138枚目 「欺く記憶と彫刻士」


「……」

「……」


 しばらくの沈黙の後、投擲するために構えていたナイフを降ろした針鼠は口を開く。


「……何してるんですか……」

「……ぶら下がっているだけだよ。君が来たことで死にきれなくてね」


 寸前のところで首を引き抜いた獣人は、梁に括った輪っかに両手をひっかけてぶらぶらと懸垂していた。けだるそうな雰囲気とは裏腹に、殺気混じりの両目が針鼠に向けられる。


「べぇ……何の用だ。先程ペタと居たところを見ると、アレと大分仲良くなったみたいだが。魔導王国の人間が無名彫刻士の私に何の用件があるというんだ」

「そのペタくんに遠回しに頼まれて、私はここに来たんですが」

「ペタに?」

「はい。ですが本題に入らせて貰う前にひとつ、お願いがあります」


 魔導王国四天王「強欲」は、茶色の革手袋でハサミを形作る。


「天井のそれ、切らせてください」







 一方そのころ、町長宅の庭。


 黒髪を一つに纏めたラエルは庭の真ん中に一人で立ち尽くしていた。

 手に握られているのは文字の羅列が刻まれた用紙で、どうやら魔術に関する文言らしい。


「ラエルさん。魔術の定義は分かりますか?」

「……複雑な魔法を一般人も使用できる様に『詠唱』で発現内容を固定したもの……よね」

「はい。その通りです」


 隣には懐中時計を手に瞬きをする白髪の使用人の姿。

 黒髪の少女の顔色はあまりよろしくない。


 そもそも、何故イシクブールの町長は調査の条件として「ラエル・イゥルポテーの午後を魔術訓練にあてさせる」ことを提案したのだろうか――ラエルには得にしかならない申し出ではあったが、まさか学ぶ事になるとも思わなかった。


 そして魔術の指導を行うのは、町長でも町長の旦那でもない。

 スカルペッロ家専属の使用人――白き者エルフのネオンである。


「それでは、その魔術紙スクロールに記述されている下級魔術の定義を読み上げてみましょうか」

「……か、下級魔術とは。成人した人族の平均魔力値の三分の二までで発現可能な、低出力の魔術を指す。汎用五属ごとの代表的な初級魔術には『土人形ゴーレム』、『霧飛沫スプレッド』、『点火アンツ』などがある……」


 因みに風魔術や雷魔術には初級という概念がなく、発動には中級以上の魔力消費が求められる。ラエルがよく使う『霹靂フルミネート』が中級扱いなのもこのせいだ。


「読めましたね。理解はできましたか?」

「え、ええ。理解はできているわネオンさん。でもね、私には貴方が少しも笑っているように見えないの。どうしてか教えてもらえるかしら?」

「それは貴方が専門職として魔術を扱う立場であるにも関わらず魔術の基礎の『き』の字も理解なされていなかったからですよ? さあ、続けましょう」


(ハーミットの魔術指導は大概だったけれど……この人はこの人で癖が強いわ……)


「まずは教科書通りに魔術を使ってみるところからです。読み上げて頂いた範囲で、使用できる魔術を使って見せて下さい」

「えっ。いいの? 確実に暴発するわよ」

「どうして暴発が前提なんです?」

「暴発は結果であって暴発させたいわけじゃないのだけど、初級魔術はほぼ暴発するわ」

何故なにゆえに?」

「分かっていたら苦労しないわ」


 黒髪の少女の反応に、優し気な表情のまま眉間に皺が入るネオン。

 ラエルだって好きで魔術を暴発させているわけではないのだが、説明したところで理解してもらえるだろうか。


 ラエルは「魔力導線が人より細い」こと、「長年酷使した魔力導線が傷んでいるだろう」こと、「魔力動線の細さに対して人族にしては魔力量が多い体質で、出力調整がうまくいかない」こと、「以前は内在魔力の一部が外部に染み出ていた」ことなど。分かっている暴発の原因らしきことを改めて伝えた。


 ネオンはそれらを興味深く聞いて。何か思いついたのかニコリとした。


「分かりました。暴発しても構いませんので、お好きな初級魔術を一つ発現させて下さい」

「それはいいけれど……」


 黒髪の少女は助けを求めるように視線を逸らす。逸らした先に居るのは、影になったバルコニーでお茶をする町長とその旦那だ。魔術訓練を提案したスカリィの青い瞳と、レーテの赤い瞳が、不安げなラエルに満面の笑みを向ける。


