70枚目 「黒は塗りつぶせない」
聞けば、ラエルの監視は位置情報を把握する形で行っていたらしい。
ここ数日は多忙もあって、つきまとうような監視はされていなかったのだと。
その事が原因で今回の悪戯が発生したとは思えないが、発覚が遅れてしまったのは事実だ。
広げられたメモ帳を前に四天王二人が頭痛をこらえるように眉間を抑える理由は、多分そこにある。
「二日前から部屋の前がこの調子なのよ」
「うっわなんじゃこりゃ、落書き? そもそも発現しないだろこんな組み方じゃあ」
「でしょう? これだけ変だと、どんな魔術が発現するかも予測できないものだから触るに触れなくて。壁ごと壊して良いっていうならそうするのだけど」
ラエルは言いながら想像して、辞めた。
金髪少年よりもスフェーンに怒られる未来が見える。
アネモネはうんうん唸りながら暫くメモを眺め、直ぐに思考を放棄した。それは大体ラエルと同じ反応なのだが、一方ハーミットは引き下がらない。
直ぐに手持ちの手帳を取り出して紙を一枚千切ると、ラエルが転写した魔法陣の内容を整理し始めた。
「……重ね書きされているのは
「どうして見切れてるのにそんなに分かるのよ」
「これくらい分かる。あと、頭から被ったりした?」
「そこまでお見通しというのもなんだか腑に落ちないんだけど」
ラエルは言いながら、長袖のカフスを外して腕を捲る。
手首の熱傷痕はともかく、少女の二の腕の方までがカラフルに染まっていた。赤緑黄色と随分バリエーションのあるカラーペインティングである。刺青でもここまで鮮やかにはならないだろう。
「顔は流石に
「ちょっとだけ見せてもらっても?」
「構わないけど」
腕を差し出すラエルに対し、壊れ物に触る様な物腰で触れるハーミット。
金色の睫毛が下を向く。少しだけ目の下に隈が見えた。
「……どうしたの、カルツェ。アネモネさんも」
傍から見たらお姫様と
アネモネは困ったように苦笑いする。
「あんたら、喧嘩したんじゃなかったんだっけ? いつ仲直りしたんだよ」
「別に、喧嘩はしてないわよ」
「……んん?」
左腕を金髪少年に預けつつ、黒髪の少女は特に疑問を持つ風も無く首を傾げる。
「あぁ、もしかして『敵』になる話の事かしら」
「敵? どういう意味だよハーミット」
「あー……えっとね」
話を振られたハーミットは、少女の腕を観察しつつ口を開いた。
「イゥルポテーさんって俺とアネモネが中心になって、ほぼ常に行動を共にしていただろう。そうすると、どうしても不都合が出てくる。俺は役人で彼女は保護観察対象。彼女が知ろうとするあれこれに関して、俺は検閲を任されていた訳だ。ここまではいい?」
「ああ」
「イゥルポテーさんが知りたいことに関して、俺は上から検閲して情報を回さないようにと言われていた。だから、俺が彼女から離れる選択をとるのが手っ取り早かったんだ。俺が見ていない所で彼女が何を調べようと、俺の監視記録には残らない――知る自由に守られるからね」
敵に回る、という発言は針鼠以外の監視者に向けた牽制のようなものだった。
「強欲」のハーミット・ヘッジホッグが敵と認めた相手に「干渉するな」という圧力。
勿論、ラエル・イゥルポテーはそのことまで知りはしないのだが。
「ええ。つまりお互いを敵だと思って過ごせばいいってことになったのよ。私は猶予を貰って、調べたい事を調べたいだけ調べたってわけ。別に、会う頻度を減らしただけでたまには顔を合わせたりしたわよね。そっけなかったけれど」
「ごめんごめん。一度演技を始めるとのめり込む質でね。ただ、おかげでいい具合に誤解が広がってくれて助かったよ。結果的にこちらの仕事にも都合が良かったんだ」
仕事、という言葉に眉を顰めたのは横で聞いていたカルツェである。
無言の圧に耐えかねた金髪少年はふんにゃりと笑う。
「本当は、もうちょっと早く突き止められたら良かったんだけど」
「え、どういうこと?」
「どういうことって。イゥルポテーさん、他人から向けられる悪意には鈍感だよね……」
久しぶりに見る少年のようなふてくされた顔が、ラエルに向けられる。
「ここに来てからずっと、嫌がらせを受けておいて。これまで何も気づかなかったとは言わせないよ」
――嫌がらせ。
その単語は数日前にも、エルメから聞いた筈だ。
しかし、心当たりがないのも確かなので、黒髪の少女はこの場をどう切り抜けるべきか頭をフル回転させる。
今目の前にいる「きっと気付いていて放置していたんだろう」とでも言いたげな金髪少年、「まさかそんなことが」と目を見開いている三つ編み騎士、一人だけ「当たり前でしょう」とわかった風を装う友人の白魔導士。
全員を欺くにはどう動けばいいというのだろうか。ラエルはあまり企てごとに向いていない。
結果、少女は最も賢い選択をした。
「……嫌がらせを受けていただろうことは知っていたけれど、それが果たしてどれのことを指しているのかがさっぱり分からないわ」
聞く人が聞けば「知りませんでした」と自白したようなものである。
一応嘘は吐いていないはずだ。多分。
幸いにもその真実にたどり着いたのはカラーペイントを観察していた金髪少年だけで、他の二人はそれぞれ頷き解釈したようだった。少しだけ良心が痛むラエルであった。
「でも、貴方の調べ物の中にその件が入っていたのは意外ね。てっきり私の故郷の事でも調べてると思ってたから」
「あはは。君についての検討は俺の中では終わってるから、後は詰将棋なんだよね」
(ツメショウギ?)
