84枚目 「ハイカットクラッシャー」


 ふわり、と。艶やかなストレートの髪が宙に浮いた。指先に火の小鳥が戻っていく。


 五棟二階。患者や戦えない白魔術士を非難させつつ、二フロア分の骸骨を全て再起不能にした後で、上へと続く階段を眺める白魔導士が一人。


「……死霊兵、ですか。これだけの亡骸を一体何処から調達したのやら」


 言って、数多の骸骨を砕いた凶器を床に下ろす。


 ――ごっとん。

 回廊に重たい音が響く。


「やはり、事務仕事ばかりではなまりますね――別に、あの頃が懐かしいとは思いませんが」


 おかっぱの髪は殆ど崩れていない。眼鏡には傷一つなく、服装も動きづらそうな白魔導士のそれである。


 しかし、その手には一本の長棍ロングメイスがあった。


 細い金属の棒の先には幾数もの輪が重なって、大小二つの球体を形作っている。先には鋭利に磨かれた紫色の魔晶石。それが空洞の球体二つの重さに負け、灰色の絨毯に突き刺さっていた。


(全棟がこの調子であれば多少は専門家にお任せできたのですが、一棟が止まるのは厳しいものがありますね。


「とはいえ、浸食耐性の低い僕が出しゃばったところで再度停止フリーズするだけでしょうし」


 よっこいせ、と床に穴を開けた鈍器を引き上げるのは――シュガー・カルツェ。

 偵察に飛ばしていた最後の火の小鳥を回収し、武器を床に引き摺りながら歩を進める。


 シュガー・カルツェという魔術士は白魔術に特化している。汎用系統六種の内、使える魔術は下級の風までで雷魔術は扱えない。


 『火粉の鳥チスパハロ』はカルツェが扱える中で唯一、攻撃応用の利く魔術である。

 が、しかし。魔術士が必ずしも魔術を使用して戦うとは限らない。


「烈火隊の皆さんの内、一人でも解放されていてくれると非常に助かるのですが」


 ずりずりずり、と。床に引き摺った痕を残しながら金属光沢を放つ長棍は、袖から覗く白く細い腕には酷く不釣り合いだ――何よりも似合わないのは、その手首から上で発動している魔術刻印。酷く醜く毒々しい、痛々しいそれなのだが。


「……あーあ。これじゃあ彼は来ませんね」


 もしかすると、勝手に五棟を任されているかもしれません。と、当たらずとも遠からずの結論を出す。


 魔導王国にやって来る前のカルツェを知っている人間であれば、誰しも救援は不要だと判断するだろう。最初から分かっていた。


「弱っちい人間になるのはまっぴらごめんとはいえ、憧れの人に助けてもらう機会を一つ失ったと考えるとそれなりの損失ですが……さて」


 引き摺った得物を、その辺に落ちていた帽子の上に下ろす。円柱状の赤紫は跡形も無く潰れた。背後には叩き割られた卵の殻のようになった骸骨兵が転がっている。


 カルツェの視界に入っているのは三階に繋がる階段と、その踊り場で剣を引き摺る人骨だ。卵の殻のようにひび割れた頭骨には、先程潰したのと同じ形をした帽子がのっている。


「本当、趣味が悪い」


 虚空の目に、白魔導士の姿が映り込む。


 カルツェは柄に取り付けられたリングを引っ張って、繋がっている長棍ごと振り上げた。

 得物を振りかぶった骸骨は、一撃で木っ端みじんになる。


「しかしこれだけ脆いと、リハビリにすら、なりませんね!」


 遠心力を最大限活用して、球体部分をクリーンヒットさせる。武器の重量も相まって、ぶつける場所を考えずとも相手を破壊できるという鈍器の利点の最大活用だ。


 特に苦労する訳でもなく戦闘を終えると、黒い髪を手櫛で適当に整え眼鏡の位置を直した。

 針鼠しかり、強さは身長に比例しない様である。


 カルツェが三階に昇ると、見知った顔が肩を回している所だった。


 長身の額に汗を浮かべ、四角い眼鏡を押し上げる白き者エルフ

 周囲には浄化された骸骨兵が何体も、傷ひとつなく鎮座している。


 どうやら彼はカルツェやハーミットのように「物理で殴る」選択をしなかったらしい。


 その手があったか、と手を打とうとしたカルツェは慌てて考え直す。そもそも浄化の白魔術はもの凄く魔力を消費する上級魔術だった筈だ。とてもじゃあないが魔族の自分に扱えるものではなかった、と。


