93枚目 「穢れぬ鳥」


 第三大陸上空、雲の上。

 赤紫の髪が風に揺れる。


 苔色のローブに身を包んだ男――スターリング・パーカーは右腕に紙を束ねたような本を抱え、左手のひらで背表紙の黒い本を開いて赤い床に横たわっていた。


「うーむ。どうやら予想していたよりも状況は深刻らしい。私の立ち位置はこれでいいとして、この先はどうしたものか。生き残らねばならないのは確定だが……どう思う、カーリー?」

「……」


 男の声かけに応じることなく、雲海を眺める紫目の男性。彼は膝を抱えるような体制のまま、バランスがとりやすい様に赤い壁に背を預けている。


 緑のローブが強風にバサバサと揺れるものの、彼らが大地に足を下ろす様子はない。


「駄目か。まあいい、少しずつでも……せめて意思だけでも戻ってくれると嬉しいんだが」

「……」


 紫目が向けられる。

 スターリングはあえて、その動作に気づかないふりをして見せた。


 カーリーの目は、興味を失ったように閉じられる。


「『沈黙サイレンス』にかけられた少女でも、表情や行為から意思がはっきりと感じられたんだが……それだけ浸食、いや剥離が酷いということだろうか」


 ぱすん、と開いていた黒い本を閉じるスターリング・パーカー。

 表題は――


「……」

「はあ。久しぶりの再会だというのにこれでは寂しいな。そうは思わないか、リューグ」


 ……そうして雲間に差し込んだ太陽光で照らし出される光景は、信じがたいものだった。


 空を、赤い竜が飛んでいる――男二人を背に乗せて、浮島から身を隠すように雲に潜っては羽ばたいた。

 金色こんじきの細い瞳に新緑を思わせる鮮やかな緑の虹彩。それが自らの背に乗るカムメ口の男を捉える。


『さあ、我にはさっぱりである。尤も、この数年の間寝てばかりだったものでな』


 心臓を震わせるように発された波打つ声にスターリングは身を起こす。

 腰を下ろしたその下に敷き詰められた、美しい赤の鱗を撫でた。


「それは失礼した。長い間魔晶石に封じたまま放置していてすまない。懐に居たことをすっかり忘れていたのだよ」

『我が気付いて飛び出していなければそれこそ海に叩き付けられていたものを。なぜ朗らかに語ることができるのだ。相変わらずマイペースすぎるぞ、王よ』

「私は既に王ではないよ」

『我を負かし配下につけた男が何をいまさら。我にとって王はお前一人、あの若造とお前とではとてもではないが年期が違う』

「……そうかい?」


 目を細め愉快そうに笑うスターリングに、赤竜は嫌そうに口を歪める。


『含みを持たせるなお前らしくない気持ち悪い』

「ははは、私の周りには素直になれない奴が多すぎるな……!」

『気持ち悪いのは昔からではなかったか?』

「追い打ちをかけてくれるな」


 スターリングは頭を抱えて空を仰ぎ、それから無言でいる弟に目をやる。昔馴染みのエイデルワースも含めた三人で脱出する計画だったのだが、それはもう叶わないだろう。


 彼女が死霊術を使用する際に使っていたという目元まで影を落とす鍔付き帽は、今はカーリーの頭上にのっている。紫の目は兄とは違ってはっきりと見開かれ、一点を見つめていた。


