95枚目 「赤魔術士は紫空に咲う」


 ポイニクス教。

 不死鳥伝説の信仰から派生したとされる炎と再生の宗教である。


「――彼の翼、羽ばたくごとに大地を燃やし、羽ばたくごとにそれらを癒したもうた。草木は瞬く間に同胞の灰をもって再生し、また同胞の為の灰に還り、翼はそれを繰り返した」


 教会へ向かう道中、ストレンはそんな風に不死鳥伝説の一節を口にした。


「焦土と繁栄を繰り返した大地は膨れ、灰は大地となり、やがて翼の色のついた赤鉄の大陸が生まれた。不死鳥はそこに巣を作り卵を産んだが、そこから生まれたのは自らとは似ても似つかぬ、意志も知識も知恵も持たない不定形の何か、であった」


 自らが次世代を産みだすことはできないと悟った不死鳥は眠りにつき、姿形の違う力となって世界へ散らばった。それらを受け継ぎ生まれた人族が集まったのが魔族で、不死鳥の血で結ばれた我々は家族なのだと――そういう物語だ。


「赤い瞳の人間は、第五大陸に引き寄せられるように集まり国を作り上げた。そう言う伝説になっていますぅ。もっとも、歴史を知っている方からすれば夢のような話ですけどぅ」


 見た目と魔力値の高さで人族から差別された人間の集まり。それが魔導王国の――魔族の成り立ちである。ストレンは首を左右に振って呆れた顔をした。


 魔導王国は国教としてポイニクス教を勧めているが、必ずしも妄信を強制されるものではないのである。典型的な人族国家であったパリーゼデルヴィンドの国教とは似ても似つかない。


「建国するにあたってが必要だったのではないでしょうか。指導者が指導者たらなければいけない所以。人が増えればそれは四方八方を向いた個性の集まり。同じ方へ振り向かせるには、皆で同じ教えや物語を信じたほうが都合が良いというものですよぅ」

「さっぱりした宗教観ね……」

「いえいえ。心酔していないというだけで、私だって不死鳥に憧れてはいますぅ。だって、回復術の権化みたいなものですから。白魔術を修めるにあたって叩き込まれる心得の殆どは、ポイニクス教で説かれる教えのようなものですしぃ」


 人族にとっての白木聖樹、獣人や白き者エルフにとっての月みたいなものだ、と。白魔術士は言った。


 二棟一階。石で造られた城の中に唯一ある木製の神殿。


 材質が違うだけで、王様の部屋と遜色ない彫刻の質の高さが目を惹く。聞けば、色鮮やかなこれらすべてが未着色の木材で構成されているのだというから驚きだ。


 木は磨けば艶やかに、そして種別ごとに色や形を変える。だが、教会自体が木製のもので組み上げられていることには理由があるらしい。


「有事には燃やすためですぅ」

「……伝説通りになるように?」

「えぇ。不死鳥には、必ず目覚めの時が訪れる――ただの人如きにそれを止める術は無く、自然の元に我々は無力である、とする教えからでしょうねぇ」


 実際、建材に石材が中心に使用されるようになってからは、石ぐるみの外装に内装は木製、というのが定番になっていますぅ。と、説明しながら祈りの場へ踏み込むストレン。


 入室時に礼をしたり、どの辺りをどう歩かなければいけないというような作法は無いらしい。


 木の床一面に敷かれているのは草木をモチーフに編み上げられたレースの絨毯である。黒髪の少女は先を行く白魔術士のすぐ後に続く事ができず、立ち止まってしまった。


 さくさくと先に進むストレンを目に、靴の下にするには勿体無いなと思いながら、ゆっくり歩を進める。


 教会にはストレンとラエルの二人だけのようで、静かな空気に支配されていた。

 人の祈りを込めた場所や物には、それなりの存在感が生まれるということなのだろう。


「こちらが、この教会のシンボルですよぅ」


 追いかけて行った先、白魔術士が紹介したのは人の頭ほどの大きさをした鳥のオブジェ。

 赤い木肌から彫り出された不死鳥――その彫像だ。


 城のあちこちで目にする鳥の飾りは、正にこの不死鳥を模しているのだろう。


「さて。私は告解しなければなりませんのでぇ、ラエルはその辺の席に座っててくださいな」

「告解」

「……貴女を含めて沢山の方に迷惑をかけてしまいましたからぁ。そのついでに、個人的にしていた願掛けを撤回するんですぅ」


 如何にも不服そうな声音で答え、白魔術士はその場に膝を付く。

 右手のひらを胸の中心に添えると赤い瞳を閉じた。


「……」

「……」


 ラエルはストレンを待つ間、椅子に座って彫刻やレリーフを観察することにした。


 翼を広げた足と首の長い大きな鳥。ポイニクス教を信仰していない彼女にとっては、綺麗な鳥の彫刻だなぁ、という以上の感想は持たないが。


(羽の一枚、羽毛の毛の先まで繊細に刻み込まれているのね。作り手の執念を感じるわ……)