(魔導王国から来た魔術士が、自分の家の庭で今から魔術を暴発させるって宣言しているのに、彼らはなんて涼しい顔をしているんだろう……)


 大人の余裕とはこの事だろうか。

 それとも使用人ネオンを含めた三人が異常なのか。


 悩んでも仕方がない。ラエルはようやく詠唱の構えをとった。

 身体の中の魔力子を操作する。指先に集め、射出方向は人的被害の出ない空に。


「『点火アンツ』」


 ばしゅっ――天高く昇る火の光。


 草刈りの際に一度目撃している町長夫妻の反応は薄かったが、至近距離で一部始終を目撃したネオンはポカンと口を半開きにさせて、それからラエルに発現を止めるよう合図を出す。


 ラエルは指示通り、それなりに努力して魔力の流れを断ち切ると水色の手袋についた僅かな煤を叩き落しながら使用人の方を向き直った。


「ラエルさん。今の魔術は『点火アンツ』ですか?」

「……ええ。でも、本来の『点火アンツ』と発現内容が全く違うことは知っているわ。普通はこんなに出力の高い火の帯なんて形成されない筈だものね」

? 筈とおっしゃいました?」

「ええ」

「もしや貴女は『点火アンツ』という魔術を、直に目にしたことがないのでは?」

「……ええ? あはは。まさかそんな筈は――」


 そんな筈は?

 ラエルは回答を躊躇った。


 彼女が砂漠で生き抜くために必死になって習得したのは『霹靂フルミネート』である。その中級魔術を習得するまで、できる限りすっ飛ばした過程の中には確かに火魔術が含まれていた筈だ――火魔法が含まれていた筈である。


 筈である。


「ちょっとまって、ネオンさん。私も混乱して来たわ」

「私もです。ラエルさんがどういう環境で魔術を習得するに至ったのかは想像がつきませんが、まさか魔術書を片っ端から読んで、自分で試して習得したつもりになっていたなんてことは……ありませんよね?」

「…………」


 沈黙が答えである。

 ラエル・イゥルポテーはすっかり忘れていた。


 母親から手取り足取り教えてもらった黒魔術は後にも先にも『霹靂フルミネート』のみだ。残りは魔術書を課題として渡され、それを独学で引いていた。

 記憶に刻んだ魔術の数は多くとも、慣れない黒魔術の発現に手間取るのは使


「……ないわ。記憶にない。魔導王国でも、故郷でも。私、自分の『点火アンツ』しか見たことない……かも」


 見たことがない魔術を使用して、上手くいかないのは当然である。それで成功するのは天才だけだ――ネオンは顎の下に添えていた手を放し、ラエルの手を取った。表情は真剣そのものである。なんなら鬼気迫っている。


「分かりました。いちからしっかりやりましょう。何なら初等教育からやりましょう。今のままでは危険すぎるし勿体無さ過ぎます。必要な指導書を用意しますので、一度休憩を挟みましょう」

「よ、よろしくおねがいします……」

「はい。こちらこそ」


 それは先の見えない魔術訓練が始まりを告げた瞬間でもあった。


 ラエル・イゥルポテーはこの後針鼠がポフに戻って来るまでの間、ひたすらに魔術の基礎訓練をすることになったのだから。







「――そういう経緯でしたか。何かおかしいとは思っていたんですが、色々と納得しました。首を吊ろうとした理由がそれなら、もう心配はいりませんね」

「……こっちは多方面から衝撃を受けてパンクしそうなんだが」

「世界には建前というものがありますから。……ペンタスくんとはしっかり話をして下さいよ。息子に対してあの言い方は、流石に子どもっぽいと思いました」

「べぇ……」


 黒毛の獣人は眉間に寄せた皺をそのままに、直した引き戸をレールに嵌め込む。

 鼠顔の少年は襟を立てて顔を隠すと、引き戸に手をかけた。


 その肩を、獣人の手が引き留める。


「……一つだけ質問させて欲しい」

「何ですか」

「……君は今、自分の意思でその場に立つことができているのか?」

「はい。少なくとも六年前とは違って」


 ハーミットは獣人の男性の言葉に苦笑して、それから一礼して工房を後にした。

 黄土色のコートを纏った魔導王国の四天王が、夕焼けに染まる町を東へと歩いていく。


 黒毛の獣人は一人、少年に取り上げられた紐の輪と、言い争ってしまった息子の顔と、明日に向けたパンの仕込みと、それから新しい彫刻の題材について思いを馳せる。


 立てつけの悪い引き戸が、がらがら音を立てて閉じられた。




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