119枚目 「シルバーアッシュの町長様」
何故、浮島資料室所属のレファレンス係である伝書蝙蝠がイシクブールに居るのか。
発端を遡ると一カ月も前の話になる。
丁度ラエル・イゥルポテーがドゥルマ・ウンエイとの地雷的面会を終え、噴水広場で女体を描く謎の絵描きと遭遇し――それから、ハーミット・ヘッジホッグが王様から次の仕事の話を受けた。その時の話だ。
当時のハーミットといえば、センチュアリッジで開放した者たちへの対応に追われながら司書ロゼッタに予言を受け、ラエルを気にかけつつ第三大陸で蜘蛛の宗教の噂があることを突き止めたものの、場所も分からない本拠地に果たしてどうお礼参りをしたものかと頭を悩ませているところだった。
黒髪の少女の監視任務に魔法具研究室との往復に加え、アネモネのご機嫌取りからロゼッタの話し相手までをこなしていた針鼠は、王様から提言された休暇を名目とした第三大陸での仕事内容に、肉の焼ける音を聞きながら話を受けることにしたのである。
この時の少年はまだラエル・イゥルポテーを信頼に値する人物とは判断していなかった上、第三大陸には単身で赴くつもりでいた。
それを見透かしたように、王様は彼にこう言ったのである。
――もっとも、誰か付き人が欲しいというのなら喜んで用意するけどね――
と。
すると針鼠は少し考えた後に、実に自然な流れでこう返答した。
――付き人は今のところ要らないかな。
……お分かりいただけただろうか。
これが事の真相で、後に資料室の某
ロゼッタの使い魔であるノワールからしてみれば、遠征は数年に一度あるかないか、浮島を出るまたとない機会だ。それも組む相手が馴染みの相手であれば楽しみに決まっている。
二人が浮島を出発する日になっても当然、王様直々に依頼されたのだから呼びに来るだろうと高をくくって資料室の留まり木で待ち続けていた。
実際は、『今のところ』と含みを持たせた位置に滑り込むようにしてラエル・イゥルポテーが配置され、第三大陸に出発したのは少年少女の二人だけ。
当初から配置が決まっていた筈の蝙蝠はというと――。
『きぇええええええええええええええええええ!!!!!!』
怒った。当たり前である。
よってこの蝙蝠は自力で出国手続きを済ませ、雲が集まる様な遥か上空に浮遊停滞するあの浮島から錐揉みしつつ急降下してイシクブールに先着したのだった。
『
憤怒するノワールの鼻先がハーミット・ヘッジホッグの腹に何度も突き刺さる。当の本人はくぐもった悲鳴を上げるが、鼠顔を抑える余裕がある程度には無事らしかった。
ラエルは床に転がる同僚に、呆れた目を向ける。
「ハーミット。貴方の上司、部下への伝達不足が過ぎないかしら」
「王様の伝達ミスに関しては非常に同感すると共に謝るよノワール……そして依頼したことに関しては素で忘れてた……! 本当ごめん……!」
『酷い!! 情状酌量の余地がないです……!! ……うぅ』
暫く
『きゅう』
「あっ、力尽きたわ」
「頭に血が上りすぎたんだろう……申し訳ありません、騒がしくしてしまいました」
「いいえ、お気になさらないで。帰る場所があるのは良いことですよ」
ノワールを腕に抱いた針鼠と彼を引き起こす黒髪の少女の前に現れたのは、赤茶の髪をしたレーテと肩を並べる程に背の高い女性だった。二階からの階段を一段ずつ、右足を引き摺りながら降りてくる。
ゆったりとした挙動の先にあるのは洗練された重心移動と体幹。
右足を庇いつつ左足を半歩後ろに引き、簡略的にお辞儀をした。
「こちらこそ、お見苦しい姿を見せてしまって申し訳ないです。『強欲』さま――いいえ、ハーミットさま、とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「……その様子だと、一部始終をお聞きしていましたか」
「えぇ。レーテは人に優しすぎますから。内心はらはらしていたところです」
「そ、そんなことはないぞスカリィ?」
「レーテ? まさかお忘れとは思いませんが、つい数か月前も花瓶や絵を売りつけられそうになっていたじゃあありませんか。説得力がありませんよ」
言葉に詰まったレーテ・スカルペッロ。彼は彼で無言のまま女性に片膝をつく。
スカリィと呼ばれた女性は屈んだレーテの首元に捕まると床から足を放した。そうして夫人の細身を軽々と持ち上げて彼は元のソファまで戻り、腰を下ろす。
夫人はそのまま彼の膝の上に落ち着いた。
レーテはレーテで特に咎めることも無く、身を捩った妻の腰元に腕を回す。
「……」
「……」
沈黙が場を支配する。水色のワンピースを緩いコルセットで留めた彼女は、一向に旦那の膝の上から降りる気配がない。どうやらこの体制のまま話し合いを始めるつもりらしい。
(もしや、物理的に尻に敷いているとでも……!?)
