86枚目 「藍の星海」
振り下ろされる
薙いでは振り下ろし、手首を返して切り上げる。受け手は腕についた盾をもって受け止め、空いたわき腹に何らかの反撃をする。攻守を入れ替えて繰り返すそれは、かつて一棟でよく見られた訓練風景だ。
数多の激戦を生き残った精鋭たちが汗を流し、武勲の為に己が武器を奮う。ある者は愛する者の為に。ある者は信頼する上司の為に。ある者は――淡い恋心の成就の為に。
当時の魔導王国には血統順位があり、純粋な赤に近い者から順番に生活階級が決められていた。
血統が上がれば上がる程濁りを許さない風潮で、婚姻や子を成すことにも両家の合意が無ければ許されず。その癖、国の王を決めるのは実力と人望なのだという。
王に必要なのは、信頼と、信用と、計り知れない強さ。
それは、上に立つものに身分は関係ないという建前だった。けれど、誰しもが王になれるわけではなかったし、殆ど使命制であったから下々には関係のない話であった。
先代、魔導王国二十三代国王。
彼が国の身分制度を殺し、その席を奪い取るまでは。
……生活が目まぐるしく変わったのを覚えている。
国のあちこちにあったきらびやかな装飾は取り払われ、溶かされて武器になった。
豪華な燭台も鉄の棚も、殆ど王の元に集められ溶解炉に放り込まれた。
思えばあの頃から王は危惧していたのだろう。大きな争いが起きた時、柔な国であってはいけないと。国民が弱い国ではいけないのだと。
多くの人間がふるいにかけられ、それなりの脱落者が出た。
結果として軍備増強にはなったかもしれないが、軍属駐屯地の役割を果たす浮島に百歳代から上の世代があまり居ないのはそのせいだ。
戦う者として選ばれなかった彼らは、第五大陸の土を耕して経済を回す役目を与えられている。
……だから私は、初めて
王は強く在るものだ。そう固定観念があったからだろう。
彼らは誰よりも優しく、弱かった。研鑽を積み、身を粉にしてのし上がったのだ。
強大な力を持つ割には人間らしかった、と言えばいいのだろうか。
今の私にはあの時感じた不穏さを、不安を、上手く言い表す言葉が思いつかない。
最前線の兵が、一番最初に特攻する兵士が手にする武器。
先王が愛した最後の家族は、それを持って前線に赴いた。
研究職に就いた筈の彼の弟は、人手不足で徴兵された。
私と契りを結んだ次の夜に戦場に行って。
心を代償に、帰還した。
一棟エントランス。
急に目の前に湧き出た骸骨と交戦する人々を目にしながら、身じろぎもしない女性がいる。
深いこげ茶の髪に斑に混ざる鮮やかな赤い髪。瞳の色は血のような紅色。
黒に金の糸で刺繍された制服に身を包み、髪留めで長いそれをまとめている。赤い巻きスカートは揺れる城内に合わせてその楕円を歪ませる。
一棟受付係、エイデルワース・ガーネット=パーカー。
一か月前にラエル・イゥルポテーとハーミット・ヘッジホッグが監獄を出入りした際、顔を合わせた、あの受付係である。
(『
彼女は反省しつつ目を伏せる。当初の計画通りとはいかず、黒髪の少女は五体満足の状態だろうが――予定に支障はないだろう。
(発動しない式に連鎖陣を上書きして爆破陣を作ったり、本能的に独りになろうとしたストレンさんまで誘導する手掛かりを用意したり。……ですが、まさかあの方自身が彼女を術式の対象外に弾いていたとは。思いもよらなかった)