 視線の先には逆鱗。よく見つけたものだと褒めようとした兄はしかし、弟の奇行に気づく。


「……」

「まさかとは思うがカーリー、それを刺激しようなどと思うなよ? かつて不死鳥と呼ばれたリューグの暴れようはお前も記憶に新しいだろう」

「……」

「おいおい、手を伸ばすんじゃない。やっぱりお前、意識あるな? 兄は騙されんぞ?」

「――は、はは」


 ひゅく、と吸い込んだ声が言葉になる。


 長い間誰とも話していなかったのか、先程飲ませた水が喉を潤したからなのか。

 カーリーは乾燥した唇を裂きながら兄に目を移す。


「……あ、にき」

「カーリー」

「おれにはむりだった。いれかえるどころか、ちが、ぬけるばっかで」


 濁った瞳が自らの両腕両足を追う。高度な白魔術で治療が施されたかつての患部は痕形も無い。


 だが、それは記憶が消えることと等しくは、ないのだ。


 カーリーの視界には爪で引き裂いて骨が見えた両腕と。掻き毟った膝と。うっ血した指と。冷たい足先が見えていた。


 過去の記憶が幻肢痛のように軋む。


「あにき、は……いきて、たんだ、な。おどろいた」


 かつて。浮島の監獄から逃れた唯一の罪人。


 、脱獄した魔族。


 本人が目の前に居るとするならば、確かに夢と見紛うかも知れない――例え実の兄弟であったとしても。


「これ、ゆめか?」

「いいや、夢では無い。故に、その指を振り下ろせばリューグは暴れる。さ、こちらに手を伸ばしてくれカーリー」

「……ふは。ははは、ははははは」


 力無く、笑う。搾り取られた思考で下される判断。


「しんじられるかよ」


 カーリー・パーカーは容赦なく竜の逆鱗をひっかいた――。


『!!!!!!』


 従順な赤竜の背が予想外の衝撃に波打つ!


 暴れたその巨躯から空に投げ出された男二人は、仲良くスカイダイビングを楽しむことになった。

 カーリーは涼しい顔だが、スターリングはそうではない。冷や汗全開で遡る汗を気にすることも無く、落下する弟の首根っこをひっ掴む!


「おまっ、お前はぁああああぁあああああ!?」

「はは。もし、これでいきのこれたらしんじてやるよ――、ってな」

「やっぱり私の弟だなお前はぁああああ!? むしろ安心したぁああああ!!」

「そっくりかえすぞ、

ぅ!! そんなこと言うなぁ!! 兄は悲しいぞぉ!?」


 ぎゃーぎゃー喚きながら雲間を落ちていく兄弟は、怒り狂う赤竜と共に第三大陸方面へ消えて行った。後日彼らの足跡は、実に珍しい縦長の雲と竜の観測として、地方雑紙に載ることとなる――。







 ところ戻って魔導王国浮島。

 三棟三階、商業区画の一角にある魔法具屋――マツカサ。


「――あ、あの眼球何!? 何なの!?」

「し、知らない……マジで知らない……」


 肩で息をする少年少女の傍らで、強引に閉じられた上下開閉式の扉の枠が暫く震えていたが、そこは魔導王国クオリティ。向こう側の眼球たちが扉を突き破ってくることは無かった。


 顔面蒼白だった金髪少年 (走っている途中で頭がとれた)の白い頬にも赤みが戻り、黒髪の少女も同じような感じである。


「……(ぢゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいい)」

「ベリシードさんは作業中なのね……助かったわ……」

「だね。彼女には悪いけど、少し休ませて貰おう」

「……粗茶……」

「ありがとう、丁度飲み物が欲しかったの。助かるわ」


 ラエルは礼を言って、差し出された水を飲み込んだ。ハーミットも同じようにする。

 天井では風切り羽のミルフィーユが回っていた。


「助かったよ、ありがとうフラン」

「ん」


 フランだった。


「うわぁああ!?」


 先に気づいた黒髪の少女は思わずグラスを投げそうになってギリギリ留まった。

 金髪少年は暫く硬直していたが、二度見してようやく状況を把握する。


「びっくりした……。そういやあ、君ここが職場だったな」

「そ……本職」


 目元まである癖の強い巻き毛をクリップで止め、瞼が半分落ちた赤い瞳が露わになる。フランは作業用の手袋を外して腰に提げてから二人を引き起こし、下階の作業場に目をやった。


