160枚目 「磑風舂雨」


 十指に嵌めた青い指輪。爪の厚み程しかない細い鎖に繋がれたシースルーの白。床につく程長いカーディガンに、頭部を覆うベール。足元にも青い輪が嵌められている。


 楔歌メロウアーツを使用する際に着用する、防音魔術を付与した魔法具だ。

 透けた生地の向こう側には、澄んだ青灰の瞳があった。


 キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは、装身具に異常がないか一つ一つ確認を済ませると、意を決したように扉を開ける。


 一歩外に出れば、そこは草刈りを終えた町長宅の庭だ。

 ポータブルハウスの外で待っていたラエルとペンタスは、着替え終わったキーナを見て駆け寄った。


「朝もそうだったけれど、着替えるの本当に早いわね?」

「身支度に時間をかけるなんて、文字通り時間の無駄だからね」

「めぇ。キーナの場合は、寝坊した時も数分で来客の前に出られるように訓練せざるを得なかっただけだよ。ラエルさん」

「あっ、こらっ、ばらすなよペタ!」


 灰髪の少年は赤面しながら笑顔を引きつらせてみせる。

 獣人の青年は慣れたもので、によによとしながら複雑な顔をした。


「魔力導線が太すぎるのも考えもの、めぇ」

「あぁ。出力制御の為とはいえ、毎度重くて嫌になるよ」


 キーナは溜め息混じりに魔術書を開錠すると、銀色の栞を指揮棒に変形させた。

 葬送の儀の際に使用していた魔術書と同じものである。


「よし。ばあちゃ……おばあさまのゴーサインも出たことだし、僕らは僕らの役割を果たすことにしようか」


 キーナは魔法具に魔力を流し込み、防音魔術を発動させた。


 非戦闘要員の三人は「避難誘導」と「異常が起きたことの伝達」の役割を任されている。


 城壁で賊の掃討が始まり次第門を閉じ、門が閉じた事実を伝える為に聖樹信仰教会が鐘の数を減らす。

 鐘の音に異変があれば町に常駐する衛兵や商人が動き出す。

 ラエルたちに任されたのはその後。住民の避難に、天候を活用しようと考えた。


 聞けば、水系統魔術はキーナの十八番らしい。町長宅の庭に巨大な水がめを用意して魔法具でシンビオージ湖と接続、その水を素体に雨を降らせよう――という算段、だったのだが。


