67枚目 「薬草サンドイッチ」


 視界が闇に閉ざされていることを知覚して、次に鼻腔を満たすのは薬品の香り。


「あれ……」


 ぼやきが零れた。唇がぬるい熱を持つ。瞬いた長い睫毛が弧を描く。


 寝すぎたのか、火照る身体と共に頭が痛い。鼻の奥と喉とぼけの裏が痛い。そうしてぼんやりと辺りを見回してみて、ようやく己が何処に寝転がっていたのかを認識する。


 魔導王国五棟三階、薬学研究室通称「鼠の巣」。その仮眠スペース。


「…………」


 なぜ、自室ではなくこの部屋で目が覚めたのか。


 脳に血が足りない金髪少年――ハーミット・ヘッジホッグは、すっかりこり固まってしまった自らの身体を解しつつ思考する。

 前日はしっかり睡眠をとっていた筈だし、ここ数日特には大きな事件事故もなかったと記憶している。まさか酒に手を出したわけじゃああるまいし。


 そういえば身体の右半分が地味に痛いが、妙に鋭い痛みを伴う部位がある。長袖をたくし上げズボンを捲ると案の定、数か所に青痣が浮いていた。


 右手首。

 前腕部。

 両膝。

 足首も少し痛い。


「まるで、真正面から受け身を取ったみたいな――……つまり倒れたのか俺は」


 結論に辿り着いて、溜め息をつく金髪少年。栄養剤をけちって飲まなかったことが原因か、仕事に根を詰めたことが要因か。


(ここまで運んでくれたのはカルツェだろうな……後で礼をしないと)


 解し終えた右肩を回し、指を組んで伸びをする。

 壁にかかった時計が夜の訪れを告げる。呼応するように腹が鳴ったので、ハーミットは丸一日休息をとった身体を引き摺って流し場まで行くことにした。


(まずは水分をとって、軽食でも作ろう)


 月一でぶっ倒れていると対応もそれなりに身に付くもので、普段研究室に籠もる際に作る夜食のレパートリーを捻りだした彼は重い足取りをもって冷やし箱を覗いた。


 箱内には魔力補給瓶ポーションの原材料になる薬草や麦が保管されている。他に食用の物を探すと、冷えて固くなったパンがある。賞味期限はまだ先の様である。


「んー、パンは後で買ってきたらいいよな。焼いて、薬草蒸して乗っけるか」


 金髪少年は一人呟くと、幾つかの薬草を手に取った。

 戸棚から調理用のビーカーもどきと、なんちゃってアルコールランプを取り出して台にセットする。昔、理科の授業でやった、水を沸騰させる実験を思い出しつつ火を入れた。


 軽く炙ったパンに、蒸して塩を振ったノハナ草と切り分けた星果実とをはさむ。ナイフで半分から切ったがボロボロになった。見た目は悪いが、味は悪くない。


「サンドイッチって重しをのせてから切った方が良かったんだっけ」


 見た目を諦めた薬草サンドイッチを頬張りつつ、左胸から黒い革張りの手帳を取り出すハーミット。彼にとってのメモ帳兼、日記のようなものだ。


 七日に一回は用紙を入れ替えて使用しているのだが、そのメモがびっしり刻まれた横に鉛筆で、非常に複雑な文字を走らせる。


 書いた内容は大まかに言えば「夜食は薬草サンド、ノハナと青星の食い合わせ良し」というもの。


 付箋替わりの平たい紐を挟み、元の位置に収納する。


 記憶に従って重しをしたもう一人分のサンドイッチは綺麗に切る事ができたので、これは白魔術士に差し入れることにする。


 皿を片付けて、舌に残る青臭さに眉を顰める。味が薄かったこともあり、正直物足りないというのが本音だった。


「……無性にじゃがバターが食べてぇ……」


 あのバターが作れるかは定かではないが、あれば重宝することだろう。

 芋は第五大陸の特産品でもあるので、似たような品種を探せたらいいのだが。


「そうだ、トーストに足りないのはバターだバター。ここのパンに使われてるのはちょっと違う感じだし……どういう製法か分かんなくて作れないんだよなぁ……んー、無い物ねだりか」


 ハーミット・ヘッジホッグはそんな独り言を続けながら戸棚の整理を始めた。


 棚の整理をしている間も深緑の小瓶を手にしては「この薬はまだ皮膚を溶かすほど酸性が強い」だとか、赤く細長い筒瓶を手にしては「こっちは怪我が治りすぎて副作用がめちゃくちゃ痛い」だとか、治療薬や魔力補給瓶の話にしては何だか物騒なことをぼやきつつメモを張り付けていく。