「あの人、昨日から……作業してて。用件、あるなら……聞くよ」


 二人は顔を見合わせ、それから頷く。廊下にはまだ眼球が飛来しているに違いない。どの道、この店から外に出る選択肢はないのだった。


 ベリシード・フランベルが切り盛りする魔法具マツカサは、魔導王国の中でも魔術刻印に特化した加工場として知られている。


 ラエル・イゥルポテーが使用している水色の手袋然り、ハーミット・ヘッジホッグが着用している火鼠の衣然り、布素材に魔術刻印を埋め込むだけではなく、魔力子の有無に左右されない魔石仕込みの魔法具を作る技術を発明したのはこの工房の人間である。


「武器や武具を、お探しかな……それとも、いつも買ってくれてる、虹の粉コンシーラー?」

「虹……まさか、角柱粉状痕隠しプリズムコンシーラーの商品名?」

「何とか、製品化……お値段、今までより……少しお安め」

「えっ、あれ商品じゃなかったの?」

「認可が下りたってことだよ。事前販売してたのは秘密だからね?」


 ラエルは無言のまま笑顔をつくる。


 ……まあ、小瓶ひとつでそれだけの価値があるとはいえ、転売が上手くいくものとも思わない。かの変態兄弟はご愁傷さまといったところだろうか。


 金髪少年は言う途中で思い出したのか頬が引き攣っているが、まあ大丈夫だろう。


「あ、そういえばイゥルポテーさんと俺、仕事で一緒に第三大陸に降りることになってさ。何か良いものない?」

「第三……北? 南?」

「分かんない。でも、国町を巡る調査だから基本は南側だろうね」

「……考えとく。発つのは?」

「四日後だ」

「そ」


 黄色い紙に何やらカリカリとメモを取ると、フランは顔を上げる。


「……ラエルさんは?」


 黒に近い赤い瞳が向けられ、周囲のこまごまとした商品を眺めていたラエルは、まさか自分に話を振られるとは思っていなかったので吹き出しそうになった。


 金髪少年はそのやり取りに目を丸くして、何故か居心地悪そうに口をとがらせる。


「私? 私は……特に思いつかないけれど、そうね」


 少女は言いながら左手首に視線を落とす。

 金色の魔力制御装置は、昨日の今日で新しい物にさしかえられ、どうやら下級魔術まで封じられてしまったらしい。


 事件当日の『点火アンツ』の調子が思ったより良かったので、ラエルにしてみればそのままの精度で構わなかったのだが、気軽に暴発されても困るというストレンの意見が採用されて今の形に収まった。


 苦いお茶の件といい、絨毯を焼いたことを報告したことといい、後で色々と問いただしたいものだが白魔術士として駆り出されている現在は難しい。


「魔術の使い方は追々自分でどうにかする予定だから……後は、魔術が使えない状況でも使えるような武器が手元にあると良いわね」

「武器」

「装身具とか装具より先に武器か」

「?」


 何故か項垂れる男二人に首を傾げるラエル。


 紫の瞳は何も状況を把握できていなかった。とはいえ、黒魔術師の少女が魔術を封じられたときに戦えないのでは話にならない。


「イゥルポテーさん、今まで武器を使った経験は?」

「ええと……烈火隊の訓練に混ざった時に少しだけ。槍は無理ね。短剣はまあまあ。ロングソードは何とか素振りができる感じね。だけど、アネモネさんのレイピアを触らせてもらった時は重くって、構えるのが精一杯だったわ」

