141枚目 「馬宿のピトロ」
白き枝。白き葉。巡る根が運ぶのは豊かな土壌を支える魔力。
大陸に一本ずつあるとされている白木聖樹を信仰するのが、ノット教だ。
「第一大陸にある王国の国教で、人族の生活の中心。毎朝聖樹の香煙を浴びて祈りを捧げ、地に這う恵みに感謝し、生まれ落ちた事に感謝し、幹を太らせる養分に還る事に感謝する」
「ラエルさんって、ノット教の人?」
「昔はね。もう八年くらい前になるかしら」
「ふーん。今は? 魔導王国の所属なら、ポイニクス教か?」
「実はそれも違うのよねぇ」
白壁に挟まれた町を行く黒髪の少女と灰髪の少年。昨日と同じ組み合わせで東地区を歩いているのにはわけがある。
というのも、町長宅から出発しようとしたラエルとハーミットのことをキーナとペンタスが待ち構えていたのだ。そして、渋るキーナを横目にペンタスは昨日と同じ西地区へ行ってしまった。針鼠が慌てて追いかけたのは言うまでもない。
「ペタさん、大丈夫かしら。昨日の今日で西地区に行くなんて」
「さあな。……僕はあの黒
「親だから?」
「いや、僕が知らない事情ってやつがあるんだろう。大人じゃない僕には知らされてない何かがね」
大人は秘め事が多すぎる――キーナは言いながら帽子のつばを後頭部に回した。強い日差しに赤らんだうなじに影が落ちる。
イシクブール町長がラエルとハーミットに依頼したのは「お手紙」の配達だ。内容は今回届いた脅迫状の件に関するものだ。黒髪少女のポーチに収められた青い封蝋にはスカルペッロの家紋があしらわれていた。
「キーナさんはどこまで事情を把握しているの」
「この町で何かが起きているだろうことは知ってるけど、内容までは流石に知らないな。教えてくれるの?」
「町長さんが一緒に行っていいって判断したなら、届けるついでに説明した方がいいかもしれないと思って。私の判断で貴方に喋っていいものか迷うけれど」
「それはまあ、噂を辿るよりずっと明瞭でありがたいけどさ。大丈夫なわけ?」
「これで駄目なら、私じゃなくてハーミットが貴方と一緒に行動してると思うわ」
「……ハーミットさんは相当人望が厚いようだ」
金縁眼鏡の含みある言葉に眉を寄せ、ラエルは剣呑な面持ちで前を向く。ノット教の教会まではもうしばらく石畳を踏まなければならない。
キーナはラエルの様子を流し見て、何か想い至ったのか閉じかけていた口を開く。
「……昨日さ。夕方辺りに西地区でハーミットさんとグリッタさんを見かけたんだ。何か、得体のしれない子ども二人組に襲われててびっくりしたよ」
「え?」
昨日の夕方というと、ラエルは魔術訓練の真っ最中だった。スカルペッロ町長宅の庭からは町の様子が伺えないこともあって、ラエルは一連の異変に気がつかなかったのである。
足を止めた黒髪の少女に、灰髪の少年も同じようにする。
「意外。聞いてないんだなぁ。実はその乱闘に思わず横槍を入れちゃったんだ、僕とペタで」
白い町に花の鮮やかな色が映える路地裏。早朝ということもあってか、人の通りは殆どない。
黒髪の少女は相対する少年のつま先から頭のてっぺんまで流し見る。
「怪我……は、なさそうね」
「まあね。僕も立場上、厄介ごとに巻き込まれたことはあるし。あれぐらいは……まあ、横槍の突きどころが悪かったら、僕たちも被害をこうむってたかもしれないけどさ」
内カールのボブを指で弄んで、キーナは所在なさげに言う。
演技なのか本心なのか、いまいち読めない行動だが、一応反省はしているらしかった。
「……逃げられるぐらいなら、もっと香辛料足しておけばよかった」
「香辛料?」
「こっちの話。まあ、僕は貴方と同じぐらい生きてて、でも貴方とは違う人生を歩んできたから言わせて貰うけどさぁ――」
灰髪は振り向く。金縁の内側には色を変えた瞳が嵌め込まれている。
若葉に似た黄緑色が、紫の瞳と交差する。
ラエルの黒い瞳孔は殆ど微動だにしない。
少なくともあの針鼠に関する忠告や指摘など、言われなくても身に染みていると言わんばかりで――少なくともその認識に、他者の介入を許す隙は見られない。
分かっていることを繰り返されても苦笑しか返すものがない。
そう言いたげな顔をしている。
キーナは上げていた口角を降ろすと不満げに口を尖らせた。
「……やっぱ辞めた。ラエルさん、あの四天王がどれだけ無茶する人間か知ってて隣にいるんだな。それを理解した上で一緒に仕事をしてるんだ?」
「まさか。あくまでも利害の一致っていうだけよ。理解なんてしようとしても無理」
「はぁ」
普通は揺さぶれば揺さぶる程に「ぶれる」ものが、この少女はぶれないらしい。
(いや、前提として「ぶれるもの」がない可能性もあるのか。それだけ強固な信頼感を抱いているということだろうけど。何だろうなぁ、この違和感は)
彼女はどうやら人とは違う。ラエル・イゥルポテーには何かが足りないような気がする。
キーナは自問自答する。ペンタスと交わした賭けの内容を思い出す。
(彼女の方が「当たり」だったりするのか?)