「展開が行きつくところまでいかないと、判断がつかないってことだよ」
ハーミットは言って、革手袋越しに取っていたラエルの腕を解放する。気が済んだらしい。
「これはタトゥーに使われるペイント液だと思う。多分、一週間ぐらいで気化するよ」
「タトゥー?」
「術式刻印は知っているだろう。あれは詠唱無しに魔術が発現できる代わりに、一つか二つの術式しか刻めないし、身体に墨を入れるからほぼ一生ものだ。それを改善したのがマジックペインティング――通称タトゥー。術式刻印を簡略化して、簡単に書き換えができるようにした」
一日用のワンデイ、一週間用のウィークリー、一月用のマンスリーがあるんだけど。嫌がらせに使うならワンデイかウィークリーだろう。と、指を降りながら説明を続ける金髪少年。
「マンスリーが使われないだろう根拠は?」
「いち、
「な、成程」
確かに、嫌がらせに使うにはデメリットが多いか。
なら、金髪少年が予想する通り一週間以内には落ちる塗料と考えて良さそうだ。ベリシードに聞いたものと同じ結果である――と、そこまできてラエルはパチリと目を瞬かせた。
「……あれ、そういえば。貴方今どうやって塗料の種類を見分けたの?」
「
手のひらサイズの光るスティックを手に、くるくると回して見せる金髪少年。
「じゃあ聞くけれど、その道具を使わずに判別って可能なの?」
「俺は無理」
「二人は?」
振り向いた先に居る白魔導士と赤髪騎士 (退け者感を紛らわすためか、遊戯用カードの長い面を下にして三角形を作る遊びを始めていた)は、ラエルが質問を投げたことに一瞬肩を震わせる。
「何してるのカルツェ」
「遊んでます」
「清々しいわね……それ、いっそのこと上に積んで行ったらどうかしら」
「!」
「……ちょっと楽しそうにするんじゃないわよ。二人はこの塗料、目で見るだけで何か判別できたりする?」
黒髪の少女が腕を見せるとカルツェは一目見て首を振り、アネモネは目を細めながら首を傾げて見せた。
「虹の波みたいな……波紋っつーの? ぼんやりとは見えるけど、一目じゃあなあ」
そう言って赤い目をしばしばと瞬かせるアネモネ。赤い髪が顔にかかるのも気にせず、眉間を抑えて天井を仰ぐ。
ラエルはその様子を見て一人考え込む。
「……」
「何か気になることでも?」
「ベリシードさんに言われたのよ。『一週間で落ちる』って。どうして分かったんだろうと思って」
ベリシードに相談したのは玄関ペイント事件からすぐの事で、しかも始めは工房に直接寄った訳では無い。成り行きで交換した
実際ペイント部分の上に粉を降ると、これまでどおりの効果を見込めたものだから、その場では追及しなかったのだが。
あの時、ラエル・イゥルポテーの状態を実際にみたわけでもないのに、彼女は何故第一声から『一週間で落ちる』と明言することができたのだろう?
