71枚目 「黒鉄の火蓋」


「――先に言っとくぞラエルちゃん、辞めておけ。この件は責任もって俺が対処する」

「何よ、いきなり」

「いや、ぜったい何かしでかそうとしてるだろ。雰囲気で伝わるからな。見ろよ、あそこに突っ立ってる白魔導士と鼠もどき! 武器砥いだりしてやらかす気満々じゃねえかよ!」


 ラエルの部屋の惨状を確認して鼠の巣に戻って来た四人は思い思いの行動を取っていた。


 鼠顔を取り外した金髪少年は針を磨いているし、白魔導士カルツェはポーションのメモを眺めつつ明らかに携帯用の小瓶に移している。


 アネモネの言葉に首を傾げるラエルに至っては、ボロボロになった自室 (だった部屋)に戻ろうと荷物をまとめようとする始末である。


「私は部屋に戻って寝るだけよ。別に、ちょっと焦げたぐらいで寝心地に大差は無いわ」

「女の子が不用心過ぎるんだよなぁ!」


 どごん、と机に額を打ち付けるアネモネ。


 あまりのできごとにラエルはちょっとビクッとした。机に少々傷がついた事実を確認し、ハーミットは磨き終えた針を取りつけながらぼやく。


「というかイゥルポテーさん、部屋に戻るのは一棟に寄ってからだよね?」

「勿論。三棟に帰る動線上にあるものね?」

「喧嘩買うつもりなんじゃねーかよ!! せっかく五棟に来るまで遠回りして来たってのにさぁ!?」


 三つ編みを振り回す様に頭を抱えたアネモネは、前髪を掻きまわしながら目を攣った。


「あー、あー、分かったよ、そもそもお前が動いてる時点で止められねぇのは分かってんだよくっそ! めちゃくちゃ怒ってんじゃねえか。こっちが冷静になっちまった」

「四天王にあるまじき言葉遣いですね『嫉妬』……」


 瓶に溶剤を流し入れる手を止めず、黒髪のおかっぱが揺れる。

 表情の変化は乏しいものの、友人を誘って森に散策に行くかのようなわくわく感と期待が零れ落ちていた。


「言ってくれるなぁ白魔導士。ったく、ただでさえ万年白髪関連なのがムカつくってのに」

「師匠が何かしたんです?」

「……あんたのお師匠さんは何もしてねーよ。寧ろ、何もしてこねーのが問題なの!」


 アネモネの言葉に眉を顰める白魔導士。溶剤を用意する手は止まってしまったようだ。

 ラエルは赤髪騎士の発言に疑問を抱く。


「そう言えば、貴方たちが私を探して慌てるのって珍しいわよね。そっちも何かがあったの?」


 基本、ラエル・イゥルポテーについている監視は「姿の見えない誰かさん」が中心にシフト制で担当しているとハーミットからは聞いている。


 仮にも四天王であるハーミットとアネモネはそれぞれの任務で忙しいので、特にモスリーキッチンで働くようになってからはかなりの時間を「姿の見えない誰かさん」にお世話になっていた。


