76枚目 「ノハナの花茶」


 白い天井に、白い羽が付いた照明。


 くるくる回る羽の下、仲良く並んだ二つの小さなベッドがある。

 魔導王国五棟、そのとある一室で、女性が二人寝起きを共にしていた。


 一人は人族の少女だ。黒く長い髪を首の後ろで纏め、編むこともなく自由に遊ばせている。

 ベッドから降りるのが億劫なのか、そもそも降りる気がないのか。シーツをぐしゃぐしゃにして書見台しょけんだい代わりにすると、まがまがしい魔術書を開いて読みふける。


 もう一人は茶色みの短髪を指で梳く魔族の女性だ。紙とペンを持ち、木のラウンドテーブルの上に本を積んだかと思えば、毎分置きに溜め息をつく。

 ベッドでごろごろしている少女に比べると雰囲気がどことなく大人びている……が、頬を膨らませた姿は子どものようだった。


 服装はどちらも支給服だが、人族と魔族が同室に放り込まれるのは浮島内でも殆ど例がない。


 先日私闘を行った彼女らは謹慎中の身であり、各部屋の破壊と使用施設の修理に伴って自室から各々叩きだされたのだった。


 相変わらず例の魔導士が執筆した黒魔術の書を読みつつ、不意に笑い出す黒髪の少女。


「ふふふふふ。それにしてもまさか部屋が同じなんて、運命のいたずらって面白いわねー」

「私は頑なに拒否させていただいたんですけどねぇ……」


 声に答えた女性は赤い目を滑らせると、新しい一文を書く為に書籍を開く。


「ストレン。反省文、進んでる?」

「……導士論文の考察を反省文と訳さないで下さい。ラエルこそよかったんですかぁ。モスリーキッチンの雇用契約、打ち切られたんでしょう?」


 規則正しく文字が並んだルーズリーフの端を揃え、目の前にある紙の山へ投擲する女性。

 ひらひらと不規則に着地したそれは、魔力の流れで寸分狂うことなく他の用紙と束ねられる。


「打ち切りじゃないわよ。辞めるって言ったのは私から」

「実質打ち切りみたいなものじゃあないですか」

「それは否定しないけれど。迷惑かけるのは嫌だったし、それならいっそのことって思ったの。なんだかんだ言って、モスリーさんを説得するのが一番大変だったわ」

「……貴女、割と本気で聞きますけどあの調理場以外の勤め先が見つかるとでも?」


 黒髪の少女は一度書籍から目を離し、正面にある花柄の壁紙を眺める。


「無いわねぇ。無いと思う」

「うわぁ」

「うわぁ、じゃないわよ。原因の三分の一ぐらいはストレンにあるんだから」

「ラエルを狙った誰かさんの禁術に必死に抵抗していた私の身にもなってくださいよぅ」

「じゃあ、罪の全てをその誰かさんになすりつけるってのはどう」

「のった。そうしましょう、その方がお互い気が楽です」


 少女も女性も、淡々と会話を交わすだけで顔色を読もうと努力する様子はない。


「……軽いわねぇ、全然こっち向かないし表情変わんないし。声で分かるからいいけれど」

「論文の要約も楽じゃないんですよぅ、会話ができるだけ凄いと思いません?」

「それは、確かに凄いわ。凄い凄い」

「褒めるのを面倒臭がるな」


 はあ、と。本日何度目か忘れる程吐いているため息がまた出た。

 黒髪の少女は気にすることなく読書にふける。


 と、目の前の書籍が頭上に取り上げられた。


「どうしたの?」

「お話しましょう。お互いに、聞きたいこともあるでしょうし」

「その心は?」

「……反省文書くの疲れました。休憩したいので昼食に付き合ってください」

「ん、分かったわ」


 承諾した黒髪の少女は笑みを浮かべ、女性の手から本を取り戻す。


 赤い目を瞬いた女性はそれを確認するとラウンドテーブルとは別の机を用意して、食器棚からティーセットを取り出した。







 実はあの後、ラエル・イゥルポテーは三日間生死の境をさまよっていた。


 ハーミットが施した初期治療と、その場に居合わせたストレンから聞き取りを行うことで状況を把握し。迅速に滞りなく行われた治療の結果が、三日間の昏睡である。


 ただでさえ魔力を扱い切れていないのに『霹靂フルミネート』という身体に負担をかける代名詞のような魔術を連発したあげく、行き当たりばったりで練習もしていなかった魔術二種を発現させたのだ。それらがラエルの魔力導線に与えた損傷は計り知れないものだった。


