66枚目 「昇格試験前日」


 人族の少女、黒魔術師のラエル・イゥルポテー。


 彼女に対する第一印象は、「変な女の子」だった。僕は魔導王国に来てから日が浅いけれど、魔族に囲まれてあっけらかんとしていられる人族を見るのはこれが二度目になる。


 浮島へ向かう飛空船の中。形式上、何の意味も込めずに手渡した白銀のリリアンは今日も彼女のうなじで揺れた。

 余程気に入ってくれたのか、それとも別の思惑があるのか。いいや、多分何も考えていないだけだろう、と。あながち的外れでもない予想をたてる。


 ……彼女は、感情欠損ハートロス患者だ。


 白魔術士としては保護しなければならない病人で、鼠の巣の所属としては重要な検体。

 彼女の血肉は今後の白魔術発展に大いに役立つに違いない――まあ、今のところ白魔術士の管轄ではないので、僕に関与する権利はないのだけれど。


 鼠の巣。浮島五棟の一室で、硝子の瓶を光に透かす。


 四角い小瓶に注がれた液体は粘性をもって傾く。

 青い、深い海のような色をしたそれは魔力補給瓶ポーションの新たな検体だ。


 最小限の量、最低限の痛み、最速で魔力を補給させる。それが、この研究に求められているゴールである。


 瓶を棚に戻し、隣の引き出しに手をかけた。

 真鍮の輪に指をかけると中には畳まれた薬包紙の束が目に入る。


 治癒薬、止血薬、鎮痛薬、睡眠薬、麻酔薬……色分けされたそれらは、第二大陸に伝わる薬草学の技術を応用して作り出された粉薬だ。最近新しく加わった「カゼ」を治す薬というものもある。


 ……「カゼ」って何だ。魔力欠乏や貧血と何が違うのだろうか。これらを監修した四天王の意見を聞きたいものである。


 今日の働きとしては、炭樹トレントの炭を配合した整腸薬の納品分を調合した程度。

 あとは在庫が減りつつある栄養剤の調合だが、これは針鼠の領分なので僕は触らない。


 給水器を作動させ、火魔法でお湯を沸かす。

 メモリの付いたガラスのコップに、適量のコーフィー用ミルクと砂糖を投入して掻き混ぜる。あっというまに激甘ミルクができあがる。


 適度に冷まして口に含むと、甘さが脳に染み渡った。至福の一時だった。


 ……さて。僕は名をシュガー・カルツェという。


 四天王『傲慢』、白魔導士スフェノスの弟子の一人。師に似て感情が表にあまり出ない、親指の長さ程の直径がある丸眼鏡と黒髪おかっぱが目印の白魔術士だ。


 普段は医療棟である五棟の鼠の巣にて勤務。主に薬学を利用した魔力補給瓶ポーションや新薬を研究しているが、一日中鼠の巣にいるわけではないのだ。一日二食は勿論、睡眠を欠かさない。これでも毎日七時間は寝ている。


 今日もご機嫌な僕は、それこそ毎月の恒例行事をこなすことも欠かさない。

 時計を見て後、回廊側から聞こえた物音に腰を浮かせる。


 鼠の巣の出入り口。内にも外にも開くように作らせた扉を開く。


 たかが扉一枚になぜこのような手間をかける必要があったのか。その答えは、過去に扉が外開きだった事で、室内に人が閉じ込められた前歴があるからだ。


 今、目の前で行き倒れているかつて鼠顔の獣人だったものが原因で。


 いや、流石に言い過ぎた。彼の身体はこのような些事で死に至る程、やわなつくりをしていないのである――大方、溜まりに溜まったタスクを全て消化したタイミングを計って、この研究室まで這って来たのだろう。


 抜け目のない人である。間違いない。


 ぐちゃぐちゃになった黄土色のコートが灰色の回廊と溶け合っている。革手袋も武骨な革靴もそのままで、本来顔を覆っているべき鼠顔は外れてしまっている。


 零れ落ちた金糸に繋がる本体からは規則正しい寝息。

 適度な休息をとっていなかったが故の、限りなく失神に近い寝落ちだと予想される。


 こういう時に限ってこの人は、夢を見る間もなく深い眠りにつけるのだ。短い付き合いながら、僕はそのことを知っている。


 回廊を見渡すために首を振ると、窓の無い部屋にいては分からなかった外の暗さと、カンテラの橙が目に刺さる。どうやら夜らしい。となると、この目の前に転がっている獣人もどきは数時間に渡って熟睡するに違いない。


 僕はうつ伏せに突っ伏した彼を仰向けに転がし、足首を組ませる。扉を開けたまま固定し、彼の両脇に腕を差し入れて引き寄せて持ち上げ。このまま備品のベッドまで引き摺ることにした。


