50枚目 「紫目と氷球」


 三分ほど身体を伸ばし、広場の周囲を一周走ってから息を吐く間もなく指導が始まった。


 内容は人によって様々だ。カルツェは以前不合格となった白魔導士昇格試験に向けた魔力操作部門の対策を。ラーガは対人戦闘に関する魔術使用について。フランは広場の脇にある長椅子で熟睡中である。


 対人戦闘に関する訓練はハーミットが担当するというので、自己流暴発黒魔術使いのラエルが余ることになる。


「魔術訓練っていったものの、イゥルポテーさんに俺が教えられることって皆無に等しいんだよね。まあ、テストの方法はスフェーンから習ったからちょっとこっち来てよ」

「てすと?」

「そう。魔力操作の何処でイゥルポテーさんがつまづいているのか、当たりをつけるんだ」


 針鼠が取り出したのは腕に抱ける大きさの桶のようなもの。そこに半透明の球体が幾つか入っている。普段使いのポーチから引き出したそれを地面に降ろすと、如何にも重そうな音がした。


 球体の一つを手に取ると、軽く握ったりして硬さを確かめる。


「えーっと、今日はちゃんと準備してきたんだ」


 再度、ポーチに腕を突っ込むハーミット。次に引き出されたのは手袋で、始めて見る色合いだった。水色寄りの黄緑というか。


 渡されるままに受け取ったラエルはというと、いまいち実感が沸かない。


「……手袋?」

「今の君の手にはルームキーが嵌っているだろう。万が一壊れると困るから、練習するときはこれを嵌めてくれ。ああ、普段使いしてくれても構わないよ」

「魔力を通す素材なの?」

「ああ。魔術師仕様だから、魔法の発現には困らないと思う。試しに使ってみて」


 腕の熱傷の件もあり、ここ最近は魔術を使用していなかったラエルだが、いくら魔法具の補助があっても、やろうとしてできるものなのだろうか。


 半信半疑のまま、まずは片手に嵌め、指を一本たてる。


「……『点火アンツ』」


 『点火アンツ』とは火魔術の下級、幼年期に教わる生活魔術のひとつである。

 成功すると蝋燭のような穏やかな火が生み出せるが、ラエルのような未熟者が使用すると暴発する。


 暴発した。


「…………」

「…………」

「失敗しないとは言ってないよ」

「そうだったわね」


 人差し指から垂直方向に細い火柱が上がるだけで済んだ。前髪が少々焼けたが、それ以外の被害は出なかった様だ。


「そ、それでも『霹靂フルミネート』を使うよりましでしょう」


 魔術を解き、手袋の下を確認するラエル。


 成程、掌は焦げておらず、火傷による水ぶくれも見当たらない。つまり実験は成功ということになるが、魔導王国の技術には目を見張るものがある。どういう仕組みなのだろう、聞いたところで理解は難しいだろうが。


「よかった、いけそうだね。じゃあ次はこれ」


 呟くと、ハーミットは持っていた球体をラエルに手渡した。手袋越しだが、ひんやりと冷たい。


 つまり、ただの氷の球だった。


「にぎにぎして」

「に、にぎにぎ? 握ればいいの?」

「そうそう、んで、持ってるのとは反対側の手で、土魔法を使ってくれ」

「……を?」

を」

「んー……」


 土魔法は魔術以前に、生活魔法を習得する際に一番最初に習うものである。


 形あるものに魔力を投入し、それを変形させたり動かしたり。少し離れた位置にある物を引き寄せたり、手に持っている物を落とさないように引き寄せ続ける事もできなくはない。


 以前ラエルが銀紙のカルテに魔力を流し込んだのもこの理屈だ。


 魔法は詠唱を使用しない分派手な効果は見込めない技術だ。そこに流れ込む魔力量が微量であろうと多量であろうと、得られる結果に特に差はでない。魔術師を志さない者にとって、これほどどうでもいいことはないだろう――が、彼女は魔術師である。どうでもいいとは言えない。


 黒髪の少女は沈黙しつつ、球体を持っていない右手で魔力を繰ろうとした。


 ばきんっ!