 特に土系統。あともう少し魔力の断ち方が悪ければ、発現直後に死んでいたかもしれないぐらいやばかったらしい。


 よって、起きたら色んな人に叱られた。当たり前である。

 魔術師なのに魔術の暴発が原因で死ぬなど笑えない冗談だ。


 という訳で、ラエル・イゥルポテーは向こう一か月間、中級以上の魔術と魔力導線に圧をかける魔法の使用を禁じられた。


 腕枷のようで気に食わないが、腕に出力調整のブレスレットが嵌まっている。


 因みに。


『――いいか、これは外したら爆音のアラートが鳴り響く代物だ。部屋の外を出歩く際は着用の義務がある。よく聞け小娘、私は二度と君の血中毒の治療を行いたくない。次の治療者は新参導士のカルツェだ。友人にトラウマを植え付けたくなければ大人しく療養してさっさと魔術の修行をし、魔力出力のコントロールぐらいできるようになれ――!!』


 ……支給時には凄い怒られた。

 刺された釘が痛い。中でねじ曲がっているんじゃなかろうか。


 ブレスレットは自室では取り外しできるが、部屋を一歩でも出ると強制的に装着される律儀な品物となっている。ここまでくると執念以外の何でもなく、一種の呪いだった。


 さて。そんな大層な魔法具の装着条件が自室内でのみ緩和された要因は一つ。お目付け役の存在にある。


 言わずもがな、目の前でお茶を淹れているストリング・レイシーがその役割を担っていた。


 本来ならカルツェがその役を担う予定だったが、スフェーンが許さなかったのだ。

 治療者を怒らせると面倒臭い。ラエルはまた一つ学んだのだった。


「怒らせると面倒臭い、には全力で同意しますぅ。……というか、私の罪って一体何割ほどなんでしょうねぇ」

「私に嫌がらせをしていた事実で庇いようなく黒じゃあないの? 素直に『気に食わないから一度殴り合いませんか』って言ってくれればよかったのに」

「……っ、貴女、本当、一度敵と決めた相手には容赦ないですね……」

「仕方がないでしょう。私個人への嫌がらせだけならともかく、あの弁当注文までそうだったなんて! モスリーさんを巻き込んでるじゃないの。あの人が食材発注したり献立決めてくれていたのだし」

