144枚目 「傷痕と青灰」


 不意打ちで、後頭部を殴りつけられたような気分だった。


 どうして、勇者を探すのか。

 キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは、なぜ勇者に執着するのか。


(……落ち着け。この問いに、真面目に答える必要はない)


 キーナは金縁ハーフリムの内側、青灰の瞳を細める。

 色彩変化鏡を介し、他者の目に見える瞳は黄緑色。サンドクォーツクに居る兄と同じ瞳の色だ。


 ラエルは好奇心からこの質問をしたのだろうが、普段行動を共にしているツノ付きの獣人ならともかく、出会って数日の人間にそこまで心を許しているわけでもない。


(ただ――僕のバックボーンを知ったうえで、彼女が自身のことを語ってくれる可能性がないとも言えないか)


 勇者を探す自分を、真実を掴むに足る存在かを試そうとしているのだろうか?

 邪推かもしれないと思い直す。それにしては無邪気な紫のまなざしである。


 キーナは一人回想する。ラエル・イゥルポテーと名乗った、人族の女性について。


 夜の町で地図を広げ、四苦八苦していたのが最初だったような気がする。

 役人だというのに宿を取りそびれるという凡ミス。


 何とも微笑ましい。装備はそれなりに良い物をつけているというのに、魔導王国の魔族はこうもおっちょこちょいなのだろうか。そう思った。


 彼女が人族だと知った時は驚いたが、その隣にいる獣人っぽい少年を人族だと見抜いたペンタスの言葉の方が意外だった。


 明らかに生物の形をしていた鼠頭の頭部は、商人見習いの彼が見抜ける素材を組み合わせて作られた被り物だった。そして「あのような系譜は第二大陸でも見たことが無い」という念を押すかのような一言が決定打になった。


(どうしてあの鼠顔を外そうとしないのか、家を視力強化で覗こうにもカーテン越しじゃあ透視できなかったし)


 ――突如町長宅の庭に建てられた一軒家を思い出す。

 本来光や風を入れる為に開かれるはずの窓は、遮光カーテンと共に閉め切られている。


 とはいえ、彼も家の中でまであの被り物をしているというわけではないだろう。


(顔や肌を隠さなきゃいけない人間と共に、旅をする。それは恐ろしく気を張る仕事だろう。よっぽど見られたくない傷でもあるのか、おとぎ話の竜のように見た側にデメリットがあるのか)


 どちらにせよ、この黒髪の少女はその内容を知ったうえで行動しているに違いない、とキーナは思う。主観だ。


(……あの針鼠が彼女を監視しているのではなく、彼を彼女が見守っているのだと仮定したら、どうだろうか)


 年齢で立場は定まらない。聞いた限りラエルはハーミットより年下らしいが、彼女がどのような生き方をしてきたかはキーナには預かり知らぬことだ。


(…………)


「――ちょっと、大丈夫? キーナさん」

「へっ」


 気付けば長考してしまっていたらしい。灰髪の少年は俯いたまま固まっていた身体を起こし、先程問いを投げかけてきた黒髪の少女へと目を揺らす。


「答えたくないことなら答えなくていいの。個人的に興味があっただけだから」

「あ……」

「私も、会えるものなら会ってみたいとは思ってたのよ、勇者のこと。ほら、懸賞金がかかってるじゃない? 両親を買い戻せないかなって。実際は売られてないみたいなんだけど」

「……何の話? それは、ラエルさんの話?」

「そうよ。私、数か月前に売られかけてね」


 ラエルは淡々と言って水色の手袋を外す。虹の粉コンシーラーは遠目に見る分には傷痕を薄くしてくれるがこれだけ近距離だとどうだろうか。


 魔力を見ることができる目の良い人間には、通じない。

 キーナは今の今まで考えていた全てのことを思考から追い出さざるをえなかった。


 彼にとって傷痕というのは白魔術で塞がれて痕形もなくなった――肌の上にうっすらと見える治療痕の残滓のようなものであったからだ。


 黒髪の少女の両腕に刻まれた、治療しきれなかった赤黒い痣のような傷痕。

 溶けてぐずぐずになった皮膚がどうにかこうにか引き攣りを最小限に縫い合わされたその様に、少年は思わず手を伸ばし、取った。


 朝日が零れる教会の一席で、灰髪の少年は黒髪の少女の傷痕を隠した。


 ラエルは少年の行動に思わず目を丸くして腕を引っ込める。

 慌てて手袋を嵌め直した。


「ご、ごめんなさい。目に毒だったわね」

「……い、いいや。えっ……と……そうじゃ、ない」


 キーナは黄緑の目を見開いたまま、浮きかけていた腰を下ろす。


(恐怖感情がない、と言っていた。だとしたら、いま目の前にいる彼女が抱いている感情はなんだ? 不安? 焦り? いや、これは……負い目?)


