137枚目 「栗色ドレッドブラザーズ」
突如襲って来た襲撃者。
間合いに入った褐色の頬に、黄土色の肘が入る。
「っ!?」
パツリと揃えられた前髪にドレッドヘアの男の子は、懐に入った筈の相手の間合いから一瞬で叩き出されたことに目を見開いた。黄土色のコートから伸びた茶色い指は追撃を行わず、再びその無防備な胸部を晒す。
「……っ!!」
生まれた隙に引き寄せられるように、ほぼ反射的な受け身を取って駆け込む。が。
次に頬に入ったのはナイフのグリップだった。両頬を真っ赤に染め、地面に叩き付けられる。一回、二回、土の上を跳ね、ようやく両足で着地する。栗色の髪を振り乱し、地面に向けて赤混じりの唾を吐く。片鼻から垂れた鮮血を乱暴に拭った。
あれだけ詰めた筈の間合いがあっという間に開き、少年はコートの襟を開くことすらせず、左腕には一本のナイフがあるだけ。
針鼠はふらふらと右腕を振って見せた。
細身の長剣を上腕から引き抜いて十字型の柄を握り、商人は引き攣った笑みを浮かべる。
「……まさか、それで本気じゃないなんてことはないよな」
「これで本気なら魔族と喧嘩もできないよ」
「まじで言ってる? 蹂躙の間違いじゃねぇのかよ?」
及び腰ながらも構えをとった商人に対し、またもや弓矢が飛来する。今度は狙われた本人が矢を両刃で受け流した。逸れた軌道上、木箱に勢いよく矢尻が突き刺さる。
針鼠は溜め息をつく。
どうやら、自分の助けは必要なかったらしいと悟ったからだった。
「――びっくりしたあ!!」
「リアクションがわざとらしい」
「ちょっ!? お前さん本当に味方か!? 味方だよなぁ!?」
「狙われている内容にもよるよ。――ね。第三大陸の義賊さん」
「……義賊だぁ?」
グリッタはその言葉に眉根を寄せ、改めて対峙した子ども――ドレッドヘアの男の子へと視線を向ける。褐色の肌に青い瞳。きつく結ばれた口元には血が滲んでいる。
ハーミット・ヘッジホッグは鼠顔を襲来者に向け、襟の内側で口角を上げた。
「四日ぶりだね、二人共。『
「……思っても無いことを口にする必要はない。用があるのはそっちのカフス売りだ。どけ。刻まれたいのか、鼠」
「言われて退くと思う? 君たちは『親方さま』から礼儀の一つも教えてもらっていないらしい。人に物事を頼む前にするべきは挨拶だ。襲い掛かるんじゃなくて。あ、い、さ、つ、だよ」
「…………」
男の子は肩で息をする。確かに首を狙いはしたものの服の一部にすら掠らなかった。
襟の内側に隠した表情と繕った声音から、本心が伺えない。
案を出し尽くすには、時間が惜しい。
「どう動くか、決まった?」
「――は」
「迷いすぎだよ」
長考といってもほんの数秒のことである。その間に、今度は針鼠が男の子の間合いに踏み入っていた。ぐるりと町の輪郭が回転し、浮遊感。地面に転がされたと気づいたのは、口の中に砂の味がしたあとのことだ。
ハーミットは襲撃者の腕と肩を固定して、鉈を取り上げる。
「挨拶と用件は?」
「説明を拒否すると言ったら!?」
「俺が君たちを引き摺って『親方さま』のとこに直談判しにいく」
「……」
「うげぇって顔しないでくれよ、襲ってきたのはそっちだろう?」
また一射飛来したそれを鉈で叩き落すハーミット。そう遠くない屋根の上に、苦い顔をした女の子が弓を構えているのが確認できた。
しかし。だんまりを決め込む男の子とは反対に、その唇は何かを呟く。
針鼠は咄嗟にゴーグルーを取り出すと黄土色のコートから袖を抜く。
詠唱を済ませた弓引きは周囲に鋭利な砂礫を生成していた。
物質構築の土魔術――『
弦から指が離れるのを合図に、一点集中の打撃が空から降り注――
「――っ馬鹿、そこのガキごと穴だらけにする気か!?」
「グリッタさん、止められない!?」
「無茶言うな!!」
グリッタは背負っていたリュックサックを盾に、長剣で頭を守る。
火鼠の衣は降り注ぐ
「!」
がらあきになったその首筋に刃物が滑ったのも――ほぼ同時。
一気に襲い掛かる脱力感に辛うじて受け身を取る針頭。ごろごろと地面を転がって家屋を背に体制を立て直そうとするが、四肢に力が入らない。
取り上げていた鉈と、自分のナイフを取り落とした。
「っ坊主!?」
「ぐ、ぅ」
(麻痺毒か……!!)