「そ、想定外ですよぅ」

「その辺りは気付かなかった私も悪いわ」


 歯ぎしりが激しくなった。頃合いなので黒髪の少女も一歩引く。言いたい事は言えたので満足だ。

 四日も同じ部屋で過ごせば、互いの事もある程度は理解できる。以前のような殺伐とした雰囲気は彼女らの間には無かった。


 辛うじて甘噛みのような言葉のやりとりがあるものの、それぞれが最も嫌う単語を選んでつつきあうことは無い。


「今日のお茶は何かしら」

「……ノハナですよぅ。ご存じ無いですかぁ?」

「知らないわ」

「そうですかぁ。これは魔力補給瓶ポーションの主な材料になる植物なんですよぅ」


 ガラスの湯沸かし器の中で花開く黄色の花。

 マドラーを摘まむ指に合わせて花弁は散り、乾燥した葉から染み出た茶色に混ざっていく。


「どうぞ」

「ありがとう――ってにっがああああ!?」


 華やかな香りが鼻を通ったかと思えば草花の渋みが舌の上を這う。

 黒髪の少女は思わず水を飲みこむが、その苦みは中和されることなく広がる一方であった。


「あっはははは、ざまあみろ良い気味ですよぅ」

「酷い! 砂糖は無いの!?」

「ミルクならありますよぅ」

「それコーフィー用で甘くない奴でしょう!? 分かってて言ってるわよね!?」

「あははは」

「笑ってごまかさないでほしいのだけど!」


 苦みにもだえ苦しむラエルに対し、真顔で茶を口に運ぶストレン。

 どうやら嫌がらせというよりも、元々苦いと分かっているお茶を淹れたというだけの話らしい。


「おこちゃま舌なんですねぇ、ラエルは」

「一応貴女の半分も生きていないけれど子ども扱いされる年齢でもないわ!」

「実際いくつなんですぅ?」

「十六」

「ふっはぁ」


 ストレンの口から乾いた笑いが零れた。


 まあ、人族の寿命の二倍を生きる彼ら魔族にとって三十数才そこらの若造はまだまだ未熟者扱いなのだが。自分のことは棚上げにした模様である。


「それはいいとして、ですよぅ」


 即座に切り替えをはかる辺り、この魔術師も割り切りが良い人間だった。

 ラエルもそのことを理解してか、対面する位置に腰を落ち着ける。お茶の残りはちびちびと飲むつもりでいるようだ。


「そうね。お話ってなあに、ストレン」

「思い出したくも無い例の一件についてですよぅ。……あれから七日経ちますがぁ、私が以前からちょっかいをかけていたことにすら気づかなかった貴女が、どうして今回だけは違うと気づいたのか――どうしても違和感があったんですよぅ」


 ストレンは言葉の端を伸ばしながら、茶のお供として皿に出した焼き菓子を頬張る。


 油と砂糖と麦の粉を水で混ぜ合わせたそれは、暴力的なカロリーを伴なって胃の中に吸い込まれてゆく。


「そもそも、人との関係性が崩壊することに恐怖しない貴女が、どうして私の挑発に乗ることにしたのかっていう話ですよぅ」

「黒魔術師を侮らないで頂戴な。私だって禁術の特性の一つや二つ知ってるわよ」


 ラエルは言い、自ら苦いと言っていた茶を口に含み、悶える。


「やっぱり苦いわ、私にもそのお菓子分けて」


 ストレンは無言のまま首を振って、菓子がのった平皿を少女の方へ押しやる。


「貴女はあの魔法陣をみて何も理解できなかったのでは? 私も見ましたが、あんなに滅茶苦茶な黒魔術、一目で意図を理解できたら相当なものですよぅ」

「その辺りは、魔導書の知識があるもの」

「答えになっていない、ですよぅ」


 伸ばした指先から、焼き菓子がまた一つ遠ざかる。


「……だって、あの場に術者の意図なんて


 紫の瞳に、赤い視線が向けられる。


「私に掛けられた呪術は貴女の部屋に書かれた陣とは何の関係も無かった訳ですから――それだけで私が『催眠ヒュプシス』という禁術に掛けられているとは判断できないでしょう……四天王が二人も控えていたあの状況で、どうしてそんなハッタリかませたんですぅ?」


 黒髪の少女は魔術師の言葉にむくれた。

 どうやらストレンの指摘は適切だったようだ。


「……そうね。『催眠ヒュプシス』の存在は元々知ってたの。でも、実際にかけられた人に起きる症状までは知らなかったわ」


 口の中に焼き菓子を放り込みながら、答えるラエル。


「薬を投与する場合に起こる副作用みたいなもの、って言った方が良いかしら。ほら、魔力欠乏になったら手足が震えて冷たくなって、魔力の流れが絡まって息ができなくなって、最後には全身が痛くなるでしょう? そこから白魔術で治療されると魔力導線が軋む位には痛いのよね」

「私はそんなへまをした事が無いので具体的な事はわかりませんが……そうですねぇ。教科書通りであれば、麻酔無しの治療はそうなりがちですぅ。治るまでの時間で受けるはずだった痛みをその場で体験する訳ですからねぇ」

