128枚目 「ノハナの花の砂糖漬け」


「へぇ、貴方にも人間らしい抜け目があるなんて。日常だったらいざ知らず、仕事中に上の空になるなんて意外だわ。体調でも悪いの?」


 料理が運ばれて直ぐに盛大に噎せた理由を聞きながらラエルは皿を片付けて、冷やし箱の中から握りこぶしほどの陶器を二つ引き出す。可愛らしい蓋が乗せられたそれは、昨日の草刈りで勝利を収めたハーミット渾身のデザートだ。


 少年は鼠顔を膝の上に置いて、おかっぱの金糸を指で弄る。

 受け取った金属製のスプーンをくるくると回す。


「……多少、素が出る程度は問題ないと判断したんだよ」

「苦しい言い訳ねぇ」


 ラエルはからりと笑いながら、少年の斜め前の席に座る。


 確認が終わった資料がまだ机の何割かを占領しているからだ。手元にある白い陶器は、冷たい氷を連想させる。夕食をスカルペッロ夫妻に頂いたために朝食に持ち越しになったそれがどのようなデザートなのか。ラエルの関心はそこにあった。


 勿論、前日何かを盛られた件については全く許しちゃあいないのだが。


「昨夜はちゃんと眠れたの?」

「睡眠はとってるよ。少なくとも、午前中外に出られないことを鑑みて十分すぎるぐらいには」

「相変わらず嘘が達者ねぇ。ノワールから聞いてるわよ、三時間ぐらいじゃないかって」

「……あー、だから俺が戻って来て直ぐ、情報収集を名目に颯爽と飛び立ってったわけね」

「怒らないでね。私が聞いたんだから」


 で、そろそろ食べ方を教えて頂戴。と、少女はスプーンを少年に見えるようにぷらぷら揺らして見せた。冷たい陶器の心地よさに熱を持った手のひらをゆだねていた金髪少年は、そこでようやくはっとして、無心に回していたスプーンを持ち替えた。


「んーとね。これは俺の故郷のお菓子に、限りなく似せて作ったものなんだけど」


 そう言って蓋を取れば、薄黄色のプルプルした何かが現れた。

 言うならば、煮凝りの材料にミルクを突っ込んだような……どことなく甘い香りがする。中央には黄色い花が数輪、添えられていた。


(ノハナ草を使うって言った割には、鉄の匂いはしないわね)


「どう説明したらいいんだろう……こう、卵とミルクと砂糖を混ぜて、平鍋に水張って蒸すんだ。甘い卵料理だから『甘卵あまたまご』って、呼んだ人も居たな」

「居たって……貴方の故郷の人?」

「んー、育ての親みたいな人がね。……もう声も顔もおぼろげなんだけどさ」


 ハーミットは言いながら、小さな気泡からできた穴に目がけて匙を差し込んだ。


 一掬いすれば、内側に仕込んだカラメルが纏わりつく。花弁は鮮やかな黄色なので、朱色の唇に飲み込まれる間際まで異彩を放つ。

 口に運んで数秒、味わうように咀嚼するハーミット・ヘッジホッグ。満足そうに嚥下して、それからふと目を伏せた。


 二口目を食べようとして、こちらを見ているラエルに気が付いたらしい。顔を上げる。


「……あ、ごめん。もしかしてラエル、卵食べられなかったりした? レポートには無かったけど、君が申告しているとも限らなかったな……」

「え? いえ、そうじゃないの。ただ」


 目の前の一挙一動に目を奪われていただけだとは、とても言えない。


 第三大陸に降りてからずっと、明るい場所では見る機会が無かった金糸に、今一度魅了的な魔力の有無を疑ってしまう様な顔立ちの引力に、黒髪の少女が無意識に引っ張られてしまっただけのことである。


 誤魔化すのが得意なのは、少年に限ったことではないのだけど。


「――ノハナ草を使うって聞いていたから、もっと苦い味がするのかと思っていたの」

「ああ、そういうことか。ノハナ草は砂糖に漬け込むと口に苦い良薬の部分が失われるんだ。」呟きと共に、また一輪少年の口の中に消えていく。「砂糖を擦り込むでもいいんだけど、今回はシロップを作って漬けて……。結果、砂糖の味しかしないけどね」


 食用生花の砂糖漬け。こちらはその手の店に行けば手に入る物であり、第二大陸などではよく作られているものだ。

 黒髪の少女も、匙で掬った煌めきに目をぱちくりさせながら口に入れた。始めは触感に慣れなかった様だが、味を認識すると周囲に花が散ったような笑みを浮かべる。


「美味しい! これ、今度教えて欲しいわ」

「ん、良いけど……分量は感覚でしか覚えてないんだ。それでも構わないか?」

「いいわよ。ある程度分かれば、作って練習すればいいし」


 まったりとした舌触りのいい甘卵は一口食べたところで抑えは利かず、あっという間になくなった。カラメルの苦味と相まって随分と控えめな甘さだったので、ラエルには少し物足りなかったようである。


