74枚目 「弓と弦」
――誇らしい産まれだった。
ストリング・レイシーは、当時魔導王国に所属していた、白魔術の申し子と天才の間に生を受けた。魔族にしては珍しい、能力を求めた計略結婚ではなく恋愛結婚で生まれた命だった。
母親の名はシャトル・レイシー。父親の名はニートカ・レイシー。
お互いに、親の名を知らない孤児の出である。
ストレンの魔力導線が他の魔術士に劣る理由の根本はそこにある。
シャトルもニートカも、ほぼ独学で白魔導士の地位まで上り詰めた化け物だった。
探求心が凄まじく、人を救うことに躊躇が無い人間。
そういう意味で変人扱いは当たり前であったし、彼らが極めていた分野がもし白魔術でなかったとしたら、それはかの悪名高いシャーカー・ラングデュシャーデのような倫理を無視した存在になりえたかもしれない、という話である。それほど凄い魔術研究者だったのだ。
さて、彼らはストレンが産まれる前から白魔術に偏った適性を持った子どもはできないだろうと考えていた。
遺伝はランダムに引き起こされるもので、産まれてくる新しい命に作用する遺伝子の一部は自分たちの上の世代の物も含まれるからだ。
二人の白魔導士が予測した通り、産まれて来た子どもは良質な魔力導線の素質があるわけでもなく、魔力の器も中位程度。
しかしこの二人にとっては、確かに彼女が希望の星だった。
何かしらに特化してしまった二人からすれば、普通に幸せに生きていくという選択肢を娘に提示できるという事実が心底嬉しかったのだろう。
故に、彼らは心の底から娘を愛して育て、愛をもって諭し、愛をもって学ばせた。
何不自由することなく愛着を形成したストリングは健やかに成長の一途を辿り、ちょっとした反抗期に入った。
自我と意思が確立され、自身がどのように生きていこうか必死にもがきながら大人になる、アイデンティティの確立が課題となる発達段階に達した。
彼女は夢を持つ。両親の様に国に誇れる白魔導士になりたいと。
そう打ち明けた彼女に対し、両親は初めて首を横に振って見せた。
それは――それだけは駄目だと。
「他でもない彼らから
振り下ろされる火球を避け、呟かれた言葉に耳をすませる。
黒髪の少女は答える口を開く余裕などなく、土を削った足先を弾く。
左右から襲って来るそれらをすんでのところで回避しつつ、左側方蹴りを繰り出す。
ストレンは顎を引くことで躱すと、自身の左足でラエルの膝裏を捉える。
体制を崩したところに火球が打ち込まれた。
無理矢理仰け反ることで衝撃を殺すも、黒髪の先が焦げ付く。
(諱を知ってるから有利になるとか、そういう話ですらない気がするのだけど!?)
思考するが、次の瞬間には右脇腹に白い矢を叩き込まれて吹き飛ぶ。
ストレンの理性が無くなってから、ずっとこの調子である。
距離を取ったら火球が飛んでくる。近接戦闘に持ち込むとあの何処から現れるか分からない弓矢が横入りしてくる。
このままではジリ貧だ――そもそも、外にいるアネモネとの約束は半時間 (四十五分)である。時間を把握する余裕がないので、ラエルには入室してからどれぐらいの時間が経過していたのか認識できていなかった。
(火に風を突っ込んだら燃え盛る……火に雷は殆ど意味がない……拮抗できそうな属性といえば水だけど、素体を持ち歩いていない私が制御できるか分かったものじゃあないし、一か八か、やれるとしたら)
ラエルは意を決すると、土の床に掌を押し付ける。
普段使わない魔術であっても呪文と構築方法だけは無駄に知っているのだ!
「――『
「!!」
訓練場の地面に土が敷き詰められているのは魔術の基本『土系統魔術』を攻略する為だろう。人族の多くはこの「土魔法・魔術」しか扱うことができない故に、魔力を積極的に流し込みやすい土系統は初心者向けの魔術だ。
ただ、それは一般の人族の話であって、内在魔力が制御できない彼女には禁じ手である。
現に、ストレンと自身を囲むように土の角柱を多数発現させたのは良いものの、流れ込む魔力を止めなければそれは土の樹海というカオスな盤上を作成するのと等しかった。
「うっ……ぐぐぐぐぐ」
(魔力で魔術を紡いで――紡がれた糸を断ち切る感覚!!)
バツン――っ!
