77枚目 「Bitter thoughts」


 ハーミット・ヘッジホッグ。魔導王国の四天王「強欲」。

 ある日は浮島を駆け回り、ある日は鼠の巣に引きこもる。彼はそんな少年である。


 金の髪は細く、しなやかで艶やか。しかし脆い細工のような儚さは感じられない。

 彼の髪で紐を編んだとすれば、有名な産地で取れたどのような糸よりも固くしなやかで丈夫な、夢のような素材ができあがるんじゃあないかと夢想する。


 男性にしては長い睫毛の下にあるのが、美しいの一言で言い表せない瞳だ。琥珀と呼ばれる宝石に見えたかと思えば、あかがねの橙を思わせ、時には夜の海のような闇を垣間見せる。空の青が映れば、黄緑のような金色に染まるのだ。


 淡い朱を引いた唇。白いパンのように不純物のない肌。背の高さこそ平均を下回っているものの、もしあの素質そのままに大人になったとしたら、どのような美人になるだろうと思う。


 想像はできる。将来の予想は容易い――だが、現実はそうではない。


 彼はその顔を、手を、目を隠す。


 魔族の国で生きていく上で、唯一の長所ともいえるその美貌の種を鼠顔で覆い、背には針を纏い。声音を変え、挙動を制御し、あたかも道化であるかのように振る舞おうとする。


 子どものような体躯、脆そうな細い首、男らしい掌、屈託ない笑顔の裏に隠した本音。

 その全てが不透明で、表面を鑑賞する部外者には計りきれない何かを秘めている。


 だから、時に冷静すぎる彼を見て思うのだ。


 本心を言葉と声音で欺き、激情を謀略と嘘で固めて鎮火させる。そのこと自体が異常というより。そのこと自体に慣れているという現状に違和感を覚えないように気を配られている周囲も含めて、この状況は異常なのではないか、と。


 ラエルには、彼が一人の意志ある人間として生きているようにはとても思えないのだ。


 誰かの為に自らを殺し、誰かの為に仲間を欺き、誰かの為に嘘を吐くなんて。自分にも、他人にも心を許せないと言っているようなものじゃあないか。


 他人に嫌われず自分を含んだ全員を欺いて、誰かの為になるのだからと笑っている。


 最初は、変な少年だと思った。

 何とも物好きな獣人だと思った。


 同一人物と分かった今でも、そのカテゴリは変わらない。


 けれど、どうしても見ていられなくなることがある。何も欠けていない人間が、どうしてあんな風に空っぽの笑顔を浮かべる必要があるのかと。どうしてこんなにも平和な国で、彼は一人笑えずに粛々と仕事をこなそうとするのかと。


 どうしてそこまで、他人の為になれるのか。


 ……不思議でならない。

 絶対に内側に向かないその衝動が、何を発端としたものなのか。







 五棟、鼠の巣。

 ラエルが扉を叩くと、中からは一人分の返事が返って来た。


「おじゃまするわ」

「ん、鼠の巣へようこそ。イゥルポテーさん」


 手に持った本を閉じ、声を発したのは金髪少年だ。


 身軽な支給服に身を包み、手には黒色の革手袋。壁には鼠顔と共に、黄土色のコートがかけられている。


 一週間前カルツェと囲んだラウンドテーブルの中心には、お湯を入れた白磁の水差し。

 少年はそれを僅かに寄せて、椅子が用意された方向に新たな器を用意する。


 この部屋で唯一のティーセットが机に並ぶ。大方客人用のものなのだろう、ハーミットの手元にあるのは形状の違う、目盛りが付いた硝子の器だった。


「お茶は飲めるか?」

「苦くなければ。少なくともノハナのお茶じゃなければ」

「んー、それならカフィオレにしようか」

「助かるわ。ミルクと砂糖は?」

「俺が用意するよ。君はお客さんなんだから、今日は座ってて欲しい」


 少しだけ早口に言い切り、席を立つ。少年は棚から砂糖とミルクを取り出して直ぐに戻って来た。机の上にのせ、淹れたばかりのコーフィーを注ぐ。


「……」

「……」


 以前にも、このような会話の無い沈黙を味わった気がした。何処でかと思い出せば、あの浮島へ向かう飛空船の甲板だ。勿論、鼠の巣の中では強風が吹くことも雲に突っ込むこともない。


