52枚目 「違和と勘」


 初めての魔術訓練参加から一週間。


 まだ日も昇らない早朝。民が眠りを享受する中、五棟の診察室の一つには明かりが灯っていた。


 白い天井に銀の秤。木の卓に並ぶのはガラスの瓶に入った色とりどりの魔力補給瓶ポーションである。


白き者アルバ……白き者エルフ……ふふ、やっぱりカッコいいわね、こっちの方が」

「診察中に黙り込むから何かと思えば。誰かに習ったのか」


 定期健診を受ける黒髪の少女に悪態をつく男性。白い髪に隈が刻まれたモスグリーンの瞳。相変わらず眉間には深いしわが刻まれている。


 スフェ―ンことスフェノス。魔導王国の四天王の一人にして、根からの治療者。珍しくもこの国に住むエルフであり、白魔導士だ。


「ええ。働き口をくれた優しいお姉さんに教えてもらったわ。他にも色々な話をするのよ、お店に仕入れている食材は何処で調達しているのかとか、生活用品の安売りの時間とか、良い男の選び方とか」

「……最後はともかく、慧眼な女性なのだな。就職先は飲食店だったか?」

「ええ。三棟のモスリーキッチンよ」

「なるほど、ガーネさんか」

「ガーネ。そうね、書類にはそう載ってたわ」


 モスリー・ガーネ、と。


「契約に使用する書類には、諱の一部を引き抜いて記載することが許されている。が、諱の一部も記さないことは違反となる」

「え。私、色んな所でラエル・イゥルポテーを名乗っているのだけれど、大丈夫?」

「知らん。そもそも、諱を持たない人間が居ることのほうが珍しい――あの獣人もどきでさえ、伏せている名があるというのに」

「そうなの? ……ってああ、そう。そうよね、表向きに諱を明かすわけにはいかないからそれが普通よね」


 教えて貰うことができる名前は、どこかしら欠けているのが普通だ。名前を把握することは魔術においても大きな意味を持つ。


「どうした、脈が速いが」

「え?」


 ラエルはカフスを外した左手首に視線を落とした。某脱出劇由来の熱傷痕は、現在も痛々しい赤黒い腕輪となってそこにある。


 熱と雷で一度溶かされ変形した皮膚は目の前の白魔導士に治療されたもので、生活に支障が出るような凹凸はみられない。そしてその手首と掌の境目辺りに、骨ばった親指による圧を感じる。


 脈というのは人の血が流れるリズムで、心臓の鼓動と連動している。それを測ることで血流の圧がどれほどあるのかを知ることができるらしい。どうやら太い血管が通った場所に指を当てると、魔術を使用せずとも読み取れる。


 黒髪の少女は治療の度にこの測定を受けるのだが、彼女は尋問に通じると感じたことがある。

 人は、嘘を吐くときに動悸がし、人を騙すときに動悸がする。そういうものだからだ。


 それに、彼女自身に覚えがないとしても、形式上は「殺人容疑のかかった人族」であることに、変わりは無い。


「……嘘とか、ついてないんだけれど」


 そう。吐いていないのだ。ラエルは何かを意識したつもりはなかった。だから、会話の中で脈が速くなった理由に心当たりがない。


「何を言っている。始めから嘘を吐いているようには見えていない。そも、嘘を吐ける器用さを持ち合わせていないだろう」

「なっ」


 言い返そうとしたが、その通りなので沈黙する。

 言わないことはできても、強がり以外の虚言を意識して口にするのは苦手分野だ。


「それに、聞いているとは思うが第三大陸での容疑はほぼ晴れているも同然。観察処分の内容も、越して来た初週に比べれば甘々もいいところ。まず、保護された身であるにも拘らず監視が付くという納得のいかない処遇自体に満足している脳内お花畑の人間に、今更嘘を吐く利点があると思うか? それをするのはただの馬鹿だろう。元からそうなのかもしれないがな」

