142枚目 「秘密と罰と」
「それじゃあ、説明をお願いしても構わないかな。ペタくん」
「はいっ! グリッタさんとハーミットさんも、昨日の今日ですから。お気をつけて……!」
手紙を託したペンタスと店主のピトロを馬宿に残して、針鼠は一度降りた階段を昇っていた。地元の人から話を聞くにせよ、状況を説明するにせよ、馬宿の彼女がどう動くにせよ――部外者であるハーミット・ヘッジホッグは邪魔になるだろうという判断である。
「ノワール、ペタくんについてて」
『です』
ラエルの監視を後回しに――どう転んでもあの黒髪の少女は逃げ出さないだろうといういびつな信頼の結果だが――ハーミットの肩に乗っていた蝙蝠は飛び立ち、談笑する二人から少し離れた位置に降り立った。
陸橋に上り、白い石積みの鋸壁に背を預けた少年は伸びをする。
ここは
カフス売りのグリッタは状況が読めない様子で、もみあげを弄る。
「折り入って話があるって。何だ?」
「うん。状況を説明して欲しいというか、ね」
「脅迫状の件なら、ついさっきピトロから聞いたばかりなんだが。俺は何も知らんぞ」
「あはは。グリッタさん、脅迫状の件を聞かれると思って俺についてきたの?」
針鼠の頭が右に傾く。
黒い硝子玉と目が合う――合った気に、させられる。
「違うよね」
針鼠はコートの襟を開く。薄桃色の地肌に朱色の薄い唇。
肌の色が薄いのは、常日頃から日焼けなどと縁がない環境に居る証拠でもある。
カフス売りは口元を晒した少年の姿を見るのは初めてではない。西
その三度とも、この少年はグリッタに気を許していたことはない。
「……」
グリッタは口を噤む。
とはいえ、このまま沈黙を続けることも難しい。足を捻る覚悟で飛び降りることもできなくはないが、東
(撒ける気がしないな)
「……役人さんよぅ。あんたはこの肋骨の上で人が襲われない理由を知ってるか」
「白を汚したくないから、だっけ? パンフレットにはそういう風に書いてあったね」
「ああ、それもあると思うがな。単純に、声が下まで響くんだよ」
逸れた話題に目を細め、グリッタは石だたみにできた影で遊ぶ。
「観光客の声、子どもの声、商人の声――肋骨の上で行われたやり取りは、住民の耳に少なからず入るように設計されてるんだ。住宅の密集率が高いのも理由だが、見張りが敵襲に気付いた際に、住民の避難が滞りなく行えるという利点がある」
「なるほど。風系統魔術を組み合わせれば音を届けることも拾うこともできる。肋骨という呼び方の通り他方に登り口と見せかけた支柱が幾つも通っているのは、中央の通路が折られた時に総崩れするのを防ぐためかな」
「ああ」
「グリッタさん。どうして今、そんな話をしたのかな」
「ここで俺が『魔導王国の役人に襲われる』って叫んで逃げたら、どんな反応するのかと思ってな」
カフス売りはそう言って、皮肉交じりの笑みを少年に向ける。
針鼠はその言葉に少し驚いて。それから笑った。
笑う。
「!?」
「ははは。いやぁ、俺だって悩むことがあるんだよ。魔導王国で魔族を相手にするのも、第三で人族を相手にするのも。どっちも同じくらい難しいってね」
少年は呟く。会話が下に届くと承知のうえで。
「それでも俺は、できれば第三か第二がいいなと考えてるよ」
「……何が?」
「死ぬ場所」
絶句した商人に、にっこりと笑いかける針鼠。それはつまるところ、この町の誰に害されても文句を言わないという宣言と同義。
今ここでグリッタが彼を撒こうと、この町の住人が少年にどのような感情をぶつけようと関係ない。そう言いたいのだろう。
「うん。無理に問い詰めようと思った訳じゃない。できればグリッタさんの口から聞きたいと思っただけなんだよ。かといって襲われてるのを放置するのは俺が嫌だし、個人で調べて良いならそうさせてもらう」
「調べるって……おいおい、自分の仕事ほったらかして、ただの商人を調べるってかぁ? 役人の癖に暇なんだな」
「仕事はするよ。駆けずり回る役を部下に頼むだけさ」
そう言って、針鼠は
「はは。脅しか?」
「いいや、提案だよ。事情を俺だけに話すか、俺以外の人間にも探られたいか。どの道、これ以上放っておく訳にもいかないんだ――義賊の『親方さま』には、お世話になってるし」
「義賊ねぇ。昨日もそれ言ってたな。そのギゾクって誰だよ」
「えっ」
てっきり知っているものだと。そう言いながら少年は口にする。
