120枚目 「蜜入りアプルのカービング」


 生憎、夢はあまり見る方ではない。

 木彫りの梁、刺繍の壁紙、硝子で膜を張ったタイル。


「……朝。じゃあ、ないね。流石にそれはない」


 朝日の黄金染みた黄色ではなく、白に近い太陽光が差し込んでいる。腹に巻いていた緑のシーツはぐちゃぐちゃになって床に落ちていた。後で使用人に渡すことを考えると気が引けて仕方がない。


 絨毯を避け、冷たいタイルに足をのせて鏡の前に立つ。


 灰髪のストレートには多少の跳ねが見られたものの、ドレッサーに備え付けられた毛の櫛でなぞればあっという間に整っていく。


 鏡に映る青灰の瞳は宝石の如く輝いた――が。その色が気に食わないので眼鏡をかける。魔法具の効果は十二分に発揮され、虹彩は青灰から白みがかった黄緑に変わる。


 これは土系統の魔力を利用した色彩変化鏡へんげきょうと呼ばれるものだ。仕入れ先は魔法具に特化した魔導王国。五年前に無理を言って発注してもらった特注品である。


「よし」


 壁にかけていた帽子を手に部屋を出る。


 左手首には木製リストバンド型の回線硝子ラインビードロ。登録している中には、この町で特に仲の良い友人の物もあった。


 呼び出しを開始して五、六秒。相手からの交信許可が出る。


『――はい。こちら、刻師工房マーコールです』

「こちらこそ、キーナだ。……おはよう、ペタ。昨日は眠れたか?」

『あ。なんだぁキーナか、めぇ』

「思ったよりは元気そうだな?」

『まあね。第二じゃあ顔見知りが突然死ぬなんて良くある話だし』


 言葉を詰まらせないようにか、畳みかけるように話す友人の声音を聞いて、目を伏せる。

 現実は残酷だ。どうしてこんなに善良な人間から、彼の最愛なる親族を奪ったのだろうか。


『……キーナは今起きたの? もう少しで太陽が昇りきるよ?』

「うっさい。体力の温存と回復に専念したんだよ。本調子じゃないペタを十全にサポートする為にな」

『はは、ありがとうキーナ。でもボク、この後は何も予定を入れていないんだ。昨日の始末は朝の間に終わらせたからね。めぇ』

「……そうなのか。お疲れさん」

『めぇ。ボクがしなければならないことを、ボクがやっただけさ』


 そのは、人の心を抉るに十分だろう。――言いかけて、辞める。


(僕の感情をぶつけるべき相手は、他に居るだろ)


「なぁ、ペタ。今日の昼食、僕の家に来ないか?」

『え。いいの?』

「ペタが昼食のあてがないならな」

『……ないよ。何なら用意するのも忘れてたくらいだから、めぇ』

「おっけー、それじゃあ用意してもらう。すぐ来られそうか?」

『めぇ、行けるよ。大丈夫』

「待ってるからな」

『めぇー』


 ぷつりと切れる通信。灰髪の彼――キーナは長い廊下の先にある階段を降りて行く。三階建ての最上階に部屋を持つ彼が二階の広間に辿り着くまで、そう時間はかからなかった。


 フレンチドアの取っ手を引けば、食事用に作られた無駄に巨大なテーブルの上に鮮やかな果実が飾られているのが見える。ただの果実ではなくカービングが施された果実だった。


 巧妙な彫刻を生み出すのは、この屋敷の管理を任されている使用人の白き者エルフだ。白い髪をオールバックに纏め、器用な手さばきでアプルを切り飾っている――キーナが見ていることに気がつくと、黄色の目を細めて会釈した。


