85枚目 「Cat has nine lives」


 ――魔導王国。

 歴史は古く、人が文明を築くようになって、すぐその片鱗はあったらしい。


 人族のコミュニティの中で魔力適応値が高く、寿命が長かった一族。


 彼らの瞳や髪は赤く、その血を濃く体現した者ほど鮮やかで濁りの無い赤になったというのが言い伝えだが、現在の魔族の大半は黒髪や茶髪の遺伝子が発露した混ざり赤が多い。瞳の色に関しても同じで、真っ赤な虹彩色を持つ魔族は一握りだ。


 例えばシュガー・カルツェ。かの白魔導士は黒髪で、瞳は黒に近い赤色をしている。


 例えばストリング・レイシー。かの白魔術師は茶髪で、瞳は茶目に近い赤色をしている。


 例えばモスリー・ガーネ。モスリーキッチンの店主である彼女は瞳は赤いが黒と赤の斑髪。


 例えばロゼッタ。司書である彼女は瞳の色は赤いが髪色は赤紫に近い。


 例えばベリシード・フランベル。かの技師も瞳は暗い赤だが、髪は黄色みの強い茶色だ。


 そして、アネモネ。烈火隊の隊長かつ四天王『嫉妬』。

 彼は赤い髪に赤い瞳をしている。今あげた魔族の中で言えば、彼だけが古き慣習の中で言われる「純魔族」なのである。


 しかし、魔導王国の王が純魔族である必要があるかといえば、必ずしもそうではない。


 魔導王国はよくも悪くも実力社会だ。故に、より優れた者が上に立つ権利を得る。


 先代の王は黒い仮面で頭を覆っていたものの髪は赤紫で目は赤く。確かに魔族だった。


 比べて今代の王は、それすらも怪しいといえよう。


 コバルトの瞳に、赤を感じさせない深い青紫の髪。

 観測者によって少年や青年や老人に見えると意見が割れるその姿。


 何より魔力潜性の象徴ともいえる青い瞳をもってして、王は今日も空を切る。


 ――切れない剣をもってして。







「おお怖い怖い! どうしてその形状の剣で壁がばっくり割れるんだい!? 止まった時間の中身は傷つかないという時魔術の法則をひっくり返す勢いじゃあないか!」


 一棟、二棟間渡り廊下――壁を蹴って後退するのは絵描きの方である。


「時が止まっていようがそこにというのなら、私に切れないものはない」

「どうせ空間制御の力技で引きちぎっているだけなのだろう!?」

「それはどうかな!」


 風切りの音と共に振るわれる七枚刃には何かを切った痕跡も無い。ただその軌跡に、視覚情報のゆがみと、鏡に水を垂らしたような濁りが生まれるのだ。


 予兆を見て回避すれば、剣が過ぎた一線に大口を開けたが現れ、消える。


 細目の魔族はそのたびに距離を取り、一向に一棟への廊下を渡りきれずにいた。


 発動までに剣を降るという予備動作と視覚的違和感があるからこそ巻き込まれずに済んでいるが、魔導王国の王は対面したその瞬間から一歩たりとも動いていない。


 やろうと思えば初期動作無しに空間に穴を開けることだってできるに違いない。それをしないのはここが浮島であるからだ。浮島が王ありきの浮島である所以ゆえん


「ははは、どうやら私は恐ろしい計算違いをしていたようだ、こうなる事が分かっていれば最初から仮宿ではない場所で待機したものを!」

「言う割には焦らないな、貴方は」

「えぇ? そりゃあまあ、この程度で私が弱音を吐いても貴方が困るだけだろう?」


 バチン。と、紙と紙が叩きあう音を響かせ閉じられる禁書。

 白磁のハードカバーには、空白式を模した意匠が刻まれている。


「『沈黙サイレンス』のような小細工は通用しない。かと言って『対竜種魔術ドラゴンキラー』で吹き飛ばすことも不可能と来た。ああ、これはもう私も腹を決めて、勝敗を運に任せるしかなさそうで困った困った!」

「笑うほど楽しいか」


 青年の姿をした王は問う。胸元の赤い魔石が鈍く光を反射する。

 細目の赤い瞳は、新月から生まれたばかりのように弧を描く。


「勿論」


 即答である。


「……貴方こそ、変わらない」


 黒髪の王は剣を振り払う。男は二歩左にずれた。今度は床がばっくりと深淵の大口を開ける。


「その貼りつくような悪面を見ていると、意味も無く引き剥がしたくなる」

「意味もなくとは恐ろしいことを。現王は狂っておられるのか?」

「貴方に言われる筋合いはない」

「ははは。それはそうだ、筋合いがあっては困る」


 そう言って、男は白い禁書を構え直し、開いて。何かの魔術を使おうとして――







「……変態さんがこんなところで何をしているのかしら」







 そう、声を掛けられて硬直した。

 振り向けば、浮島で何度か合わせた顔が目の前にある。


 黒髪の少女ラエル・イゥルポテー。彼女は五棟から一棟に渡れないと判断して後、四棟の方面に踵を返したのだ。


 元から目的地は一つである。


 何処にいるかも分からない敵に見つかる可能性を考えて中央広場を通っての移動を避けた彼女は、四棟、三棟、二棟をぐるりと一周してここに辿り着いたのだ。


 まさか道中骸骨の大群に襲われることになるとは思わなかったが、四棟に入ると追って来なくなったので足止めは実質意味を成さず、つまるところ結果オーライという流れである。