 淹れられたカフィオレのミルクの風味と、豆の匂い。

 相手が嚥下する音だけが聞こえる。


「……飲まないの?」

「今は。部屋でストレンとお茶したばっかりだし」

「そっか」


 琥珀の瞳が、ただこちらに向けられた。


「今回のこと、まだ怒ってる?」

「いや、魔族と戦ったんだ。血中毒ぐらいにはなるかなと思っていた」

「ぐらいには、って」

「正確な事をいうと、君があの場で死ぬ末来は、予言に無かったから」


 予言。

 また、それだ。


「……奇跡は現象の結果、だったかしら。前にも同じような事言っていたわよね」

「ああ、うん。センチュアリッジの時かな。言った気がする」

「貴方は一体、一人で何をしようと」

「その質問が約束の一問でいいのかな」


 遮られた言葉の先を、ラエルは飲み込んだ。


 先日の一件、金髪少年との賭けは黒髪の少女の負けだった。それを、ストレンが押し切って引き分けにさせたのである。


 無謀な戦闘に送り込んだあげく負傷させたことを精々詫びて後悔していろと――それは結構強い口調で。正直な話、ラエルにはなぜ彼女が怒っているのか分からなかった。


 嫌いな相手と殴り合うことに、どうしてそこまで危機感を抱くのか。同室になった初日に問いただしてみたものの、声を荒げるばかりで回答は得られなかったのだが。


 それにしたって。今日の少年の発言は、堪えるものがある。


「……いいえ」


 だが、指摘は尤もだ。


 前のように、聞きたい事を質問攻めにするだけでは本当に欲しい情報など手に入らない。その事を理解したうえで、少女は口を開く。


「質問の前に。独り言を聞いて欲しいのだけど」


 黒髪の少女は顔をあげた。ハーミットと目が合う。


 どうしてか、いつもは呑まれそうになるその瞳から、惹きつけられるような引力は感じない。少年が意図してそうしているのかは分からないままだが、ラエルにとって都合の良い条件だった。


「……貴方は何も答えなくていい。相槌をうつ義務も無い。ただ聞いて聞き流してくれたらいいの。勿論、貴方さえ良ければね」

「はは、なにそれ。相槌程度はさせてくれよ」

「ありがとう」


 紫の瞳は真っ直ぐに琥珀を見据える。ハーミット・ヘッジホッグという少年と顔を合わせて話をすることが、初めてのような感覚ですらあった。


 黒髪の少女が語ったのは、先日調べたあれこれについてである。


 自分が第三大陸からセンチュアリッジ島に移送された際、馬車を乗り換えた地点で殺人が起こっていたこと。


 その殺人は自身には不可能で、しかし助けてくれた人物の顔を覚えていないこと。


 両親の行方を知る手がかりが、イシクブールにあるのではないかということ。


 過去の戦争で魔獣連合軍が第三大陸北部を侵攻した際、軍が内部から崩壊したこと。


 魔獣連合軍を壊滅に追い込んだ魔族が浮島に帰還したとき、その兵士が重篤な感情欠損ハートロスになっていたこと。


 地図からパリーゼデルヴィンド君主国の名前が消えた理由を知ったこと。


 浮島で多くの人と関わって、だからこそ一刻も早く第三大陸へ降りたいと思ったこと。


 ラエルは。一片たりとも隠すことなく情報を開示した。

 ハーミットが長期間干渉しなかったことで得られた全てを、余すことなく。


 金髪少年は、分かり切った答えを聞いている様な顔をしていた。

 実際、ただの答え合わせなのだろう。


 ロゼッタが言ったように、完全とは言えない回答なのだろう。


「――でもね。その辺りは、事情が理解できた以上。


 少女は言う。


「だから、私が貴方に答えて欲しいことは一つだけ。貴方はどうして、あの悪徳宗教について調べていた事実を、隠そうとしたの」

「…………」

「貴方にとって私は只の監視対象でしょう。情報収集こそ『顔の見えない誰かさん』に任せたら早い話じゃないの? 身辺調査かもしれないけれど、それにしたって人族の小娘一人に相当する対応じゃあないわ。アネモネさんが知らなかった辺り、情報が報連相していないものね」


 ラエル・イゥルポテーという人族が浮島から出られない理由は理解できた。監視し続ける必要があると判断されたのであれば、それは彼女の非ではないし、彼の非でもない。


 だが、それにしてはおかしいのだ。


 少女の人生に関わっているとはいえ、大本の事件から外れた場所にある「黒髪の少女の一家が悪徳宗教に騙された」というこの一文は、あくまでラエル個人の恨み辛みを晴らすか否かという話であり、魔導王国はおろか目の前にいる金髪少年には一切の関係がない。


