118枚目 「ストロベリーアッシュの旦那様」


 まだ太陽が真上を通っていないとはいえ、黒い町は初夏の暑さに晒されている。


 石畳をさくさく歩くのはしっかりと装備を整えている旅行客や、旅慣れている商人。

 町の住民は、この暑さの所為か殆ど家の中に引きこもっているようである。


 黒い町並みを抜けて、北東側。


 町の突き当りには三階建ての巨大な家が建っていた。

 鉄格子の門はどういう技術なのか器用に編まれている。壁には蔦模様と果実の装飾。黒く塗っているのは壁だけで、だからこそ窓枠の装飾に使われている銀色が印象的である。


「凄く立派なお宅ね」

「いや。町長さんの家はこっち」

「え」


 黒髪の少女の視線を右斜め前――いや、右斜め下に案内する針鼠。


 そこにはこじんまりとした二階建ての家があった。言うなら、昨夜泊めて貰ったペンタスの家と大きさは変わらない。庭がついている分、豪華といえば豪華……なのだろうか?


「――おぉ、君たちか! 魔導王国の使者っていうのは!」


 そう溌溂と声をかけられ二人が顔を向けると。目の前の小さな木の門が開くところだった。


 赤茶の髪に錆色の瞳――黒髪の少女は、彼がこちらに声をかけた瞬間に魔力の圧を感じ取った。明らかに人族では考えられない魔力量――魔族である。

 先程回線ライン越しに顔を合わせた際には作業着姿だったが、今は半袖の白いシャツにサスペンダーを着けている。


 魔力を感じられない針鼠はそれを気にする様子も無く、歩みが遅くなった少女を一歩半後ろに置いて前に出る。


「急な日程変更にも関わらず、面会の機会を頂けたことに感謝します」

「いやいや! そちらこそサンドクォーツクから長旅をして来たんだろう? 一昨日の天幕市場テントバザールの件、耳にしているよ!」

「数日前の話がもう耳に入っているんですか」

「ははは、流れの商人に聞いたのさ――飲み物と菓子ぐらいしかないが、それでもよければ馳走させてくれ」


 男性は含みのある笑みを浮かべると。変哲ない木と鉄の丁番で彩られた扉を開け放った。


「…………は」


 内装を目にした少女の第一声はその一言だった。


 扉の向こうは、タイル張り。その上に直接ソファなどの調度品が整然と並ぶ。目線の先にはガラス張りの壁――いや、大きな一枚硝子の窓が嵌め込まれていた。一階の部屋から庭に直通する、見るも贅沢な作りである。


 勿論二階に続く階段も質素に見せかけて流線美しい彫刻が手すりにあしらわれているし、敷かれているタイルも色数は少ないが目にして飽きない幾何学模様だ。


 ハーミットは「まあ、初見はこういう反応になるよなぁ」と思いつつ、ラエルの丸くなった目を眺める。案の定、彼女が外観から想像した内装と現実は乖離していたらしい。


「こ、これって、部屋と庭が地続きに……!?」

「ああ。驚いてくれて嬉しいね! 訪問者のその顔を見る為に、私はこの家に住んでいると言っても過言ではない!」

「で、でも、!?」

!! !!」

「…………」


(……この人、全く変わってないなぁ……)


 家主の言葉に鼠顔の額を抑える少年。


 間接照明のカンテラで照らされた室内はどことなく薄暗いが、外から一筋の光も入る隙間がない。


 何故なら庭には身の丈を超える草が生えているから。


 そう、夏。今は夏の始まりなのだ――町の外に広がっている丘陵の草原然り、第三大陸では平地に自生する単子葉類が他の草類に対してほぼ一強という勢力を誇る。


 ハーミットは回線ラインでアポイントを取った際に、家主の手に握られていたものを思い出した。色褪せた記憶の中から、今と変わらない状況を想起し――首を振る。


 回想は必要ない。まずは目の前の仕事から片付けることにしよう。


 黒髪の少女は家主に促されるまま席に腰掛けているし、身に覚えがない「迎え」の件も含めて色々と確認しなければならない。針鼠はモサモサと針頭を揺らした。


 自らお茶と菓子を机に並べ、家主の男は席に着く。

 ハーミットはラエルの左隣に腰を下ろした。対面する家主の表情は緩い。


「改めて自己紹介を。私はレーテ・スカルペッロという。この度はよくイシクブールに来てくれました」

「こちらこそ。魔導王国から来ました、ハーミット・ヘッジホッグです」

「同じく、ラエル・イゥルポテーです」

「ははは。外でもないのに畏まるのは止してくれ」


 レーテは言いながら口元に茶を運んだ。魔導王国でもよく見る赤褐色のお茶である。


「それに、入室早々驚かせてしまって申し訳ないね。だが、これが良いアイスブレイクになるんだ。緊張はほぐれたかな?」

「へ、あっはい。お陰様で……」


 調度品の素朴な手の入り様に目を奪われていたラエルは唐突に話を振られて声をうわずらせた。作り顔をすることも頭からすっぽり抜けている。


「まさか入室早々、庭の草と対面することになるとは思ってもいませんでしたが」

「はっはっは! 正直な新人さんだ!」

「あっ」


 黒髪の少女は慌てて口元を抑える。恐怖感情がない彼女にとって、一言間違えば関係を危うくさせかねないような綱渡りのコミュニケーションを任せるのはまだ早かったようだ。


 とはいえ、何かしらやらかすだろうと予想はしていたので、ここは針鼠が助け舟を出す。


「ええ。忌憚の無い意見を出してくれるところが彼女の長所なんです」

「そうなのか。ふむ、魔導王国は良い人選をしたようだ」


 レーテは微笑みながら答える。

 幸い、針鼠が思った以上に悪印象は抱いていないようだった。


 一方で、「菓子でも召し上がれ」と、ラエルに菓子の皿を差し出すレーテ。


 何処からどう見ても子ども扱いだが、黒髪の少女はこの場でどのような話をするのか針鼠の少年から何も聞かされていない。戸惑いつつも菓子をつまみ、場の流れの観察に尽力すると決めた。


