75枚目 「黒魔術師は紫眼で笑う」


 黒髪の少女の事を始めて知った時。「そんな馬鹿な話があるか」と思いました。


人を売り買いする悪魔を根絶やしにすることを目的としたセンチュアリッジ作戦の存在は聞いていましたが、まさかパリーゼデルヴィンド君主国の人族を浮島に保護することになるとは――そう思うほど、私にとって人族は恐ろしい人種だったのです。


 先の魔導戦争。沢山の兵士と民が犠牲になった戦争。その真っただ中、魔族の軍と和平を結ぼうとしている変な人族国家が第三大陸に集中していました。


 北の白砂漠にあったパリーゼデルヴィンド君主国もその一つ。魔族が人族に劣るとは少しも思わなかった私が唯一懸念していた例外は、出立した軍に所属していた人間の安否でした。


 白魔導士です。魔導王国にとって、兵士の命を繋ぐ要になる存在。

 私の両親はそこに居ました。従軍したんです。喧嘩の真っ最中の話でした。


 白魔術を修めたいと両親に申し出た時、魔導王国は人族国家と戦争をしている最中でした。

 今思えば、彼らには私を白魔導士にしたくない確固たる理由が存在していたのでしょう。


 親の心、子知らず。といいますか。


 私は楽観的な子どものままでした。魔導王国の圧倒的な手腕と火力。その前にはどのような人族国家も成す術無いと、信じていました。第三大陸の南側のように、比較的平和な決着がつくのだろうと、妄信していました。


 しかし現実として。パリーゼデルヴィンド君主国との交渉は無かった事になりました。


 詳細は殆ど明かされていません。ですが、後日帰って来た魔族兵士は言いました。「全員俺が殺した」って。言いました。笑いながら、泣きながら、言ったんです。


 私はそれを聞いたんです。衛兵さんと彼が騒ぎを起こしている時、血まみれの顔で鮮やかな紫の瞳を輝かせた魔族が、魂が抜けたような彼が暴れながら溢した言葉を。


 笑っているような口をして全く目が笑っていない彼から零れた悲しみの感情が、痛くて痛くて仕方がなかったのを覚えています。


 ずっとずっと、あの空笑う声が耳から離れない。私の両親を殺しただろう彼が、どういう訳か同士たちを手に掛けてしまって。そうして壊れた彼の声が。絶望を語る声が消えてくれない。


 もしその場に若輩者の私が居たらどうだっただろうか。誰かを助ける事ができただろうか。


 いや、多分無理なんです。成す術無く殺されたに決まっている。

 だって、魔族は感情欠損ハートロスになった彼以外誰一人帰って来なかった。


「……人族に関わったから、皆死んだんです」


 もし、自分に人族の血が混ざっているかと思うと恐ろしい。


「……なのに、貴女は人族の癖に、違ってて、それがどうしても認められなくて」


 彼女と関わる内に人族に対する見方が変わってしまうんじゃないかと怖くなった。


「……嫌なんですよう。これ以上誰も連れて行かないで欲しいんです。やっと、やっと私を見てくれる人が見つかったのに……」


 導士にならないと誰にも認めて貰えないんじゃないか。

 そうやって足掻き続ける自分が酷く惨めに思えて仕方がなくて。


「……嫌だ……」


 なぜなのか。

 彼女の視界に、私が居ないことが悔しくて。







「成程。見返したい、じゃなくて『認められたい』だったのね」

「…………うぅ」


 水の中で目を開けているような。熱を持った脳が覚醒して、ひどく重たい瞼を上下させる。目の端から零れた粒が耳朶じだを冷やす。


「……ラエル・イゥルポテー」

「ラエルでいいわ。それより、先に謝っておくけれど……本気で仕合えなくてごめんなさい」


 黒髪の少女は言って、獣のような笑みを浮かべて見せる。


「貴女は他人を殺すほど痛めつけることができない――矢を向けようが火球を投げようが、根が真面目な治療者である貴女に私が負けるはずないじゃない。貴女は白魔術士で、私は黒魔術師なんだもの」


