161枚目 「揺れぬ鏡と色眼鏡」


 浮島と繋がる魔法具の鏡――ラエルたちは現在の状況を魔法具技師に説明した。


 賊の襲来に加えて、町を駆け巡る魔術要因の風。

 イシクブールに、想定以上の危機が迫っているのではないか。


 ゴーグルーを目にかけたベリシードは相槌しながらそれを聞いて、にこりと笑う。


『あはは。結構ピンチだねぇ』

「あ、やっぱりそうなの」

『やっぱりも何も。例えば町を巡っている風が魔術陣由来のものだと仮定しても、あの針鼠に解術してもらう以外に手っ取り早い解決法がないじゃない。魔術陣っていうのは一部を壊しても発現自体は不可能にならないじゃんね』


 加えて、魔術陣は魔力を流し込むタイミングさえ決めておけば何時でも発動できる代物だ。

 大規模であればあるほど準備に時間がかかるが、完成してしまえば、ほとぼりが冷めた頃に発現という陰湿な手を取ることもできる。


『浮島を上回る規模の町が一つ取り込めるような魔術師を敵に回すなんて、魔導王国じゃあまず考えられないよねぇ。下手に爆発するような魔法具が少ないだろう点では、そっちイシクブールの方が安全とも言えるけども』

「……『安全』って、発現に不安定さがないってことでしょう?」

『ああその通り。でも現にラエルちゃんは気がついたわけだし、それなりの魔術師なら気づかれる程度の仕掛けなんだろう』

「たまたまよ。今日はゴーグルーが手元に無いし、魔力をこの目で見ることができたら、もっとはっきり分かったと思うのだけど――」


 ラエルは言って俯く。人員の配置や装備については、ハーミットとスカリィたちが議論した結果決まった。最前線で戦うことになったグリッタにゴーグルーを貸したことを後悔しているはずもない。このような状況で、最善を尽くすにこしたことはないのだ。


 せめてそのことを弁明しようと顔を上げた黒髪の少女は目を丸くさせた。

 鏡の向こう側では、微笑んだまま固まった魔法具技師の姿がある。


「ベリシードさん?」

『…………ラエルちゃん、今なんて?』

「魔力が目に見えていたらこんなに混乱することも無かっただろうなって」

『違う違う、もっと重要なところ。まさかじゃないけど、魔法具を貸したりしてないよね? しかも野郎に』


 野郎に。


 と、重要なことなのか二度聞くベリシード。徐にゴーグルーが外された。ラエルは答える。


「有事だもの。貸したわよ」


 最早隠す気力も時間も勿体無いと判断した少女が正直に言うと、椅子に座ったまま魔法具技師は天井を仰ぐように反りかえった。


『うわぁああああああああああん!! ラエルちゃんの馬鹿ぁああああああああ!! ベリーさんたちが丹精込めて作り上げた愛の結晶を!! よりにもよって馬の骨とも知らん野郎が使ってるときた!? ああああああああああ何その状況!! 次は針鼠に値段ふっかけてぼったくって貯金根こそぎむしり取ってやるぅうううううう!!』

「いえ、彼も必死だったからむしり取るのだけは辞めてあげて欲しいわ」

『最善の選択と製作者の情熱は矛盾することもあるんだよぉ!! 分かって欲しいなぁ!!』

「その感覚は一生分からなくていいわ」

『うぅううん辛辣!! でもそこが良い!! ベリーさん、許しちゃう!!』


 腹筋と背筋の力を使い、ノーモーションで起き上がる魔法具技師。

 ラエルの斜め後ろで待機していた灰髪の少年とツノ付きの青年はびくりと身体を震わせた。


『で。最初の話に戻ってくるわけだけど、ラエルちゃんたちが立てた作戦って?』

「祭りの中でも、賊らしき怪しい人を見かけたら速やかに捕縛。ことが済むまでは安全に考慮して魔法瓶の中で待機して貰ってます、めぇ」

「……群としての賊への対応は四天王の彼と、彼が指名した一人が対応中だよ。回線ラインで異常を知らせる連絡は来てないし、掃討自体は順調に進んでいるんじゃないかな」


 ラエルの代わりに二人が答えると、ベリシードはうんうんと力強く頷く。


『ふむ。君たちに聞いた訳じゃなかったんだけど、状況整理に関してはとても優秀だね男子諸君。いいよ、そのまま続けて?』

「ま、町の中に残ってもらっている協力者には、賊の襲来を知るための合図を共有していて……その合図の後、蚤の市をそれとなく中止に追い込む必要があります、めぇ」

「僕らが非戦闘員として任された仕事は『町に祭りが中止になる規模の雨を降らせること』だ。けど、その詠唱直前になってラエルが風に対する違和感を訴えたってわけ」

『なるほどねぇ。雨、ね』


 ベリシードは工房の魔法具を遠隔操作すると、作り置きのノハナ茶を器に注ぐ。


 硝子の器の内側に舞う茶葉を一目見て「うっ」と目を細めるラエル。

 あのお茶を涼しい顔で飲み干すベリシードが単に眠気覚ましにしているのか、それとも好んでいるのか。想像がつかなかった。


『ラエルちゃんは魔力量補助の役割ってところかな? 本来なら彼と一緒に前線に居てもおかしくないと思うけど、もしかして制限でも受けてる?』

「……ええ。ご察しの通りよ」

『あっはっは。あの白魔導士も大概傲慢だからねぇ!! いつかやるとは思ったけどまさか遠征先の娘に呪いふっかけるとは予想もつかなかったなぁ。今度はそんなことないように、手袋に『解呪デスペル』機能つけてあげるからね!!』

