94枚目 「ポータブルハウス」


「――っ! 寝坊したぁ!!」


 目覚まし鈴がけたたましく鳴り響く室内で目覚めたラエルは、開口一番そう叫んだ。


 同室のストレンの姿は無いが、朝食 (だったもの)が用意されていることを考えると既に出勤したのだろう。昨日も帰ってシャワーを浴びてあとは泥のように眠ってしまったので、黒髪の少女は実質二日間彼女と顔を合わせていなかった。


 耳に刺さる音をまき散らす時計を止め、目覚めぬ脳に酸素を送り込む。


(例の一件で骸骨と交戦した人の治療がまだ済んでないのかしら。それか現場に居合わせたことに関する調書作成に追われてるとか……?)


 用意されていた焼き菓子とサンドイッチ (ノハナ草と卵が挟まっていた。苦い)を頬張りながら色々と想像してみるも、しっくりくる予想ができずに息を吐く。


 細かい事情を把握するのはラエルの領分ではないようだ。


 全身の凝りを解してからシャワーを浴び、襟の丸い黒シャツに青みの強い密着性の高いズボンを合わせ、薄紫のカーディガンを羽織った。


 七分袖のカフスを留めつつ、今日の髪型をどうしようかと天井を仰ぐ。


(今日はマツカサ工房に行くから、邪魔にならない髪型が良さそう。……髪って、もう少し短くした方がいいんだろうか)


 跳ねた毛先を撫でながら鏡に映る自分を眺める。


 ラエルの黒髪は実の所、カルツェのように漆黒ではない。青みがかった濡れ羽色というか、それが生まれつきうねっているのだ。


 砂漠での生活を経て傷んだそれは、一部褪せてしまって茶色にも見える。


(今度、機会があったらストレンにでも相談しようかしら)


 とりあえず今日の所は黒髪を一つまとめに丸め。

 青銅のルームキーを指に魔力制御の金属器を左手首に装着し、玄関の扉を開く。


「ああああぁん待ってましたぁああ可愛こちゃん!! お昼にちゃんと起きてる生活リズム最強なベリーさんなんだよ!!」


 扉は閉じられた。


「……」


 外からドアノックが激しく打ち鳴らされている。


 まるで借金の取り立て屋だ。空間魔術で仕切られているとはいえ、ドアノックが伝わるこの特性では騒音被害は防げない。


 ラエルは溜め息をつき、外行きのカーディガンを外すと長袖のコートに取り換えて回線硝子ランビードロに指を滑らせた。


「ベリシードさん」

『――はぁい! 開けて頂戴! 不審者じゃないんだからさあ!』

「扉の前に立たれたら開けられるものも開けられないわ。少し離れて欲しいのだけど」

『……ノックしなくても出て来てくれるのかい?』

「予約に遅れたのは私の方だから、催促されなくても出ていくわよ」


 言いながらのぞき窓を確認する。

 ベリシードは扉を叩くことを止め、中央にあるアクアリウム側に立っているのが見えた。


 意を決して扉を開く。


 右開きの扉。目前に立つベリシードは少女が出てきたというのにピクリともしない。


「――はぁい! 驚いたぁ!? 『土人形ゴーレム』の応用、『偶像アイドル』だよー!」


 側方から発された声に、勢いよく扉が閉じられる。


『んああああ!? どうして部屋に籠もるのさあ!? ラエルちゃん!?』

「心臓に悪いのよ!!」

『ご、ごめんね!! 驚いた顔が美しかったからまた見たくなっちゃったんだてへっ――じゃなくて! ベリーさんが悪かった! 出て来てよー』

「………………っ」


 溜め息まじりに部屋を出る。顔を合わせたベリシードにまずお願いしたのは、ゴーグルーをかけて会話すること、だった。







 受け流す壁パリング仕様のゴーグルーを着用した作業着姿の女性は、血のような赤い瞳を細めて申し訳なさそうに頭をかいて見せた。


 色素の薄いぼさぼさの茶髪は、うなじの後ろで纏められている。


「いやぁごめんなさい。久しぶりに顔を合わせるものだからベリーさんあがっちゃって。でもびっくりしたんだよ? ラエルちゃん、また厄介ごとに巻き込まれたかと思ってさあ」

