82枚目 「Born bone」


 五棟が元の鮮やかさを取り戻す――そして、解術と連動するように内部に現れた無数の死霊兵を遠見で確認した男性は赤い三白眼をゆるりと細めた。


「おぉ、どうやら始まったようだ」


 魔族の男性は言う。赤紫の短い髪を払い、真っ赤な瞳を閉じた。

 目線の先には一人の影。回廊の奥から渡り廊下に姿を現す。


 魔族の男性の目に映るのは、魔族の青年だった。


「やあ。来ると思いました――魔導王国二十四代目の王様」


 コバルトの瞳は夜の空を想起させ、黒い髪は月光に照らされ青みを帯びる。

 頭上にある玩具染みた銀の冠こそ、紛れもなく王である証。


「相変わらずの様子で安心しましたよ。私には君が青年に見えているようだがね」


 笑う男は貼り付けた笑みをそのままに、硝子の向こう側を見据える。王は白い水晶体を軋ませる。


「この騒ぎは貴方が?」

「ははは! そうだとして、現王はいかがなさるおつもりかな」


 男は言って、画用紙の束を閉じる。


「何にせよ、囚われた愛しい兄弟を連れ出すには絶好の日和に違いない」


 全身を覆う緑色のローブがはためいた。

 月明りに照らされた部分は黄緑に。そして城内の影に重なる部分は苔色に染まった。


 王はその場を動こうとしない。今居る渡り廊下を越えればその先は一棟だ。二棟方面から現れたこの苔ローブに道を譲り渡す義理など無いに等しかった。


「……非常に心苦しいが、ここを通りたくば私を越えて行ってもらおうか」

「はっはっは。止まった時を動かすすべを探らぬのか王よ! 私を斬ったところで解術は叶いませんが、それでもよろしいか?」

「構わない。そのような些事、目的はおろか、貴方の存在をはなから当てにするつもりはなかったよ」

「ははははは! さすがは魔王と呼ばれただけはある。些事と来たか、これでは命を賭けたかいがないなぁ!」


 赤い爪が紙束の革表紙をなぞる。


 男の周囲に魔力が渦を巻く。ただの画用紙の束だったものが、形を歪め一冊の白い本に


 装丁は磁器。タイトルがない代わりに金の箔が空の陣を描く。


 開けば白紙の魔導書に幾つもの魔法陣が浮かび上がる――。

 王はそれを目にして舌を鳴らす。


「禁書か」

「ああその通り。昔の職場から拝借させてもらってそれきりだがね!」

「……いいだろう。君に売られた喧嘩なら買うことができる」


 コバルトの瞳が輝き、その周囲に揺らぎが生じる。王は胸元の赤い魔石に左手を添えた。


 ――強い魔力子の波。波紋が尽きた頃、青年の腕には一本のロングソードが握られている。


 両刃とも違う、いうなれば星果実の様な七枚刃の刀身。


 振り払うには肉を断ち切れず、かといって突くにはいささか重量があるそれを軽々と振り回し、王は紅の肩に乗せた。


「さあ、やろうか」


 王は、それがさも当然であるかのように言った。


「そうですね。王よ」


 愚者は絵描きの皮を剥がし、禁書と共に彼と対峙する。


 両者の姿は、誰の目にも映らない。







 ――時間は少し戻って、二日前。


 術士資格を停止されたストレンは起床早々、とある人物に呼び出された。ラエル・イゥルポテーとの相部屋生活も慣れてきて、距離感がつかめてきた頃のことだった。


 ストレンは五棟七階にある、とある白魔導士の部屋に呼びだされた。


 彼の愛称である「スフェーン」の綴りがノブにかかった扉の前。呼ばれて辿り着いたは良いものの、ストレンは膝を抱えて座り込んでいた。


 覗き穴からは決して見えない範囲の壁にもたれ、膝に顔を突っ伏す様子は物言わぬ石である。


(いま超絶会いたくない上司ランキングトップランカーの師匠が、どうして私を呼び出したりするんでしょうかぁ……今度こそ解雇ですかねぇ……)


