129枚目 「香辛料とドライフルーツ」


 聖樹信仰ノット教の教会の天辺で、青銅色の鐘が揺れている。


 時報替わりの鐘の音が町に響き渡ったのは、ラエルとハーミットが起床してから数時間後のことだった。


 二人は偵察から戻ったノワールと共に用意された長椅子に腰を下ろす。

 調度品にはいずれも聖樹に関係するモチーフの一つである蔦装飾が施され、テーブルクロスの中央にはスカルペッロ家の家紋が刺繍されていた。


 対面する席に腰を下ろすのはスカルペッロ夫妻だ。昨日と変わらず軽装の夫に対して、町長は緑灰色のワンピースに黒のパンプス姿。目立つ装飾品は灰色の薄い手袋と、翻訳術式トランスレーターを組み込んだ白い石のピアスのみだった。


「この場所でお茶会をするのは、やはり風情がありますね。レーテ」

「君が言うなら茶会に相応しい用意が整っていたということだろう。使用人たちの給金に箔をつけねばならないね」

「ええ。お願いします」


 使用人は邸で分けず共同で雇っているらしい。レーテが待機していた使用人に声をかけると、準備に関わったらしい一人が緊張混じりに頬を緩めたのが見えた。


 膝に負担がかからないよう調整されたオットマンに足を預け、イシクブールの町長はにこりと笑う。肩につかないシルバーアッシュが柔らかな風に揺れた。


「では、菓子が届くまでの間、お茶でも飲んでいましょうか」

「は、はい……えぇ……?」


 ラエルは呆けたような声を絞り出し、ゆっくりと周囲を見回す。


 ここは、二階建てのスカルペッロ町長宅の屋上ではない。

 その隣に建っていた豪邸――スカルペッロ家東館、次女が住む本邸の屋上だ。


 渡り廊下でつながった邸の屋上には、テーブルを囲んむラエルたちを取り込むように半球形の結界が構築されている。


 ラエルは浮島で様々な結界魔術を見てきたつもりだったが、半球形を見るのは始めてのことだった。よく目にするのは真球形か、直方体の構築式である。


(結界は基本的に平面的な陣を組み合わせて構成するはずだけれど、それを高度に行ったものが真球形で……でも、この結界は半球形……)