 鮮やかな緑色の瞳をした鳥が、こちらに目を向けているような錯覚を覚えて目を逸らす。

 ストレンはもうしばらくかかりそうだったので、黒髪の少女は床の刺繍に見知った植物が無いか探し始めた。


 砂漠に生まれ育った少女の記憶には、七年越えのサバイバル生活で拠点としていたオアシスには炭樹トレントや暑さに強い植物が分布していた覚えがある。とはいえ、灼熱と極寒を繰り返すあの気候に耐えられる稀有な種類は多くないだろう。植物に関する知識は殆どないと言っても良い。


 床のそれは魔導王国の花壇に植えられている赤い花がモチーフになっているようだった。

 アネモネの髪飾りについているものと同じだろうか。


「終わりましたよぅ」

「もういいの?」

「えぇ。あとは立会人の貴女に明言するだけですぅ」


 明言。立会人の意味をはかりかねるラエルの反応を待たず、ストレンは続けた。



 ――革靴の裏、レースの花が鮮やかに色づく。刺繍で作られた魔術陣。


 風が湧きたち、ストレンのつま先から駆け上がると、短い髪を逆立てるように吹き抜ける。


 金の粉舞い散る教会に、赤い火の粉の面影。

 ストリング・レイシーは西日を受けながら橙に染まる頬を緩ませた。


 わらう。


 花咲くような笑みで、どこかやるせない心を表す。


 やがて風は収まり、浮いていたストレンの足先が床に着いた。


「今の……何?」

「対価を支払ったのですよぅ」


 白魔術を使えなくなるより遥かにマシです。

 と、夢破れた女性はあっけらかんとして笑う。


「不死鳥には、そういう権限があるの?」

「いいえ。今のは私が新しい願掛けの為に自分にかけた呪いのようなものですぅ。ただの彫刻にそんな神秘が宿っているわけないでしょう?」

「自分で……? でも、貴女はずっと白魔導士を目指して、これまでやって来たんじゃ」

「そうですよぅ。けれど知ってしまいましたからねぇ、私は」


 ストレンはラエルの隣の席に腰を下ろす。赤い瞳が閉じられた。


「私は、ダブルなのですよう。魔族と人族のダブル」

「ダブル?」

「片親が人族だった、ということですぅ。まあ、薄々な予感はしていたんですがぁ」


 どちらがそうなのかは、知りませんけどぅ。

 と。ストレンは何処か寂し気に息を吐いた。


 魔族と人族が戦争をするほど対立していた時代に、浮島内に人族が紛れ込んでいたと知れれば大変なことになっていたことだろう。ましてや、ストレンの両親は傷病者に一番近い白魔導士だった。


 だからこそ、彼らは戦場に彼女を連れて行こうとしなかったのか。それとも、子どもに危険な思いをして欲しくなかった親心だったのか。今となっては、真相が分からないままだが。


「……先の戦争の後から、人族が白魔導士になることは世界法で許されていません。師匠はどうにか工面して隠し通そうとしていたようですが、そう上手くはいかなかったようでして。というのも、数日前師匠とお話しした時には私、知っていましてぇ」

「……貴女がスフェーンさんに会いに行ったのって、時箱クロノス・アーク事件より前のことよね?」

「ええ。ですがそれより前に、ある人から打診がありました」


 夢を諦めるつもりはないか。と。


(周囲に理解されるつもりも説明する余裕も無いと言わんばかりの台詞でしたけどぅ……)


 本当なら有無を言わせずに押し付ければいいものを。あの鼠顔の四天王はそのような事をすることなく、ストレンの夢を諦めさせるに至った。


 自分の甘さに呆れつつ、夢を断たれた彼女は肩をすくめる。


「ので。まずは黒魔術の勉強と、導士資格の取得が当面の目標ですねぇ。白魔術は来年の白魔導士試験を取って、それからぁ」

「……え? ちょっとまってストレン。今までの一連の話はどこに」

「どこにも行っていませんよう。脱線すらしていません。目標が変わったというだけで私が目指す導士職に白魔導士の資格は必須ですから、いずれは取得しないと」

「!?」


 眉間に皺を刻み、何ともいえない顔をする黒髪の少女にストレンは目を細める。


「……私に黒魔術の才能あるっていったのは、他でもない貴女ですよぅ」


 言いながら椅子を降り、薄い茶髪が振り返る。


 西日が差し、教会の中の色が青と赤の狭間に落ちる。

 ラエルはその光を受けて笑うストレンのことを、美しく感じた。


 日のあたる頬には、人の傷をいたわる慈愛が滲み。

 影になる頬には、荒々しく容赦を知らない、力ある者の資質が覗く。


 癒しと破壊という相反する力を同じ身体で扱う異端。


 左胸の真新しいブローチは、赤い鳥を模した新職の証だ。


 黒魔術と白魔術、両方の素質が無ければその域に立つことは許されない――短命の白き者エルフを差し置き、学ぶ時間とその能力から鑑みて魔族にしか極められないと言われる新しい魔術職。


