68枚目 「hypnotism」
――また落ちた。
落ちてしまった。どうしよう、どうしようもない。
そんなことは始めから分かり切っているじゃあないか。でも、また駄目だった。
それならまた受ければいいだけの話だと分かっている。
受かるまで受験し続けて、認められるまで足掻き続けるしか道はないのだから。
ああ。何故落ちたのだろう。自己採点の結果は、確かに満点だったはずなのに。
「ストレン、おはようぴょーん」
「……」
されど、ささやかな不幸とは裏腹に今日も日常は続いていく。
毎日そうしているように、ストレンの部屋の前には獣人の同僚がやって来た。白魔術士は重い目をこすりながら、扉を少しだけ開ける。
「朝の訓練、始まるぴょーん」
「……エルメさん、ちょっとだけうるさいです。少しの間黙っていていただけますか」
「……」
(やっぱり、今年もこうなったか)
茶髪の騎士エルメは橙の瞳を細め、五度目の荒れを受け流そうと努力する。
「隊長に休暇申請でもとろうか?」
「必要ありません。どうして短絡的にそういう結論を出すんです」
「どうしてって。ストレン、こういう時他の隊員に当たり散らすじゃん」
「……いらついていることが周囲の迷惑になっているのは重々承知です。ですが、私にも納得いかないことってあるんですよ。エルメ」
赤いジャムのような瞳が睨むような眼光と共に向けられたのを見て、エルメは内心頭を抱えた。
ストレンとの付き合いは魔導戦争の後からだが、それでも毎年こうなのはどうなのだろうか。
「分かった。ワタシ今日は待たない。先に行ってるぴょーん」
「………………」
ストレンはエルメの言葉に暫く口を半開きにしていたが、直ぐに目つきを鋭くさせた。
数秒にらみ合って、白魔術士の方が派手な施錠音と共に撤退する。
(やれやれ、まるで親の仇にでも向けるような目だ)
女騎士は毛並みを掻き、二棟の方へ踵を返す。振り返りはしなかった。
……その様子を覗き穴から確認した白魔術士は、玄関にズルズルとへたりこむ。
クリームがかった茶髪は跳ね、目元には深い隈がある。普段着用している白魔術士を示すローブは着ておらず、壁から外れ、靴跡のついたそれが床に貼りついていた。
敷き詰められた絨毯は鋭利なもので切り裂かれている。ベッドからは焦げた匂いがする。
シャワー室からは流れ続ける飛沫音と、シャワーヘッドが暴れる音。
木製の机と椅子は足が全て折られた上で天板が真っ二つにされ、絨毯には鋭利な木片が飛び散っていた。
ドレッサーのガラスは放射状に砕け、天井のランタンは光を灯す機能を失っている。
部屋の中で無事なものといえば、愛用する魔弓と矢筒ぐらいのものだ。
「…………………………………………」
彼女は、私物を破壊する以外の発散方法を知らずにいた。そして、ストレンのストレスの発散はこれで終わりではない。この後、壊した物を新たに新調――つまり衝動買いするまでがセットである。
ストレンは一人、自らの言動と行動の歯止めの利かなさに失望しつつも。今はそれしか考えられないとでも言うように、震える身体を立ち上がらせる。
頬を打ち、それからフードの付いた黒いケープを羽織って。そうすると一転、先程までの険しい顔が嘘のように、剣呑となる。
「……商業区画へ行かないと、ですねぇ」
魔導王国では白魔術士の存在が大きい為、白魔術士の資格保持者は専用の制服を着る事を義務化されている。
故に、白魔術士が白魔術士で在れるのは件の白いローブを着ている時だけだ。
白い生地に魔力子で編まれた糸のコントラストは浮島でもよく目立つ。
故に、病人や怪我人が出た際に真っ先に駆けつけることが可能なのだが、それを着用せずに外出するという行動は出勤日のバックレに近いものがあった。
(とはいえ、隊長さんには早朝の時点でお暇を頂いているのですがねぇ)
実際の所、白魔術士でも恋人との蜜月や個人的な買い物をする時など、あれこれ理由をつけて制服を着用しない者は居たりする――ある意味では、規則を破ったことをばれるかばれないか位の線引きが現実を充実させるのに一助するわけだ。
だが、残念ながらストレンにそのような相手は居ないし、上司に咎められるような悪だくみをする動機もない。
故に、制服を着ることなく出歩くことに対してのデメリットは「あらゆる白魔術の使用を禁止される」という、実質的にはその一点だけだ。
そもそも目の前に急患が現れたり馴染みのある知り合いが心臓を抜かれたりしない限り、日常生活において白魔術を使用する機会は皆無に等しいので、そのような暗黙の了解を気にするものはほぼ居なかったりする。
そんな訳で三棟商業区。
「……」
「……」
ストレンことストリングは焼肉屋ダッグリズリーの裏手にて、床に座り込む男を発見した。
(腹部を抑えている。痛いのでしょうか、圧迫している様子から見ると腸内に何か異常があるとか……いや、見た所魔力子の流れは正常そのものです。だとすれば別要因の疾患でしょうか。というか魔導王国に居る大多数の白魔術士は一体何をして……って、私がその白魔術士の一人じゃあないですか!)