 どちらにせよ「傷痕を見せることで嫌われるかもしれないことに対する」は、持ち合わせていないように見えた。


 彼女は恐らく、人間関係が壊れること自体に恐怖を抱かない。


(もしそうなら、一体どうやって――自分を制御してるっていうんだよ)


 灰髪の少年は、振り払われて宙に浮いていた手のひらを徐に引いた。


「……違う。痛そうだと思った、だけ」

「あっ、そうなの……。大丈夫、痛みはないの。浮島には腕のいい医者が――諱を把握できないせいで治せなかった! って患者の為に怒ってくれるような人がいるから」


 ラエルは笑って天井を見上げた。

 吊り下げられた小さなカンテラが橙色を灯している。


「情勢調査も理由だけれど――イシクブールに来たのは、攫われた両親を探すためなの。丁度この近辺で足取りが途絶えているのだけど。通行記録を洗っても中々情報が集まらなくって」

「……」

「ハーミットとノワールちゃんは、私のわがままに付き合って貰ってるだけなのよ。私の監視と、魔導王国のお仕事と、私の私情が、この町に集まってたっていうだけ。前にもほら、利害の一致だって説明したでしょう?」

「……」

「キーナさん?」


 キーナは腕に嵌めている木製リストバンドを眺めていた。

 回線硝子ラインビードロを搭載したそれは、彼が人族らしくあるための枷である。


「……ラエルさんは、両親のこと、好き?」

「ええ。何度も命を助けて貰っているし、私一人だったら生きて来られなかったと思うから」

「……そっか」


 キーナは呟く。


 ラエルがどのような生き方をしてきたのかは、灰髪の少年が知る由もない。これまで話しても名前が出ない故郷の話を語らせるには、相応の覚悟がいることなのだろうと思う。


 両親を捜すためだと、少女は言った。


 理不尽な待遇を身に染みて理解しているだろうに、それでも両親を諦められない。

 それが彼女の目的であるなら。成程確かに、イシクブールという町は眼中にないだろう。


 賊の襲撃予告があればそれを退けると言った。

 町の住民を巻き込むのはしのびないからだと言った。


 その言葉の何処までが本音かは分からない。分からないが。


(多分、彼女にとってこの町は通過点で。守るべきだと思うから守ろうとするだけで)


 だからラエル・イゥルポテーは――間違っても「勇者」ではない。


 灰髪の少年は、黒髪の少女の言葉に満足した。金縁の眼鏡を外す。

 黄緑の瞳ではなく、青灰の瞳で少女と相対する。


 人族と白き者エルフのダブル。スカルペッロ家の跡継ぎ候補。

 キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは、どうして勇者を探すのか。


「……僕は、嫌いだ」


 それが、理由である。







 ――西地区、竜の肋骨ドラゴン・コストラ


 栗髪ドレッドの二人組は、パツリと揃った前髪を揺らし鋸壁の縁に立っていた。白い石畳の上で膝を抱えてうずくまるカフス売りとは反対に、憑き物が落ちたような表情である。


「色々と納得いかないことも多いけど、飲み込めるだけ飲み込んで報告するぞ」

「親方さま……いえ、母様に報告してくるわ。蚤の市までは数日あったわよね」


 子どもたちの問いかけに対し、グリッタの隣にしゃがんでいた針鼠が相槌をうった。


「ああ。確か三日後――いや、実際は三日きってるかな」

「問題ない」

「問題なし」

「そっか。流石は『親方さま』に鍛えられてるだけあるね」

「……」

「……」

「どうかしたかな、まだ聞き足りないことがあったり?」


 針鼠の言葉にびくりと肩を震わせた用済みの商人には目もくれず、子どもたちは首を振る。

 栗色の髪は潮風に煽られてふわりと浮かんだ。


「……そうか。そんな恰好をしているから」

「……そうね。私たちにとっては鼠だけど」

「?」

「なんでもないよ」

「なんでもないわ」


 悪戯をしかけた悪童のように舌を出し、笑う。二人は鋸壁を北に歩いて行った。


 子どもたちが下に落ちないか内心ハラハラしていた針鼠は、昨日自分に特攻して来た身のこなしを思い出して要らぬ心配かも知れないと思い直し――それでも途中の階段を降りた背が見えなくなるまで待って、振り向いた。


