49枚目 「砂糖煮込みのサンワドリ」
城内三棟八階「モスリーキッチン」。
そこに雇われたラエルは、実働八時間勤務のクリーンな生活を送っている。五時から七時までの二時間と、十一時から十三時の二時間、六時から九時の三時間である。尚、魔導王国では起床した時間から一時間が朝休憩として給料計算に入る。よって、合計八時間働いている扱いになるのだ。
朝四時に起きて職場へ向かい、五時から仕込みの手伝いに参加する。といっても、魔導王国は日常的な作業を魔法具や使い魔を使用して済ませてしまうことが多いので、ラエルが担当するのは人にしか扱えない柔らかい食材や形が崩れやすい料理の盛り付けなどが主だ。
加えて魔法具の操作。注文が入ってから鍋に火を入れるのでは間に合わないのでその前に温めておかないといけないものが厨房には沢山ある。
魔導王国製の魔法具は使用時にどれも効率の良い魔力吸収を行うのだが、物によってはかなりの量の魔力を持って行かれてしまう。ラエルがまず覚えたのは、自分では操作できない魔法具の種類。そして使えない魔法具は店主であるモスリーに任せるということだった。
刃物の使い方には困らなかったが、料理の手順を覚えるのは苦手だった。
普段作るメニューに加えて、日替わりのメニューは在庫の食材を見てモスリーが内容を決める。毎回聞いていても時間が足りないが、聞かなければ失敗をする。なので聞きまくった。誰しも失敗は嫌に決まっている。
モスリーは元々一人で回していた厨房とカウンター作業が楽になったからと、ラエルの質問に対して嫌な顔をすることは無かった。寧ろ、徹底的に条件反射で動けるようになるまで教えてやろうとまで思っているのだが、黒髪の少女はそれを知らない。
まあ、だから何だという話なのだが。
ラエル・イゥルポテーは料理の手順を覚えるのが苦手だったのである。その結果として、従業員が増えたらしい人気の食堂では、確率で絶妙に失敗した料理が出てくるようになったと噂が立ち。それは二割ほどの確率で現実となる。
「どーりで! どーりで甘いと思ったよ! そうかぁ砂糖かぁ!」
「ほんっとうにごめんなさい! わざとじゃないのよ……!」
「ほんとそれなぁ!! 最早笑うしかないぜ!!」
顔面を抑えて高笑いするアネモネに、苦笑いしつつ謝罪するラエル。
その横で、薄い肉を畳んで口元に運ぶハーミット。飲み込んで口を開く。
「コントだよなあ」
「歌劇とは似ても似つかないでしょう!? ……っていうか、まさか貴方の料理にも塩の代わりに砂糖が入ってたりしないわよね」
「んー? 美味しいよ?」
「否定してよ!?」
口ではそう言いつつ、嬉しかったのか口元をほころばせる黒髪の少女。基本的に根が単純なのでご機嫌取りは難しくない。ラエルも自身の切り替えの良さを知っているので、大して引き摺りはしない。
アネモネはどうかというと、砂糖煮込みのサンワドリを黙々と食していた。味付けが普段と違うだけで、特に不味い訳でもないらしい。
そうして朝練に向かうアネモネと別れ、食堂に残ったラエルとハーミットはそれぞれの食事をしながら雑談を続ける。
「それで、話って何よ。ヘッジホッグさん。貴方から
ラエルは言いつつ、トマのスープを飲み干す。匙が陶器に置かれた。
ハーミットもコーフィーを口に含んで嚥下する。
「うん、仕事にも慣れてきたみたいだし、そろそろ勧めても良いかなあと思ってさ」
「?」
「ほら、前にカルツェが言っていただろう? 無償で魔術の使い方が学べるシステムがあるって」
金髪少年は言って、鼠頭を抱えながらニヤリと笑みを浮かべる。
「魔術訓練、興味はある?」
黄色い土が敷き詰められた広場は、ちょうどモスリーキッチンの食堂と同じか、それより少しだけ広い。砂利を抜かれた土は紐靴の底で簡単に削れた。
「はーい。今日の参加者はこの四人だな。というわけで、今週の魔術訓練の担当はこのハーミット・ヘッジホッグでーす。一時間よろしく」