 鼠の巣は、引き摺られる獣人もどきを招き入れて扉を閉じる。

 頑張り屋の彼は向こう一日、使い物にならないことだろう。







 研究室の奥に用意してあるベッドに金髪上司を放った白魔術士は剥がしたコートを壁に掛け、脱がせた革靴を手に作業部屋へ戻った。


 床に靴を並べて、床下収納からブラシと布と油を取り出す。黒い手袋を嵌めた。


 白魔術士であることを周知させる白い上着を椅子の背に掛け、右足首を左足膝の上へ乗せて固定すると、先程回収した上司の靴とブラシを手に取る。靴底を滑る固い獣の毛が、微かに音を立てた。


 カルツェは二年前に魔導王国にやって来た魔族であり、帰国子女の扱いを受けている。今でこそ現場で働けるレベルの白魔術を扱う魔術士だが、第二大陸で過ごした期間が長かった為に苦労も多かった。


 白魔術の適性があったこと、四天王とのパイプができていたことなど、様々な幸運が重なった結果として気ままに快適に過ごせているのである。


(魔導王国自体、お仕事が常に飽和している様なものですから、僕のようなよそ者でも新しいことを始められる環境が整っていたと考えるべきなんでしょう)


 魔族ゆえに殆どの職業を選択できる立場にあったカルツェだが、けれど白魔術士になる道を選んだ。理由は「憧れの人が白魔導士だったから」という、普段の様子からは想像もつかないであろう不純な動機である。


 「おかっぱ」と呼ばれる自らの髪型は、そこで寝ている彼の姿を真似した物だ。色と毛量に差がある故に全く同じ髪型にはならなかったが、気に入っている。髪を切ってくれたのが紛れもない本人だからだろう。


(実際は早計も早計、彼自身は白魔術すら使えない人族だった訳ですが)


 カルツェは手元の靴を磨きつつ、扉の無い仮眠室で眠りこける上司に目をやる。


 浮島に来てから、カルツェの世界は大きく変化した。

 まず、多種族と関わる機会が増えたことで見た目に偏見を持つことが時間の無駄だと気づいた。言葉を交わして、相手の情動をつぶさに観察して、それから判断するべきだと理解した。


 自分以外を例外なく敵視していた二年前では、とても考えられなかった生活。

 白魔術士は首元に巻いた布を撫で、それから息を吐く。


 カルツェをこの国に連れて来たのは、ハーミットとスフェノスである。


 しかし前者の上司との関係性が何一つ進展しない現状に、カルツェは若干の諦めモードになっていた。全力で好意を示している筈なのに振り向いてもらえない。そして最近、一人で勝手に片想いを卒業することにした。


 黒髪の少女。ラエル・イゥルポテー。

 彼女を彼が浮島へ連れ帰った時に。


(あの人は誰にでも優しいお人好し。それを忘れた僕は一時の感情を養分に、瞬く間に彼に依存した――そんなこと、僕自身が許せない)


 淡い恋心は、ただの錯覚だった。

 彼が紫目の少女を連れて来た時に。嫉妬を覚えなかった自分に気づいた瞬間に。シュガー・カルツェは己の情動を自覚した。


(だからこそ、僕は彼女を応援したい。果たして彼女が彼に抱く感情が、恋や愛といった感情なのか、それとも僕と近い感情なのか。……友人としても興味がある)


 革靴を磨き終えて、白魔術士は伸びをする。靴磨きセットを片付けて、専門書の中から一問一答を引っ張り出す。


 明日は午後から白魔導士昇格試験がある。白魔術士の今も割と仕事を任されている自信はあるが、魔導士になれば本格的に師であるスフェノスのサポート役を目指せるかもしれない。


 四天王のスフェノスとの行動が多くなれば比例して、同じく四天王のハーミットと行動する時間も増えることだろう。


 週に二回鼠の巣で顔を合わせる現状から、週に三回仕事の話を交わす関係になるかも。


 彼に対する依存に似た憧れは、そのまま尊敬に変わってカルツェの中に生きている。これは別に手放さなくていいと思っているので、白魔術士は現状に満足せずにより良好な関係を築きたいとすら考えているのだった。


(人間関係は、恋や愛だけに縛られる訳じゃあないですから)


 他人に中々心を許してくれない憧れの人が、心置きなく休息をとれる空間を提供することができる数少ない一人でありたい。それが、カルツェが目指す白魔導士。


 一通り復習した白魔術士は磨いた靴を揃え、就寝の為に眼鏡を外した。

 居場所を求めるシュガー・カルツェにとって、明日の試験は戦場である。


 生き残れたなら重畳、その戦果から貪欲に昇進を狙う。


 鼠の巣の照明が落ちる。白魔術士は自らの個室に入り眠りにつく。

 隣室、意識のない金髪少年は琥珀の瞳を薄く開けたままでいた。




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