 因みに魔導王国に来て日が浅い彼女は、この国の王様がどのような人物なのか、これっぽっちも知らなかった――。


「あっ、誰かと思えば五棟の渡り廊下を消し飛ばした人じゃない! 駄目よ! その男の子、見た目に反してめちゃくちゃな魔術使うんだから! 喧嘩なんて売らない方が良いわ! 大人しく投降した方がいいわよ!?」

「え、ええと、うむ」


 流石に不意打ちだったのか、返答を言い淀む男。


 一棟方面に仁王立ちする男の子 (にラエルの目には見えている)も、何とも言えない表情で剣を下ろす。


「……お姉さん、気のせいでなければ先刻顔を合わせたような気がするのだが」

「え? あぁ、会ったわね。というか、貴方こそいきなり渡り廊下消してくれちゃって、困るのよ! 一棟に今回の騒動の黒幕がいるかもしれないっていうのに……!」

「一棟に、黒幕?」

「ええ、この変な魔術は城中の床に住民の血を調合したインクで編まれた魔術陣が元で発動しているの。灰色の絨毯の下にあるのだけど、止まったものが壊せないものだからいっそのこと元を叩こうと思ったのよ――って、一棟側に立っているってことは、まさか貴方が黒幕!? だとしたら早く名乗り出て欲しかったのだけど……!?」

「……」

「……」


 多分、ラエルは五棟の時魔術が解呪されていることも知らないし、それによって骨が湧き出すカウンターシステムにも気づいていない。


 彼女の認識で「現在」を体感しているのは極僅かな人間だけであり、その中にあの針鼠などは含まれていないのである。


 目に入るのは目の前の問題だけ――視野が狭いと言えばそこまでだが、この時点で誰よりも早く状況を飲み込んで原因の排除に動いたと考えれば、末恐ろしい才能。悪運が強いことだった。


「き、聞いてる? 私の話。一棟に行きたいのだけど、貴方はここを通さないのね?」

「まあ、そうなるね」

「そう。じゃあ私、一階から行くから邪魔しないで欲しいのだけど。いいかしら?」

「え? ……えと、うーん……いや、そういう問題ではないんだ。ともかく、速やかに立ち去ってくれれば、それでいいとも」


 流石に天下の魔王といえど、黒髪の少女の行動を全て読むことはできなかった。


 推理は王の領分ではないのである。


「?」


 そして、少女にはそれが伝わらない。


 黒髪の少女の目には、隣に立つ変態が異端に映っていないのだ。

 絵描きはくつくつと笑い、怪訝な視線を投げかけたラエルに背を向ける。


「ははは、多少のトラブルはあったとはいえ、どうやら私にも運が向いてきたようだ」

「はぁ? それってどういう……」

「君が私にとって最後の切り札だった、という話だよ」


 言葉に目を見開いたのは王様だが、その力はあと一歩届かない。


 ――不意に奮われた男の腕に、少女は反応できなかった。


 視界に入っていなかった白磁の魔導書。硬質な角をこめかみに叩き込まれ、ラエルはその場から吹っ飛んだ。


 少女は硝子窓に叩き付けられ、頭から血を流しながらずるずると床に崩れ落ちる。指先一つ動かないところを見ると、すでに意識はないようだ。


 禁書を手にする腕に剣が突き刺さる。

 七枚刃のそれは抉るように腕を穿ったが、血を流しながらも男の顔が歪む様子はない。


「……っそこまで外道に落ちていたか!! ■■■■■!!」

「どうした王よ。私を殺してみせないのか? 今、強く頭を殴られたこの人族は、浮島の生活に惚れ込んだだけのいたいけな乙女だぞ?」


 左肩に突き刺さった刀剣の震えを感じながら、微動だにせず笑みを浮かべる絵描き。


「ああ、違う。そうだった。今代の王は城に呪いをお掛けになられた――人を殺せば死ぬという『場の呪い』を。私のような魔族を一人殺すのに御身を犠牲にする訳にはいかないのだったなぁ。幸か不幸か、民すら守れぬとは浅ましい呪いよ」

「……っ!!」

「そのように怖い顔をしないでほしい――私も王も違う人間だったというだけの話だ。身分も、立場も、目的も。それ全てが相容れなかっただけだ。……とまあ、それよりも?」


 ぱさ。と、刺された腕で禁書を開く。


「君から間合いに入ってくれて嬉しいよ」

「――!」


 それは奇しくも、中央広場に降り立った針鼠が解呪を行った瞬間。

 全ての棟の時魔術が解呪された瞬間。

 重ね掛けの効かない魔術の発動条件を不幸にも満たした瞬間。


 二棟・一棟間渡り廊下。

 術者を支点とした小さな範囲だけ時間が停止する。


 男以外の、全員の。


「……っと、流石フランベル製だ。痛いねぇ」


 男は剣を引き抜いた傷痕を禁書の魔術で瞬く間に癒すと、元々青かったセピアの眼光がこちらを睨みつけていると気づく。それはそれは、酷い顔をしていた。


「肝心なところで中途半端に甘いところは変わらないな、王よ」


 取り上げた剣を床に寝かせ、転がっている少女だけ解術する。


「うーん、女の子は軽いなぁ」


 治療を施し、身体を拘束する呪術をかけてから少女を肩に担ぎあげた。

 そうして硝子の向こう側、巨大な頭骨におののく針鼠の姿を目に留める。


「……さて。勇者さまは攫われたお嬢様を助けられるでしょうか?」


 呟きと共に転移術トランスファーが発動する。止まった時が動き出す。

 色は帰り、風が戻り、元と同じような時間が流れ出す。


 回廊に残ったのは血に濡れた剣と、少女が流した血だまりと、虚空を睨む王一人。


 コバルトの瞳を歪め、無言のまま回線硝子ラインビードロに黒手袋が這った。




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