83枚目 「沈黙の黒」


「にー、あんど、とぅ」


 振り向いたストリング・レイシーの視界に骸骨兵が映り、自らの置かれた状況と振り下ろされるロングソードを認識した瞬間。その腕と首が左横方向へと吹き飛んだ。


 武器を手放した骨は、武器を手に取る獣人を目に (骨なので目は無いのだが)カラカラと笑い声をあげる。


 対して、取り上げたロングソードを軽く振り回して骨に差し向ける


 ストレンは一瞬、見知った顔の獣人かと思ったが――どうやら別人のようである。


「……や。すとれん、ぶじ?」


 とん、とん、とん。と、着地後も跳ね続けるその脚部は人の形をしていない――形態獣化、獣人がもつ特性だ。爪先から太ももまで黒い獣と化した獣人は、頭の長い耳を振り回し、こちらを一瞥する。


 高い背。黄色い瞳。そして、長い前歯。黒く短い髪を編み込んでいる。


「ラーガさん!?」

「ひさびさ」


 ひらひらと五本指を揺らし、ラーガことラァガァモォールは少しだけ目尻を下げた。


「お久しぶりですぅ! え、でもどうしてこちらに? 五棟にいらっしゃったんですぅ?」

「しごと。でも、ひたすらみてたよ」

「見てたということは……あ、もしかして監視?」


 ラーガはふいと首を傾げる。どうやらピンと来ていないようだった。


「居た居た、ストレンさん!」

「あら、針鼠は遅れてやって来るぅ、ですねぇ」


 通路に居る骨をあらかた片付けたのか、ハーミットがこちらに走って来た。

 ラーガの口元が「すーっ」と閉まる。


「……」

「――! ラァガァモォールさん、貴女もここに居たのか」

「……」

「え。呼び出しただろう、って? あぁ、確かに。戦力が増えるのは大歓迎なんだ」

「……」

「腑に落ちないなんて言わないでくれよ……」


 無言の女性に対し、やはり淡々と会話を成立させる鼠頭の少年。ストレンはそのやりとりを眺めつつ、再度中央広場を確認する。


 状況は変わらず、噴水から水が噴き出している様子はなかった。


「強欲さん」

「はい、何か用かな?」

「中央広場の噴水が作動していません。恐らくですが、中央広場の噴水を起点に、各棟の魔法陣が作動したものと私は考えますぅ」


 ストレンはそこで言葉を切った。判断を求める訳でもなく、ただ自分が考察した事実だけを述べるにとどまった――つまり、その推理を断定した。


 早とちりであればそれまでだ。もしかすると多くの人を危機に陥れるかも知れない状況で、ストレンは判断を下した。適切なタイミングで、適切な判断を。迷うことなく。


 ハーミットはストレンのその言葉に、にい、と口角をあげる。


「じゃあ、どうしようか」

「――っはは、どうにかしてあの噴水を破壊するか、貴方の力で無力化するしかないでしょう。どちらが好みですぅ?」

「おーけー、後者で行こう。俺も大体同じことを考えてたし。素晴らしい判断力に花丸をあげよう!」

「……予想はしていましたが、やっぱり一言多いですよぅ!」

「ははは。それじゃあ、一言多いついでにこれをどうぞ。忘れものだよ」


 ハーミットは言って、先程からずっと右腕に抱えていたものをストレンに差し出す。


 それは、人の腕程の長さの短い弓である。矢をつがえる為の弦は無い。必要最低限の装飾が施されただけの、ストリング・レイシーの手になじんだ魔弓。つい先程持ち主が投げ捨てていたそれである。


「……拾ったんですねぇ、律儀な事ですよぅ」

「何かあった時の為に、ってね――しかし、他の魔術師にも、もう少し骨があってほしかったんだけどなぁ。これじゃあ次に何かあった時に生き残れない」

「……そう、ですね」


 鼠頭が周囲を見て呟いたのをストレンは肯定した。


 軍人とはいえ、白魔術の専門家は基本的に机仕事、研究と開発が主である。開発者として優秀なものの多くは腕っぷしが弱い。現に、解呪された瞬間部屋から飛び出していた筈の彼らの姿は、今は殆ど見かけられない。


 回廊に残っているのはストレンたちが撃退した骸骨兵の残骸だけ。


 烈火隊に所属することで戦闘経験を積み重ねたストレンと同じようで違う彼らの部屋は固く閉ざされ、きっとこの異変が収まるまで出てくることはないだろう。


(白魔術を扱う者は治療の為に生き残ることが先決――ですが、ただ隠れているだけで戦況は変わらない。何時かの戦争の二の舞になりかねない古い慣習ですよぅ)


 そう考えて顔をしかめたストレンに、針鼠は口だけ出して笑う。


「ま、もしもの時に逃げ足が速いのは助かるんだけどね。戦いの邪魔にならないし」


 その言葉に、赤い瞳は丸まった。弱者を弱者として守り、自ら戦う事を厭わず、誰かの矢面に立つことを良しとする人族の少年。


 そんなの、慈愛博愛の域を超えて、ではないか。


「ふ、ふふ。言えてますぅ」


 ――笑うしか、無いと思った。


 王様に謁見した際に明かされた勇者の顛末。限られた人だけが知る真実。それは彼女の中にあった人族への偏見から来る憎しみを和らげるには十分な内容だった。


 ただ、あんなに憎んでいた人族がどうして今になって、こんなにも頼もしく見えるのだろう。

 つくづく人の主観とは恐ろしいものである。


(……王様がそれでよしとされた理由。けれどこれは、身も心も削る手段なのでしょうねぇ)


