139枚目 「薄明と剪定ばさみ」
西日が町を焼く。白い壁に灯るカンテラの橙が相まって熟れたトマの実のようだ。
鼠顔はその中に黒い影を落とす。
西地区を駆け回る子どもたちに一声かけ、当たり障りない質問と不審な馬車について何か知らないか聞いてみたものの。やはりこれといった情報は集まらなかった。
黒毛の獣人と話し込んでしまったのも原因だろうが、目撃情報を集めるには事前知識が少なすぎるのだ。初心に戻って、いちから洗い直す必要がありそうだった。
(それにしたって……)
ハーミットは鼠顔の下、眉間に皺を寄せる。
提出された通行記録の違和感、キーナが勇者を探す理由、ペンタスがグリッタに投げさせた質問の意味、そして商人グリッタがあの子どもたちに狙われる理由――。
(トラブルがごった煮な予感がするな……)
「おっと、お疲れ様だね。ハーミットくん」
「レーテさん」
悩み顔の針鼠を出迎えたのは、昨日に引き続き庭の木の剪定をしていたレーテだった。
赤茶の髪は、夕焼けに当てられて血のように赤い。
「調査の進みはどうだい?」
「ぼちぼちですね。ですが、初日ということもありますから」
「そうかい」
剪定ばさみを腰に提げ、立てかけていた梯子を畳むレーテ。
先日もそうだが、多分この人は自分が帰って来るのを待っていたのだろう。枝が一本も石畳に落ちていないことが全てを物語っている。
(腹の底は知れないけど、もの凄く気を遣われていることだけは分かるんだよな)
四天王の立場がそうさせているのか、レーテやスカリィが元来そのような気質なのか。
戦時と全く変わらない彼らの振る舞いはハーミットの目に眩しく映っていた。
「――ああそうだハーミットくん。少し時間を頂けるかい? 報告があるんだ」
梯子を片付けたレーテはそう引き留めた。
手招きされるまま、針鼠は邸宅の中に案内される。スカリィは別室に居るらしい。お茶と菓子を使用人に手配させて後、錆色の瞳が細められた。
「……報告とは?」
「一つは馬車の件に関してだよ。この町に入ったっきり出て行かなかった馬車があったかどうか、が知りたかったんだろう?」
「はい」
「私もここ数カ月気になっていることがあってね。こちらが独自にまとめた一覧表だ。もしよければ参考程度に参照してくれ。資料を再提出する手はずも整っている」
そう言って右手を向けた方向には、今朝返却したばかりの資料の山がまとめられている。
驚きを隠そうとしない少年の態度にレーテは苦笑を返した。
「今朝資料を返却して貰った時、調べ足りないという顔をしていたからね。期限は特に指定しないから存分に調べるといい。私たちとしても、この町の潔白を証明しなければいけないからね」
「ご協力感謝します」
「おっと、頭は下げないでくれよ。今から君には無茶ぶりをしなければならないからね」
「……無茶ぶり、ですか」
「ああ。君の得意分野でないことを祈っているんだが」
「?」
得意分野でないことを祈る、とは。
疑問符と共に上がった鼠顔の前に置かれたのは――妙に見覚えがある瓶だった。
中には何も入っていない。
「魔法瓶、ですか」
「そう、魔法瓶。君が東
「……情報を少しでも引き出したいと?」
「いいや。実のところ情報の獲得は二の次なんだ――というのも彼らの中で一人だけ、頑なに食事を摂らない構成員が居るらしい。日に日に賊たちは緊張感を増しているし、これ以上鬱憤を貯めさせるのもよろしくない」
ごとん。
音を立てて置かれた瓶を一瞥して、針鼠はレーテと目を合わせた。
錆色に赤い眼はにこりと会釈する。
「――君ならどうにかできると思っての頼みだ。仕事でそれどころではないと重々承知してはいるつもりだが……引き受けてはもらえないだろうか?」
「分かりました。尋問ならともかく、そういうことであれば断る理由はありません。ベリシードさんの魔法具を試運転させてもらったお題だと思えば安いものです」
即答したハーミットの姿勢にレーテは目を瞬かせ、それから笑う。
「ああ、よかった。助かるよ」
それは安堵の声音だった。鼠頭は、その意味を量りかねた。
結局、昼間に西地区で襲撃されたことは口にできないまま。
再度提出された資料を胸に帰宅したハーミット・ヘッジホッグは、ポフの玄関を開けるなり倒れ伏していたラエル・イゥルポテーにつまづきそうになった。
息が詰まる。
纏められたままの黒髪と、よれたワンピース。露出部分の外傷は見られない。
