140枚目 「キャロと白芋のスープ」
砂の音がする。風が鳴く音がする。
(ああ、夢だ)
自覚するのに時間はかからない。浮島で過ごすようになってから短く切り揃えているはずの爪が長いのだ。
足元には白い砂が敷き詰められ、周囲には砂丘以外に何もない。延々と続く丘陵は第三大陸の草原を彷彿とさせるが、ここには草の一本も生えてはいなかった。
日に焼けた浅黒い肌。強い日差しに焼かれ、凍える風に晒され、
(……それにしても、風が鳴るばかりで生き物の気配がないというか)
夢とはいえ、空に鳥の影ぐらいはあっていいように思う。
自分の想像力が足りないのだろうか。と考えて脳裏をよぎったのは昼間に魔術を教わった使用人の言葉だった。
白い髪に黄色い瞳。主人であるレーテとそう変わらないサスペンダー付きの白シャツ姿。
ネオン。といっていたか。彼に、同じようなことを言われたのである。
(魔力の流れを意識して、編んだ糸を望みの形に近づける。イメージ、イメージねぇ)
思い返してみれば、始めて『
思い出そうとする。
靄がかかったようで、どうにもうまく想起できない。
(でも、黒魔術は)
その力は、壊すと決めたものと、殺すと決めた生き物にのみ向けるべき――。
『きぃぇええええええ!!』
「うわぁ!?」
耳をつんざく奇声に飛び起きてみれば、枕元に蝙蝠が留まっていた。
普段はこう大音量の鳴き声を聞くこともないのだが (コミュニケーションは
絡んだ黒髪を左手に引っ掛けたお蔭で頭皮が軋む。
「お、おはようノワールちゃん。もしかして私、やらかしたかしら?」
『別にやらかしてはいないですが、朝食ができたといえば理解できるです?』
――寝坊である。
黒魔術士の部屋から上がった叫び声に調理場に立っていた金髪少年が顔を上げた。
木製のお玉で陶器の器に注ぐのは、キャロの根と白芋をコトコト煮込んだスープである。
「うーん。清々しい朝だ」
『……昨日も碌に寝れていない人が何をほざくです』
「それ、彼女には秘密にしててくれよ?」
『ラエルー。この四天王全然寝てくれないから困るですー』
「ちょっ」
『冗談です。少しは肝が冷えましたか』
ばさばさ羽音をたてて舞い降りたテーブルには、ノワール用の食事が用意されている。魔術式が刻まれた固形飼料を飲み込んで、それからデザートのアプルに噛みついた。
「おはようごめんなさいそしておいしそうな匂いがするわね!!」
「ははは、おはよう。元気そうで良かった」
身支度を整えて出てきたラエルは、まだ湿り気の残る髪を指でつまんでは苦い顔をする。乾燥室の使用時間が少し短かったようだ。黒髪は妥協と共にリリアンで結び留められた。
(……本当、器用に髪結ぶよなぁ)
ぼんやりと考えながらハーミットは食事をよそった器や食器をラエルの席に置いて、それから自分の分の用意にとりかかる。ラエルは調理場に戻った少年の横に立つ。
「何か、手伝えることあるかしら」
「ん? あぁ……えっと。食べて後に一つ頼みごとがあるかな」
「違うわよ仕事じゃなくて料理。盛りつけとか、飲み物とかあるでしょう」
金髪少年は琥珀の目を瞬かせると部屋を見回す。
テーブルの上に何かが足りないと思えば、飲み物を用意していなかった。何ならこの金髪少年、夜中に呑んだコーフィー一杯の後は一切水分を摂取していない。
「じゃあ、お茶でも水でもいいから飲み物の用意を頼もうかな」
「任せて。とびっきり目が覚めるお茶を知ってるの」
そう言ってラエルが見慣れた茶葉缶を手にした時、ポフのドアノッカーが四回打ち鳴らされた。
全ての行動を一時停止して、少年少女と蝙蝠は顔を見合わせる。
二人と一匹が寝起きしているポータブルハウスは、イシクブール町長夫妻宅の庭に建っている。昨日レーテがパンを差し入れてくれたことを考えても、訪ねて来るような人間は彼ら以外居ないだろう。
ラエルは壁にかけていた灰色のケープを羽織り、少年は鼠顔を被る。
黒のタートルネック姿のまま、扉の向こうを確認した彼は玄関の扉を開けた。
「――はい。おはようございます、レーテさん」
「あ、あぁ。おはようハーミットくん」
ドアノッカーを鳴らしたのは、先日と同じくレーテ・スカルペッロだった。昨日と違うのは、柔和な笑みの内側に口の端が歪んでしまうほどの焦りが伺えるところだろうか。
「……何かあったんですね、分かりました。支度に五分頂いても構いませんか?」
「構わないよ。済まないね」
「いいえ」
それだけを告げて一度扉を閉じる。
振り向いて、一部始終を見ていた黒髪の少女に指示を出す。
「よし。二分で食べて一分で飲んで、支度を済ませて出ることにしようか」