 今回の様に、夜な夜な彼女が散歩を始めた所で特に支障は無かったはずなのだが。


 ハーミットは新しい針を布で磨きながら首肯する。


「浮島内で行方不明になってる人が居てね。探してたんだ」

「へぇ、そう。そしてこの時間の監視担当は貴方たちで――は?」


 思わず聞き返す黒髪の少女。目がすわる。


「魔導王国は何時から人攫いの温床になったのかしら……」


 首が向くのは某金髪少年の方角である。ちょっとしたトラウマスイッチを踏んだことに気づいたハーミットは、慌てて弁明する。


 流石、元人売りもどきだったこともあって、道化の様に取り繕う演技が上手いものだ――。


「ち、違う違う違う! そういうんじゃなくて、その」


 まぁ、一ヶ月もブランクがあればこんなものだった。


「いーよ、ハーミット。これは俺から説明するべきだ」


 割って入ったアネモネは、ラエルと対面するように椅子を寄せる。三つ編みの先を手に取ると、いじけるように指先で弄び始めた。


「烈火隊に所属するある魔族がな、数日前からストライキしててよ。そのまま音信不通なんだ」

「アルメリアさんではないのね」

「ああ。あいつはいつも通りなんだが……どうしてエルメの名前が出るんだ?」

「数日前に会ったのよ。部屋の前で」


 ラエルは資料室で調べた内容については伏せたが、その帰りにエルメと会った事を説明した。アネモネは眉を顰めつつ、金髪少年の方を見る。


「一応、先手は打ってたんだな。お前」

「さぁ」


 琥珀の目がこちらに向く事は無かった。どうやらしらばっくれるつもりらしい。

 まあ、それはそれで構わない。ラエルは話の路線を戻すことにした。


「それで、誰が行方知れずになっているの? 私の部屋があんなことになった理由と関係でも?」

「……あんたも一時期よく話していただろう。行方不明になったのは、白魔術士のストレン嬢なんだよ」







 そのようなやり取りから数時間後。一棟五階、共同訓練場。


 カンテラが橙を灯す。すり鉢状の観覧席の中心、石が抜かれた土の上に一人。黒いフードを目深に被り、ポンチョのようなその布の端を弄ぶ小柄な体躯。


「あら、随分と遅いご到着ですねぇ」


 小柄な人影と、少女は対峙する。


「目を見張る行動力と蜥蜴のような素早さが売りの『強欲』も、流石に今回の対応に関してはのろま後手後手が良い所ですぅ。……別に、貶めたい訳では無いのですよぅ」


 影に隠れた目元が、赤く反射した。口元が妖艶な笑みを湛える。


貴方たちひとぞく私たちまぞくとでは埋められない溝があるのですから」


 事実を語る以上に何かが面白いのか、口角は上がったままだ。


「そうですねぇ、例えば貴方たちは中途半端にしか魔術を使うことができません。何日も飲まず食わずで生きていける体質ではありません。寿命も私たちの半分しかありませんし、無力の癖して多くを求めます。近づいたら怪我をすると確定している事項に大喜びで飛び込む。これではまるで火に突っ込む虫じゃあないですかぁ」


 ちらりと、目が向けられたのが分かった。


「無辜の人々を蹂躙し、何も知らない顔をして他種を駆逐する。挙句の果てに蜥蜴の尾を落とす様に身内を犠牲にする――最悪です。そんな生き方を善しとした人種が、私の周りに居るだけで虫唾が走りますぅ」


 瞳が、煮詰められた果実の如く輝く。

 光を弾き、しかしその色は濁った赤。


「貴女に味方する人間は魔導王国でも変わり物なのですよぅ。エルメはともかく、隊長も司書さまも、スフェノスさんも、どうしてこう外側の人間と仲が良いふりをしていられるのでしょうねぇ。相容れないとかつて決めた人々と、尚積極的に関わりを持とうとするのでしょうか。……私には無理ですよぅ。嘘がつけません。そんなに器用な頭を持っていません」


 小さな体躯は肩を竦め、それから頬に手をあてた。


「ねぇ、貴女。この島から出て行ってもらえませんかぁ」


 冷たい、けれど熱を帯びた声がする。


「私、怖いんですよぅ。両親を殺したのと同じ感情欠損ハートロスと同じ地域で生活するなんて。元から住んでいるのは私の方ですから、出ていくべきは貴女ですよね? 思考する生物だろうが、愚考する人間だろうが関係ないんですぅ。貴女のような人は浮島には要りません。いい加減、居場所がない事実に気づいているのではありませんかぁ」


 くい、と首を傾げた。

 小柄だからか、顔が見えないからか、愛嬌のある仕草である。


「なんとか言って下さいよぅ。それとも、言い返すこともできませんかぁ。残念ですぅ、これでも私、貴女のことを買っていたんですよぅ? それこそ、法が無ければ訓練を称して叩きのめしたいと思ったぐらいには――」


 体重を片足にのせ、腰に手をあて。しかし言葉は続かない。

 返ってこない返答と壁打ちの言葉に飽きたのか、女性は顔をむくれさせた。


「……聞いてますぅ? ラエル・イゥルポテー」


 頭を隠していた黒いフードを外し、内が露わになる。


 目元に刻まれた黒い隈と、容姿を気にすることなく乱れた髪。

 こげ茶混じりの垂れた瞳が、敵意と悪意をもって向けられる。


 彼女に対する黒髪の少女は、背の半ばまである癖のある髪を一つ結びに纏め、七分袖の支給服の肩周りを確認しながら――名前を呼ばれて初めて、彼女に意識を向けた。


 紫の目がきょとんと丸められ、それから口が動く。


「終わった?」


 少女の第一声は素朴な疑問だった。それほどまでに純粋な声音だった。

 発言による損も得も考えていない、興味から来る好奇心。


 獣の如く。本能で思考するとでも言うように。


「……終わったとは? まだ話の途中なんですが」

「いえ。準備運動は済ませたから、もう良いわよ。と思って」

「な、にを言って」

「何って。貴女、対人戦闘の訓練がしたかったのよね?」


 片腕を天井に向けて伸ばすラエル。


「魔族は強いものねー。ついて行けるか心配だけれど、まあ、良い経験にはなるでしょう――それにしても。ねぇ、構えないの? それとも訓練のメニューを変える?」


 水色の手袋を両手に嵌め、前髪をはらう。

 呆気に取られたのは少女と対峙した魔族の女性の方だった。


 烈火隊所属の白魔術士、ストレン。

 口角を歪め、虹彩を開き。何処からともなく硬貨程度の黒い金属片を手に取る。


「……分かりました。では、これが落ちたら『始める』ということで」

「ええ。よろしくお願いします、ストレンさん」

「――」


 ピンッ。

 

 音を立てて弾かれたそれが、宙を舞う。

 乱回転する様はまさに踊っているかのようだ。スカーロ硬貨とも違う黒色が、くるくる回って地に向かう。


 赤と紫の視線が交差する。

 それが落ちるまで、実際には数秒もかからない。

 

 黒鉄は土に触れた。




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