「それはとても楽しみね……ベリシードさん、私たち結構ピンチなのだけど頭脳を貸してもらえたりしないかしら?」

『ふぇへっへへへ』


 明らかに愛想笑いであると分かるだろうに、にまにま笑ったベリシードは席を立つと、何処かから腕に抱える程の箱を二つ積んで戻って来た。木目美しい調度品のような箱を開けてみれば、真新しいゴーグルーがカンテラの灯りを反射する。


『残念ながら使えそうな魔法具の在庫はこれしかなくてねー。しかも二つしかない――が、ラエルちゃんがどういう訳か装備している色彩変化鏡でも魔力の流れを見ることができると思うよ。ただし、目の色は戻っちゃうけどね。操作はゴーグルーと同じさ』

「えっ、あっ。本当だ……歯車がある」

「何それ。僕、十年近く使ってて初耳なんだけど」

「めぇ」

『あっははは。手が滑って一般人向けの商品にそんな機能入れましたなんて公には言えないんだよねー。特許争奪戦になりかねないし』

「手が滑って?」


 キーナの言葉に魔法具技師はニコリと営業スマイルを返し、目元の隈をぐりぐりと揉み解す。腕に巻かれた砂時計がひっくり返された。


『さて、代金は出世払いでいいとして。いくつかアドバイスはさせてほしいかな』

「アドバイス?」

『そう。状況を聞く限り時間に余裕はないようだし。人生の先輩であるベリーさんが、今の君たちにもできる時間稼ぎの方法を手短に分かりやーすく教えてあげよう』


 分厚い作業用手袋を外し、丁寧に魔法具の動作確認をしながら赤い瞳が歪められる。

 それはいつの日か、黒髪の少女に助言をしたときのような笑みだった。







 天井でぐるぐると羽が回る、魔導王国浮島の某工房。

 壁に立てかけた鏡から顔を放したベリシード・フランベルは、天上にいる心地で通話を終了した。


 いやはや、渾身のできだと思っていた移動式大規模転移魔法陣の動作確認が回線ライン一つで終わってしまった時は悲しくて仕方がなかったものだが――こうして彼女が助力を求めてきたとあっては全てチャラである。思わず口元が緩んだ。


「案外いいコンビなのかもしれないねぇ。あの二人は」

「…………何の話?」

「黒髪のラエルちゃんと、獣人もどきの四天王のことだよ。フラン」


 ぐるん、と。椅子ごと息子に振り向いて、得意げな笑みを浮かべるベリシード。

 傍目には只の丸い椅子だが、着席部分のパーツが上下に分かれているらしい。


 フランはベリシードの言葉が納得できないのか、長い前髪で隠した眉間に皺をつくる。

 はっきりと表情が見えずとも、母親には息子が何を言わんとしたのかが理解できたようだ。


「片や頭脳派、経験を元に情報把握に長け、実力を伴なった身体能力でその場の状況に臨機応変に対応できる四天王。片や感覚派、新しい物事を吸収する凄まじい学習力に、感情欠損ハートロスなんてお構いなしに他者と関わるコミュニケーション能力を兼ね備えたトラブルメーカー。まるで、お互いを支え合う様な関係性だと思わない?」

「…………あれは、そういう……関係じゃあ、ないと思うけど」


 ぐるぐると楽しそうに回る母親を一瞥し、作業に戻ったフランはつぶやく。魔法具技師は手袋を嵌めながらニヤリと笑んだ。


「そうかね? 確かに、彼女が彼の代わりに相談しに来たのは意外だったけども。使える物は全部使うっていう考え方とかは似てるんじゃない?」

「……母さんが、ハーミットさんのそういう面を買ってるのは……知ってるけど……同僚になったからって……短所まで似る必要は、ないと思う……」


 少しの間、天井の羽がカラカラ回る音が工房を支配した。

 息子はそのまま、無言で作業に戻る。静寂を破ったのは母親の方だった。


「あっはっはっは!! 確かに!! 切羽詰まったタイミングで頼って来るのは、悪い癖だ!! 言うようになったねぇあんたも!!」


 魔法具技師は腹を抱えて笑ったかと思うと、椅子を立って腰を回して指を組み、腕を上下に伸ばした。彫刻技師の仕事中はどうしても姿勢が悪くなるのが常だが、彼女がそうしてストレッチを始めるときは決まって工房の外に出る時である。


「……商業区画にでも行くの? 買い出しならおれ、行くけど……」

「いいや。買い出しに行こうってんじゃないよ。散歩ついでに鼠の巣にでも顔を出そうかと思ってねぇ!」

「…………?」

「このままだと、解決後の後片づけまで彼らが頑張ることになっちゃうだろう? 止めても休まない針鼠はともかく、ラエルちゃんみたいな働き者には適度な休息が必要なの」


 あたしたちみたいに好きで仕事をやってるわけじゃあない人間には、特にね。

 ベリシードはそこまで説明するとゴーグルーを額に上げ、エプロンを外した。


「それに人材派遣のお願いは、現場の事情を知った人間が依頼するのが一番効いたりするわけよ!! ベリーさん頑張っちゃうんだから!!」

「……」


 果たして母親の交渉技術を何処まで信じていいのか、フランは一瞬迷って――工房から飛び出していった後姿を見送って、少し悩んで、諦めた。


 手元の魔法具を停止させ、必要最低限の装備を身に着け、上下開閉式扉の鍵をとる。

 浮島三棟マツカサ工房はこの日、臨時休業となった。




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