「こちらこそ心配させてしまってごめんなさい、寝過ごしちゃったのよ」

「いーのいーの。一昨日は大変だったんだろう? フランもあたしも時間があればあるほど燃えるタイプだから大丈夫。それに、あたしが今日見せたいのは屋上にあるんだなー」

「屋上?」

「そ。屋上」


 魔法具技師はそう言って、人差し指を天井に差し向けた。


 ラエルが居る階層から屋上への距離は一階分。あっという間に五棟屋上である。


 促されるままついていくと、扉の前に針鼠が待っていた。立ち寝でもしていたのか、びくりと肩を震わせた後に顔が上がる。


「おはよう、よく眠れたみたいだね」

「うっ……」

「いま来たところだから気にしないでいいよ――さて、ベリシードさん。こんなところに呼び出してどうかしたの」

「ふっふっふー。近い内第三大陸に降りるっていう二人に是非見せたいものがあってねぇ?」


 魔法具技師は怪しげに笑って、屋上の扉を開け放った。







 家。







 そこには一件の平屋一戸建て木造建築物が立っていた。


 一人暮らしをするには広そうだが、数人で住まうに十分足りるだろう敷地面積を備えている。そんな家。仮にも城の屋上に建つには場違いなそれが目の前にある。


「……」

「……」


 頭を抱える針鼠と、状況を飲み込めない黒髪の少女。


 一方のベリシードは胸を張って目の前の魔法具の説明を始めたのだが――三百分に及んだそれを割愛、要約すると「持ち運べる住居空間」をマツカサ工房で開発したということらしい。


「そっもそも獣人もどきの一人旅用に小さな居住スペースを作成した過去の技術を応用したのが過ぎたセンチュアリッジ作戦で使用したテントなんだけれど、あれは規模が大きかったから内容物を保存した状態での空間圧縮が上手くいかなかったんだよねぇ、それで色々話し合ってみたら物を圧縮するのが大変ならいっそのこと物作っちゃって現場に運べばいいじゃんって話になってね!!」


(あの規模の天幕を中身ごと腕に抱えられるサイズに圧縮できるだけ凄いと思うのは私だけなんだろうか)


「実はここだけの話、発注から一か月かけて作り上げたベリーさんとフランくんの共同制作物兼この上ない大作なのだよぉ! うわっはははは愛しの可愛いラエルちゃん! 頑張ったあたしたちを褒めて褒めてぇー!!」


(……俺だけだったらきっと小さなテントだったんだろうなぁ……)


 各々の思うところはあるにせよ、この家を仮にも持ち歩けるようにしたという事実を飲み込めないまま「取り敢えず今日はガワを見て欲しかっただけだからもう良いよー。内装は実際に使った時のお楽しみ! そしてあたしは今からこれをメンテするのさああああ!」と一方的に言い放たれた二人は、ほぼ一方的に屋上から締め出された。