 ストレンの頸部にはラエルの細い指先が添えられている。


 膝立ちの姿勢で何時でも「霹靂フルミネート」を打ち込める――だが、ラエルはそれをしなかった。指先の延長線上、焦げた地面がそれを物語っている。


「それでも貴女は。軍人として、最後の最後で私を下してみせた」


 ……黒髪の少女の腹部には一本の矢が突き刺さっていた。

 黒い矢じりに急遽生成した白い矢羽。初撃で壁に打ち込まれた黒鉄のあれだ。


 咄嗟の軌道修正により背骨を避け動脈に掠ることもなく、臓器の損傷を最小限に抑えられた傷口からは、それでも多量の出血が伺える。


 七分袖の訓練着が、つやつやした鉄の赤に染まっていく。

 ラエルは抜け落ちた体温に縋ることなく、ストレンの服を染め上げる赤色を見て笑う。


「だから貴女の勝ちよ、ストリング・レイシー。貴女は自力でその術を破って見せた。気に食わない人族に一矢報いるという望みを叶えた」

「う、うう」

「……まぁ、貴方が目指す白魔導士は――貴方が志した精神は、傷ついた人間を見捨てられないだろうから。少し利用させてもらったわ。どう、目は覚めたかしら?」

「あああああもう覚めました覚めました! 正気に戻ってやりましたから怪我人は黙ってて下さいよぉおお! 『天使の霧アーキリィ・フォグ』!」


 ヤケクソの詠唱と共に矢羽の魔力がほどけると傷が内側から癒されていく。白い霧が濃くなるたびに貫通した痕がひどく痛むのが分かる。


 麻酔も無しに治療を受けるのは初めてだったが、なんだ、耐えられないほどではないなとラエルは思った。


 一方のストレンは終始歯ぎしりをしていて。何だかこちらが悪人のように思えてしまう。

 思わず苦笑すると、歯ぎしりは更に勢いを増した。


「貴女ほんっとう理解できないんですけどぉ!? 何笑ってくれちゃってるんですかっていうか相手が武器を構えてるの解ってるくせに特攻してくる馬鹿が居ますぅ!? 馬鹿ぁ!!」

「あはは、お互い様よ。私は命を取りに行かせてもらったんだから」

「!」


 ストレンの指先が、僅かに震えた。

 黒髪の少女はというと涼しい顔で、それこそ感慨も無く言葉を紡ぐ。


「でも駄目だったみたい。一歩及ばす、覚悟もできず。中途半端な魔術師でしかあれなかった。あーあー、賭けにも負けちゃったし。どうしようかしらね」

「賭けぇ!?」

「こっちの話よ。気にしないでいいわ」


 ストレンを組み敷いていた腕を解き、ラエルも黄色の地面に仰向けになる。


「決闘としては私の勝ちでも、実戦としては貴女の勝ちでしょう、これ」

「……っ少なくとも、人を傷つける目的で魔術を行使した私は白魔術士に相応しくありませんよっ」

「ふぅんそう? じゃあ、おそろいね」

「?」


 怪訝に眉を寄せるストレンに、紫の瞳が笑いかける。


「殺すと決めた相手と壊すと決めた相手にしか、黒魔術は向けちゃ駄目なのだけれど――私にはどうしても、できなかった。あはは。親の怒る顔が目に浮かぶわ。黒魔術師失格」


 頼んだら私の代わりにやってくれる? 黒魔術。

 そう言われて、ポカンとするストレン。


「どうしてですか」

「素質ありそうだし」

「はぁ、まあ、人族の貴女からすればそう見えるのかもしれませんが、所詮私は中級どまりの器用貧乏ですよぅ」

「白も黒も使えるんだったらもう何でもありじゃないの。普通はそういう人、才能があるっていうんだと思うんだけど」

「はぁ!? 冗談は休み休み言って下さい!!」


 意地で起き上がったストレンはそう返し、隣で寝転んでいる黒髪の少女へ視線を向ける。

 爪でも割れたのか、水色の指先には赤い血がにじんでいた。


「まったく、ベリシード工房の凄い手袋なんですから、もうちょっと丁寧に扱って下さいよぅ……ラエル?」


 ストレンはふと、嫌な予感がした。


 体裁上、治療しようと思って触れたその腕が妙に冷たいことに違和感があった。

 先程まで自分が火系統魔術を扱っていたからなのか、それとも別要因なのかが分からない。


 血の気が引いたストレンは普段の治療でそうするように脈をとる。平常値を大きく下回っているとすぐに理解できた。


「ラエルさん、貴女、まさか」

「全然元気だけど?」

「嘘は分かりますよ。一応治療者ですから! 馬鹿ですか!?」

「うぐっ頭に響く……できる限り静かにして頂戴、もうちょっとで白砂漠に辿り着けそうなんだから……」

「明らかに見えちゃいけない幻視ですよねそれぇ!? 待って!! 私も魔力切れで満足な処置ができないんですけど、そんな、こんの脳内筋肉人族めぇえええええ!!」

「貴女にだけは……言われたくないわ、それ……」


 生憎、ラエル・イゥルポテーの思考力は通常運転だったし、それこそ身体に残る異物感が中々抜けないことにいら立っていた。それにしても全身が動かないというのは全く、悪い冗談だ。


 確かに黒髪の少女は『霹靂フルミネート』を三回発動させたが、前回の騒動を考えるとそれだけが原因だとは思えない。


(ああ、そうか。魔力を無駄に放出しないように気を張っていたから調子に乗っちゃって、いつもより使いすぎちゃったのね)


 普段使用することのない風系統。今まで成功したことが無かった土系統。

 特に後者の発動は、無理に魔力の流れを断ち切ったので反動が大きかったのだろう。


(そこに連続して『霹靂フルミネート』の発動……うーん、これは流石に死ぬかも)