「で、できたああああああああぁっ!!」
酷く魔力導線を痛めそうな音を立てて魔力の流れが断ち切られた。魔術訓練や自主練習では一度たりとも成功しなかった魔力制御を、黒髪の少女は力技で成功させてしまったわけだ。
成長を止めた土の角柱はラエルとストレンの周囲を囲う林のようになる。
中心には同心円状に平らな土。
その上を一足飛びで膝を構える、魔族。
「あなた黒魔術師なんですから土ぐらい軽く扱いなさいよおおおおおおおぅ!」
「んがはっ!!」
喜びも束の間、容赦ない華麗なる飛び膝蹴りを顎下に食らったラエル・イゥルポテーは自ら設置した土柱の林に突っ込んで行った。
黒髪の少女は土の柱にもたれつつ息を整え、しかし笑みを浮かべる。
ストレンが肩で息をし始めた――魔力切れか、体力切れだろう。
ラエルだって何も考えずに攻撃を受け続けているわけではない。この手合わせの間にストレンの癖を見つけていた。
彼女は、全ての遠隔魔術に『
強化術式を常に付与し続けてあれだけの数の弓矢を操りながら火球を放つなど、魔力の消費が激しくないはずがない。
(魔族相手に魔力切れを狙うことになるなんて、考えてもいなかったけれど)
黒髪の少女は紫目を見開き、身を屈める。
砂魚のダイレクトアタックに匹敵する彼女の足技だが、それは間合いに入らなければ食らうことのない攻撃だ。
「じゃあ、いけるところまでやってみますか!」
「ここまできて逃げるんですぅ!? これからが楽しくなるのに!?」
「生憎時間が限られてるのよ! それに、勘違いしないで欲しいのだけど、私が逃げるんじゃないわ。貴女が私を
顎に膝が入ったにも関わらず、黒髪の少女は立ち上がり背後の土柱の中に駆け込んだ。
「……!?」
足元が縺れそうになりながら走る人族の少女を怪訝に目で追い、今まで通り火球を打ち込む。土柱は細い上に脆く、火が掠るだけで木っ端みじんになるが――少女に当たる事は無い。
次いで白い矢を魔力で練り固め『
動線上に立ちはだかる脆い土柱を
「――っ!!」
本当の事を言えば土柱は砕いても構わないのだが、それには大量の無駄な矢という絶対的質量が必要になる。的ではない場所に当たって消える矢が必要になる。
すなわち、数打ちゃ当たる戦法を行うのが最適解――!
しかし、白魔術を修めるにあたって人一倍努力を重ねて来たストリング・レイシーには魔力操作に対する絶対な自信がある。
つまり『
そして、魔術の精度は術者の精神状態に大きく左右される!!
「い、いやだ、嫌です、こんな、こんな、私が頑張って来たのが、間違いみたいな」
気付いた時にはもう遅い。一度切れた糸を紡ぐのに時間が必要であるように、集中が切れた彼女の魔術精度は見るからに低下の一途を辿った。
ストリング・レイシーは自らを中心に円を描くように逃避し続ける黒髪の少女を目で追いかけながら絶望を目に浮かべる。
「う、うぁあああああああああああああああ」
土柱を発現された時点で、意図を確認する間もなく全て破壊するべきだったのだ。
黒髪の少女の立ち位置を把握しきれる安定した状況にある内に、場を自分好みに整えておかなければならなかったのだ。
ラエル・イゥルポテーは走り続ける。体力の限界はとっくに超えているが、砂魚の群れに追われるよりはずっとましだと自分に言い聞かせ、その時を待つ。
柱の表面が足裏に酷く馴染む。砂漠の氷柱のように冷たくないだけ、いくらかマシだとすら感じていた。
土を蹴り、壁を蹴り、柱を足場に走り抜け、全てを躱して機会を伺う!
砂と氷柱が織りなす異文化の地。第三大陸、北の住民。
彼女は、人生の半分を人里の外で暮らして来た――。
「嫌あぁあああああああああああああああああああ!!」
「『
一瞬、無防備になった白魔術士に脳天から雷の槍が降る。
二か月前に金髪少年が身をもって体感した中級雷系統魔術。
最大火力とは言えずともそれはストレンの脳を揺さぶり、意識を回復術行使に転換させるには充分な威力を保っていた。
――ラエルは、その暇を与えないことを選ぶ。
「
「っ、ひ、ぁラエル、さ」
「遅いわ!!」
つい先ほど貰った言葉と共に、首に手を掛け土に叩き付ける。
背後から風を切る音がする。それが届くよりも速く、
「『
雷撃と砂塵。土に血が落ちる。
勝負は、着いた。
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