数秒観察してどうやら寝ているだけなのだと分かると、少年は一人息を吐いた。
「ラエル、ただいまー」
「……ぐぅ」
「うーん、起きないかぁ」
仕方がない。とぼやいて黄土色のコートと鼠頭を床に置くと、ハーミットはラエルをひょいと横抱きにして、昨日したのと同じように彼女の部屋の扉を開けた。ベッドへ寝かせる前に浄化魔術でもかけられればいいのだが、生憎彼には魔法が使えない。
張り直したシーツの上に脱力した少女を横たえて、少年はリビングへと戻る。
床に置いたコートを拾い上げて浄化装置に突っ込んだところで、欄干に猛禽の足が降りた。
『戻りましたです』
「お帰りノワール。今日も一日助かったよ」
ねぎらいの言葉をかけながら喉を撫でると、蝙蝠は不機嫌そうに目を細めた。
『西地区で暴れてた人が何を言っているんだか……こっちは資料室勤務と似たようなものですから気にしないで下さいです。それより、廊下で寝落ちた黒魔術士はどうしたです』
「彼女の部屋に転がして来たよ」
『転がして』
汗ばんだ金髪を指で梳きながら新しい服を用意し、バスタオルを腕に抱える。
どうやらシャワーでも浴びるつもりらしい。
『聞き取りの調子はどうです』
「……はっきり言ってペースは良くないな。明日の午前は資料を読み直すのに使おうと思ってるよ」
『です』
飴の様な黒い瞳を歪め、皮膜を舌でつつく蝙蝠。
次はノワールが報告をする番だ。
『ラエルは魔術の基礎から頑張っていたです。スカルペッロ夫妻が用意した家庭教師役が呆然とする程度には、基礎のキの字から指導を受けていたです』
「基礎?」
『ええ。というより、彼女はしっかりとした教育を受けたことがなかったらしく。両親から習ったという魔術の経験は穴だらけ、これまで付け焼刃の知識で生きてきたみたいです』
「……それが、彼女が魔術を暴発させる理由の根っこだったりするのかな」
『まだはっきりとは言えませんが、経験不足故の発現イメージの欠けが暴発と関連している可能性は非常に高いです』
ハーミットは顔を俯ける。
ラエルがストレンとの喧嘩で『
(というか、ラエルの魔術の使い方は根本的に……違和感があるんだけど――)
「ネオンさんの訓練自体に異常はなかったんだよね?」
『です。至って真面目な家庭教師をしていたです』
「そうか。それならスカリィさんの提案通り、ラエルには午後を魔術訓練にあててもらおうかな――ノワール、明日もラエルについてもらっても構わないか?」
『誰に言ってるです。仕事ですから言われなくてもやるです。そっちこそ、面倒ごとに巻き込まれないよう気をしっかり持つです』
「……ありがとう。宜しく頼むよ」
金髪少年は言って、バスルームの扉をくぐる。
手袋を外し、服と腕に巻いた包帯とを取り払って、温い大粒のシャワーに頭を突っ込む。
目を閉じた。
全身を隆々と滑り落ちた流れが
細身を形成する筋肉質な体躯に、何度も切って剥がされたような痕が点々とある両腕。
切り傷の痕が散らばった両足。右胸に一際深い刺し傷の痕が、背中まで通っている。
数えきれないほど豆を潰した両手は、端麗な顔つきからは想像の及ばない泥臭い剣士のものだった。
(アネモネの『
人族のラエルが、魔族が使った魔術を「見た通り」に発現しようと試みたなら。
それは暴発するに決まっている。人族と魔族が使う魔術の規模と威力にはそれだけの差がある。
(だけど、魔術のイメージ元に関する経験が足りないことが暴発の原因だというなら――魔術書を読んで覚えた魔術を土壇場で使えるのはどういう理屈だ?)
見たことのない魔術を土壇場で使用できる――それは、書籍の中に綴られた魔術発現のイメージを脳内補完できているからこそ成せる技じゃあなかろうか。
そして、もしそれが「真」だと仮定したとして。
(……ラエルにそれだけの魔術センスがあったとして。どうして彼女の両親は、真っ当に魔術を教えることをしなかったんだろうか)
ハーミットは目を開け、湯を止める。
手のひらについた爪の痕をなぞる。
浮島でカルツェの棍を受けた打撲はまだしも、草原で受けた矢傷は未だ癒えない。
昼間に受けた痺れ毒も、今は効果が切れているだろうと高をくくっていた。
血がにじんだ右腕は静かに震えていた。
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