「嘘を吐く理由がないのはおおむねその通りで間違いないけれど、馬鹿といわれるのは心外よ」


 頬を膨らませた黒髪の少女を一瞥して、攻撃的な笑みを浮かべるスフェーン。少女の手首は彼の手の中にある。


「性格はともかく、馬鹿は治る。そして私は治療者だ。どうだ、頭蓋を開くか?」

「えぐい例えを持って来るわね、絶対痛いじゃないそれ。嫌よ」

「麻酔はかけるが?」

「うっ……うーん……」

「そこで悩むな」

「へっ。……ええ、そうよね。あはは」

「なぜそこで言い淀む」


 つくづく分からん。言いながら少女から手を離し、問診表にチェックを入れる白魔導士。普段使いの白衣の裾がゆったりと揺れる。メモをはしらせた。


 ――「恐怖」の表出はみられない――


「いつもそうやって顔を顰めているけれど、調子でも悪いの? 不機嫌じゃないってことは、何となく分かるのだけれど」


 ――やはり前例とは違い、「共感」は可能のようだ――


「ドクター」

「ああ、不可解な事があればすぐ顔に出る質でな。おかげで幅広い交友関係というものが保てないのが難点だが後悔した覚えはない。というより、第四大陸の白き者アルバは私のような人間が殆どだった。上には上が居るというわけだな」

「人相の悪さを否定するどころか肯定してるわね」

「そちらこそ、人の事を言えるほど良い性格をしているつもりか?」

「言葉の意味をそのままにお返ししていいかしら」

「ふはは! ごもっともだ」


 音を立てて問診票のファイルが閉じ、速やかに魔術で施錠された。


「今日はもうお終いかしら?」

「ああ、健康そのものだ。経過良好が続くようであれば、定期健診の必要もなくなるかもしれんな」


 言いながらファイルを机に置き、患者の方を振り向くと――スフェーンはそこで初めて、会話をしている途中であるにも拘らず、少女の瞳がこちらを見ていないことに気付く。


 視線はこちらを向いている筈なのに、紫目の焦点は宙に浮いているのである。


「どうした」

「――あ、いいえ。なんでもない……と思うわ。自分でもよく分からないの。最近、自分でも上の空になることが多いみたいで」


 続くようなら相談するわね。と言い残し、黒髪の少女は席を立った。診察室の扉が閉じられる。


「……杞憂だといいが」


 白髪を掻き乱し、白魔術士は目を細めた。

 見逃された予想は大抵当たるものである。







 今日一日、踏んだり蹴ったりもいいところだった。


 朝一の診察を終えて朝勤に入り、皿を割り、謝る間に火加減をミスり、反省している間に午前休が終わり、昼勤に遅刻して、また謝る途中で注文された料理の調味料をトチり、呆然としている間に休憩を取りそびれ、夜勤は仕込みをしたところで「今日はもう大丈夫だよ。早く部屋に戻ってしっかり寝なさい」とのお言葉を頂いた。


 昨日までそこそこ上手くやれていた自信があったラエル・イゥルポテーはというと、その言葉に愕然としたし、雇用主であるモスリー本人も大層困惑していることだろう――しかも、魔術訓練を受けた後のラエルは元々扱えていた機材すら扱えなくなっていた。


 暴発の危険があると分かった以上、今までのような出力で魔力を流し込むことができなくなったのである――加えて、襲い掛かるのは注意の散漫。ラエルの思考回路はぐちゃぐちゃだった。


(……駄目だ……思考を切り替えなくっちゃ……)


 なので、散歩をすることにした。

 睡眠時間は大切だが、気分転換はもっと大切である。


 浮島の中心、憩いの噴水広場は夜でもライトアップされていて、濃い色の芝生をカンテラの橙が照らしている。日中は騒がしい外通路も、日が落ちると往来は落ち着いてくる。

 魔導王国に所属している軍人の殆どは午後六時までに退勤し、そのまま二棟の酒場や賭場へ流れていく為、往来する人間はぐっと減るのである。


 前回ラエルが散歩をした際は夜中だったが、今回はまだ九時半といったところだ――ラエルは誰も居ないのを良いことに、普段は人が占領している噴水周りの腰掛けに座ってみた。