……人族の身体では、魔族向けの
集中力の散漫に始まり、精神的にも不安定になっていたことだろう。
(わざわざ出向いてまで人族に施す情けだったのでしょうか――なるたけ接触したくないと仰られたのは、一体どの口だったのか)
中央広場の戦闘音はこちらまで聞こえている。エイデルは慌てふためく非戦闘員である同僚をなだめ、皆を三棟方面へ逃げるよう仕向けた。
『――エイデルさんは!?――』
『――私のことは心配しないで。ここには必ず、誰かが居ないといけないから――』
嘘だ。
そのようなことはマニュアルに無い。
(現王は民に優しい。それは先王が叶えられなかった理想であり、託された願いなのでしょう)
けれど。エイデルが愛したのは今の王ではない。過去の王でもない。
彼女が愛するのは血みどろの
……何時からか閉じていた瞳を開くと、目の前には見知った顔が居た。
魔術陣の魔力源を破壊してきたのか、針山の天辺からつま先まで赤い液を滴らせている。それを外して、金色の髪は暗い照明に映えた。
周囲はいつの間にか静かになっていて、どうやら人払いをされたのだろうと認識する。
「こんばんは。一棟受付です。何か御用がありますか?」
受付としての定型句を述べると、少年は琥珀を濁らせた。
(いや、怒っているのか。これは)
目が合ったと認識したのか、少年は口を開く。
「エイデルワース・ガーネット=パーカー。七日前に在留人族を殺傷しようとした暴行未遂容疑、時間停止などの禁術を多用する本騒動の関係者について特定の個人や国に損失と傷害が起きる可能性を知りながら放置していた観測罪――俺は、四天王権利をもって貴女を告発する」
「……告発、ですか」
未遂罪はともかく観測罪か。大分軽い罪だ。なぜ反逆罪まで行かなかったのだろうか。
「加えて、人を探しているんだエイデルワースさん。心当たりはない?」
ハーミットは言った。
普段通りの声音を再現しているようだが、どことなく冷たい。
エイデルワースは黙った。金髪少年の表情が思うように読めなかったのである。
始めは怒っているように見えた。けれど今は、何かを諦めているようにも見える。
「人探しですか。どちら様をお探しですか?」
「君が、きっと世界で二番目くらいに殺したい人族だよ」
心臓が止まった。……勿論そんな事はない。気がしただけだ。
「最初からマークしておけばよかったんだ。パリーゼデルヴィンドの話題がタブーなら、そこに焦点をあててもっと良く見ておくべきだった。未然に防げなかったのは俺の責任だ」
人を。言葉を。表情を。
上っ面ではどうにも誤魔化せない心の底の感情を。どうしようもできない衝動を。
見落とした。と、彼は言う。
「そういう見回りは俺の仕事だった」
「そうですか」
「ああ」
茶色のグローブがおもむろに女性の腕にのびる。女性は少年の掌に握られている魔力制御の腕輪を目に留めた。
(ああ。けれど。私は。それでも)
――少年の頬にナイフが迫る。
突き出されたそれは、受付係の手のひらに握り込まれていたものだった。
白い肌に一筋の赤い血が伝う。
少年は琥珀を閉じない。
「憎いか。俺が」
目を一つでも潰せたら?
鼻を刺すことが叶うなら?
耳が落とせたとしたら?
(ああ――それでもきっと絶望しないこの男を。私は殺したくてたまらない!!)