拘束が甘くなったことで地面に落ちた弓矢を刺し向けたのは先程の男の子だった。僅かに血液が付着したそれを捨て、針鼠の方を青い瞳で一瞥する。
最早隠す必要もないと判断したのか、駆け寄って来たもう一人の足音が真上から降り立った。男の子と同じような前髪をしたドレッドヘアの女の子だ。
「やっぱり。『親方さま』が言う貴方がそうなら、必ずそうすると思ったわ」
「やっぱり、『親方さま』が言う通りに庇いやがった。気に食わない鼠だよ」
軽口も叩けない針鼠の横に落ちた鉈を女の子は拾い、軽く素振りをして見せる。
普段から軽い弓を持っているのか、金属製の武器を奮う機会が少ないのか、その手つきはおぼつかない。
その腕で握られた重い刃が、無遠慮に少年の喉を這う。
「……っ待て! 君たち! 用があるのは俺なんだろう!?」
「ええそうよ、カフス売りのグリッタ。私たちは貴方を許さない」
「ああそうだ、カフス売りのグリッタ。俺たちはお前を許さない」
「……!? 分かるように説明しろと――」
「
「そしてこの町の民を害した。違うか」
揃った声に、グリッタは目を見開く。
「反論があるなら聞いてやれと言われている。言ってみろよ」
「悪い嘘でも方便でも聞き逃してあげるから。言ってみてよ」
グリッタは動けない。視界には鉈を首に突きつけられた針鼠がいる。
地に縫い付けられた革靴と、形だけの構えをとった震える腕と、定まらない切っ先。
男の子は折れた矢を手に、着実に商人との距離を詰めていく。
(グリッタさん……!?)
ハーミットは喉元に鉈が食い込むのをおかまいなしに身体を起こそうとして、鼠の頭ごと踏みつけにされた。
「邪魔しないで。これは私たちの問題で、貴方の出る幕はない」
「っそほ、らぇ、え、お」
「それでも」と、言葉を紡ごうとしたが呂律が回らない。が、手足のしびれは少し取れてきた。まだ動けない程度だが、即効性を高めたあまりに効果時間が短いらしい。
(けど、毒が抜けるのを待ったら間に合わない。何か、何かないか――)
思考に耽る少年を足蹴に、女の子は青い瞳を細める。
「……話に聞いているよりよっぽど強欲ね貴方は。でも駄目、何もさせてあげな「僕の名前はキニーネ・スカルペッロ=ラールギロス」…………え?」
言葉を遮られた女の子は、声がした頭上に目を向ける。
――眼前で、何処からともなく降って来た水球が霧状に破裂した。
子どもたちは、ゴーグルーをかけているわけではない。眼鏡をしているわけでもない。
細かく散布されたそれを、めいっぱい吸い込んで、目の粘膜で吸着して、ポカンと開けた口の中にも入った。
「あああああああああああああああああああああ!?」
「っ!? 何――ぎゃああああああああああああ!?」
「な!? 何で俺までぐわああああああああああ!!」
(なんか、グリッタさんも巻き添えになってる気がするな!?)
