51枚目 「白き者」


「へぇ、大きな進歩じゃあないか。教える人間によるのかねぇ」

「何かを教わった気はしないけれど、直ぐに実践できる場所があるのは助かったわ。これなら、感覚を忘れないうちに復習できるもの」

「予習、復習、自己管理ってねぇ。あたしゃあそういうのはめっぽう苦手だったよ」

「?」

「うん? 真面目に取り組んでるっていう自覚は、ないのかい?」


 モスリーキッチン。昼の勤務が終了し、ラッシュ時間が過ぎた厨房はまだ少し暑い。一度熱を持った魔法具は冷めるまでに時間を要するのだ。


 黒髪の上に巻かれた橙のバンダナで、粒の汗が拭き取られる。


「真面目……真面目って、どこからそうなのかしら。何か一つの事に没頭するぐらい集中できたら、真面目なの?」

「あー、周りの言うことをよく聞いて、言われたことをその通りに行動できたら? 一度悪いと思った事は二度としないようにする、とかかねえ。没入は中毒や依存にもみられるから、一概に真面目であるとはいえないか」

「難しいわ。そもそも、集中が続く様な頭の作りをしていれば、こんなに魔力飛散を抑えるのに苦労はしないでしょうし。これはやっぱり真面目とは程遠いわ」

「そう思うならそうだろうがねぇ」


 赤黒入り混じった髪を指で梳きながら、モスリーは呟く。


 彼女からすれば、魔術訓練や労働をほったらかしにして遊びに行ったり逃亡したりするようなことがなく、決まったシフトの時間にこの厨房にやって来てくれるだけでも真面目の部類だと思うのだが。調子に乗られても困るので褒めはほどほどにする。


「そういえば、モスリーさん。私、ここに来て気になっていたことがあるのだけれど」

「何だい」

「この国は獣人や魔族はよく見るけれど亜人はあまり見かけないわ。何か理由があるの?」

「……ああ、その事かい」


 モスリーはテーブル席の方を一瞥する。新たな利用者の姿はない。


「じゃあ話す前に一つだけ。ラエルは第三大陸の出身だったかい?」

「ええ。典型的な人族国家に産まれたわ、魔導軍には勝てなかったけれど」

「成程ねぇ、ならば法が変わる前にお国を出てしまった訳だ」


 疑問符を浮かばせるラエルに対し、モスリーは額を抑える。世界の常識はこの黒髪の少女にとって非常識である。砂漠入り娘の世間知らずさは伊達ではない。


「国家同士で争わないために血判を押して締結された法があってねえ。施行されたのは魔導戦争が終戦して一年後だから、知らなくても無理はない――でもね、今日から覚えておいて。亜人あじんという言葉は現在、罰則規定もある差別用語に認定されているのさ」







 魔王と獣王が率いる魔獣連合軍と人族の一国家が対立したのは記憶にも新しい。

 人々はそれを魔導戦争と呼ぶが、そもそも世界に喧嘩を売った某国王のみが全般的に悪かったのかというと、別にそういう訳では無かったというのが真相だ。


 人族は脆弱な種族である。


 魔族の様に魔力に秀でていないため魔術研究は進まない。獣人の様に手先が器用かつ長生きすることもできない。

 筋力も魔力もそこそこ底辺のこの種族に秀でた点があるとすればそれこそ「種の保存に貪欲」であったことぐらいだろう。


 他の種族に比べて寿命が百年弱と中途半端に短い人族は、それゆえに世代替わりが目まぐるしい。技術は丁度良い所で研究が打ち切られてお蔵入り、国交は内容を引き継ぐ間もなく自然消滅、なんてざらだった。


 しかし。世代替わりが目まぐるしいということは、意識の更新が早く繰り返されるということだ。進化は世代が変わる際に起こる遺伝子変異による場合もある――故に、他の種族に比べて人族には一定の周期をもって異端が産まれることがままあった。


 ある日突然、天啓も何も無く。両親の髪色とは似ても似つかない純白の髪に、尖った耳をもった子どもが産まれるのである。


 魔族を凌ぐほど魔力量に秀でた、極めて短命の人族。

 彼らが、迫害の歴史と共に亜人と呼ばれた種族の始まりだ。


 亜人という言葉は「彼らは人族ではない」と差別する為の名称だった。


 そして人族はそれを普通だと受け入れ、今の今まで生きて来た種族だった――そんな彼らに対して他の種族が碌な印象を抱く訳がない。


「まあ、魔族だって『魔力量がちょっと多めの人族』が集まって作った国の民が、長い年月をかけて平均的な保有魔力が多くなった結果、長命になっただけらしいしねぇ。人族を元に色んな人種が産まれた歴史は、現代の進化学として世界の常識の範囲で扱われている知識でもある。けれど、やっぱり『亜人』呼びはいかがなものかと声を上げた猛者が居てね。法ごと巻き込んで禁止にすることになったんだよ」