 一応の礼儀として、引き摺っていたそれを見栄えよく直立させる。


「――お疲れ様です。師匠」

「ああ。無事だったか、カルツェ」


 振り向いた相手は予測通りカルツェが師と呼ぶ白き者エルフだった。

 白衣の端が切れてしまっている以外には、それらしい被害をうけた様子はない。


 ただ、スフェーンは弟子の元気な姿に安堵すると同時に眉間の皺を深くした。カルツェは観念して肩を竦める。


「ええ。……今回に限って弁明はしませんよ。導線が千切れないように加減していますが、禁止されている術式刻印を使用してしまったのも事実なので」

「咎めようにもこの状況だ、遅かれ早かれやるとは思っていたが……『白き安寧レストラティブ』」


 言いながら手招きし、魔術を発現させた手のひらをカルツェの頭にのせるスフェノス。


「その様子だと、下の階の掃除は済んでいるようだな」

「はい。すべからず終わっていますが……あの……僕、それなりにというか、結構我慢できていた方かと。もしかして顔にでていましたか?」

「二年も指導していれば分かるようになる」


 簡易的に痛み止めを施した師の掌が離れると、カルツェは長棍を魔法具に収納して顔を上げる。全身に張り詰めていた緊張感はいくらか和らいでいた。


 五棟、吹き抜けの代わりにはめ込まれたアクアリウムの魚たちは異様な周囲の様子に怯えて塊を作っていた。大きな魚が口を開けて突っ込めば、満腹になれそうな凝縮具合である。


(怯える中で本能的に、どうしたら生き残れるかを模索しているんでしょうけれど。時にそれが仇になると何故学習しないのだろうか)


 そうして水槽の向こうを見て、カルツェの動きが止まる。


「どうした」

「いえ、何だか胸騒ぎがしまして――」


 スフェノスが弟子につられて窓がある方面を見るのとほぼ同時に。灰色と黄土色の針束が垂直落下していく幻影のようなものが見受けられた。


「……」

「……」


 二人は顔を見合わせ、無言のまま踵を返した。足が向くのは上階への階段である。


 針鼠の奇行は目に余るものがあるが、動き出してしまった彼を止めるのは難しいだろうと本能的に判断した上で、上階のサポートをせざるを得ないと直感して。


 結局のところ、二人は上階に残った死霊兵まで処理する羽目になった。







 城壁から足を外して、一直線に落下する。

 壁に沿って植えられている針葉樹の枝を何度か踏みつけて、少年は石畳に滑り降りた。


(あー、ストレンさん叫んでる顔だ……後でまた怒られるかなこれは)


 体制を直すのに、着地点から一秒もかからない。


(魔術の影響を受けないとはいえ、物が動くと分かっていたのは助かった。服も靴も、俺の体重でどうにか落下方向に動いてくれたし。良かった良かった)