「あいたっ!?」

「うおっ!?」


 黒髪の少女の掌に握られた氷の球体は派手な音を立ててかち割れた。


 魔力を練ったのは右手で、球体を手にしていた左手には何も力を加えたつもりは無い。それでも割れた事実から鑑みるに、意図せず力が加わってしまったのだと考えられる。


 ラエルはその事に戦慄する。恐怖を感じずとも、この状態が如何いかに不味いことなのか、身をもって理解する。


 右で使用していると考えていた魔力が左にも回っていたということはつまり、魔法を使う際、彼女は常に魔力を無駄にしていたということだ。


 暴発についても少し考えたら分かる話だったのだ。


 普通、ラエルのようにただ魔力導線が細いだけなら、魔力圧の低い魔法系統の扱いに苦労する訳がないのである。それでは、導線を痛めながらも雷魔法を使わねばならないほどに魔力が有り余っていたという説明に違和感がある――が、前提条件として。魔法も魔術も術者の魔力を燃料に発現している。


 術者の魔力はよく燃えるし、よく帯電する。


 、それは勿論暴発する。


 高い錬度を求められる魔術ほど魔力を多く使用する――ラエルが扱う雷魔法が最たる例である――ということはつまり、全身から漏れ出る魔力の残滓すら使い切る勢いで魔術を発現させ、誘爆による暴発を防いでいた、というだけのことだったのだ。


 このような粗削りの魔術使用を繰り返していれば、導線を痛めて当たり前である。


「十六年生きて来てようやっと理由が分かってスッキリした半面、これまで気付かなかったことに対する衝撃が大きいわ……」

「君の場合、生きるか死ぬかの状況下にあったせいで魔力使用の効率とか考える暇がなかったんだろう。そしてスフェーンの予想は大当たりだ。あとで差し入れ持って行こう」

「賭けでもしていたの?」

「氷菓子を奢るか否かっていうね」

「平和ねえ」

「違いない」


 鼠頭をさすりつつ答えたハーミットは氷球の入った桶を置いてラァガァモォールの方へ踵を返した。振り返った笑顔をもって、ラエルに指示を出す。


「じゃあ今の感じで、まずは割れなくなるまで頑張ってみようか」

「……」

「お返事は」

「はい、頑張るわ」

「応援するよ」


 ひらひらと余裕ぶって振られた後ろ手に、少女はほんの少しだけ心を曇らせた。


(なにこの、もやっとした気持ちは)


 胸元の違和感の正体を掴むことはできないまま、少女は表面が溶けて透き通った氷球を手に取った。







 バッキバキである。


「うーん、上手くいかないものねぇ」

「進捗どうですか。……ってイゥルポテーさん」

「どうもこうもないわよ、用意してもらった氷球これで最後なんだけれど」


 水色の手袋は溶けた氷で水浸しである。革製だろうに勿体無い。

 尤も、ラエルがそう思おうが思わまいが、あの針鼠は援助をいとわないのだろうが。


 カルツェは少女の目の前に広がったみぞれの水たまりに目をやり、指を鳴らす。

 しゅるしゅると音を立てながら水は空中にまとまって水塊となり、桶の中に投入された。


「ふふ、流石ね」

「……手詰まっているのはどの辺りなんですか。僕で宜しければ相談に乗りますよ」

「え、試験の対策があるんじゃないの?」

「今日の分は済みました。残りは自室でやりますので……その、少しは頼って欲しかったりします」


 黒髪の少女はカルツェの台詞に口を丸くしたが、すぐに顔を綻ばせた。

 黒髪の魔族はラエルの隣に腰を下ろす。


「どの辺りで苦心してるんです?」

「あー、えっとね。雷までできたわよ。魔力を制御するだけなら」

「は」


 言葉に詰まるカルツェを余所に、ラエルは淡々と状況説明を開始する。


「問題はねぇ、集中が長く続かないところなのよ」

「えっと。少々お待ちください、フリーズしてます、僕の処理限界を超えているんです。え? 氷球が割れなくなったということですか?」

「ええそうよ」

「今さっき土魔法で割ってませんでした?」

「割ったわね」


 一応、こんな感じなのだけど。黒髪の少女は呟くと、左手に氷球を持ち、右手で魔力を練り始める。確かに、魔力の色が土を示す黄色であるにも拘らず、左手の氷が砕ける様子はない。