ストレンは男を観察するのに二秒、決断するのに半秒を使い、治療の為に男の隣に膝を付いた。俯いた顔に目を近づけ、意識の確認と白魔術の発動が必要なのかを判断しようとする。
「もしもしお兄さん、お腹痛いんですかぁ? 気分が悪いとかでしょうかぁ?」
「んん?」
ひょいと顔をあげた男は、特に体調が悪い様子でもない。ストレンは胸を撫で下ろし、赤い目を半分閉じた。
「……あのぅ、どうしてこちらに? それ以前に、ここが何処だか理解していますかぁ?」
非番の白魔術士の問いかけに対し、男は赤い目を細めて見せる。
「ん、あぁ、そうか。私は見つかってしまったのだね?」
「はい?」
「いいや、こちらの話だ。それで、超絶イケメン旅の画家といえば勿論この私、パーカーのことだろうが、その私に何か用かね可愛らしいお嬢さん」
「かわっ!?」
今まで生きて来てそのような口説きを受けたことも聞いた事も無かったストレンは、思わず顔を上気させ後ずさる。蹲っていたはずの男性はニコニコとして、裾を払いながらゆっくりと身体を起こした。
「い、いいえぇ。通路の端の方で蹲っていらっしゃったものですから、体調でも悪いのかと思いましてぇ」
「え? 君にはそんなことまで分かるのかい……もしかして、この国の白魔導士だったりするのかな?」
「し、志望、ですぅ」
「はは、そうか。それは済まないことを聞いた。可愛い白魔術士さんだね」
(か、かっかっかかかか可愛いって二回もぉ!?)
言われ慣れていない言葉には誰しも弱い。ストレンは普段筋肉娘といわれるあまり、ストレートな攻めはめっぽう苦手分野であった。
それを知ってか知らずか、男性は絨毯に腰を落ち着けたままの体制で白魔術士を手招きする。
「良い話を聞いたんだ。君の耳にも入っているかも知れないんだが――昇格試験を受けたというなら、朗報じゃないかと思って……昨日、古い友人に聞いた話なんだけど。興味あるかい?」
「あ、ありますぅ」
「そうかい。それじゃあ聞かせてあげよう」
絵描きは言って、画用紙の束を取り出す。
ストレンが呆気に取られていると、鉛筆でさらさらと何かを書きだした。
「実はここだけの話なのだけどね。今回の試験で落ちたのは数名。何とその中の一人は純魔族では無かったのだそうだよ」
「え?」
ストレンは思わず声をあげる。というのも、白魔術士を志すには多量の魔力を保有している必要があり、また浮島の試験を受けるには純魔族であることがほぼ必須条件となっているからだ。
「その白魔術士さんは長年魔導士試験に挑戦している子らしくてね。心苦しそうに話していたが、実技で満点に近い結果を叩きだすにも拘らず昇格が許されない理由は、その白魔術士さんに流れる血にあるみたいなんだ。可哀想な事に、その子の親の片方は人族だったらしいんだよ」
「人族? ……いえ、人族ってほら、白魔術士の育成を禁止されていませんかぁ?」
「そうだ。人族の白魔術士の育成、白魔導士の輩出は世界法で禁じられている――だが、戦前はその様な法は無かったのだから今の子どもたちの中に何も知らないダブルが居ても別段おかしくは無いというわけさ……んんん?」
男性は、近づいてきたストレンの腕を取る。驚いて固まった白魔術士の細い手首を逃がさぬよう絡みつくようにして、反対の掌で震える頬を支えた。
ざあ、とストレンの顔から血の気が引く。
後の事を思えば、この時に逃げ出していれば、最悪の事態は避けられたのかもしれない。
しかし、ストレンはその場から駆け出すのに一瞬遅れた。
男がする話への興味を断ち切る事ができなかった。結果、彼女は聞きたくもない情報を耳にすることになる。
「君、
「ひっ」
頬に添えられた男の指が、柔い肌を撫ぜる。
もう逃がす余地はないとでも言うように。
「ははは、まさか、君って事はないよね? 昨日の今日で出会うなんて、いくら何でもでき過ぎってものだろう? ――ね。
「――――!!」
男の唇が音を紡ぎ、それをストレンが聞き取ったとき。
びしり、と全身が硬直するような、特徴のあるプレッシャーが彼女の背骨を走る。
見ず知らずの人間にみすみす近づいたのが悪かった。いや、運が悪かった。しかし、運が悪かったというのならば、どうしてこの男はストレンを名指しできたのだろう?