 ストレンは別に、その解雇が恐ろしい訳ではない。それだけのことをやらかした自覚はある。

 だが、その過程で浴びせられるであろう彼の鋭く鋭利で返しが沢山ついた言葉の刃が心にぐっさぐっさ刺さって抉られるだろうことが、嫌で嫌で仕方がないのである。


 全面的に罪を認め罰を受け入れる立場であるストレンであっても、王様に謁見することと同等の体力を使う面談になることは予想に難くない。


「とはいってもぅ、魔力探知でバレてると思えば、今更というかぁ」


 そもそも部屋の前まで呼ばれるままにやって来ている時点で退路は断たれたようなものである。これは腹をくくるしかないとストレンは立ち上がった。


 数回、ドアノッカーの輪っかをぶつける。


 すぐに中から返事があった。どうやら、こちらの準備ができるまで待っていたのだろう。

 ストレンは支給服の裾を握りしめて、それから離した。


 そうして踏み込んだ部屋の様子に、彼女は目を丸くする。


 部屋の主、白魔導士スフェノスはその長身をかがめるようにして、果物にナイフを入れている最中だった。


「来たか。ストレン――まあ、良い茶があるわけでもないんだが、幸い果物がある」

「……?」


 思わず目を擦ったが、視界は大して変わらない。


 彼女の目に映ったのは、色とりどりの魔力補給瓶ポーションが並ぶ、クリーム色の壁紙を基調とした、とても整頓された部屋だ。


 ベッドがあり、机と椅子がある。専門書の詰まった本棚がある。そして、目の前のテーブルの上に盛られていたのは切り分けられた果物。……飾り切りである。


(師匠、こんな趣味持ってたんですね)


「どうした」

「え? いえぇ……あの、師匠……私なにか、あの件以外でやらかしましたかぁ?」

「いや、そのような報告は把握していないが。何か心当たりでも?」

「な、ないですぅ」


 暴かれる程の余罪は無い筈だ。最近企んでいる事と言えば、魔導王国で市販されているお茶の中で一番苦いものは何なのか、ぐらいなのだから (他意はない)。


「なら座ってくれ。勿論立って聞きたいならそれでも構わない」


 促されたので、ぎくしゃくと椅子に座るストリング・レイシー。

 その様子にスフェノスは眼鏡をくいと上げる。モスグリーンの宝石に似た瞳がストレンの目を射た。


「今年の白魔導士昇格試験も見事なものだった」

「……」

「だが、導士の資格は軽いものではない――ストリング・レイシー。君は魔導士になることを、少々舐めてはいなかったか」


 言われた瞬間、出されたお茶の味が分からなくなった。


 五年。……五年だ。それよりもっと前から、ストレンは白魔術に人生を捧げてきた。それがどうして、そのような発言につながるのだろう。

 試験で最高評価を取ろうが、実技で完璧にこなそうが、届かなかった導士資格の事を、どうして、他でもない師である彼が言うのだろう。


「…………」


 だが、ストレンは口を開かない。


 スフェノスは幾つかの果物を口にほおり込み、咀嚼した。


 無言。無音。静寂。沈黙。


 果肉を飲み込んだ白魔導士は、静かに口を開く。


「なぜ私に意見しない。君には意見がないのか、ストレン」


 意図しなかったその言葉に、彼女は衝撃を受けた。そしてそれがすべてだった。

 ストリング・レイシーが、白魔導士昇格試験に落ち続けた決定的な理由。


「白魔導士の心得。君の事だから暗唱できるだろう――白魔導士の誓いを読み上げてみろ」

「えっ、……はい。『白魔導士は何があっても患者の命を繋がねばならないが、同時に自らも異端であることを理解していなければいけない』……です」


 この言葉は、白魔導士の心得の一つだ。


「白魔導士は命をないがしろにしてはならない。他人の命の為に自らを贄としてしまう事例がある現実を戒める言葉だ。回復術の禁術使用を封じ、自らを含めた全員の命を対等に救うことこそが目標である……っという、意味だったはずですが」

「その通り。しかし、教科書にすべての意味がのっている訳では無い。今、この場で誓いを読み上げてみて気づいた事はないか」

「気づいた、こと」


 呟いて、少しだけ考えて――ストレンは辿り着いた言葉を口から溢した。


「――何があっても、とあるのに。治療によって周囲や自身を見失うことを諫めている」


 ストレンの答えに、スフェノスはようやく眉間の皺を解いた。


「そうだ。白魔導士は白魔術士の先頭に立つ資格を持つという立場を自覚する必要がある。我を失って慎重さを欠いてはいけない。自らの手で救えると判断した命を優先して救わねばならない。治療者は、医療知識のない人間の意見や感情に流されてはいけない」

「つまり、一度治療すると決めたなら周りは気にせずとことん助けろ、ということですよね?」

「ざっくり言うとそうなるが。……ストレン、君はこの五年間の試験で回答を違えたことは一度もない。実技の結果も申し分なかった。だが、一度でも私に意見しようと動いた事があったか? 自分が正しいということを認めさせようと努力しようとしたか? 周囲が間違っていることを指摘しようとしたか? ――君は、自らの技術が信じられなかったのか?」

「……」


 自分が間違っているのではないか。

 自分の知らない欠点があるんじゃないか。


 ミスなど一つもしていないのに、そのような採点が出るのは一周回って適性がないということなんじゃないか。


 必ず受かるだろう、という絶対的な自信があるゆえに、落ちた時に抱いた違和感を無視して突き進んでしまう。


 新たな知識を吸収し、誰よりも先に立っているのにも関わらず、現在地を誰よりも理解していない。


 誰かが認めてくれることを待っている。

 誰かが違うと言えば、自らに能力がないと思い込む。


 ……それは、白魔導士が現場に持ち込むべきでない情動だ。


「迷い。戸惑い。不安。焦り。これらの感情は全て、治療の際に邪魔になる。迷っていては患者が死ぬ。戸惑っていては誰も救えない。実力に不安があれば治療ができない。何か一つミスを起こした時に焦れば、命を殺すことに繋がるだろう」