 無論、通行人はおろか廊下を行く住人の姿も見られない。


(まあ……そう簡単にはいかないわよねえ)


 魔力の扱いが苦手だということが分かった。それはいい。

 長年抱いてきたコンプレックスの打開法が見つかった。それはいい。


 だが、それによって仕事に支障が出るとは思わなんだ。


(モスリーさんに相談しなくちゃって……思うけれど、気付いたら勤務時間で話すこともできやしない。これじゃあ迷惑かけてるだけじゃない)


 黒髪をわしわしと掻き乱し、膝に頭をつける。

 リリアンが解けて指に絡まったので、落としてはいけないと左手に結んだ。


 降りた髪は月の光には反射せず、毛先は絡まっている。一日中お団子で纏めているのだから仕方がない。時間を作って髪を梳く余裕すら彼女には無かったのだが、本人は元々身なりを気にしない質なので自覚がなかった。


 下ろした髪通した指は中途半端な位置で止まった。


 ラエルは溜め息をつき、空を見上げる。満点の星空は庭園を飛び交うカンテラの灯りで鈍いフィルターがかかり、とても透いているようには見えない。


 目につくのは一際強い光を放つ留星とめぼしと、青と灰、二つの三日月だけだ。


(でもこれ……単に疲れてるとは、違うような)


 体力が落ちたのだろうか。いや、仮にも砂漠でサバイバルしていただけあってラエルの体力はそこそこあるはずだ。確かに魔族と人族ではスタミナが違うかもしれないが、ラエルはここに来てから一度も無理をした覚えはない。


 では、気疲れだろうか。いやいや、こんなことで凹むような健康な心を持っていたとしたら、きっとラエルはここに来るまでの間に壊れてしまっているに違いない。


 じゃあ、感情欠損ハートロス関連の症状だろうか。恐怖が感じられないからといって、確かに不安や焦りを感じないわけではないのだが。


(野生の勘が少しずつ鈍っていくのは分かるのだけれど……砂漠でこんな風になったのって、砂虫の巣に引きずり込まれたときぐらいよね)


 息もできない砂の中、肺に積もる白い砂、熱い、寒い、苦しい、辛い、眠い、眠るものか。

 結局は、虫の腹を暴発させた火魔術で突き破ることで生還したのだが。


(不安? 孤独? 寂しい? いいえ、違う)


 これは――だ。

 死ぬかもしれないという状況下に置かれた時に感じる、予感のような


 しかし、自らをざわつかせている感情に気付いたところで、疑問符が浮かぶ。

 危機感とは何だ。


 黒髪の少女自身からすれば、現状上手くやれている筈で、誰にも迷惑はかけていないつもりで、これからもかけるつもりはない。勿論上手くいかないこともあるだろうが、それはそれ、ラエルは割り切りの良い性格をしている。


 例えば、やっとのことで働いている現在の職を辞めることになったとしても、彼女はそれをあっさりと受け入れることだろう。疑問も持たず、誰を責める訳でもなく、それなりの確立で魔導王国を出ていく選択をするのだろう。


 誰が引き留めようと、誰が憤ろうと、彼女にとっては些細な事だ。コミュニティに所属することに意義があると知っている一方、そこから追放されること自体に恐怖はないのだから。


(…………)


 もしかして、魔導王国ここに居るのは自分が想像するよりも不味いのではないだろうか。


 そんな意見が脳裏をよぎる。ロゼッタの予言の件もある。「どのみちこの国から出ていくことになる」とは、一体どういう意味なのだろうか。きっといい意味ではないだろうと予想される。


(部屋に戻ろう。今日は本を読む時間も睡眠に回して、それから明日の朝勤に出て――)


 ラエルは腰を浮かせる。


「やあやあ、お悩みかい?」

「え」


 前触れも無く。

 紙の束を腕に抱えた、背の高い変態は現れた。




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