 キーナは、詠唱直前まで練り上げた魔力を解く。

 シースルーの衣が風に攫われて揺れた。


 というのも……ラエルがずっと、眉間に皺を寄せているのだ。

 祭りを散策した際も上の空だったように見えたが。何か思う所があるのだろうか。


「どうしたのラエルさん」

「いえ、実は今まで聞くに聞けなかったことがあるのだけど……」

「え、今?」

「……今。今が良いわ」


 キーナは魔術書を一度閉じ、ペンタスは首を傾げる。

 ラエルは神妙な面持ちで、指を空中に走らせた。


『町での会話が、誰かに聞かれているかもしれないの』


 キーナとペンタスが目を丸くして顔を見合わせる。

 二人が指文字フィンガースペリングを目で追ったのを見計らい、ラエルは口を開いた。


「貴方たち、勇者の居場所について何か知ってるんじゃない?」

「……」

「い。一体何処でその話を、聞いためぇ!?」

「何処って。つい最近大声で話してたじゃないの、噂ぐらい耳に入るわよ……ここだけの話、私も勇者を探してるの。ハーミットとは関係なしに、これは私の独断専行」


 建前の話題を進めながらペンタスは慌てて手帳を引っ張り出した。キーナがそれに文字を書いて、ラエルに向けた。


『どうしてそう思うんだよ』

『東から吹く風、潮の香りが少しもしないのよ。今日は町の中ばかり風が回ってるみたいな気がして、ずっと落ち着かなくて……』

『それも勘?』

『勘よ。でも恐怖がない分、危機感覚は人一倍あるつもり』


「……この魔術を発動するには私の魔力も居るんでしょう? 協力してほしいなら、情報を先に渡して欲しいわ。その方がやる気が出ると思うし」


 ラエルは意地悪そうに目を細め、妖艶な笑みを浮かべて腕を組む。

 この発言や振る舞いも勿論、建前だ。彼女はそのような意地汚い思考回路をしていない。


 これは、精一杯張り切ったストレンの真似をしているのだ。


 ストレン本人の前で演じていたなら爆笑の後に火球が飛来すること必至だろうが、生憎彼女は第三大陸にはいないはずだ。今頃浮島でくしゃみでもしているんじゃあなかろうか。


 さて。ラエルがサバイバル生活を送っていた際も「風」は重要な情報源だった。


 天候変化の予兆のみならず、運ばれた匂いで遠い土地の様子を把握したり、小脇を駆け抜ける速さや不自然さで魔術由来か自然風かを判断することぐらいなら――いや、一般家庭でつつましく育った人族には難しいのかも知れないが――ラエル・イゥルポテーには、できる。


『そんなまさか。町中の風から情報を集めるなんて、それこそ化け物染みた魔力がないことには成立しないだろう。魔族にだって難しい』

『うぅ……で、でも。何だろう、こう……このまま進めちゃ不味い気がするのよ。得体の知れない嫌な感じがするの。説明しづらいけど、風が人為的に吹いてることだけは分かるわ』


 問題はその僅かな違和感を証明する術が、この場にはないということである。

 魔力可視の為に使用していたゴーグルーはグリッタに貸し出し中で手元にない。


 表情が険しくなっていく少女の前に一歩踏み出し、ツノ付きの青年は建前の会話を繋げる。


「じゃ、じゃあ。まさかボクらがしていた賭けの内容も!?」

「それは初耳よペタさん、どういうこと」


 まさかの情報に素直な本音が漏れてしまった。演技の途中だったが仕方がない。

 ラエルは針鼠のような役者に向いていないのである。


「あーあー、説明する! 説明するから。えっと……」

「……はあ。スカリィさんたちには聞かれたくないのね? 分かったわ。ポフの中で話しましょう。作戦のこともあるし、手短にね」

「め、めぇぇー」

「は、ははは……」


 黒髪の少女は二人をポフに押しやり、扉を閉めた。


 深呼吸を待たず、鍵を入れる。覗き窓を塞ぐ。

 リビングまで行って、窓のカーテンがしっかり締まっていることを確認する。


 ラエルは周囲に意識を向け、それらしい風の気配がないと分かるとようやく胸を撫で下ろす。

 少女の合図に、張りつめていた空気が弛緩した。


「いきなりなにかと思えば、情報が洩れてる疑いだって……?」

「めえぇぇぇ」

「作戦通りにしていたのに……突然ごめんなさい。何処まで情報を拾われているのか全く把握できなくて、言うに言えなかったの」

「いや……こればかりは僕も専門外だから、君の勘に賭けてみるよ。それで、どうする? もし僕らがした会話が誰かに聞き取られているとすれば、今から僕らがやろうとしていることも露呈してるって?」


 教会の鐘が合図になっている以上、町に散らばった協力者たちは思い思いに計画の内容を確認したり指示したり、少なからず口に出しているだろう。


 風を操って情報を集めているというラエルの推理が的を得ているとすれば、回線硝子ラインビードロを使用した情報網すらも侵されているということになる。


「あまり疑う様なことはしたくないのだけど。元々この町に住んでいる人で、この規模の魔術を発動させられる人間って、いる?」

「んー。レーテじいちゃんは魔族だし、使用人のネオンは白き者エルフだしね。魔術に長けてるっていう意味では、パルモ師匠やその上役のおっさんも数えられる、けど……」


 煮え切らない言葉と共に、灰髪の内側に深い皺が刻まれる。


「パルモさんは先の戦争で魔力導線を痛めてて広範囲に魔力を巡らせるような荒業は使えない。レーテじいちゃんは結界魔術以外の分野は僕より下手だし。ネオンは白き者エルフの中では魔族並みに魔力値が低いし……まあ最悪、魔術陣を用意さえすれば、誰にでもできるだろうさ」