些細な復讐心は、火をつけたとたんに燃え上がる。
薪にする感情は、ずっとずっと、身体の中に燻っていたから。
「……ええ、ええ、憎い。憎いに決まっている。勇者なんてものが居なければ、あの戦争はもっと早く収束していた。あの人が戦線に行く必要もなかった!!」
返せ。
「お前が殺した全員を返せ。私が愛した国を。私が愛したすべてを。返せ。予告もなく奪ったのだから返せるんだろう、お前は人の為に命を削る勇者なのだろう!? ならどうして代わりに死んでくれなかった!?」
私の愛した彼を返せ。
「何故人々を殺した!! 何故お前が死ななかった!! 何故私たちはお前の為に死ななければならなかったんだ!! どうして!? どうして!! どうしてお前がのうのうと生きているんだよ……!!」
刃を取り落とし、胸ぐらをつかんで床に引き摺り倒す。
「――お前が生まれたりしなければ私たちは平和に生きていけたというのに!!」
少年は無抵抗だった。そうして、振り上げた拳を叩き付けようとした女性の腕に、背後から獣人の爪が食い込む。
「そこまで、だよ」
僅かに開いた口に爪の長い指が二本滑り込み、床に向かって引き落とされる。
顎が折れる音と、女性の言葉にならない悲鳴が回廊に響き渡った。
「あ、ああ、あああああああああああああああああ!!」
砕けた頬を抑えることもできず、灰色の絨毯を爪が剥けるほど掻きむしる女性に、黒髪の獣人――ラァガァモォールは冷めた目を向ける。
「どれだけ、このひと、がまんしてるとおもってるの。だめだよ、はーみっとはがまんしてるだけで、ちっともおこっているようにみえないけど。これでもそうとうあたまにちがのぼってるとおもうんだ」
「辞めろ。顎を砕いた相手に追い打ちをかけるな。そして俺のことを考察するんじゃない」
「ごめん。でも、ゆるせない」
「駄目だ」
床でのたうち回る受付係を眺めるようにして、割り込んだ黒髪の獣人は縮こまる。
「……はい」
「うん、怒ってくれて嬉しかった。でも、今重要なのはそこじゃない」
金髪少年は、声を出せずにうずくまるエイデルワースの口に無理矢理
回復術と同じ効用は、女性の顎を元のように接着する。
それでも、傷が塞がる痛みが突き抜けていくだけだった。
回復術の行使に対する副作用は――「痛み」である。
「あ……が、かふぁ」
「ごめんね、今のは流石に痛かっただろう」
琥珀の瞳には熱がない。
痛みに同意はするが労わりはしない。謝りはしたが後悔はしていない。
浮島の住人全員を人質に取る様な犯罪者に加担した人間に、命を救うことをモットーとする彼が容赦するはずも無かった。
手に届く範囲の知人に危害が及ぼうとしたなら、なおさらだ。
「それじゃあ、もう一度だけ聞くよ。彼女は何処に?」
拒否したならば。無限の拷問が待っている。
否応なく悟ったエイデルは歯を食いしばることもできなかった。ボロボロと涙が零れ落ちる。
声を発することもせず、彼女は指し示す。
それは地下監獄へと続く階段がある方向だった。震える指先からはもう気迫のような物を感じられない。
「…………ちょうに」
赤い瞳は辛苦に濡れ。今にも割れそうな硝子細工のように、瞳孔ごと見開いて。
「あの人に……不死鳥の加護があらん……ことを」
色づいた窓の外は、藍色の星空が占めている。
受付係を背負ったラーガは、鈍い灯りを放つカンテラをハーミットに手渡した。以前使用したように、地下へ行く際に必須の魔法具である。
艶の無い髪と、光を失った赤い瞳。
見開かれたそれに抵抗の意志はなかった。
「あとあじ、わるい」
「そうだね」
彼女の意思は、少年の中で燻り続けることだろう――勇者という過去を持つハーミット・ヘッジホッグの心が死ぬ、その間際まで。
しかし、彼女を取り押さえたことで状況が終わった訳ではない。ハーミットは両頬を叩いて切り替えをはかった。
浮島中に仕掛けられた死霊術が解けていない以上、人払いをしたこの場所もすぐに戦場となるだろう。
「何処かに王様がいるだろうから、彼女はそちらにほっぽり投げていいよ。その方がきっと蓄積型ダメージを与えられるだろうから」
「……いがいにねにもつよね、はーみっと」
「受けた精神的ダメージ分はお返ししないとね」
「ぶつりてきなひがいは?」
「さっきラァガァモォールさんが返しちゃった」
「あれでよかったの」
「ん。俺にとっては十分だよ」
鼠頭を被り直し、獣人もどきに戻った少年はカンテラの動作を確認しながら言った。
軽い調子だがその顔は見られたものではない。ラーガは長い耳を立てる。
「ねぇ、このひとはだれかをあいしていたようだけど。あなたはなにかあいしているものがあるの? だから、このくにによくしてくれるの?」
「……そんなに綺麗な動機はない。俺はただ、欲張りなだけの鼠だよ」
強欲な針鼠は地下への階段に消えて行った。
後姿を見送って、獣人はぼやく。
「たしかに。あいのないほうしは、
なっとく。
ぼやいて、消えた。
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