 セピアに染まった広場の中央、水が出ていない噴水までそう距離はない。

 針鼠は手袋越しに手にしていた小瓶の蓋を開けると、間髪入れず噴水に投げ入れた。


 瓶の内容物が、噴水の水たまりに混ざっていく。


 ――混ざった傍から色がつく。


 セピアから解放された最初の色は赤だった。

 それから噴水の白、灰色、石畳、花壇、城壁、レリーフ、紋章、国旗――何もかもに時間が戻っていく。


 そうして瞬きする間もなく、解術により発生した風の流れがハーミットを襲った。


「……っ、けほ」


 浅い息を繰り返す。急に変わった酸素濃度に喘ぐ心配はなさそうだった。


「――――馬鹿なんですかぁああああああ!!??」

「おっと、術中範囲では音まで止まってたのか。聞こえてるよー! ストレンさーん!」


 背後から降って来た烈火隊の弓使いの声に手を振っていると、全ての棟で止まっていた時間が動き出した。


 人々の声。ざわめきが増して喧騒になる。


 ――ウゥウウウウウウウウウウウウウウウウウ――


 各棟の非常時の鐘アラートが多重奏する。どうやらこれで全ての棟を解術できたらしい。


 一方、高台に居るラーガは耳を塞ぎ、黄色い目を見開いた。


「――はーみっと!」

「!」


 声に気づくが早いか、少年はその場を飛び退く。


 数秒後、噴水広場の周辺が巨大な骨の拳の下に砕け散った。噴水広場に貯められていたどす黒い赤色と、粉々になった石の欠片が大粒の雨になって針鼠に降り注ぐ。


「っとと、危ない危ない。あちこちで骨も湧いてるし!!」


 解呪と同時に城のあちこちで五棟に現れたのと同じ骸骨兵が首をもたげているのが確認できる。


 特に激しい戦闘音を響かせている三棟の窓が内側から砕かれ、諸々の破片が植込みに降って来るありさまだ。


 そして肝心の噴水をぶっ壊した犯人もまた、重たげな頭骨を首の骨に吊り下げ虚ろな眼光をハーミットに向ける。

 顔だけでハーミット三人分はあろうかという巨体。身体の無い骸骨は頭と両手の骨のみが空中に漂い、顎はがらがらと不気味に笑っている。


「センチュアリッジでの怪魚と言い、最近でかぶつとの遭遇率高くないか……!?」

「――天使の矢パワーリィ・アロー!」


 一度の詠唱で三十射以上。「正鵠へ帰巣するホーミング」を使用した弓術の力技――放たれたそれらは外れることなく骸骨の脳天から額にかけての位置に突き刺さっていく。


 ストレンは鋸壁に片足をかけ、嘴熊ダッグリズリーの骨で作られた魔弓を構えた。


「――ハーミット・ヘッジホッグ! 貴方はさっさと仕事を片付けて来て下さい! ここは私が食い止めますのでぇ!!」

「えー!? 君一人でできる!?」

「――何とかしますぅ! こちらも死にたくないのでぇ!」


 その後も詠唱と共に放たれる白き矢の雨。死霊兵が相手であれば回復術は攻撃になりえる。

 ストレンは城壁に身を隠しつつ、矢を天に向かって放つことを繰り返していた。


(うーん、何だかやけになっている気がしなくもないけど頼もしいのは事実だ)


 針鼠は上空から叩き付けられる骨の指を躱しながら、鞄のベルトについた幾つかの回線硝子ラインビードロの内、一つだけ裏返して指を添える。異変を感じた時に使用した赤色だ。


「聞こえるか。強欲だよ――状況を確認した者は事態を鎮静化させるように動け。ラーガは俺と行動する。残りは個々の判断に任せるよ、骸骨はちょっと硬いけれど倒せない相手じゃあない。それじゃあ、みんな宜しくね」


 一方的にそれだけを伝えると少年は指を離す。次に触れたのは透明な回線硝子ラインビードロだ。


「あー、てすてす……生きてる?」

『生きてるわ馬鹿野郎てめぇ一体何処に居やがるぁあああ!』


 耳がきーんとなる勢いで話し出したのはアネモネである。顔が見えずとも怒っていることは明白だった。


「あははは。元気そうで良かったよアネモネ。そうだ、ストレンさんが五棟の屋上から中央広場の巨大骸骨を狙撃してるよ」

『五棟!? 中央広場!? 待ってろ絶対一発殴ってやるそっから動くな針頭!』


 怒涛の声が遠ざかり、代わりに緊張感にかけた欠伸が響く。


『あらぁ、やっと解けたみたいねぇ。ハーミット』

「……おはようロゼ。眠れたか?」

『全然。というかぁ、浮島の浮力制御が少し緩くなってるから調整してくるわぁ、風力制御の結界も半分浸食されてるしぃ、一回作り直した方が早いかも知れない』

「一応外にも人が居るから、最後の奴はことが終わってからでもいいんじゃないかと思うな俺は」

『魔族は簡単に死にはしないわよぅ。じゃあねぇ』


 司書は仕事に戻ったようだ。そして。


『おい、ストレンは五棟の屋上にいるんだな』

「おおうスフェーン。そうだよ、今はラァガァモォールさんが一緒にいるけど」

『じきに合流する。五分程度であれば彼女一人でも保つだろう』

「そっか、助かる」


 耳元のイヤーカフから伝わる言葉に声を返す。

 元を含めた四天王の面々は一人を除いて冷静を保っているようで、針鼠は胸を撫で下ろした。


「ハァアアミットオオオオオオオオオオオオオ!!」

「おっ、来た来た。アネモネ! 後で訓練付き合うからさ、この骨どうにかしててほしいんだけどいい? 天下の烈火隊、しかも隊長なら足止めのみならず解体ばらすまで余裕でいけるよね!?」

「はぁあああ!? 俺だぞ!? いけるに決まってんだ――ってちげぇ!」


 一度首を縦に振りそうになって、アネモネは慌てて横に振り直した。


 しかしハーミットは、四棟三階あたりから窓を突き破って降りてきたこの騎士に後で色々言わねばならないことがあるのでスルーした。


 左右から襲って来る巨大な人骨のてのひらを避け、針鼠は退却の姿勢をとる。


「言質は取った! 後は任せる!」

「っだあああ! わーったよ後で覚えてろよこの針頭野郎!」

「俺もカッコいい騎士がいたんだって覚えておくよ三つ編み騎士ナイト!」

「……っ! ぐあー! ムカつく! 覚悟しろよ骨ェエエエ!!」


(よし、注意を逸らせた)


 心の中のガッツポーズは誰にも見えはしない。ハーミットは汚れた針頭を振って飛沫を弾いてから一棟へ向かう。


 途中、少年がしたのと同じように壁を滑り落ちるようにして黒い耳が夜の城壁から石畳へ着地する。


「ラァガァモォールさん」

「……いこう。にげられるとこまるひと、いるんでしょ」

「ああ」


 獣人もどきと長耳の獣人は、そろって一棟へ駆けて行った。




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