「おはようございますキーナさま。夜更かしは身体に障りますよ」

「ふん。身に覚えがないね」

「そうですか? ……まあ、そういうことにしておいてあげましょうか」


 軽口を叩きながらもその手元に狂いはない。銀のナイフで見事な蔦模様が刻まれていく。

 削り取られた部分は、彼自身のおやつやジャムになると聞いたことがある。


「ネオン。今日の昼食はペンタスを呼びたいんだけど、食材は足りるか?」

「問題ありませんよ。先日天幕市場テントバザールで仕入れたばかりですし」

「ありがとう。欲を言えば、あまり重くないものを用意して欲しい」

「お任せください」


 ネオンと呼ばれた使用人は、会話の間に仕上げたアプルを切り分けて硝子の器に乗せ、食器と共にキーナの前に刺し出す。遅めの朝食の代わりらしかった。


 しゃくり。


 無言で噛み砕く赤い皮。白に近い黄色が果汁を吐き出す。


 噛み砕いてしまえば飾られていようといまいと変わりない筈なのに。どうしてか家で食べる果実に勝るアプルの実を、キーナは知らない。


 使用人はいつの間にか姿を消していた。キーナは器を持ったまま壁のカーテンを横に引き、差し込んだ光に目を細める。


 窓を開けて外の空気を吸い込めば、いつもと変わらないイシクブールの裏山。竜の尾骨に例えられる白い山肌と、裾野に広がる僅かな緑。


 澄み渡った青い空に海から流れてきた入道雲が映える。

 雲の白に赤い火の色も重なって非常に目立つ――。


「は? 空に火?」


 見れば、空に向かって細い火柱が立っていた。それが暫くして下方から途切れる。真上の雲の様子はひさしの所為で伺えないが、下方にある発生源は目撃できた。

 隣に家を構える町長宅。モサモサと庭の草が生えているあの屋敷で何があったというのだろうか。


(……燃え広がってはいないようだけど。魔法具の暴発か何かか?)


 鼻を掠めた魔力の残り香に眉を寄せる。故あって魔力子に対する感覚が鋭敏であるキーナには、身に覚えのない匂いに感じられた。


(魔法具に込められている魔力は薬品や油の匂いが混ざるけど、今のは生身の人間が使った魔術みたいな――)


 しゃく、と。アプルを食べる手は止めない。

 何故だか分からないが切羽詰まる様な危機感はないのである。


(空気が震えていないから、緊急性は無いと思うけど)


 そうして観察を続けていると、鬱蒼と茂った草の奥に背の低い針頭と黒髪をまとめた灰ケープの少女の姿が見えた。


「『点火アンツ』は駄目ね。出力ばかりあって距離の制御が効かないみたい。……それじゃあ命中率が高い雷系統の」

「ちょ、待って。装備に刃物があるだろう、それを使ってくれ」


 キーナは海風に運ばれた言葉に息をのむ。


(昨日ペンタスの家に泊まらせた観光客? それにしてはやけに物騒な話をするもんだな)


 眼鏡の縁をなぞり視力強化する。できる限り彼らの表情が分かるよう目を凝らした。

 針頭は背が低いのか、草の影に隠れて顔が見えない。黒髪の方に視線をずらす。


「なんでも魔術や魔法を使ってどうにかしようとするんじゃない。ほら、俺と同じナイフが支給されているだろう? あれを使ってくれ。俺もそれを使うから」

「えぇ……私が身一つで貴方に勝てるとでも?」

「君も十分人族離れしてると思うよ? ほら、魔術を使えない俺に対するハンデだと思ってさ」

「ノハナの苦汁がかかっている時点で本当は手段を選びたくないのだけど」

「じゃあ四天王としてお願いするよ」

「うぐ。やめて、私そんな重い権限を使わせるほど扱いづらいかしら」


 黒髪の少女は隣に立つ針頭に向かって悪態を吐きながら腰元に手をやる。


 革のように厚いワンピースには特に武器らしきものを見受けることができない。強いて言えば腰元のベルトにウエストポーチが一つあるだけである。


「先に言っておくけれど、草刈りとはいえ手加減はしないわよ」

「ははは。まあ、ハンデとして君がナイフを抜くまで動かないよ。俺は多分、それでも負けないだろうし」

「配慮してくれているんでしょうけど一言多いわ!」

「そうか? 気付かなかった!」

「煽るわね!?」

「こういうのは、楽しんでやらないとだからね!!」


(草刈り? ……なんだ、草刈りをするのか。心配して損した)


 キーナは呆れて目を逸らした。気になる単語がないわけでもなかったが、耳に届いた情報は断片的でいまいち要領を得ない。


 視力強化を解除して次のアプルを口に入れ、それからぼんやりと顔を向ける。

 決して気になったからではない。草刈りの風景など毎年のことで見飽きているし、誰がやっても変わり映えしないのは明らかである。


 ただ、彼らがどう競うのか。爪先ほどの興味が沸いただけだった。


 黒髪の少女は足場を確認する様にその場で跳ねた。紫の瞳を地面に向け、目の前に生い茂る雑草の海の全容を把握しようとしているのだろうか。


「……よし」

「準備はいいかな」

「心の準備はできたわ」

「じゃあ俺は家側の半分を」

「それなら私は山側の半分ね」


 その会話を最後に、息を整えた少女がその場でくるりと回った。


 腰のベルトで結ばれたワンピースが宙に舞う。キーナは少女がとったまさかの行動にぎょっとしたが、どうやら彼女の下着は重ね履きされた下衣に隠れていて。黒いタイツの上に何かが巻かれていることに気がつく。