「確かに。町の人ならともかく、外部からやって来た商人さんや観光客の素性は衛兵かレーテさんたちにしか分からないだろうし……めぇ」

「味方の人間が使っている可能性もあるのよね。でも、こんなに大規模な魔術の発現を共有していないのは、やっぱり引っかかるわ。キーナさんとペタさんは会議に参加していたんでしょう? そんな話聞いた?」

「いいや」

「右に同じく、めぇ」


 首を振った二人を見て、ラエルの表情が更に曇る。


 閉鎖的な建物の中――恣意的な魔力の流れが感じられない室内から連絡を取るにせよ、回線硝子ラインビードロは音を伝える魔法具である。受け取る側が屋外に待機している以上、音声が漏れれば元も子もない――唯一『同調リンク』を使用して意思疎通を図っている蝙蝠が頼りだが、こちらからアクションできない現状は手詰まりに近かった。


 ただ、ポフの中に三人で引きこもり続けるのも現実的ではない。こうして話をする間にも町の外には賊が押し寄せ、協力者である商人や衛兵たちは指示を待っている。


「このこと、あの四天王は把握してるのか?」

「いいえ。朝食後すぐに砦に向かったみたいだし。魔力に疎いから気づかないと思うわ。私も違和感を覚えたのはついさっきのことだし……」

「まじかぁ……」


 しかし、気づいてしまえば気になってしょうがないことだ。


 ラエルとキーナが「ああでもないこうでもない」と頭を悩ませる間、魔術に関して力になれないペンタスは一人、リビングを見回した。


 二人で食事をするには大きいテーブルに、手入れが行き届いた調理スペース。壁の所々に止まり木が設置されているのも目に着いたが、あるものを見て動きを止める。


 それは、長いこと祖母に付き合って骨董市や魔法具市に顔を出し、目利きの才能を磨いてきた彼でも初めて見るものだった。


「めぇ……姿見? ……魔法具?」

「あぁ、それは――」


 それは、魔導王国とこちらを繋げることができる魔法具。

 ラエルはそう口にしようとしたが、言葉にはできなかった。


「……」

「ラエルさん?」

「あったわ、抜け道」

「え?」

「使えるかどうかは分からないけれど……やらないよりはましでしょうね。緊急事態だし、使えるものは使わせてもらうわ」


 ラエルは一人頷く。


 脳裏には苦手な人物の顔が浮かんでいたが……この状況ではなりふり構っていられない。

 ラエルは鏡の縁に嵌め込まれた石に魔力を注ぎ込んだ。


 ……思えば、この鏡は目つきの悪い白魔導士とのやり取りにしか使ったことがない。


 家の使い心地・・・・・・に関する報告を・・・・・・・、ハーミットが所持している回線硝子ラインビードロを介して行った為に。


 暗転した鏡を物珍しそうに見るペンタスと、首を傾げるキーナ。ラエルは口を開いた。


「うん。でもやっぱり先に謝っておくわ。うるさかったらごめんなさい」


 砂嵐の音が止み、鏡の目の前に立ったペンタスが真っ先に被害に遭った。


 普段通り女子を愛でる撫で声。作業中は目元にかけているゴーグルーが首に下がっている。

 色の薄い茶髪を雑に纏め、半眼の内側に灯る瞳は鈍い赤色。


『 (割愛)――で。こんな真昼に何か御用事かな!? ラエルちゃん!!』

「ええ、有事よ。頼み事があるの、聞いてくれるかしら」

『もっちろん!! 不可能を可能にするとは約束しないが、使用者の要望にできるだけ答えるのもまた職人だ。この、ベリーさんにお任せあれ!!』


 垂れた巻き髪を指で弾き、浮島の魔法具技師は歯を剥いて獰猛に笑んだ。




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