「何か問題でも?」
「いいえ」
「……貴女がこのイシクブールの町長、でいいのかしら?」
ラエルが確認の為にそう聞けば、シルバーアッシュの髪がふわりと揺れる。
小麦の肌に青い瞳。浮島から時折見えた海の色に似ている。
「えぇ、違いません。私こそが四十五代スカルペッロ家長、イシクブール町長のヴェルニー・スカルペッロです。親しみを込めてスカリィさん、とお呼びください」
「わ、私はラエル・イゥルポテーと言います」
「ええ、初めましてラエルさま。……ふふ。純粋な新人さんですね? ハーミットさま」
「はは……」
針鼠は愛想笑いを返しつつ、腕に抱いていたノワールをラエルへと渡そうとする。
「ど、どさくさに紛れてノワールを渡そうとしないで。まだ心の準備ができていないわ」
「そうは言いつつ受け取る準備をしてくれて嬉しいよ」
少女は眉間に皺を寄せ、針鼠は笑う。ラエルはウエストポーチから取り出したタオルを引いた膝の上に、気絶したノワールを受け取ると静かに寝かせた。
普段嫌がられる分、寝こけている間に撫でまわしてやろうかとも思ったラエルだが、場の空気を読んで思いとどまった。浮島での生活は彼女の人間性をも成長させたらしい。
少女の膝の上で、蝙蝠は眉間に太いしわを作りながら寝返りをうつ。
少年はその様子に肩の力を抜くと、気を取り直して町長と対面する。
「スカリィさん。魔導王国からの要請について、再度説明は必要でしょうか」
「いいえ。三つのお願いはしっかりと把握しています。いち、イシクブールに訪れた馬車や旅人の通行記録の開示。に、町内での聞き取り調査の許可。さん、フランベル工房製魔法具の動作実験の許可――最後の一つに関しては、夫の方が詳しいでしょうから一任致します。後でお話し合いをして下さいね」
「了解しました」
「他にも検討事項はありますが、まずは先の二つの件について私個人としての返答をば」
スカリィは背後のレーテの髪を指で梳く。整っていた髪がかき混ぜられ、文字通りされるがまま……肝心の旦那の口が緩みまくっているのは気のせい、だろう。きっと。
海の様に青い目は。す、とこちらを見据えた。
「とてもじゃあありませんが、この条件では受け入れられません」
――スコンッ。
出されたお茶を飲もうと、器に伸ばした水色の指が滑った。
滑り止めがついた手袋をしているにも拘らずそんなことが起きたのは、ラエルがそれなりに動揺した証拠である。
対して針鼠は針頭をもさもさと撫で、困った様子で腕を組む。
「のんで、頂けませんか」
「ええ。この条件では承諾しかねます――せめて、そちらの蝙蝠さまの食事代程度は働いて頂かないと割に合いません」
「…………」
(確かにノワールの件は俺と王様に非がある。迷惑をかけた分の費用を工面するにしても、体裁上お金と立場だけで解決するのは避けたいよな……)
「勘違いされる前に申しておきますが、この件に関して費用は一切頂きません。代わりにこの町で相応の働きをして頂けないか、というご提案をしたいのです」
「相応の働き、ですか」
「はい。サンドクォーツクからイシクブールに来るまでの間に、この町で近日中に行われる蚤の市や、昨日行われた葬儀についても、ご存じかと思います」
胸元のタイに指を伸ばす町長。短い爪に塗られたマットな黒色が目に入る。
町長は自らの爪に落としていた視線を、そのまま一枚窓の方に向けた。
「我が家の庭の草事情も然り」
「……」
庭の、草。