文字通り二分で食べて一分で飲んで支度を済ませてポフを出るまでに、五分かかった。
正確にはラエルが三十秒オーバーしたのだが、寝起きにしてはよくやった方だと少年は笑った。鼠顔を被る際の琥珀は濁って笑みどころではなかったのだけど。
「今朝、町の南にある教会に脅迫状が届きました」
草刈りでさっぱりした庭を背景に、机を挟んだ向こうに腰を落ち着けたイシクブール町長――スカリィは青い瞳を細めることなく針鼠に向けた。
始めて会った日と変わることなく旦那の膝上に腰掛ける彼女は、白く染めた爪先をパステルブラウンの訪問着に揃えている。
「第一発足の盗賊同盟、
「要求の内容は?」
「それが、奇怪なものでして」
スカリィは何故か、黒髪の少女に目を向ける。
ラエルは人差し指を自分に向けて首を傾げた。町長は頷く。
「紫色の目をした黒髪の女を差し出せ、さもなくば蚤の市を襲撃する。と」
「……」
「疑う訳ではありませんが、私はこの町を守る立場にあります。故に詳細な説明を求めます」
成程。そういうつながりか――納得したのは針鼠だけで、その場の誰もが暗い面持ちだった。いや、恐怖感情を持たないラエルに限っては「厄介ごとを持ち込んだ申し訳なさ」の方が先にたってしまったようだが。
「これって、二か月前のアレが原因よね」
「だね。十中八九それだと思うよ」
「あの変態絵描き、何してくれちゃってるのよ……」
二か月前といえば、魔導王国がセンチュアリッジ島を使って大規模な人売り捕縛作戦を実行した時期であると同時に、ラエルが白砂漠から連れ出された時期である。
ラエルが初めに乗っていた馬車を襲撃したのは浮島を脅かした罪で逃走中のスターリング・パーカーだが――表向きに誰が犯人なのかは明かされていない。
あの場に居合わせたラエルのことを外聞的に知っている人間が彼女を指すなら「紫色の目」、「黒髪の女」というような外見的特徴が独り歩きするのは当然のことだ。そして、ラエルを運んだという雇われの所属先が
彼らが第三大陸に進出しようとしていた「第一大陸発祥の賊」であったとしても矛盾はない。
犯人を知らない彼らが「構成員を殺したのは攫って来た少女だ」と思うのも仕方がない。
少女が白砂漠のパリーゼデルヴィンド君主国出身であること、浮島を襲撃した時魔術使いと馬車襲撃の犯人が同一人物であることは伏せられたが、この二か月にあった出来事の概要を町長らに説明すると、夫妻は黒髪の少女と針鼠を何度も見比べながら苦い顔をした。
受けたとばっちりの内容には少なからず理解を得られたようである。
レーテはスカリィの背中越しに「ふむ」と唸った。
「二か月前に北西部で襲われた荷馬車はそもそもが商人のふりをした盗賊だったということか……ようやく合点がいったよ」
「といいますと」
「その殺人事件の調査結果を貰った時、荷馬車に積まれていたという商材の内容がやけに禁忌特産ばかりだったからね。商人にもルールを守らない人間は居るが、禁忌特産ばかり積んでいるというのも変だと思っていたんだ」
「拠点を作る資金を調達するのに禁忌特産を売りさばくのは、賊の常套手段ですものね」
スカリィは溜め息をつく。何だか身に覚えがあるような言い方だ。
「ハーミット、もしそうならイシクブールに滞在するのは辞めた方がいいんじゃないかしら。町の外で野営しましょうよ」
「きょ、極端だなぁ」
「町の人に怪我させたくないのよ。浮島みたいに大多数が軍人というわけじゃあないでしょう」
ラエルが言う通り、町の中で乱闘が起きかねないこの状況は不味いものがある。
一般人を守りながらの戦闘は危険すぎるからだ。町長もその言葉には首肯した。
「確かに、この町は外からの攻撃には強くても内側が軟弱ですからね。町の外で乱闘が起きるならともかく、町の中で起こったら洒落になりません――が、抵抗するなとも書かれていません。なので対策を講じます。魔導王国の役人さんが力になってくださると、とても助かりますわ」
町から追い出すことはしない。と暗に告げるスカリィにレーテが同意の相槌をうつ。
不安げな面持ちでハーミットに判断を任せることにしたラエルは、針鼠の言葉を待つ。
数秒の沈黙。針鼠は僅かに顔を上げる。
「私たちに、力になれることはありますか」
「ええ、あります」
即答したスカリィは青い瞳を輝かせ、それから笑みを浮かべる。
「後回しにしていた貴方たちの聴取を今日にでも行いたいところですが……時は金なり。まずは、教会と馬宿に『こちら』を届けていただきたいです」
細い指に挟まれた、一通の封筒。
封蝋には鑿と鎚の封蝋が捺されていた。
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