しかも、やり取りの間に詠唱の隙は一切見られなかった――。
「あ、なた、いったい……!?」
「んー、そうだね。まずは『
「ちょ、質問にこたえなさっんぐぅむ……!?」
「まあまあ、話は最後まで聞き給え。迷える白魔術士よ」
「……! …………!?」
抵抗するストレンだが、細身とはいえ男性が相手では筋力差がある。そのまま壁に押し付けられて腕を固められた後、頭の上に掌が乗った。
諱を介した身体拘束に加え『
一歩横に入った廊下でこのような荒事が起きているにも拘らず、行き交う人々は気にも留めない。
まるで、ストレンと男の姿が見えていないとでもいうような。
(っ認識阻害魔術!? そんな高度な魔術、他と多重発動できる代物でしたぁ!?)
「君は非常に運が悪い。なんていったって人間、産まれ落ちる母体は操作できないからね。混ざった血のせいで白魔術士でいられなくなるのはどうだい、怖いかい? そりゃあそうだ、あの人族と同じ血が巡っていると思えば、君はその全身の血を総入れ替えしたいと思うに違いないさ。……ああいや、やってみるものだけどね、非常に痛いからおすすめはしないよ」
「!?」
「ん? なんだいその顔は。君は人族の事が嫌いなんだろう?」
男は目を細め、ストレンを壁に押し付けている掌に力を籠める。
頭蓋が悲鳴を上げた。赤い瞳を見開いた彼女の叫びは、誰の耳にも届かない。
「そんな君に折り入って相談があるんだ。私が選んだ素質ある君にはぜひ、私の為にある人を無力化して欲しい。ぎったんぎったんにして、何処かの部屋に閉じ込めてしまって欲しいのさ。なぁに、君にとっては簡単なはずだよ。だって君は、人族の事が嫌いで嫌いで仕方がないんだから」
「……!」
「誰をって? 『ラエル・イゥルポテー』だよ。君が嫌いな、紫目の人族だ」
ラエル・イゥルポテー。黒髪の少女。
ストレンが喉から手が出る程欲していた人間関係や安定した立場を、評価を、一月足らずで手に入れた異端の少女。
ストレンが嫉妬混じりにそう思ったのはほんの一瞬。だが、男にとってそれは、目に見える隙だった。
脳天から魔術が流れ込む。
ストレンの魔力導線が体験したことも無い魔力圧に悲鳴を上げる。
全身の皮膚が凍えるように熱い。
血が沸騰するかのような激痛。
視界は明滅し、意識は消失し、目が裏側に回った。
膝から崩れ落ちる白魔術士を支える男性。
「ふむ、こんなにうまくことが進むとは……」
気を失ったストレンの額に指を当てる。
虚ろな瞳が見開かれたのを見て、男は呟いた。
「さあ、私の事は忘れるんだストリング・レイシー。そして、君の動機をもってして紫目の少女を憤りのはけ口にするといい。あぁ、死なない程度によろしく頼むよ。君にも彼女にも、死んでもらっては困るんだ」
茶色の髪が、一度、二度と縦に振られる。
それを見て満足げに笑みを浮かべると、男は「それじゃあまっすぐ部屋へ帰るといい」と告げ、おもむろに歩き出したストレンの背を見送った。
十数歩進んだところで、白魔術士は目を覚ます。
「……あれ、私……」
頭痛と共に、記憶には蓋がされていた。
振り返ろうと、そこには誰も居ない。
「…………」
ストレンはふと、考える。そう、これは全くの思い付きなのだが――。
「そういえばラエルさんって、
口角が、含みをもって持ち上げられた。
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