「まさか――最近、塗料を購入した人がいたとか?」
「マツカサ工房から?」
「多分。そうでないと、咄嗟に種類を判断するのは難しいんじゃないかしら」
ふむ、と。それを聞いたハーミットも眉間に皺を寄せ、手をポンと叩く。
「アネモネ」
「なんだよ。今めっちゃ綺麗に三角形が積み上がってるとこなんだが」
「それは凄いけど、朗報だよ。今俺たちが探している人物とこの事件の犯人、同一人物の可能性大だ」
「はぁあ!?」
「あっ、崩れた」
三段ほど積み上がっていたカードタワーが風圧で破壊される。しかし、三つ編みの揺れは収まらなかった。激情に呼応して周囲に風が走りだす。
金髪少年は動じることなく、強風に掻き乱される前髪を抑えた。
「落ち着けアネモネ。何も悪い意味で言ってるわけじゃあない。俺の予想が正しければ、絶対背後に誰かいる。今俺を再起不能にしたとして、事の黒幕を潰さないことには解決したとは言えないぞ」
「根拠はあるのかよ」
「ああ、今から確かめに行こう。その方が手っ取り早そうだ――カルツェも念のため、一緒に来てくれないか」
「へ? ええ。構いませんが……」
周囲に散らばってしまった資料を拾い集めながら、ラエルとカルツェは顔を見合わせる。金髪少年と赤い三つ編みの青年は、何処か遠くを見据えるような目をしていた。
夜。外は暗闇に包まれ、回廊を歩くのは衛兵と見回りの伝書蝙蝠ぐらいだ。
昇降機を使って辿り着いた三棟十階は酷く静まり返っていた。少し歩くと、黒髪の少女が借りている部屋の扉と共に大量の魔法陣が目に入る。
ラエルが鼠の巣に居た間に書き足された部分はないようだ。
ハーミットは周囲を確認してアネモネに上部の魔法陣の一部を破壊するように頼むと、手袋を外した手のひらで陣に指をつく。彼の無魔法である
初級魔法陣とはいえ、間違っても壁が燃えないための措置だ。
「一応、これで上の陣は発動しなくなった筈だぜ」
「ありがとう。えっと、取り敢えず鍵を開けたらいいのかしら」
鼠顔が頷き、アネモネとカルツェが少女の近くで構える。
「……」
この時のラエルはといえば、まあ嫌がらせといっても直に被害を受けたわけでもないので、事件の犯人が誰であろうと、特にどうこうしようという発想はなかった。
それは恐怖を感じない体質だからこそ、
故に、ラエル・イゥルポテーは鍵を開けること自体に緊張感を持っていなかった。その結果として、扉は躊躇いなく開かれた――のだが。
室内を見た少女の指と顔が固まる。
「……これは」
調度品が破壊され、ベッドの上は羽毛で溢れ、カーペットは床板が見えるまでズタズタ。
クローゼットに収納していた洋服は勿論、部屋に置いていた私物は全滅とみて間違いないだろう。支給されていた
床に散らばる銀色は、今日たまたま身に付けていなかったリリアンだった。
状況を飲み込むなり、黒髪の少女は視界が動く範囲で部屋の様子を確認して靴のまま部屋に上がる。カーペットが汚れるのはどうしようもない。足を怪我しない方を選んだ。
室内に攻撃性のある魔法陣や魔術の類は仕込まれていないようだ。外にいる三人を招き入れる。カルツェが気を利かせてカンテラの灯をつけた。
暗くて把握できずにいたのか、後から入った三人の表情が曇る。
「ひどいな」
「あの、ハーミットさん。これは間に合った方なんですか」
「……俺が聞いた予言の中では、下から三番目ぐらいにマシな方」
部屋を見回しながら少年が俯く。
納得のいかない結果だったのだろう。歯を食いしばる音がした。
ラエルはそれらを無視する形で、一人黙々と状況確認を続ける。
(……斬撃の痕? こっちは刺突? レイピア? 槍? ……違う。獣の爪とも違う。間違っても素手ではない。でも武器だとしたら、何だろう)
穿ったような無数の穴。切り裂いたような痕。少しだけ、何かが焦げた匂いがする。
……この匂いは、血だ。血を燃やした匂い。
ベッドの位置が変わっていたので向こう側を覗くと、そこに紙の切れ端が落ちていた。手に取って裏返し、現れた文字に目を細める。
『一棟五階、共同訓練場にてお待ちしています』
――焦げた血文字。
「……ヘッジホッグさん」
「ん」
「この喧嘩、買ってもいいかしら」
「駄目だ」
鼠顔の少年は首を振る。
「喧嘩は買った方が負けなんだ。寧ろ売るつもりでいくといい」
ハーミットは怒りの言葉を吐き捨てた。
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