「……そう。一応、あんまり良い響きの言葉じゃあないとは思っていたのだけど」


 橙のバンダナを四つ折りにして膝の上に置く。支給されているエプロンはまだ外さなくていいだろう。


「もしかして『獣人』も、そうだったりするのかしら」

「『獣人』は、どうだろうねぇ。彼らの始まりは獣であって、人間とは元々作りが違うから、人に寄ったという意味では破綻はないと思うが」

「獣」

「今あたしたちが『生物せいぶつ』と呼んでいる生命体の事だよ。場所によってあれらは『けもの』とも呼ばれる」


 赤黒の髪が揺れ、目線の先にあるのは冷やし箱だ。中には新鮮さを保つために魔術で凍った肉や野菜が保存されている。


「ほら、サンワドリやカムメはよく食べるし、この厨房でも捌くだろう。人間はよくも悪くも雑食性で、草木以外も食べるだろう? 『獣人』は、獣が人間から搾取されないために苦肉の策で進化した成れの果てなんだと、当事者たちから聞いたことがある――いくらなんでも成れの果てはないだろう、って言い返したんだが。人間よりも獣の方が遥かに効率的だ、って言い返されてしまったねぇ」

「線引きが難しいわね……」


 今この時ほど歴史の勉強が必要だと思ったことはない。黒髪の少女は苦笑いと共に話の続きを待った。


「だがまあ、種族間のコミュニケーションが普通になった今じゃあ、相手が何族だからああだこうだと突っ張り続けると同業者に出し抜かれるのが現実さ。魔導王国では特にそのケが強いね。魔族も獣人も、種族なんてどうでもいいじゃあないかっていう風潮は確実にある。つまり、お互いの存在が最早普通だから慄きも嫌煙もしないっていうから来る信頼だ」

「じゃあ、慣れるしかないのね?」

「そうだねぇ。でも、手っ取り早いのは種族じゃなくて個人を見ることさ。どの種族でも良い奴は居るし、勿論クズもいることだろう。その辺りは、知っていると思うけれど」

「そうね。知っているわ」


 人身即売会にてラエルを買おうとした魔族や獣人。襲ってきた人族。あの場にいた観客。昨日のことの様によみがえるテント内部の風景は、瞼の裏に焼き付いたままだ。


 ラエルが疑心暗鬼のあまり敵味方の区別がつかなかったように、あの場には四種族が入り乱れていた。あの状況を体験した感想は「人種が悪いのではなく集まった個人が悪かった」という一文に収まる。その感覚を応用すると、成程。確かに種族間に差など無いように思えてくる。


 ラエルに物を売ってくれた三棟の雑貨屋や髪を切ってくれた髪切屋。

 朝練に参加させてくれた烈火隊の面々。

 利用登録した資料室の司書、検査結果の報告の際にこちらを慮ってくれた白魔術士。

 そして、忙しいにもかかわらず定期健診を行ってくれる白魔導士や、監視といいつつ相談にのって貰える三つ編みの騎士や、数多の雑務をこなしつつ生活をサポートしてくれている某金髪少年。


 なにより、人族かつ感情欠損ハートロスであるラエルに、働く環境を提供してくれたモスリー。


 結局どうあっても人族の印象は悪いのだけれど。

 彼らはラエルを人族としてというよりは、一個人として見てくれている気がする。


「個人として、見る。……難しいけれど、先入観を捨てるにはいい機会ね」

「まあ、あたしからみれば。ラエルは上手くやっていると思うけどねえ」


 モスリーは言いながら紫目の少女を見据える。


(普通は、祖国を滅ぼした国を恨まない方がおかしいと思うが)


「モスリーさん?」

「ああ、済まないね。何だい?」

「話を戻してしまうけれど……今は『亜人』ではなくて、別の呼び方があるのよね? 知っていて損はないと思うの」

「そうだねえ」


 赤黒の前髪を整えて、やわらかな頬を歪ませて、女主人は口にした。

 世界法を変えてまで新名称を一般化させようとした一人の人族を思い出しながら。


「彼等を示す語は『白き者アルバ』――人によるけれど、文字の綴りからエルブフ、エルブと派生して、今じゃあエルフと呼ぶ人が多いねぇ」


 ……ただまあ、そのエルフの短命かつハイスペックゆえの高プライド的性格が、魔族や獣人の大らかでのんびりした国民性と反りが合わないから、彼等は魔導王国にあまりいない。


 かく言うモスリー本人も、個人的にエルフはあまり好ましいと思えない種族なのだが……今日教えたことが全てひっくり返るような本音を、彼女は場の空気を読んで言わないでおくことにした。


 言わぬが花、である。


「建前はそうだが、実際にそう割り切れる人間の方が少ないんだよ。……ラエル」


 ぼやいた言葉は、休憩に入った少女の背中には届かなかった。




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