勘は割といい方だったが、真実からは一歩遠ざかった。
キーナはそのことに気づくよしもない。
「ともかく、次に彼と話すときにでも聞くと良いよ。あの人、気丈に振る舞ってはいるけど腕を痛めているみたいだったし。医者の
「ありがとう。丁度いい機会だし、サプライズにするのもいいわね」
「……サプライズ?」
「あはは。こっちの話よ」
そっくりそのまま返して、黒髪の少女は視線を正面に戻す。
町の中央にある竜の彫刻を三分の一スケールに縮めたような骨竜の像。
サークル型の階段を上った先に、住宅に紛れ、木目の重たげな扉がある。
高い塔の上で、青銅の鐘が静かに揺れている。時報が町に響き渡る。
白い石壁に掘られたレリーフは蔦柄。掲げられたシンボルは聖樹を模ったもの。
ノット教の教会は整然とそこにある。
馬の身体にブラシをかけながら汗を流す男性に、背後から近づく影が一人。
「おはおはー! カフス売り。馬の調子を見に来たの?」
「……ん。おお、流石に早起きだなぁピトロさん」
そんなとこだよ。と呟くカフス売り――グリッタはもみあげを弄る。
ピトロと呼ばれた女性は土埃に汚れた頬を拭くと、手にしていた桶を地面に置いた。中には井戸から汲まれたらしい水が入っている。映り込んだ髪は日に焼けた黒色だった。
「そりゃあもう、生き物の世話は二十四時間体制だからね。あんただって自分の馬と旅をする時にゃ、毛並みを整えてやったり餌場や水場を探したりするもんだろ。普通さ普通」
「まあな。朝っぱらから舐め起こされて川まで連れていかれるのがざらだもんなぁ」
「それはあんたが不摂生過ぎるだけなんじゃないの」
「そうかぁ?」
グリッタの腕に、撫でるよう催促する黒曜馬。
驚いたように苦笑しつつも、彼は角を避けながらその首筋を撫でてやった。
「イシクブールに来たのも随分と久しぶりだしな。ピトロが馬宿を続けてくれていてよかった」
「そりゃあな。なかなか馬に蹴られないなんて、あたしの天職みたいなもんだし」
あんたの馬は相応に手こずったけどな? と、ピトロは伸びた前髪を梳いた。
右目は髪の下に隠れてしまって見えないが、左目はきりりとつった男性的な三白眼――しかし、そのふくよかな胸元を視界に入れさえすれば、女性であることは一目瞭然である。
グリッタは眉間に皺を寄せながら視線を逸らした。
「しかし、どうしてこんなに期間が開いたかね? あんたが最後にこの町に来てから、しー、ごー……六年なるか、ならないかだろう? その間も第三大陸に来てるっていう噂だけは届いていたんだ。どうしてイシクブールに来なかった?」
「あぁいや……この町に足を踏み入れるのは、リスクが高くてだな……」
「はぁ? リスク?」
「わっ、馬鹿、大声出してくれるなっ」
素早く身構えたグリッタだが、誰かが襲い掛かって来る気配はない。
ほっと胸を撫で下ろすカフス売りの姿に、馬宿のピトロはきょとんと目を丸くした。
「何。あんた、この町の店で何かくすねでもしたわけ?」
「盗みなんてした覚えはねぇんだが。いやなぁ、この六年で色々あってなぁ」
「ふぅん、まあ深くは聞かないけど。前に言ったように、この馬は手放すんだろう?」
「おう。そろそろ町を出ることになりそうだから、最後に会っておこうと思ってだな」
未練がましく撫ぜる指に、馬がすり寄った。グリッタは笑いながらその毛並みを整える。
(黒曜馬に懐かれるなんて、相当大事にしていただろうに。よっぽど金欠なのかね)
ピトロからしてみればここまで懐いた馬を手放すグリッタの事情が気になるところである。しかし、彼女は詮索することを良しとはしなかった。
友人として、その間に引かれた線をこえることはしない。
「あたしは構わないけどさぁ。ここに長居してたら、ちょいと面倒なお人と会うことになるかもしれないよ」
「面倒な人? そりゃまたどうして」
「聞いてないの? なぁんか最近は情報回るの遅いねぇ――今朝、ノットの教会に脅迫状が届いたんだってさ。それが盗賊からだって言うんだよこれが!」
「はぁ?」
珍しく焦りと怒気をはらんだ声が零れる。馬が反応してグリッタの肩をゆする。
はっとしたように口を押さえ、カフス売りはやれやれと額のバンダナを握った。
「すまん。……それで?」
「うん。その関連で今から
「あー、それなら問題ないかもしれん」
「えぇ? 魔導王国の人間だぞ、あんた魔族嫌いだって言ってたじゃん」
「いや……多分、魔族ですらないと思うぞ……」
「魔族も獣人も同じだろう。何を根拠に――あっ、噂をすればペンタスじゃん! おはおはー!」
頭上にかかる「肋骨」から降りてきた獣人の青年に溌溂と声をかけるピトロ。
見慣れた住人であるペンタスの隣には、昨日ぶりの顔があった。
鼠顔を被った、頭のてっぺんから背中にかけて棘だらけのコートを着た少年である。
「ん? なんだぁ、昨日きた獣人も一緒かぁ。物好きだなー」
「……獣人、ねぇ」
「?」
「いや、大したもんだよ本当」
カフス売りは急ぐ様子も無くピトロの横に立つと、ひらひらと手を振って見せた。
それを見たペンタスは嬉しそうに目を輝かせ――針鼠の少年はというと、硝子の瞳からは何も読み取ることができなかった。
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