「というわけで、まずは我が家の庭の草を刈って頂けないでしょうか」
「この流れで思わず頷きそうになった自分が憎いですね」
「ふふ、そうですか。それでは非常に残念ですが、このお話は無かったことに?」
空気が軋む。青い目が
管理国である魔導王国の権限を駆使し、情報開示と捜査協力を強制するという手もなくはないのだが、良好な関係を築いているイシクブールと、この程度の交渉で軋轢を生んでしまっては困る。つまりこの場では、乗せられていることを承知で回答する以外に道が残されていないのだ。
(これだから、商人の相手をするのは苦手なんだ)
「……分かりました。庭の草刈りですね。やります。やらせてください」
「え、っちょ、ハーミット?」
「その代わり、今回魔導王国から派遣されているのは私と隣にいる新人の二人のみ――スカリィさんのお目に適う働きができるかどうかは未知数ですが。構いませんか」
最大限の保証をかけた返事をした魔導王国四天王に、イシクブール町長は満足げな笑みを浮かべた。完全に掌上で転がしている側の顔である。
「ええ、ええ! その言葉を待っていました! 是非とも宜しくお願いしますね! 草刈りの方は今日中にでも! うふふふふ! 刈った草は余すことなく馬舎を持つ宿屋に売らせて頂きますので! そのつもりで!」
「やっぱり根が……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何も。ただの妄言です。聞き流してください」
ハーミットは出されたお茶を飲み干した。すっかり冷えてしまっていたものの鼻に酸味混じりの果実臭が抜けていく。
眉間の皺を太くしたままゴロゴロしているノワールをタオルでぐるぐると巻きながら、ラエルは顔を上げる。
「ハーミット。えっと、まず、草を刈ればいいのかしら」
「そういうことになるね。昼まで時間はあるし、手早く済ませようか――あの、この屋敷に裏口などはありますか? 表から回った方が早いですか?」
ハーミットにそう聞かれ、町長の頭に隠れていたレーテがひょっこりと顔を出す。
「庭に出る為の裏口は残念ながら無いんだ。表から回って頂けると助かるかな」
「刈り取りに使用する特別な魔法具等の指定はありますか?」
「毒や薬を付与していないものであれば、どのような手段でも構わないよ」
「分かりました、ありがとうございます――それじゃあラエル、どっちが多く刈れるか競争しようじゃないか。勝った方が夕食のデザートを作る!!」
「えっ、デザート? しかも勝った方が作るって……」
「俺が作るとノハナ草の苦汁が入ると言ったらどうする」
「負けられない理由ができてしまったわ」
ラエルはノワールを町長の膝に預け、先に行ってしまったハーミットの後を追う。
二人ともぺこりと一礼していく様子は何とも微笑ましかった。
邸宅には、家主の二人が残される。
「それはそうとマイハニー、そろそろ私の膝から降りる気にはならないか?」
「床に足がつくと膝が痛むから、あと少しだけ我慢して頂戴、マイダーリン」
「……無理はしないでくれ」
「いえ、ここで待つ方が早いと思いますよ。ほら、もうあんなに刈っています」
大窓の外で汗を流しながら必死になってナイフを奮う少年少女の姿に、スカリィはふと優し気な笑みを浮かべる。
レーテはその横顔を見て、錆色の瞳を曇らせた。
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