「……昨日あれだけ作業したんだから、もっと砂糖を入れても良かったんじゃない?」

「俺にとっての砂糖は、どうしようもない悪夢的案件に遭遇した場合に摂る最終手段ラストリゾートなんだよ」

「瓶詰め砂糖一気食いって、そんなに重い理由と条件が重なって起こる現象だったの」

「そりゃあ、理由や条件なしであんなことを繰り返したら人体は壊れるからね」

「聞くからに正論だけど、なーんか納得いかないのはどうしてかしらね……」


 軽口を交わしながら、匙と空になった陶器 (ココットというらしい)を洗う。金髪少年は机に置いた資料を一カ所に纏めて、返却の準備を始めた。


「そういえば。私を昏倒させた後の夜更かしは、どれぐらい成果があったのかしら?」

「ははは、言葉に棘があるなぁ……。まあ、想定より馬車が少なかったからね。リストにも余白が多く見られたし、どういう意味があるかはしらないけど殆ど真っ白な記入用紙も入っていた」

「真っ白?」


 ラエルは水を用意したコップを手渡しながら聞き返す。黒髪の少女が手にした資料だけでも頭が痛くなるほどの記入があったはずだ。たまたまその月に商人の出入りが多かったというだけだったのだろうか。


「そう。だから、思ったより早く終わっちゃって。君が起きていた時間から二時間ぐらいしか作業はしていないんだ。その後は甘卵を作ってた」

「ふぅん」

「何か気になる?」

「……」


(ハーミットは真面目だし、まさか手を抜くとは……だとしたらやっぱり、私の手元にあった資料が随分と貧乏くじだったんでしょうね。後は、彼と私の力量差とか)


 そう解釈したラエルは、特に深く考えることをしなかった。


「いいえ。ただ、飲み物に細工をするのはどうかと思って」

「あー、君の意見も聞かずに睡眠薬を盛ったのは謝るよ」

「……痛みのない毒でも盛られたかと思って、内心焦ってたんだから」

「それはごめん」


 実際にラエルは浮島で毒を盛られかかっている。そのことを知っているのは鼠の巣の人間と王様だけ。

 盛られそうになった本人は知らないので無意識での発言なんだろうが、ハーミットには効いたようである。


「ただ、反論させて貰うけどこの薬を調合したのは俺じゃなくてドクターだ。そして、君が『ポフ』のような魔力を一定以上使用する魔法具を使用した日に、必要な休息をとる意思が無かった場合に限り投与が許されている。今後もそういうことがあったら容赦はしない」

「うっ……まあ、私も悪かったわよ」


 体内の魔力量の半分を使用して発現する雷魔術『霹靂フルミネート』の初発分に相当する魔力――それが、この随分と過ごしやすい居住空間を呼び出す為に必要な魔力量だ。体内魔力の半分を持っていかれると同義のこの魔法具はやはり、一般の人族には扱えない代物であった。


 少しだけばつが悪そうに紫の目をそらす少女に、金髪少年は琥珀を細めた。


「……因みにだけど。あれは俺が持っている薬の中で、大分遅効性だったりする」


 振り向いたラエルに対し、ハーミットは鼠頭を腕に抱きながら乾いた笑顔を向けた。


「大丈夫。人が死に至るような劇薬は、そもそも持ち歩いていないからさ」







 一方。


 スカルペッロ宅の真隣りの豪邸には、窓から身を乗り出して金縁眼鏡をなぞる少年と、必死の形相で彼を部屋の中に引き戻そうと奮闘する獣人の姿があった。


「……っんだよあれ。昨日の今日だぞ? どうしてちょっと目を離した隙に家なんか建ってるんだよ……!?」

「ちょっ、まだ見てるのキーナ、そろそろ時間じゃないか!?」

「わ、分かってる。分かってるけどさぁ、信じられるか? 空間系統つったってあんなデカいもの運べる技術がおかしいだろ。それとも何、浮島ってそんな技術がうじゃうじゃしてる場所なのか!? やっぱ、あの二人のどっちか――」

「めえええ! 考察は後だってば……! いいから行くよ、ネオンさんが待ってる!」

「あっ、引き摺るなって!! もうちょっと見てても良いだろ!?」

「礼装に着替える時間が必要なんだろう!? めぇ!?」


 ずるずるとペンタスに引き摺られるようにしてその場を後にしたキーナ。


 素朴な見た目をした木造建築。一日で建てられた謎の家。

 全ての窓のカーテンが閉じられているのが、酷く印象に残った。




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