「私はストリング・レイシ―。この先の人生をとして生き――そして、必ず導士になりますぅ」


 陰に隠れた赤の目に、悲嘆の色は伺えない。


 ラエルはそのことに気づいて安堵した。彼女が自分で選択したのだと分かったから。


「……私ももっと頑張らなきゃ、貴女に引き離されちゃうわね?」

「そうですよう! ですからぁ、ラエルも死なない程度に強くなってください。四天王の傍に就くというのは、かなり大変な事なんですからぁ」

「知ってたんだ」

「ええ。四棟の広場で、それこそ王様の茶番の一部始終をしっかりと」

「成程、あのやり取りの一部始終を見てたのね。それなら納得――」


 そこまで話して、黒髪の少女の口が止まった。


 ……王様との謁見の一部始終を? 不特定多数の人間に見られていた?

 ……あのやり取りを?


 ラエルは昨日の四棟一階、浮島の住民でごった返すロビーの様子を思い出す。


 確かにあの日、他の棟はやけに人が少なく、廊下ですれ違う人々が黒髪の少女に向けた視線には、単純な嫌悪というより疑問の色が強かった。


 その理由が、ラエル・イゥルポテーの雇用についての疑問であったとすれば、理解できる。


 重要職に就きかねない少女のことを住民がおっかなびっくり避けようとするのもまた当然――。


(へー、そうかそうか、そういうこと。それなら納得)


 できるかぁああああああああああああ!!


 黒髪の少女は教会の中に居る手前、叫びそうになった喉を抑え込み内容を飲み込んだ。


「……っ! ……っ!? ……っは!? はあぁ!?」

「何だか色々と物申したげですが、その辺りは恒例行事なのですよぅ」


 ストレンは遠い目をしつつ、頭を抱えてもだえ苦しむ友人に視線を落とす。黒髪の少女は目をぐるぐるとさせながら大混乱しているようだ。


「えっ、それじゃ、私が王様と話してた諸々の内容も駄々漏れだったの!? というかこの国にプライバシーは!?」

「嘘じゃないですし恒例だって言ったじゃあありませんか。私の襟元を揺さぶっても何も起きませんよぅ」


 胸元に飛びついた黒髪の少女を引き剥がして、服の皺を伸ばすストレン。


「そも、四天王やその辺りの職に就く方の動向については、ある程度情報が公開される決まりになっているんですよぅ。見知らぬ人族が急に幹部のお膝元に就任したら誰でも怪しむでしょう?」

「そっ……それはそうだろうけど……!?」

「まあ、安心して下さいな。貴女への注目度は元々高かったですしぃ。あまり否定的な意見も聞かれなかったですよう?」

「……あまり?」

「あまり。私がそうであったように、人族というだけで毛嫌いする方はどうしてもいますぅ。ただまぁ、四天王直属になった今であれば、浮島を出ただけで暗殺される様な事態は防げるはずですよぅ」

「あ、暗殺」


 それはぞっとしない話ではあったが、相変わらず「死ぬことは悪いこと」思想が染みついている少女としては、現在の状況は言うほど悪くないのかもしれなかった。


「まあ、精々頑張ってくださいな。私も貴女以上に頑張りますから」

「言い方はちょっと癪に障るけれど、そうね。やれることはやるつもり」


(仕事も、超個人的な復讐プライべートも――全力で)


「ラエル?」

「何でもないわ。明後日が出発なの、見送りに来てくれる?」

「あ、貴女と超絶仲の悪い私で良ければぁ? 何回でも行きますよぅ。とんぼ返りして来たらまた一緒に朝練しましょう?」

「回避訓練させるつもり……!?」

「きっと帰ってくる頃には避けられるようになってますってぇ」


 ストレンはそう軽口を挟み、ふと顔を上げた。


 黒髪の少女はその視線を追いかけて、自らの役割が終わったことを悟る。

 烈火隊の筋肉娘、赤魔術士ストリング・レイシーの隣に相応しい女性が、そこに立っていた。


「……」

「私は部屋に戻るわ。どうぞごゆっくり」

「……ええ、ありがとうございます。ラエル」


 すれ違う時、茶髪の獣人は長い前歯を見せて会釈した。そうして真っ直ぐ、橙色の瞳を隊の同僚へと向ける。


 紫の光が差し込む不死鳥の教会。

 花の絨毯に囲まれて烈火の筋肉娘二人はようやく、笑顔を取り戻したのだった。




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