「さて、時間は有限ともいう。本題に入ることにしましょう『強欲』様」

「様づけはしていただかなくて結構です、スカルペッロ様」

「……ははは! さん付けで構わないよ。私も君のことをそう呼ぼう」

「ありがとうございます。……スカルペッロさん。封書でお伝えした通り、私たちは二か月前に第三大陸の南部で起こった殺人事件に関して調べています」


 針鼠は言って、硝子の瞳を向ける。


「独自に調べた結果、南西部にある塩の涙ソルティドロップ近辺で殺害された馬車の乗員は全員が札付きでした。聞けばここ最近、第三に第一や第二から盗賊が流入しているとか。我々としても、この地域の『親方さま』に非常にお世話になっている立場なので……今回の件、彼女が不関与であるという証拠が欲しいんです」

「ああ、あの件か。一応原簿の写しは全て魔導王国の方に提出したんだが」

「……間に誰の手が入るか分からない状況で、届いた資料のみを鵜呑みにする訳にはいきません。あと、町から出た馬車の名簿も見せていただけると助かります」

「ふんふん。それで、他にも用があるなら先に言ってくれると助かるね」


 レーテは言って、錆色の瞳を歪める。

 ハーミットはレーテの圧に推されながら、言葉を選んだ。


「……イシクブールに来た筈の人間を、捜しています」

「来た筈、とは。妙な言い回しだね」

「筈、です。最悪この町にはもう居ないのかもしれませんが……目撃情報の収集の為、町民への接触を許可して頂きたい」

「承った。さて、これで二つ目だ。他にはあるのかな?」


 レーテは何でもないことの様に言うが、針鼠の硝子玉と目を合わせると一瞬「しくじった」と顔を歪ませた。針鼠はそこに最後の要求を叩きこむ。


「ふ……」

「ふ?」

「フランベル工房渾身の新作の動作実験にどうかご協力を……!!」

「最後のは聞いて後悔するタイプのお願いだったんだね!?」

「聞いて頂いたからには協力して貰えないでしょうか」

「……内容を確認して危険が無ければ了承する方向で検討しよう」

「感謝します!!」


(こういう反応をするという事は、この人もベリシードさんと顔なじみなのかしらね……)


 ラエルはジャムが乗った焼き菓子を口に放り、渋み混じりの甘さを堪能しつつ思考する。


 意気投合というか、すっかりフランベル工房で受けた地獄の採寸や魔法具の質の話に流れていく辺り、二人とも会話を盛り上げる方法に長けているようである。


 だからこそ、所々に笑顔を張り付けている獣人もどきのことが気になるのだが……。

 レーテは意気投合したハーミットに笑顔を向け、のんびりと指を折る。


「馬車の通行記録の開示、聞き取り調査の許可、フランベル工房製魔法具の動作実験。まあどれもこれも、私一人で許可の判断ができないものだね。市場バザールの件についても話をしなければならないし、の返事でも構わないだろうか?」

「はい。構いません」

「ははは。驚かないのだね?」

「事前に調べていれば分かる話です。それとも、後日改めて伺った方がよろしいですか」

「いいや、すぐ戻るとも。かけて待っていて欲しい」

「分かりました。お待ちしています」


 レーテは席を立つと、二階へ続く階段を上って行ってしまった。

 ラエルはそれを確認して、ハーミットとの距離を詰める。


「ねぇ、ハーミット」

「どうしたのラエル」

「町長さんって、レーテさん……よね?」

「違うよ? 調べなかったの?」

「うっ……ぐぐぐ……」


 正論の刃が少女のか弱い乙女部分を突き刺す。

 死ぬわけではないが死ぬほど悔しく恥ずかしい。


「彼はサンドクォーツクからここに婿入りした元漁師さん。本家の血筋を持って町長をしているのは別の人だよ」

「……それじゃあ、隣の大きな家に住んでいるとか?」

「いいや。町長さんもこの建物内に住んでるはずだけど」

「えっ、それじゃあもしかして」


 黒髪の少女は言いかけて、気配に気が付いて顔を上げる。


 二階に現れた女性の影。片腕をレーテに預け、空いた手のひらで握られた欄干。

 薄水色のワンピースは整然と。音も無く揺れた。


 シルバーアッシュ。黒に近い灰色の髪を見事に巻き上げている。


「――あら良かった。お迎えさまがいらっしゃったのね」


 鈴が転がる様な声がして、女性の背後から何か黒い物が飛び立つ。

 ラエルは咄嗟に身構えたが、その軌道は少女ではなく寧ろ針鼠の方に――。


『蝙蝠使いが荒いんじゃぼけぇえええええええですぅううううううう!!』

「ぐはああああああああ!?」


 滑空するように飛行した軌跡は見事なもので、そのを真正面から受けた針鼠はソファから身体を浮かせてひっくり返った。


 あまりにも唐突で一瞬のできごとだったので、ラエルは暫く目を瞬かせ――それから、疑問を口から零す。言葉遣いや現在の居場所などを考慮する余裕はない。


 尖った口元は果実を砕く為に。黒い瞳と耳につく羽音は浮島の資料室でお馴染み。


「どっどうしてここに――ノワールちゃんが!?」

『ふんすー!!』


 四天王強欲の腹の上で爪を立て、皮膜を畳んだ蝙蝠は牙を剥いて見せた。




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