 無関係。


 なぜ彼がそれを調べていたのか――関連性が見えてこない。


「よりにもよって、そこを聞くのか」

「何よ。聞かれて困る理由なの」

「困る」


 どうして、と吐きそうになった言葉を住んでのところで飲み込んで、黒髪の少女は顔を歪める。これだから誘導の達人は面倒臭い。つくづく敵に回したくない人間である。


「流されないわよ」

「……ははは」

「笑ってごまかさないでちょうだい」

「うん。ごめんごめん、からかうつもりは無かったんだ」


 力無く笑った金髪少年は、琥珀の瞳を濁らせる。


「気に入った相手に投資したいと思った。っていう回答じゃあ、君は満足してくれないよね」

「……」

「何というべきなのか……その、非常に気まずいではあるんだけど、俺は君の事を――」

「待ちなさい」


 言うなり、ラエルは金髪少年の頬を打った。

 少年の顔を両側から挟み込むようにして、手を打ち鳴らしたような快音が部屋に響く。


「ごめんなさい、その嘘だけは許せそうにないから。二度目はないわよ」

「し、失礼しました」

「分かればよろしい」


 手を離し、浮かせていた腰を元の位置に落ち着ける。

 ほぼ全力で頬を打ったというのに、少年の顔は赤み一つ見えない。頑丈にもほどがあった。


「……質問に答えて」


 ラエルは言って、少年の目を覗き込んだ。

 ハーミットは両頬をさすりながらコーフィーを飲み込む。


「当分、君を浮島から下ろすわけにはいかなくなったんだ。王様にばれてしまったから」

「?」


 飛躍した会話に首を傾げるラエル。


「いや、これは解答にはなっていないか。さっきの君の疑問に対する俺の回答は、『きわめて個人的に気になったから調べていた』というだけの話なんだよ。……黙って調べていたことは謝る。近い内、例の団体様の所にお礼参りさせてもらう予定を組んでいてね」

「おれいまいり」

「今後とも仲良くお付き合いさせていただきたいですね、っていう名目で相手に喧嘩を売りにいく行為のことだよ。人的被害が出ている以上、放っておくわけにはいかないだろう?」


 少年は、実ににこやかに告げた。

 その笑顔と発言の内容がかみ合わず、ラエルは数秒の間を置いて文脈を理解する。


「物騒ね……?」

「あはは。というのも、浮島に飛び火する前に潰しておこうと思ったんだよ。トラブルの芽を摘むにこしたことはないだろう?」

「……まあいいわ。嘘もついていないみたいだし、ずっと気にしてたこっちが馬鹿みたい」

「?」

「なによ、その顔は」


 頭を抱えたまま、黒髪の少女は席を立つ。

 結局、出されたカフィオレに口をつけることは無かった。


「……部屋まで送ろうか?」

「いえ、おかまいなく。そういえば、さっき貴方が言いかけてた『王様にばれた』って、何の話?」

「回答は一回だけ、の約束だよ」

「あぁ、そうだったわね。また出直すわ」


 扉の前でワンピースの裾を正し、襟を直す。首の後ろに結んだ黒髪を流した。


「そう。だから、ここからは俺の独り言なんだけど」


 少女が扉に手を掛けた時、背後から声がかかる。

 革手袋が白い甲に重ねられた。


「……ヘッジホッグさん?」

「君がこの島を出られないのは、パリーゼデルヴィンド出身の感情欠損ハートロスだから、

「――――!!」


 振り返ろうと身を捩るが、取っ手にかけた左手は封じられていた。必然、右周りに振り向くしかなかったのだが、背後から肩を押されたことで失敗に終わる。


 直接は触れられていないのに、背骨をなぞられた心地がした。


 圧倒的に敵わない相手に動きを封じられ、背中を無防備に晒している。ラエルは無駄な抵抗を辞めると、二人分の影が落ちる床に目を伏せるしかない。


 かつて演じたシャイターンのように、ハーミットはくすくすと笑った。


 何事もなかったかのように扉は開き、ラエルは「ぽん」と外に放り出された。

 顔を真っ赤にした少女を見て、朱色の薄い唇が趣味の悪い笑みを湛える。


「あぁ、言い忘れてた! イゥルポテーさん。君は今のままだと、浮島を出たときに魔導王国に命を狙われることになるんだ。俺が説得なりなんなり動いてはいるからさ、それまでは浮島生活を楽しんでいてほしいな。ここでの生活にも慣れてきたみたいだし、いいよね?」

「は、はぁ!? ちょ、どういう意味よそれ、ヘッジホッグさん、ちょっ」

「帰り道は気をつけてね。それじゃ」


 鼠の巣から押し出され、回廊に膝を付くラエル・イゥルポテー。


「うそ……ここ二週間の、私の徒労って――!?」







 黒髪の少女を鼠の巣から締め出し、金髪少年は貼りつけていた笑みを消す。


「……野生の勘、なんだろうなぁ」


 ラエルが口にしなかったそれを一息に飲み干し、ハーミットは椅子の上で胡坐を組む。

 壁の時計は、夜の始まりを示していた。




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