鼠頭で助かったハーミットは、周囲で目と鼻を抑えてもだえ苦しむ子どもたちとそれに混ざってもだえ苦しむおっさんという地獄のような風景を目撃することとなった。身のこなしは刺客として一流でも、不意の横槍に弱いところは子どもらしい。
「……っ出直す!!」
「びええええん!!」
叫び声を上げながら、嵐のような二人組は西地区の町を走り去っていった。
口に入った辛味が舌を焼く。なるほど、これが目に入ったと考えるとかなり痛そうだ。
(……出直すと言ったからには、また来るんだろうけど)
依然土の上でごろごろ転がっているカフス売りと、頭上の肋骨から駆け下りてきた人影を目にして、ハーミットは深く息を吐き出した。
痛む額を抑えて、ポーカーフェイスを作りながら体を起こす。
握力が戻って来た事を確認して深呼吸。
針鼠はナイフを収めた。
肋骨と呼ばれる陸橋から降りてきた二人は、片方が肩を丸めていて片方が胸を張っていた。
どちらがどちらかという説明は必要ないだろう。
「はーっはっはっは。どーだ対不審者用辛味入り催涙液の威力は!」
「さ、催涙に加えて辛味入りとか、香辛料は武器じゃねぇんだぞおおおお!?」
「はぁ? 何言ってるんだ。本気になった悪い奴に手加減なんて無用だろ」
「ぐ、グリッタさん、大丈夫ですか!? めぇ!?」
目を抑える商人にハンカチを差し出しながら、ペンタスは針鼠の方を振り向く。
「ハーミットさんも……! 怪我しましためぇ!?」
「あ、やっぱり分かる?」
「分かる? じゃないですよ! 逆にどうして無事なんですか」
「ははは、悪運が強いのだけが取り柄……でね」
ハーミットは笑って返しながら、
血が付着しただろうものだけは、別にして懐へ納める。
「魔導王国の役人が怪我させられるって……カフス売り、あんた何に追われてるんだよ」
「そ、それはまあ……大人の事情って奴がだなぁ……」
「へぇ、心当たりはあるんだな。厄介ごと引き連れてこの町に逃げ込んで来たって?」
「キーナ!」
目を抑えたグリッタに詰め寄る灰髪の少年。
「止めるなペタ。この町で人が襲われたんだ、僕たちが通りかかってなきゃどうなってたかも分からないのに黙ってられるかよ」
「だ、だからって。そんな言い方しなくてもいいじゃないか」
「……彼らは町の人に危害を加えるつもりはないみたいだから、グリッタさんと君たちが一緒に居る限りは安全だと思うよ」
「は? あんたも怪我させられといて今更何を」
「彼らがその気なら、君たちに反撃することもできたと思うんだ」
幾ら横槍が予想外であっても、何が何でもグリッタを殺そうとしているならあのまま彼の懐に駆け込めば済む話だった。
襲って来た子どもたちがそれをしなかったのは、グリッタとは「話をする必要がある」と判断したからだろう。
「そもそも上の通路に誰か居るって分かった時点で、鉈を投げるぐらいはできただろうし。そういう意味では、無茶をしたのは君たちの方の様にも思うよ。……その結果として俺たちが助かったのも事実だけどね。正直危なかったから感謝してる」
「…………ふんっ」
キーナは顔を歪めたまま、グリッタの服の裾を引っ張った。
目を開けられない彼を誘導するつもりらしい。
「おっさん、確か蔦囲いの宿だったよな。連れてくよ」
「お、おうよ。助かるぜ」
「めぇ。ハーミットさんも、町長さまの家に戻りますか?」
「……いや。俺はこの辺りを聞き回ってから戻ることにするよ」
「めぇ」
ペンタスはキーナの目線がこちらに向いていないことを確認すると、針鼠の頭と高さを合わせるように背をかがめた。
「あの、さっきの父さんの言葉、ですが。本気にはなさらないで下さい。終戦後からずっとあんな調子で……」
「ははは。大丈夫、気にしてないよ」
とんとん、と獣人の背中を押して追いやる。ペンタスはしばらく不安げにこちらを見ていたが、キーナに呼ばれて南へと歩いて行った。
(想定していなかったトラブルはあったけど、まあ許容範囲内かな)
振った手を降ろして、西地区の奥へと足を向ける。
朝の一件があって彼には情報収集以外に、もう一つ目的ができていた。
西地区の中心、入り組んだ路地の中に一件のパン屋がある。その隣に並んであるのは工房だ。彫刻工房「アイベック」――ペンタスの父親の作業場所兼、住家である。
ハーミットはその開きづらい引き戸を知っていたし、ノックしても返事がないだろうことを理解していた。一応ノックして声をかける。やはり、返答はない。
「……」
針鼠は一考して、それから最悪の状況を想起して扉を開け放つ。
内鍵は弾け飛び、元々ボロボロだった引き戸が更にボロくなり、住民が密集して生活している西地区一帯にその音は響き渡る事になったが、当事者はそんなことお構いなしに駆けこんだ。
天井の梁に、丸い輪っかが作られた紐。その縁を両手で握りしめ、ガタつく足で不安定な昇降台に足をのせた黒毛の獣人がまさに、首を入れるところで。
幸か不幸か、お互いの視線が交差した。
「……!」
「……!」
お互いに目を見開きながら、黒毛の獣人は何かを言おうと口を開いて。
震えた足が乗っている、台が倒れた。
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