「ほう」

「後は魔弓? とてもじゃないけど弦が張れないし、運よく弦ができた時も、つがえたら木の矢が蒸発したの。魔力制御が苦手な私には向いていないと思うわ」


 今から思えばその時ストレンが悪戯をしていたのかもしれないが、もう一か月ほど前の話である。ラエル的には時効だ。


 フランはラエルの話を聞いて、こくりと頷く。


「……ラエルさん……『嫉妬』の武器、持てたの? 片手で?」

「え? ええ。持てないことは無かったわ。でも重くて、突きの速さは出せそうになかったけれど」

「……なら、普通のは持てるよ。彼の、特注品で……数倍重いから」

「そうなの。ああ、でも。腰に下げるような武器はいらないわ。走るのに邪魔にならない方が嬉しいの」

「んー……」


 フランはラエルの言葉に悩む。少し思考の海に潜るようだ。


「難しい注文をしてしまったかしら」

「彼なら大丈夫だと思うよ。空間魔法技師の資格も持ってる凄腕なんだ」

「そんなに凄い人だったのね」

「魔導王国の魔法具技師は誰もぶっ飛んでるけどね」


 走り回った熱がようやく収まったのか、鼠顔を被り直す少年。琥珀の双眸が見えなくなる。


「ロングソードなら、背中に背負う選択肢もあるんだけど。中身が詰まってる分、抜剣が厳しい感じかな?」

「そうね。使い慣れればそうでもないのかもしれないけれど、あの重さだと砂魚が切れないわ」

「……君の中の砂魚の強さってどのぐらいの認識なの?」

「貴方よりは弱い。ストレンさんの蹴りよりは強い」

「よっぽどじゃないか、それ」

「そうかしら。あくまで大量に狩れる食料源ってだけの話だけれど」


 二人が会話をするうちに、フランは結論を出したらしい。

 何故かはわからないが、一人小刻みに震えている。


「……ふ、ふふふふふ、ふはっ……そーだよね、最初っから気になる物を全部作ればよかったんだ……ふふふふふふふ……待っててね、絶対、良いもの作って渡すから……!! それより今は紙と鉛筆だ、紙と鉛筆紙と鉛筆紙と鉛筆紙と鉛筆紙と鉛筆紙と鉛筆紙と鉛」

「……」

「……」


 針鼠は小声で、「彼はベリシードさんの一人息子なんだ」と言った。一言で全てを悟った少女は、争えない血の片鱗を前に引き攣った笑みを浮かべる事しかできなかった。


 完璧にトランス状態になってしまったフランだが、しっかり締め切りは把握しているようである。明日、マツカサ工房を訪れる約束をしたラエルは、ベリシードの作業が終わる前に工房から引き上げる事にした。


 五棟の昇降機 (昨夜黒髪の少女が壊した割には綺麗に修理されていた)に乗り合わせて、二人で十二階を目指す。


「って、どうして貴方も着いて来るのよ」

「ん? エスコート?」

「……ああ。そういえば感情欠損ハートロスも出身国も関係ないんだったわね。監視をつけるような理由がまだあるってこと?」

「そうとも言えるけど、少しは信用してくれても良くないかな?」

「貴方は他人の為に平気で嘘を吐くから、発言を鵜呑みにできないのよ」


 針鼠の首が、カクンと揺れる。


「……それって信用はされてる?」

「さあ。貴方のことは嫌いじゃあないんだけれど、こればっかりは自分でもはっきりしないわね」


 十二階。黒髪の少女が昇降機を降りると、針鼠はついてこなかった。

 鈍色の檻の中、下階へ行くために表示式パネルを操作する。


「あのさ。イゥルポテーさん」

「なぁに? ヘッジホッグさん」

「……」

「……?」


 一度交わった視線を外され、紫の瞳は揺らいだ。

 琥珀は斜め下を見て、少女には力無い笑みが向けられる。


「ごめん、何でもないや。それじゃあ、また」

「え、ええ。また」


 歯車と、組み込まれた鎖の奏でる金属音。鉄網の籠が下へ行く。


 ラエル・イゥルポテーは「ふむ」と、しばし思案する。

 三日の休息を挟み、浮島を発つのは四日後だ。与えられた残りの期間を、どう過ごしたものか考えていた。




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