143枚目 「咲いて綻ぶ水中花」


 その頃、東地区の聖樹信仰教会では。


「はわぁ」


 にこりと社交辞令の笑みを浮かべ、ラエルから手紙を受け取る女性が一人。


 薄手の刺しゅうが施されたベール (マンティラというらしい)が頭にかかっている。薄緑色の一枚布で作られたフレアラインの礼服は、ノット教の熱心な信者が着用するものだ。


 彼女はその裾を両手の指先三本でつまみ、片足を引いて礼をする。


「レーテさまよりお噂はかねがね。この度は手紙を届けていただき感謝いたします、魔導王国の従者さま」

「こ、こちらこそ。……私はラエルと言います。何だか、大変な事になってしまったみたいで申し訳ないわ……」

「?」


 女性はラエルのことをじっと観察して、それから困り眉を作る。どうやら教会に届いた脅迫状の内容を知らないのか、感情欠損ハートロスのことを知らないのか。


 黒髪の少女のことを頭のてっぺんからつま先まで確認して、それから隣に立つキーナを一目すると「にぱっ」と笑みを零した。


「何かお悩みがあるのであれば、これも聖樹のお導きでしょう。今朝は日も強いですし、ぜひ教会内で一休みなさってくださいませ。よろしければキーナさまもご一緒に」


 思いもよらぬ提案に呆けて足を止めたラエルに対し、キーナは口笛混じりに悠々と教会内に入って行った。晶砂岩製の白い椅子が並べられた聖堂は石材タイルで装飾されている。どうやらイシクブール独特の建築様式になっているらしい。


 過去にポイニクス教会を訪れた際は床面に敷かれたカーペットを踏んでいいものかと逡巡したラエルだが、いま彼女が教会に足を踏み入れることを躊躇う理由は全く別である。


「いかがなさいましたか」

「……一度離れた教えの聖域に、踏み入っていいものなのかと思ってしまって」

「はわぁ。そうですか……私は、気になりませんけど」

「えっ」


 振り向いたラエルの前を通り、女性は入り口の階段に足をかける。

 蔦の刺しゅうが成されたベールが風にはためき、潮の香りが鼻を掠めた。


 顔にかかったベールを払うと、同じように刺繍が施されたレース手袋の腕をラエルの方に差し出す。


「貴女にとってここは観光地。建築や文化を学びに来たというのであれば、聖樹もまた寛容であられますから――受け入れる余地はあれど、咎める理由はありません」

「……」

「中でキーナさまがお待ちになられているようです。宜しければ、おあがりくださいませ」


 にこりと、浮かべられた笑みに先程のような無邪気さはない。

 波打つことない、静かな黒の瞳だった。







「私はパルモ。このイシクブール区画教会に籍を置かせてもらっています。因みに西地区の馬宿で働いているピトロは姉です。姉妹そろって噂話が好きなので、教会にも情報が集まるようになってしまって。そのつもりはないんですけどね」

「ということは、昨日私たちが町で聞き込みをしていたのも……」

「はい。情勢調査をなさっていらっしゃることも、貴女が黄土色のコートを着た少年と行動していらっしゃることも、承知しています」

「凄い……」

「ふふん、伊達に僕の師匠じゃないからね」


 誇らしげなキーナを横目に、丸い硝子の水槽を磨くパルモ。

 長机に揃えられた切り花は、鐘のような形をした白い花をつけていた。


「あぁ、これは西の墓地に花を供えて下さった方がおられたようで――生花は管理の問題もあって毎日回収する決まりなのですが。祈りが込められたものですから、一度は水中花すいちゅうかとして教会に納めるようにしているんです」

水中花すいちゅうか?」

「はい。魔力を練り込んだ水に生花を沈める生け方になります」


 日持ちはしませんが、お墓には毎日花が手向けられますので。そう言って、水を張った硝子の器に花を沈めていくパルモ。水流に揉まれ、鐘の花が重力に逆らった。


「すみません。弔いの儀の一部でもありますので……少しだけお時間を頂きます」

「構わないわ。こちらこそ急かしてしまって申し訳ないくらい。そうだ、キーナさんにはまず状況を説明しないといけなかった」

「それもそうだ」


 パルモが花を生ける間、ラエル・イゥルポテーは今朝教会に届いたという脅迫状の要求についてキーナに身振り手振り説明した。内容が内容だけに、魔導王国の役人である自分たちが町の外へ出ようと提案したものの、町長に阻まれたということも含めて。