イシクブールの住民には馴染みのある名前である。
「親方さま、っていうのはウィズリィさんのことだよ」
「……ウィズリィだって?」
「あ。ウィズリィさんは知ってるんだね」
「知ってるも何も、スカルペッロ家の長女さんだろうが」
ウィズリィ・スカルペッロ――レーテが針鼠に話していた、スカルペッロ家を飛び出して賊を名乗り出したという件の彼女のことである。
「どうして魔導王国の役人があいつのことを」
「浮島にカムメ肉を卸してくれてるからね。仕事相手として知ってる」
「仕事? 働くなんてくそくらえって叫んでたあいつが? 何で?」
「子どもが居るからじゃないかな?」
「こっ、子どもが!?」
肋骨の上から町に響き渡るカフス売りの叫び。
先程、発言は駄々漏れだと自分の口から言ったばかりだというのに。
反響する商人の声に耳を抑える針鼠は、最後の一撃を放つ。
「うん。六年前に産まれた子どもがいるはずだけど」
「……!!」
グリッタは少年の言葉に驚愕の表情を返し、苦い顔から青い顔になって、空を仰いでは項垂れ、最終的に鋸壁の影に頭を抱えて蹲ってしまった。
少年は男性の隣にしゃがみ込む。
「そんなに言いたくないなら、無理に聞くことはしないけど」
「どうせ調べるんだろ」
「うん」
「結局調べるんじゃねぇか」
「生憎、人を助けるのが生業――いや、悪癖だからね」
針鼠は困った様な笑みを浮かべ、グリッタに手を差し出す。
使い込まれた革手袋を視界に入れ、商人は観念してその腕をとった。
「……調べられるより俺が説明した方がいい……話す、話すからよ。そのかわり、防音魔法具とか持ってたりするか?」
「あるよ。尋問用だけど構わないか?」
「構わねぇっつうか、これすでに尋問と変わらねぇよ」
「そう? 一応出先だから、容赦はしてるつもりなんだけど」
「無自覚なのかよ……!」
黒髪をがしがしと掻き毟り、希望を抱いて流し見た肋骨の下ではピトロとペンタスが話題に花を咲かせている。どうやらこちらの会話を気にしているようには見えない。
「……手紙は届けられねぇし、友人の誘いは蹴らざるを得ねぇし、命を狙われるわ、魔導王国の役人に詰め寄られるわ……因果応報とはこのことかねぇ」
商人のぼやきは西地区に投げ込まれて消えた。
すでに起動済みの魔法具を針鼠が取り出すまで、あと三秒。
十分後。魔法具の効果時間が切れると同時に、針鼠は口を開く。
「うん。事情の半分はグリッタさんが悪い」
「ぐはあっ!!」
「吐血しても無駄だよ。それとも
「追い打ちをかけるんじゃねぇこの野郎……!!」
「グリッタさんの非が予想したより重かったから、こっちもどう判断したものか困ってるんだよ」
針鼠は針並みを撫でながら、商人の背後へ視線を移す。
「……ただ、あの二人にグリッタさんが疑われている件に関しては『白』だと思った。だからグリッタさんにはしっかり話をつけて欲しい」
「は、話?」
精神的に満身創痍になっているグリッタの背中に、小さな子どもの手のひらが二つ。
「おはよう」
「おはよう」
昨日針鼠に指摘された「挨拶」を済ませ、殺気立つ小柄な二人。
栗髪は昨日と変わらずドレッドヘアである。
「おはよう、二人共。呼び出しに応じてくれて感謝するよ」
「お前がわざわざ見晴らしのいいところにそいつを連れてきたから来ただけだぞ」
「ええ。貴方が見通しのいいところに連れて来たから見つけやすかったわ鼠さん」
「……は?」
「挨拶だぞ」
「挨拶して」
「お、おはよう」
「おはよう」
「おはよう」
もの凄く不本意そうに顔を歪めながら挨拶を済ませた子どもたちは、石畳に胡坐をかく大人二人を物珍し気に眺め、それからため息をついた。
針鼠は晒した口元でにこりと笑いかける。
「それじゃあ、第二ラウンドだよグリッタさん」
「へ」
「俺もいるから、この場でしっかり誤解を解いて。よろしく」
「えっ、心の準備が追いつかねぇんだがちょっと待っ――」
若干涙目になった商人の懇願を聞くことなく、防音魔術が再度発動する。
カフス売りはその後、しどろもどろになりながら尋問のような自白をさせられることになった。
針鼠はそれをニコニコと口だけ笑って聞いていた。
何が切っ掛けとは言わないが、少年にとって「女性を泣かせる男性」の存在は地雷であるからして。
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