 太ももに仕込まれたガーターベルトに艶めく黒い鞘。

 手のひら二枚分の長さはあろうそれを少女が引き抜く。刃の先にあった雑草は根元から一斉に刈り取られた。


 そして、隣に立つ少女がナイフを抜ききったことを確認した針頭も、腰ベルトに提げたナイフを抜いて薙ぐ。

 恐ろしいことにその腕が振り切ったタイミングは、先にナイフを抜いた筈の少女が腕を振り抜くのとほぼ同時だった。


「……っ!?」


 口の中のアプルを噛むことも忘れ、飲み込もうとしたそれが口の中で暴れて噎せる。


 その後の草刈りは針頭の方が手際よく優勢で、歯噛みをしながら少女が後を追うように草を刈っているのだが――そんなことはどうでもいい。


 初動を見ただけで、計り知れないほどに強いと分かった。

 そして、その感覚に覚えがある。


「――キーナ。どうしたんだいそんなところで」

「っ!! は、ノックぐらいしてくれよペンタス!!」


 跳ねた肩を叩き損ねたツノつきの獣人はぽかんとして「ノックはしたけどな」とぼやく。


「何を見ていたんだい?」

「あー……昨日の観光客がスカルペッロさんとこの草刈りしてるんだ」

「草刈りを!? 彼らが!?」


 ぽやんとしているこの優男は困ったように眉を顰めて隣の庭を目にすると、顔のパーツをぎゅっと中心に集める。複雑な気持ちのようだ。


「彼ら、魔導王国の使いのはずなんだけどな……流石町長、人使いが荒い……めぇ」

「昨日は宿屋に泊まり損ねた観光客だと思ったけど、魔導王国の人間だったのか」

「めぇぇ。何を隠そう、東市場バザールの火災を収めたのは彼らだからね。命の恩人だって言ったじゃあないか」

「……いや、一人で複数人の賊を相手しながら火に巻かれるペンタスを見つけ出すような人族と、異常事態だからって大して混乱せずに水の槍を降らせることができる人族が偶然火災現場に居合わせたなんて信じられないだろ。魔族とかならともかくさぁ――噂には尾ひれがつくって決まってるんだ」

「めぇ……本当のことなんだけどなぁ……」


 キーナは一口サイズに切られたアプルをペンタスの口に一つ放り込む。


「まあ、その評価は改めなきゃならないようだけど」

「? (あっ、このアプル美味しい)」

「丁度いい。賭けをしようぜ、ペタ」

「……いいけど、彫刻とお金を担保にするのは無理だよ、キーナ?」

「誰が物を賭けるって言ったんだ。賭けるのは勝敗だ勝敗」


 お前いつか酷い詐欺師にひっかかりそうで心配だよ……。と、キーナは言って、町長の庭の草を刈っている二人に目を向ける。


「あの二人の内どっちかが、――僕は、あると思うんだ」

「……めぇ!?」

「っ声が大きい!」


 アプルの欠片を突っ込んでペンタスを黙らせる。

 獣人はクルクルとさせながらそれをよく噛んで飲み込んだ。


「いや、いやいやいや。キーナ。悪いことは言わないからそんな夢みたいな妄想は辞めといた方が良いって! 大体君、町に来るちょっと強そうな人たちを見て毎回『今度こそ勇者だー!!』って言いまくってるじゃないか。そして毎回僕に負けて君はケーキを奢ってる!」

「いいや、今回は格が違う。あれは本当に人族離れしているんだ。それこそ賭けても良い。いいや僕は賭ける。賭けてやる。毎年喧しくて仕方がない四日後の蚤の市にネオンの服を借りてスタッフとして走り回っても良い!」

「うわぁ自分で逃げ道塞いだよ仕方ないなぁ!?」


 ペンタスは半分閉じた瞼の下で、硬貨が歪んだような瞳を細める。


「めぇぇ。最終的に首を絞める結果にならなきゃいいけどね。そうだなぁ、ただでさえ堅苦しい服が嫌いなキーナがそれぐらい賭けるなら。ボクは親父と一つ屋根の下で暮らすことを条件にでもしようかなぁ……」

「えっ……幾らなんでもそれは駄目だろ。ケーキにしておけよ。ペタの親父ってマーコールさんの葬式にも来なかった奴のことだろ」

「そ、それはそうなんだけど。葬式に出たくない気持ちは分からなくもないから、めぇ」

「悪いことは言わないから、僕にケーキを奢ることにしとけよ。そんな重大なことを賭けで決めても困るだろ」

「……分かった。それじゃあ君が賭けに勝ったら、ボクが蚤の市の当日スタッフになって走り回るよ。今年は商品出せそうにないし、めぇ」

「おっしゃ決まりな! 四日後までにあの二人を調べて、どっちかが勇者だったら僕の勝ち、そうじゃ無かったらペタの勝ち! ここに誓いは結ばれたりぃー!」

「はいはい。誓って破りませんよー」


 そうケラケラと声を上げながら二人は窓を閉め、カーテンを閉め、昼食を用意してくれたネオンの元に駆け寄っていった。







 ――下方。


 分担された庭の草を刈り終えて少女を待つ針鼠の瞳が向けられていることに、彼らは最後まで気がつかなかったらしい。




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