「そうそう。つまり、白魔術を行使されるにあたっての副作用は『痛み』よね――で、例の禁術なのだけど。実際に壁を見て『これは禁術の作用だ』って教えてくれた人がいたのよ」


 ストレンは眉を顰めた。彼女は催眠状態にあった自身の行動をほぼ憶えているが、事件後に聞いたいきさつからしてラエルに手を貸した人間は四人だけだ。


 烈火隊の隊長アネモネ。白魔導士になったばかりのカルツェ。

 獣人もどきのハーミット。そして、ストレンの師匠である白魔導士スフェノス。


「スフェーンさんは違うわよ。始めから彼があの場に居たら、貴女の解呪はあの人がやろうとしたでしょうし」

「では、一体誰が」

「ヘッジホッグさん、よ」


 空になったカップが音を立てて小皿に落ちる。あと少し高さがあったら割れていた。


「ハーミットさんが?」

「ええ。でも術者は彼じゃあないわ。彼が魔術を扱えないこと、貴女も知っているでしょう?」

「た、確かに、そうですけどぅ。それでもそれでも、いくら何でもそれは――あ、そうか。……そうだ、そういうことならおかしくない」

「?」

「い、いいえいいえぇ、こちらの話ですよう!」


 咄嗟に取り繕ったストレンが想起するのは、先日行われた魔王との面談だ。

 その場で色々な機密を聞いたのだが、はっきり言って思い出したくなかった。


 ――特に、彼の『無魔法』の特性については。


「……ん、でもそうなると辻褄があいませんよう。そこまで分かってるなら、針鼠が自分で突っ込んで来れば良かった話じゃあないですか? 『魔法の無効化マジックキャンセル』は伊達なんですぅ?」

「さあ、中途半端に解術するとどんな作用が起きるか分からないから、とは言っていたわよ。それに、他にやることでもあったんじゃないかしら。ロゼッタさんが一枚噛んでいるとは思うけれど」

「あー……『怠惰の舌』ですかぁ。そうなるともう私たちが探れる話題ではありませんね」


 九割七分的中する、寝言の予言。

 寝言を勘定に入れずとも、司書ロゼッタの占いは八割の精度を誇る末来予知である。


 かつて金髪少年がしたように、現在も最良の選択を選び続けているとしたらどうだろうか。


 黒髪の少女の脳内で再生されるのは、一言多い金糸を生やした少年の声である。


『――君についての検討は俺の中では終わってるから――』


(検討が終わってるって、なに)


『――聞いた予言の中では、下から三番目ぐらいにマシな方――』


(下から三番目にマシってなによ、マシって。少し前まで「今を重要視する」とか言っていた癖に、その掌を返す勢いで予言の内容しか目に入れてないみたいな言い方じゃないの)


 現実よりも未来を重視する――それは確かに、多くを救う選択なのかもしれないけれど。


「…………」

「どうしましたラエル、百面相なんかして」

「いえ、個人的に問い詰めたい用件が増えただけ」


 ラエルは硝子の皿に残った最後の一つを口に入れ、席を立つ。

 ストレンは硝子の皿に新しい菓子を流し入れ、そのまま茶を口にする。


 黒髪の少女は支給服から七分袖のワンピースに着替えると、外履きに足を差し入れた。


「散歩ですかぁ?」

「そうしたいのは山々だけれど、違うわ。人に呼び出されてるのよ」

「はぁ、大変ですねぇ貴女も。回復傾向にあるとはいえ、病み上がりの女性を呼び出すだなんて。自制の効かない殿方のお誘い……はたまたデェトじゃあるまいし」

「……」


 ストレンの言葉に少し考える様にした少女は、振り向いて口を歪める。


「残念ながら、そのデートなのよね」


 ポカンとする魔術師の顔に満足して、ラエルは部屋を出た。


 左腕に取り付けられた金属の腕輪を爪で弾き、目の前にある巨大なアクアリウムを眺めつつ下の階へ向かう。


 寄り道もせず、目指すは鼠の巣。

 密会の相手は話題に上がった四天王「強欲」、その人である。




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