 今は、そんなことを考えている余裕などないが。


「ハーミットさん、私は貴方の能力を全て理解している訳ではありません。具体的に、どのようにすればあれを解呪できるとお思いでしょうかぁ」

「ん? 走れば良くない?」

「ここから一階までですかぁ?」

「まさか、屋上まで走るんだよ」


 針鼠は言った。ストレンは一瞬思考して、それから尋ねる。


「屋上?」

「十二階層分下るより二階分昇った方が早いだろう?」

「……下に行かなきゃいけないのにどうして上にいくんですぅ?」

「……………………ん?」


 ハーミットは針頭をさわさわと撫でる。ピンときていないらしい。


「……」


 固まった獣人もどきのコートを、後ろから引っ張る黒髪の獣人。


「はっ、そうだよね、まずは行動だ。必要なら階段で説明しよう」

「それは、いいですけどぅ」


 ストレンは走り出したハーミットとラーガの後ろにつきながら、後方に目をやる。今はくたばっている骸骨兵も、何時起き上がって来るか分からない。


 腐っても白魔術師であるストレンにとって、治療棟である五棟への外部からの襲撃は予想外のことである。下の階へ降りる階段を目にしたとき、一つの不安がよぎった。


「別の階には患者さまもいらっしゃる筈……私はそちらに応援へ行っても?」

「それは問題ないと思う。下階にはそれなりに強い人が居る。寧ろ邪魔になったらいけない――まぁ、ああ見えて骨退治とかは嬉々としてやってくれそうだし」

「?」

「ともかく、俺たちは階を上がることに専念する。目指せ屋上! いいね!?」

「えっ、は、はぁい」


 昇降機前の通路にも上階と下階からやって来た人骨が何体もうろついている。よく見ると昇降機自体も破壊されてしまって鉄の箱が何処にも見当たらない。器用にも骸骨兵が物まで破壊したということだろうか。


 ラーガが階段に足をかけて跳躍する。

 振り上げられた刃先を躱し、先程奪ったロングソードを奮って人骨の膝裏を砕く。


 回廊より足場が悪い階段での戦闘である。ストレンは魔弓を小脇に抱えたまま、片手で魔術を構築する。手のひらには黒い矢じりが握られていた。


「『弓兵の心得アロー』――『正鵠へ帰巣するホーミング』!」

 

 発動と同時に、自由に空を走り回る黒鉄の刃。小さな切っ先が鳥が飛ぶような速さで骸骨の膝と手首を砕いていく。下から襲って来る骸骨にも同様の対応をとった。


 魔術が使えない針鼠は徒手空拳で応戦しているが、相手をしていた骸骨が体制を崩したところを追撃して楽しそうに笑う。


「ひゅー、かっこいー!」

「茶化す暇があればさっさと昇ってください!」

「あっはははは」

「……」

「え? あはは、まさかぁ。この期に及んで楽しんでなんかいないよ、冗談きついなぁラァガァモォールさん」

「その言い方、信用なりませんねぇ!?」


 魔導王国の各棟は十三階まである――十二階から屋上など、あっという間だ。


 屋上の扉を開け、骨が昇って来ないように鍵をかける。

 その辺にあった稽古用の槍をつっかえ棒にしたが、武器を振るう骸骨兵の時間稼ぎには耐久力が心配だった。


 城壁の鋸壁には月明りがさしている。

 浮島周囲に張り巡らされた結界のお蔭か、風は強くない。何かを撃ち落とすにはもってこいのコンディションだった。


「よし、ストレンさん。こっち向いて」


 呼びかけられ、魔弓の調子を確認していたストレンが振り向く。


「時間がないから手短に説明するね。今から俺はあの噴水まで走って解術を試みる。もし成功したら、反射トラップが絶対あると思うから援護射撃を頼みたい」


 さらっと言う針鼠。ストレンの顔が青くなった。


 年下で人族だろうと、相手は上司に当たる四天王だ。

 彼の「頼みたい」発言は、少年自身が意図していなくとも「やりとげなさい、できるよね」という勅命と同義である。


「ひぇ……」


 責任重大だ。この期に及んで胃が死にそうになる。


「……」

「ラァガァモォールさんは、全棟の解術が終わるまではストレンさんの背後を守っていてくれ。解術が済んでこの場の状況が安定したら、速やかに俺と合流してほしい」

「……」

「うん。頼りにしてる――それじゃあ」


 ハーミットは言い終わると、城壁の上に立った。


「え」

「さっさと終わらせに行くとしよう」


 言って。


 少年は小さな段差を降りるような気軽さで、その縁に足裏を引っ掛けると中庭へと飛び込んだ。


 お忘れなきように。ここは十四階の高さである。


 ラーガは展開が予測できたのか耳を塞いだ。ストレンは思わず叫ぶ。


「馬鹿なんですかぁ貴方ぁああああああああああああああ!?」




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