 二度も自身の黒歴史を語った割には元気そうな成人男性の肩を、ポンポンと叩く。


「行ったよ。よかったね、蚤の市が終わるまでは見逃してくれるってさ」

「よかねぇよ!! っつーか坊主、てめぇあの子どもらが本気で子どもだって分かってて昨日みたいなあしらい方したってのか!? あいつら六歳だって!! あれで!?」

「刃物持ってる相手に中途半端な手加減は通用しないよ。俺があっさり死んだら同行してる彼女に悪いし、命に別状がない程度にことを収めるので精いっぱいだったんだ。その証拠に彼ら、痣一つも無かっただろう?」

「……昨日のあれ自体が、白魔術か回復薬を使われる前提の戦闘だったってのか」

「そりゃあもちろん」


 子どもたちにはイシクブールに起きている異変の件を伝えてある。

 例の「親方さま」の性格が六年前と変わらないなら、当日こちら側の加勢に入ってくれるか、子どもたちを引き留めるかしてくれるだろう。


 何はともあれ。商人にとっての敵を、町の味方に引き入れる試みは成功した。


「なぁ、役人さん」

「ハーミットでいいよグリッタさん。昨日も今日も、貴方の目の前でペタくんが俺を呼んじゃってるから、もう隠しようもないし」

「……じゃあ、ハーミットくん」

「くん」

「さっき流れで聞いちまった蚤の市の件はどうなんだ。周知させようと思えばここから叫べばいい話だと思うんだが」


 グリッタは苦笑いしながら鋸壁を指差す。

 ハーミットは防音魔法具を回収して後に肩を竦めた。


「それで済むなら、わざわざ俺たちに情報を回す役目をゆだねはしないだろうね」


 馬宿のピトロと、聖樹信仰教会のパルモ。


 町長が二人にだけ手紙を出したということは「信用できると判じたコミュニティにだけ情報を回してくれ」と遠回しに頼んでいるようなものである。


「まあそうだよな。幾ら閉鎖的で情報が回るのがすこぶる早いこのイシクブールでも、内部に賊の手が入ってるとしたら襲撃予告の内容すら反故にされかねない……で、大丈夫なのか。あの嬢ちゃんは。こういう時こそ着いててやらにゃならねぇんじゃねぇの」

「彼女自身はやる気満々ではあるけど、できるだけ戦闘させたくはないんだ。相手を無傷で捕縛するのを諦めなきゃいけなくなる可能性がある」

「……確認しておくが。人族なんだよな、あの娘」

「ははは。魔族と喧嘩するような人族は案外いるんだよ、グリッタさん」


 針鼠が乾いた笑いを返すと、カフス売りは一瞬顔をこわばらせて目を瞬かせた。


「いや、まさかとは思うんだが……あんた俺のことを巻き込もうとしてねぇか?」

「あははは。まさか! 丁度馬力のある腕っぷしの強い人材が足りないなとは思っていたけど、些細なことだよ。足りない分は俺が走り回ればいいし」

「……その腕でか?」


 グリッタの指摘に、口角を上げることで隠す針鼠。

 明言はしないが、革手袋は開いた襟元を閉じてしまった。


 注視しなければ気づけない程度だが、左腕が震えているように見える。


「そりゃあ、やらなきゃいけないからね」

「はぁーっ。見てられないな!!」


 隠すそぶりも無く大きなため息を吐き、グリッタは重たい腰を上げる。

 リュックサックを背負って、ピトロとペンタスが居る馬宿へと踵を返す。


「俺も手伝わせて貰うぞ。人の黒歴史吐かせておいて、手前てめぇの抱えた重みは持て余してるっつう馬鹿な役人が居るみたいだからな!!」

「それは助かる。百人力だ」

「は!?」

「あっ、もしかして十人力って言った方が正しかった……?」

「一言多いぞ、おい」

「ははは。冗談だよ――協力感謝します。ありがとう、グリッタさん!」

「うげっ、一瞬鳥肌が立ったんだが!? んだよその口調は!?」

「その反応は流石に傷つくんだけど」

「うっ……頼むからコロコロ言葉遣い変えるんじゃねぇよ、性格が掴み辛いじゃねぇか」

「残念ながら、根がこういう性格なんだなぁ」

「うげぇ」


 我ながら協力を申し出るのは悪手だったかもしれん……そう呟くグリッタと、針並みを撫でるハーミット。


 馬宿のピトロに状況説明を終えたペンタスと彼らが合流したのは、このやり取りから少し後の話である。




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