 腑に落ちない感情が表情に出そうになるのを抑え込み、ハーミットとラエルは五棟屋上に竜巻のような仕事人を放置したまま階を降りることになったのである。


「怒涛だったわ……」

「ああ。体力をごっそり持って行かれた……」


 思わず素の感想を述べる針鼠。ラエルは同意して笑みを浮かべた。


「でも凄い技術者よね。ベリシードさんも、フランさんも。ここが魔導王国だからなのかもしれないけれど、毎回驚かされてる気がするわ」


 ラエルは左耳の捻子式ピアスに引っかかる髪を払った。

 はめ込まれた魔石が天窓から差し込んだ白いカーテンを受けて輝く。


「……どうしたの。私の顔に何かついてる?」

「いや、イゥルポテーさんも浮島にすっかり慣れたなぁと思って」

「そう見えるかしら」

「うん、六年前の俺にお手本として会わせたいぐらいには」


 六年前に何があったというのやら。

 針鼠はけらけらと笑って階段を駆けおりる。


 魔鏡素材マジックミラーの瞳が少女の姿を反射した。


「ふぅん。六年前の貴方って、全く想像がつかないというか――そもそも貴方いま何歳いくつなのよ」

「最近二十四になったばかりだよ」

「にじゅうよん!? 私より年上!?」

「ははは。仕方ないよ、見た目がこうだしね」


 ハーミットは自らの両頬を人差し指で押し上げ、プリティフェイスを演出する。


「俺の成長は十三で止まってるんだ。何故か髪と爪は伸びるんだけど」


 手袋をした掌をひらつかせ、さらに階段を降りるハーミット。

 十二階回廊からは、鉄の檻で下階へ向かった方が遥かに時短である。


「そうなの、苦労するわねその身長だと……」

「うーん、暗にディスられているような気がするぞー?」


 首を傾げながら、下階向けの昇降機を操作する針鼠。下の階に止まっていた昇降機がガラガラと鎖を巻き上げながら昇って来る。


「あ、そうだ」


 針鼠は登って来た昇降機を操作しながら呟いた。


「君が眠っている間に武器と装具のサンプルを作ったから今度は採寸させてくれって、フランから連絡があったんだ――えっと、……頑張ってね」

「?」


 黒髪の少女は首を傾げる。

 勿論彼の言う「頑張れ」から、嫌な予感がしないわけがなかった。







 二時間後、三棟魔法具工房マツカサ前。


 息も絶え絶えに生還したラエルは、道行く人々の目を気にすることなく廊下にへたりこんでいた。


(母親がベリシードさんだってことがひしひしと伝わる採寸方法だったわ……)


 思い出す事を拒否するものの、脳内で先程の光景がフラッシュバックするラエル・イゥルポテー。目を疑う魔法具調整と採寸の方法が瞼の裏に焼き付いている。


 ある意味で眼球飛来よりも強烈なイメージが残ってしまった。暫くの間は長いひも状の物体をお目にかかりたくない。


(というか、ヘッジホッグさんも犠牲になったけれど……あれはあれで……いやいやいや、我ながら逃げて来て正解だと思う)


 鼠顔を取った金髪少年が無数の布紐に絡めとられて引き摺られていく様子は、蜘蛛の狩りを思わせた。


 少女はその隙に工房を抜け出したのである。恐怖がどうとかいう話ですらなかった。本能的にアウトである。誰でも逃げ出すような混沌は資料室のメルデルとの遭遇だけで十分だ。


(……とはいえ私もがっつり吊るされたし……ああ、調理場で吊るされたまま切り分けられる肉の気持ちが少しは分かった気がする……いろいろなものと引き換えに……)


 意気消沈する少女に見向きする者は少なく (というのもベリシード一家は変わり者扱いされているのでこれが日常風景である)、通路に長居はできないと少女は立ち上がった。


 服の埃を払い、顔を上げて。そこで見慣れた顔と――目があう。


「あらぁ、このようなところで会うなんて奇遇ですねぇ?」

「あっ、ストレン」

「ふふ、お久しぶりですよぅ。ラエル」


 白魔術士の制服に身を包んだ女性。ストリング・レイシー。

 一人で居る所を見ると、仕事が一段落したということだろうか。


「今日は珍しく早寝遅起きでしたけどぅ。って、どうしましたぁ?」

「……フランさんに採寸されて……」

「……成程、賢い私は理解しましたよぅ。心中お察ししますぅ……」


 ストレンはそう言って少し考えると、ラエルの両肩に手をのせた。


「なに?」

「静かでいいところがあるんですよぅ。貴女さえ良ければ、少しそこで休みません?」

「いいけれど……浮島のどこに静かな所が?」


 既にすっかり夕方という事もあって、噴水広場 (修復作業中)も各棟のバルコニーや食堂も仕事あがりの人でごった返している筈だ。


「教会ですぅ」


 赤いジャムのような瞳は、丸くなった紫の目を捉える。


「丁度、不死鳥に祈る予定がありましたから」


 白魔術士の口から告げられたその動機に、黒魔術士の少女は瞼を瞬かせた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る