚、町長たちが結界を解かないということは催涙雨に意味を見いだしたのだろう。


 とすれば、土壇場で「必要」と判断されたことになる。


(計画の変更が必要とされる状況。内部は想定より混乱している――いや、あえて混乱させたと仮定するなら、俺たちが置かれている状況は想定よりも悪いということにならないか?)


 侵入した賊が想定よりも多かったのだろうか? それとも第三勢力が現れた?


 今まで経験したあらゆる事例を当てはめ現状を把握しようと心掛けた針鼠は、しかし途中で考えることを辞めた。


 壁の向こうの事象を想像するより、実際に目で見た方が早い。


「……鉄門が開く予定の時刻は、まだ先だったよね」

「おい、嫌な予感がするんだが」

「壁を昇ってでも町へ戻るよ、グリッタさん」

「嘘だろ」


 悲壮な顔をする商人に、針鼠はわざとらしく肩をすくめた。







 視点は戻って町長宅の庭。

 黒髪の少女の腰元をリボンで結び、灰髪の少年が手を離す。


「……よし、裾上げ完了! 違和感ある?」


 ラエルがその場で身体を捻ると、先程まで地面の上すれすれを揺れていたワンピースの裾がひざ下辺りまで引き上げられているのが分かる。この丈なら、普段着ている支給服と同じ要領で行動することができるだろう。


「いいえ、全然! 凄いわね、この服」

「着こなし方にも色々あるってことさ」


 伊達眼鏡をかけたキーナが「ふふん」と得意げに鼻を鳴らす。

 ゴーグルーをかけたまま賊の動向を観察していたペンタスが手招きした。


「今なら道が空いてる。めぇ」


 ラエルは色彩変化鏡の魔力可視を辞め、紫の瞳を隠す。

 キーナは礼服から使用人服に着替え直し、ゴーグルーを腕に、ループタイを胸元に留めた。


「よっし、それじゃあまずは西地区に行こう。目標は正門!」

「道案内よろしくね、ペタさん」

「め、めぇ……!」


 小さな円陣を組み、えいえいおーと小声でつぶやく。

 本邸のバルコニーから向けられた視線には、気がつかなかった。




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