 次に一段回上、水を示す青色。続いて火を示す赤色。そして風を示す緑色。最後に雷を示す橙色へ、次々と可視魔力が色づいていく。


 依然、左掌の氷球はびくともしない。


「…………」


 世の中にはごくまれに、コツを掴むとあっという間に物事を習得する人間が存在する。ラエル・イゥルポテーは物覚えが人並みに悪く、興味や責任のないことにはとことん無頓着ということもあってその特性が発揮されてこなかったのだろう。

 そもそも、暴発する魔術を使いながら大きな怪我をすることなく生き残っているという事実こそが、彼女の在り方をよく表しているといってもいい。


 素早く環境に適応することを可能にする観察眼をもってして、彼女は魔力が漏れ出すのを抑えるコツを学んだのである。少し離れていた場所で練習していたカルツェの魔力を真似ては失敗し、ハーミットと組み手をするラーガの魔力を真似ては失敗し。


 土魔法で躓いた魔術師が自らの魔力放出の方法を調整するには、癖を砕くということも相まってそれなりの時間が必要である筈なのだが、それを少女は一時間弱でやってのけた。


「んむむむむむ……ぷはぁっ」


 音を立てて魔法を解くラエル。どうやら安定した状態を長く保てないらしい。周囲の魔力が安定しなくなったからか、左手の氷球には一本の大きなひびが入る。


「やっぱり、長い間保たせるのはまだ難しい……今のところ、意識して制御できるのは五秒ぐらいかしらね」

「五秒もあればある程度の魔術は当てられませんか?」

「静止した状態で全力で意識しても五秒なのよ。とてもじゃないけれど実用には程遠いわ。それに」

「それに?」


 ラエルはカルツェの瞳を覗き込んだ。紫目が赤い瞳に反射する。


「それに……なんですか?」

「あれを見ながらやろうとするとねぇ」

「?」


 黒髪の少女がふと視線を逸らせば、その先には黒髪の獣人と、彼女と手合わせをしている針鼠の姿がある。


 対人戦闘の訓練ということもあって、彼等の組手は過激なものだ。


 ラーガが長い耳を振り回して長い足を蹴り抜くと、ハーミットはそれを腕で受ける。

 あごを狙った蹴り上げを難なく躱すと、その運動靴を手刀の縁で地面へと叩き落す。

 たまに立ち位置が変わるものの、基本的には少年の足が浮く方が少ないように思える。


 受けている足の速さから一撃の重さは計り知れないが、加えて女性は強化魔術を常時発動させているのだ。一方、魔術を一切使用できないハーミット・ヘッジホッグはそれを苦も無く


 脇目もふらず、拳の嵐を。支給された薄手の訓練着のまま。


 ばきんっ。


「あ」

「……うーん」


 氷球は、ついに砕けた。


「あれ見ているとねぇ。凄いなあって思うのも確かなんだけれど……何だか嫌なのよ」


 黒髪の少女は、馬のしっぽの様に束ねていた黒髪のつけ根にあるリリアンを指で弄る。


(……それって)


 声には出さず、何かしらを悟った白魔術士は顔をあげた。


 黒髪の少女は感情の波が魔力導線に色濃く反映されるタイプの魔術師なのだろう。

 氷球が割れたのはそのせいだ。もしかすると彼女自身、今抱いた感情の名前を知る日もそう遠くはないかもしれない。


「応援しますよ」

「え?」

「いいえ、お気になさらず」


 丸眼鏡をくいと直し、カルツェはほんの少しだけ口角を上げて見せた。




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