 調合量を調整する指示を用意しているらしい。


「よし、これで向こう一週間分はストックあるかな……カルツェ、張り切って数日で終わらせてくれるなよー」


 琥珀に浮かんだ呆れと信頼は、研究室の白壁に溶けた。


 さて、ロゼッタの事前の忠告に従って休暇を取っていたおかげで彼は充分に寝ることができたのだが――起床して食事をとって、それから棚を片付けて。既に一時間は経過しているにも関わらず鍵の主は帰ってこない。


 鼠の巣に所属する後輩の白魔術士カルツェは、同時に自室兼寝床としてこの部屋を利用している。

 ハーミットも鍵を持っていない訳では無いが、手元にはマスターキーしかない。マスターキーで施錠した場合はマスターキーで開錠する必要があるので、よほど切羽詰まっていない限りは使えないのだ。


 鼠の被り物を外すことを許された数少ない室内の椅子に胡坐をかき、資料室から貸し出した本を読みふける。


 カルツェが戻って来たのは、ハードカバーの半分を読了した頃だった。


 試験の後だからか、その表情には疲れが伺える。

 それでもカルツェはハーミットが起床していることを認識すると、ほっとしたように目元を綻ばせた。


「ただいま戻りました。おそようございます、ハーミットさん」

「あはは、手間をかけたな。お帰りカルツェ」

「いえ、いつもの事ですから。ああ、そういえば報告なのですが」

「?」

「試験、受かりました」

「おっ」


 少年の手元の本が音を立てて閉じられる。琥珀がきらりと光った。


「めでたい! これは一年越しの合格パーティーが必要だな!」

「一言多いんですが」

「それだけ待ち遠しかったってことだよ」


 机に積んでいた本を棚に戻そうとした金髪少年だが、カルツェに止められた。代わりに積本を少しだけ少年から遠ざけた白魔術士改め白魔導士は、丸い眼鏡を光らせて引いた椅子に腰を下ろす。


 金髪少年の隣。以前は決して、腰を落ち着けなかった位置である。


「カルツェ?」

「……僕は、この位置に座ってみたかったんです。貴方の隣から見る景色がどういうものか、長らく興味がありました」


 黒い髪がサラリと音を立て、赤い瞳に影を落とす。


「僕は貴方がどのような経緯でこの城に従事しているのか存じています――今、魔導士に昇格した僕に、ハーミットさんの隣に立つ資格はあるでしょうか?」

「それは」

「本心でお答えください。僕には同情も容赦も必要ありません。不死鳥に誓います」


 カルツェは机に向かったまま、淡々と言葉を紡ぐ。

 隣の席にいる金髪少年の事は一瞥もしない。琥珀に惑わされることも、顔立ちに目を奪われることも無く、ただ返答を待つ。


 ハーミットは本を置き、顔を曇らせた。

 唇が震え、重い口が開く。


「俺が嫌いになるのは、白魔術を修めながら道を踏み外すような人だよ。白魔導士という肩書が同じでも、俺がこれまで関わって来たシュガー・カルツェとはとても似つかない――それともカルツェは、何か後ろめたいことでもしたのか?」

「いいえ」

「なら今まで通り、俺は君の味方で同僚だ。それ以下の関係にはならない。魔導士昇格おめでとう。頑張ったな、カルツェ」

「……はい」


 それは暖かい熱を帯びた、けれど確かな拒絶。

 ハーミットの本心を受け止め、カルツェは緊張を緩めた。


(やはり、人生は思うようにはなりませんね)


 寧ろ、諦めがついてすがすがしい。


「――よし。それでは僕、今からふて寝しますのでハーミットさんは速やかにご退室願います」

「うえ!?」

「ほら、読み終えていない本は持って行っていいですから。そもそもつき合っているわけでもない未成年の家に寝泊まりする成人男性なんて、他の四天王に示しがつかないでしょう」

「うぐっ……急に容赦がない……」

「貴方ほどではありませんよ」


 口ではそう言いながら、カルツェは愉快そうに笑って見せた。

 普段の仏頂面からはとても考えられない快活な表情に、金髪少年も面食らう。


「ああ、そういえば。これは僕の独り言なのですが」

「ん?」

「今年もまた、荒れるかも知れません」


 黒髪を耳にかけ、金髪少年のコートを壁から外しつつ白魔導士は言う。


「ほら、烈火隊の白魔術士がいらっしゃいますよね。風の噂だと彼女――」




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