 帽子を膝に置いたキーナは終始落ち着かない様子だったが、黒髪の少女はそこに追加情報を提示しておくことにした。後から聞いていないと責められるのはごめんである。


「この脅迫内容にある『紫の目』っていうのは、多分私のことなのよ」

「はぁ。その根拠は?」

「紫の目は感情欠損ハートロス特有の症状だと言われているの。生きた症例は殆ど無くて、調べた限り第三大陸には居なかったんじゃないかしら」

「……ハートロスって?」


 キーナが眉間を抑えて眼鏡の位置を直す。どうやら、この辺りでは耳馴染みのない言葉らしい。


感情欠損ハートロス。確か、後天的に何かしらのきっかけで特定の感情を発露、認知できなくなる症状のことですね。はわぁ、珍しい目の色だとは思いましたが……」


 ラエルより先に答えたのは花を生けながら聞いていたパルモだった。少女は首肯する。


「私の場合は『恐怖』感情の欠落。日常生活にはさして影響がないのだけど――行動するにもお目付け役が必要なのよ」


 黒髪の少女は言いつつ、二人の反応を見る。初対面のパルモはともかく、キーナの方にも戸惑いはあれど嫌悪を抱いている様子はみられない。


(浮島みたいに、露骨に引かれたりすることはないみたいね)


 感情欠損ハートロスについての認知度が低いということもあるだろうが、地図からパリーゼデルヴィンド君主国が消された理由について、しっかり情報隠匿が成されているという証拠だろう。複雑な心境ではあるが、偏見がないというこの状態は非常にありがたいものだ。


 キーナはラエルの説明が終わったのを見計らい、何か納得したように手を打った。


「ああ、だからラエルさんは『自分が狙われる原因なら町の外へ出る』って、躊躇わず提案できたんだ?」

「そうなるの、かしらね。……もしかして町の人を巻き込みたくないっていうのは、あまり一般的じゃない発想だったりした?」

「間違いとは言わないけど、実際に行動に移せるかどうかは別の話だろ。僕が貴女の立場だったら、なりふりかまわず保身に走るか、何処かの宿に引きこもる自信があるね」

「引きこもってどうするの、逃げても追いかけてくるのが追手でしょう? 迎撃しなくちゃやってられないわ」

「あー、前言撤回。貴女はただの脳筋だ」

「の、脳筋って」


 灰髪を指で弄びつつ、黄緑の視線はレースを被った女性の方へ移った。

 どうやらこの会話をする間に手紙を読み終えたらしい。パルモは一人「ふむぅ」と顔を可愛らしく歪める。


「把握しました……上役と話し合いをして返答を用意しますね。少々お待ちくださいませ」


 消え入るような声音を引き摺り、教会の奥へと消えたパルモを見届けて――ようやくラエルは一息つく。

 パルモにはその気がないのかもしれないが、芯の通ったぶれない視線を向けられ続けるのは苦手だ。情報に通じている時点で、自然に人を観察する癖でもついたのだろうか。


「ともあれ、後は手紙を受け取るだけみたいだし。キーナさんは先にお屋敷に戻っても良いと思うけれど」

「僕も一緒に待つよ。待つのは慣れてる」

「そうなの? じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」


 ラエルは教会の彫刻を流し見る。蔦のオブジェは柱に巻き付き、天井を覆って雫上のつぼみに見立てたカンテラを提げている。


 内部が全て木造で作られていたポイニクス教の教会とは違い、こちらは聖樹を神聖視しているゆえか全て石製だ。椅子や机といった調度品も、木製ではなく石製。


「……」


 ラエル・イゥルポテーは母国を追われるまでノット教の教えを受けていた。この教会にも見慣れたものが幾つかある。


 緑と白を基調とした聖樹を表す硝子細工。

 香木を焚くための灰壺。

 南の壁側に添えられ、けして座ってはならないとされる七脚の椅子。


(……そういえばパルモさん、私に悩みがあるんじゃないかって言ってたような)


 ラエルにとって悩みは多けれど、即座に解決できるものは少ない。しかし、今まで聞ける状況になかったというだけで、好奇心から問うてしまえば解けてしまう疑問も数多い。


 特にイシクブールに来てからは、次から次へとよく分からないことが――。


「あっ。そうだキーナさん」

「ん?」


 振り向いた灰髪の少年は黒髪の少女がどうやら「恐怖」感情に鈍く、ここ数日のやり取りから感じていた違和感はそこから来るものだったのだろうと解釈して、それまで抱えていた疑問の二文字を解消してしまっていた。


 彼は針鼠の様に「ラエルという人間」を理解しようとしていない。


 額面通り「恐怖が欠けている」という表現では彼女の欠落は言い表すことができないということを知らない。


 故に、好奇心で爛々と輝くラエルの瞳に驚いたキーナは、彼女自身が日常的に意識して周囲に払っている注意や考慮や熟慮が欠ける瞬間があることを知らない。


 キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは「恐怖が欠けた人間の行動」を知らない。


「貴方はどうして、勇者のことを探しているの?」


 ラエルはキーナに、興味の刃を突きつけた。




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