 感情は人の健康に必要不可欠なパーツである。しかし、時にそれは判断を鈍らせる。

 周囲が間違っていると自覚しながらそれを指摘しないという判断は、時に取り返しのつかない罪となる。


「もう一度聞こうか、ストリング・レイシー。君は今年魔導士昇格試験に不合格となった――それでも君には、自分の意見というものがないのか?」

「……いいえ」

「そうか。それなら君は立派な白魔導士になる。他ならない私が保証しよう」

「はい。ありがとうございます……師匠」


 成程。受からない訳だ。と、妙に腑に落ちる感覚がした。


 自らの保身や、人間関係の軋み。それらの個人的事情を治療の現場に持ち込むことはよろしくない。自らの意見を持ち、自らの判断で行動する。人を束ねるという事は、それだけの責任を持つという事だ。


 確かにそう考えると以前の自分は導士資格を舐め腐っていたらしい。


 知識がなんだ、技術がなんだ。それらは現場に立つ上で必要最低限習得していなければならない「あたりまえ」じゃあないか。


 満点を取る。その程度であれば、導士になる資格はない。

 ストレンが試験に落ち続けていたのは、そういう理由だったのだから。


 ストレンは納得した。飾り切りされたアプルの実の味は、まだしないけれど。

 その現実は、とある決断を後押しする動機にもなる。


「……師匠。実は、相談したい事があるのですが」







 そして、そのやり取りから二日後の今日。


 術士資格を停止されている将来有望な烈火隊所属の白魔術師は、骸骨兵の猛攻を躱したりいなしたりを繰り返しながら必死に考えていた。


(考えろ、考えるんですぅストリング・レイシー! 五棟だけが術式破壊できたこの状況を、骨が異様に湧き出ているこの局面をどう打開するか!)


 発現した時系統魔術。もしこれが大規模な術式であるのなら、解術は非常に難題だ。

 五棟だって、ラエルが絨毯に穴を開けるという奇怪な行動を取らなければ術式破壊には至らなかっただろう。


 止まった空間の中では「あらゆるものが壊れない」というルールがあったそうだ。

 真偽はともかく、もしそれが本当で、かつ他の四つの棟の陣が独立していたとするならば。同じ方法で解術は望めないだろう。


(でも、もし発現のタイミングが全棟同じなら? 非常時の鐘アラートが鳴った時、他の棟からも遅れて音が響いていた事を考えると、止まった時間にずれがあったとは考えづらい)


 五つの棟を別々の術式で動かして、繋げずに同時発動? そんな荒事、一人二人でできるものではない。タイミングだって必ずずれが生じる。


 同時発動であったなら、全ての式に繋がる支点が存在しているはずだ。


「ハーミットさぁん! ひとつよろしいですかぁ!?」

「なーにー!」


 鼠頭を被り直したハーミット・ヘッジホッグは、集まって来た骨たちの腕を叩き折り (容赦がない)、顎を破壊し (容赦がない)、骨盤を蹴り砕きながら (容赦がない)返答する。


「ハーミットさんは時系統魔術の発動時、他の棟も同じタイミングで術式の影響下に入ったかどうか覚えていますぅ!? 同時でしたぁ!?」

「ほぼ同時だったと思うよ! 見ていた限りだと、下の階から一気に色が変色して――」

「下の階!?」


(魔力の流れは下から! まさか中央広場に何か仕掛けを?)


 ストレンは襲い掛かって来た骨の顎を膝で砕きながら、アクアリウムの反対側へ歩を進める。

 中央広場が望める場所まで走った。巨大なガラス越しに、普段眺める風景と違う点を探す。


(ああもう、セピア一色でとても判断できたものでは――)


 考えながら、骨の猛攻を避け、必死に記憶を絞り出す。

 考えろ。正しい道を見つけろ。さもなくば誰も救えないと思え!


(色の違いじゃあ異変は見分けられない。他に何か、違っていることは――)


 芝生の様子は変わらない。

 石畳に変化はない。

 丘陵の位置は変わらない。

 花壇の花に変化はない。

 柱に落書きはされていない。


 他には無いか?


 考えろ、考えろ。

 冷静に観察しろ。

 見つけるんだ。


 ラエルを見つける為にも。きっと今、何処かで固まってしまっているだろう友人を助けるためにも――。


 そして。

 ストレンは気付いた。


 二十四時間止まることのない噴水が、一切の水を吐き出していないことに。




 それは。背後から剣が降るのと同時だった。




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