 魔術士として最も考慮しなければならない魔力量の配分を見事に間違った。

 これはこれで悪くない最期かもしれないが、ストレンを助けたところで彼女を呪った相手が捕まえられるわけでもない。


(手足の感覚が無いのは、血の巡りを感じ辛くなっているから。全身が怠くて重いのは支える筋肉が弛緩しているから。呼吸が浅いのは肺の機能不全? 心臓が震えるように脈打ってる。一拍遅れて痛い。……予想外ね、こんなに痛いなんて)


 症状の分析を終える頃には、視界にノイズが入り、色が消え、点滅し始める。

 砂嵐。砂漠の色。月がない砂漠。耳元でざらついた砂の音。


 自分が揺すられているのか、それとも自分の視界が揺れているだけなのか。いや、見えもしないものが揺れるなんて可笑しいだろう。

 どちらにせよ、触られている感覚がないのだから地面が揺れているんだ。そうに違いない。まるでゆりかごみたいな。そういう感覚。


「…………!!……!!」


 聞こえない声に耳を傾けながら、これは腹を決めないといけないかもしれないとラエルは他人事ながらに思った。


 恐怖が抜け落ちている少女にすれば、自身の死に無関心なのも当然。

 安易に死ぬなと言われたから、今までそうして来ただけの話である。


(……あれ、でもそういえば。何か最後にしなきゃいけなかった気がするのよね……)


 浮島から出るという目標も、禁術をかけられたストレンをどうにかするという目的も、自身にちょっかいをかけてきた顔の見えない誰かのことも忘れ。


 一番手近にした約束を、ラエル・イゥルポテーは必死に思い起こす。


(……そうだ。腕を……)


 腕を、上げるんだっけ?







 ストレンの背後にあった土柱がはじけたのはその時だった。


 振り返れば、施設の出入り口が開け放たれている。欄干の一部がひしゃげ、そこを踏み台にした誰かが土の柱をまた踏みつけ、こちらへ一直線に降りてくる。


 減速も失速も無く、着地した土を蹴り、生身の左腕をありったけ伸ばして――。

 少年は、僅かに土から浮いた少女の手首を掬いあげるように固く握りしめた。


 ふわっ。と、遅れて土埃が風に乗る。

 手首を握られたラエル・イゥルポテーは静かに寝息を立てていた。


「――っ、っは、あ、はは、やあ、ストレンさん。元気してる?」


 その様子を一目見て、心底安心したらしい乱入者――金髪少年は、その辺に転がっている鼠顔を一瞥するとその場に倒れ込んだ。流れるようなモーションである。


「は、ハーミット、さん!?」

「あ、あははは、ははは、はは、ちょ、待って、息が死にそう、死ぬ、話かけないで」

「死ぬってそんな、縁起でもない!!」


 なけなしの白魔術をかけようとしたストレンに対して待ったをかけた少年は、結局自分で呼吸を整えると上体を起こした。


 二、三度深呼吸して、少女の手をとったまま真剣な顔をする。


「で、どっちが勝った?」

「賭けの相手はあんたか!! ――じゃねぇですよ!! 今はそれどころじゃあないです!!

治療の邪魔!! 手袋まで外して、一体何がどうなっているって言うんです!?」


 黒髪の少女の手首を握ったまま放そうとしない金髪少年は、珍しい事に素手だ。ハーミットは開いた右手で怒るストレンの膨らんだ頬を潰す。空気が漏れる音がした。


「あはは、今それは聞けない。詳しくは後でねー」

「はぐらかされた後に教えて貰えた前例がないんですけど!」

「え? じゃあ王様から直接聞きたいの?」

「何ですかその究極の選択は!? ぜっぇったい嫌ですからね!?」

「ははは……だってさ、。これでお咎めって形でいいんじゃないかな? ストレンさん心底嫌がってるみたいだし」

「へっ」


 師匠の名前に固まる白魔術士。赤い瞳がどうしてか潤いを増した。


 背後にあった長身の気配に今まで気付かなかった彼女も彼女である。

 何はともあれ。因果応報――やらかした事実は変わらない。


「…………そうなのか? ストリング」

「ひっ、ひゃい……!! 凄く会いたくなかったですぅ……!」

「うん?」

「い、いいえ、違うんです師匠!! 王様に!! ぼ、暴食さまにいち市民が謁見するなんて恐れ多いにもほどがああああああああ!!」

「ははは。はあ、まあ、なんとかなったかな」


 針鼠のぼやきは白魔術士の叫び声にかき消され、さらにやって来る赤髪の上司の追撃が加えられることを思うと不憫な気もするが……これは叱られても仕方がない。今回ばかりは助け舟を出すつもりがなかった。


 まあ……それでも。個人的に労うのは自由だろう。


「お疲れ様、二人共」


 少年は少女の寝顔の隣、左手の甲を右手で覆うようにして胡坐をかいた。




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