 土系統特有の黄色の魔力が天井や晶砂岩との接地面で「ぱちぱち」と弾ける。

 真球型結界を板状の結界で切り取るようにしているのだろうか。


「凄い錬度ね……」

『ええ。真球形結界と違って地面に接する箇所が平面である以上、更に調整が必要になるです。シンプルですが、洗練された結界です』

「ラエルさんも蝙蝠ちゃんも博識ですね。この結界はレーテの特技なのですよ」


 真球形や立方体で構築するより陣の面積が少なく済むので魔力の消費を抑えられるのだ――そう、術者であるレーテは簡単に言うが構築にかかる計算は洒落にならない筈だ。

 真球結界も技術的には引けをとらないだろうが、半球結界の構築がどれぐらい面倒かといえば、頭の中で展開図を瞬時に描くことを想像していただければ分かりやすい。


 純粋な魔力量だけでは成せない緻密な計算と魔力制御――最低限の魔力で最大限の効果を発揮させることができる魔術士。それが、レーテ・スカルペッロなのである。


「そうですね。私も結婚を申し込まれた時は、どうしてこんな田舎に彼が婿入りすることを納得して頂けたのか、不思議でたまらなかったものです」

「ははは。しかし僕もあの町で君に出会うまでは船着き場に勤めていたからね。どこでこのような魔術の癖がついたのかは分からないことが多いんだ」

「お二人のなれそめについても、興味深い話ではありますけど……」


 話の置き去りにされていた針鼠は、お茶を飲み込みながら疑問を呈す。


「……お茶会の場に結界が必要なんですか?」

「ああ。昔はよく、飛び道具の類を叩き落としたものさ」

「ふふふ。我が家にはそういったお客様も稀にいらっしゃいますから」


 レーテは使用人が用意した菓子をテーブルに乗せた。

 規則正しく皿に並べられた焼き菓子は、昨日振る舞われたスパイス入りのものとドライフルーツ入りのものと、二種類盛りつけられていた。


 生地に練り込まれた賽の目のドライフルーツが、口紅の奥へ消えて行く。


「さて。昨日お渡ししました資料の件ですが、必要な情報は手に入りましたか?」

「ええ。先程、返却させていただきました」

「そうですか。何か気になることなどありましたか?」

「……気になること、ですか」


 針鼠は少し考えるようにして、スカリィの顔を伺う。


「あるにはありますが、今回の調査に与える影響は小さいと踏んでいます。事実、この町に来た馬車の出入りについては照らし合わせが済んでいますし、現在町にやってきている馬車も、この町を登録地としている馬車も把握はできましたから」

「へぇ……流石、仕事の速さは噂に聞く以上ですね。浮島所属でなければ引き抜きたくなるほどです」

「……お褒めに預かり光栄です」


 言って、またもや紅茶を口に運んだハーミット。ラエルは小声で耳打ちする。


「照らし合わせって、暗記して確認したってこと?」

「ああ。そうだよ」

「貴方人族辞めてない?」

「失敬な。しっかり人族だよ」

『確かに。自己管理不行き届きになるまで働き過ぎる辺り、しっかり人族です』

「の、ノワールまでそう言うか……」

「ははは。やはり仲がいいな君たちは」


 笑い声が聞こえて、ラエルとノワールの視線がレーテの方へ向けられる。


 レーテは赤茶の髪をオールバックに、ハーネスの革を指で弾いた。

 ノワールは黒い瞳を潤ませて、ジトリと嫌そうな顔をする。


『ノワールは別に、この針鼠と友好関係があるわけじゃないです。ただの仕事相手です』

「私もどちらかというと、恩人としての敬意と日々の行動への鬱憤が殆どかもしれないわ」

「うーん、耳が痛いな」

「仮にも四天王を相手に物おじせずそう言える関係が、尊いといっているのだよ」


 地味にダメージを食らっている針鼠を余所に、楽しそうに持論を展開するレーテ。


 ラエルはドライフルーツを舌の上で転がしながら、お茶会の席から見える西館のバルコニーに目を止めた。使用人の手によって開けられた扉の先に、刺繍がされたカーテンが風に煽られている。


「……町の塗り直しがあるから外出は控えて欲しいと聞いていたけれど、スカリィさんたちがここに私たちを招待したのは、何か理由があってのことなの?」


 黒髪の少女の言葉に灰色の手袋がひらりと返る。

 袖にあしらわれた刺繍とレースの柄は、少女が知らない花を模す。


「鋭いですね、ラエルさん。えぇ、昨日の今日ですから沢山お話ができたらと思いまして。勿論、それだけならこの屋上までお呼びする必要は無かったのですが」

「君たちも町の様子を見に来ている以上、一日家の中に閉じこもっているつもりじゃあなかっただろう。どうせなら、イシクブールの期待の星を一目見てもらいたくてね」

「期待の星」

「ああ。私たちの孫でね、目に入れても痛くない」


 レーテのその言葉に、二人と一匹は顔を見合わせる。この町に来て顔を合わせた人間の中で、スカルペッロ家に関係する若者は一人しか心当たりがない。


 そうして話す内に東館のバルコニーに人影が伺えた。


 一人は白髪の白き者エルフ

 そしてもう一人は灰色の髪に丸い耳。黒色の礼服に身を包んだ小柄な姿。


「……キーナくんかな?」

『……みたいです』

「……魔術書?」


 ラエルは眉間に皺を寄せ、目を細めるように灰髪の少年を観察する。

 彼の虹彩は草原の様に鮮やかな黄緑色ではなく、曇天を想起させる青灰色であった。




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