「……」
すっかり聞きなれた声に、ラエルは重い首を上げる。
一棟五階、共同訓練場。すり鉢状に配置された観客席と、魔法具による白い照明。
スタジアム、というのだそう。
……いや、それはどうでもいいのだ。
黒髪の少女はゆるゆると首を振った。彼女が知りたかったのはそこではない。
「質問があります、ヘッジホッグさん」
「答えよう、イゥルポテーさん。何でも聞くといい」
「魔術訓練は合同だって、先に教えて欲しかったわ」
「合同だと教えていたら、来たかい?」
「来なかったわ」
「それが理由だよ」
ぐうの音も出ない回答に顔を歪める少女に対し、周囲にいる他の参加者は涼しい顔だった。
白魔術士のカルツェ。黒髪のおかっぱと眼鏡は健在だが、白魔術士の上着を今日は外している。薄手の長袖に長ズボンとラフな訓練着であるにも拘らず、首に巻いた布はそのままだ。
ラエルが知らないのは残りの二人である。
一人は長身の獣人で、頭の天辺から垂れ下がった耳を持つ女性。ハリネズミとラエルの会話を気にする様子も無く、ひたすらに自らの黒い髪を編み込んでいる。服装も訓練着ではなく、黒一色の動きやすそうなパンツスタイルだ。
もう一人は針鼠と同じぐらいの背をした魔族の少年。長くてきつい巻き毛が目に入るのか、前髪をしきりに気にしている。時折赤色の視線をこちらに投げるが、ラエルが目を向けるとそっぽを向いてしまった。服は簡素な訓練着である。
ラエルが働いているモスリーキッチンには様々な利用者がいるが、彼らを見かけたことはない。
「まあ、ここに集まって貰った全員が知っての通り、俺は魔法や魔術に関しては専門外だ。だから何かあった時の為に、この
ハーミットは言いつつ、集まった四人の顔を流し見る。
「一応、何かあった時に割って入る許可は王様から貰ってるんで、手袋を取ったからといっていきなり抑え込むのは辞めてほしいな。その辺は考慮してくれ。特にラァガァモォールさん。実はさっきから圧が凄いんだ」
ラァガァモォールと呼ばれたのは黒髪の獣人だった。編み込み終わった髪の毛を手持無沙汰に弄んで背にやる。細い目が無言のまま、獣人もどきに向けられた。
「だから圧が凄いんだって」
「……」
「ははは、それはそうだけどさ。分かった分かった。大目に見るよ」
「……」
「んー、そうだな。善処する」
終始無言を貫く女性に対し、淡々と相槌するハーミット。
(会話が成立している……!?)
「――イゥルポテーさん、イゥルポテーさん」
「え、あ。はい」
「もしかして、ラーガさんに会うのは初めてですか」
袖を引っ張られて振り向くと、少し距離を取って立っていた筈のカルツェが真隣りに居た。驚きはするが、警戒する相手ではないのでラエルは緊張を解く。
「ラーガ、っていうのね。彼女」
「ええ。本名よりそちらの方が通りはいいですね。彼女、人が多いと声が出せないんです。なので、挙動から意図を汲むんですよ」
人の言動や意思は行動から容易く理解できる。言葉が通じずともジェスチャーは通じるのだ。それはセンチュアリッジでラエルが金髪少年相手にやったことと同じである。
「なるほど。それじゃあ、あまり気にしなくて良さそうね」
「ええ。そういうことです」
少し目元を綻ばせるカルツェ。ラエルは視線を黒髪の獣人へ戻す。
女性は立ったままだ。突っ立ったままといえばいいのか。指先も足元も動く気配はなく、淡々と瞬きのみをハーミットに返している。
「…………」
残念ながら、その挙動から言葉は読み取れない。
「解読には独自の訓練が要りますよ」
「気長に……観察させて貰うわ……」
一通り会話して気が済んだのか、少年は嘆息しつつ話の続きを始めた。
「よし。何も質問がなければこのままトレーニングを始めるつもりだけど、要望とかあったりする?」
呼び掛けには一人だけ、手が上がった。
「初対面の方、居るので。自己紹介、宜しく頼みたい……」
「承った。俺の名前はハーミット・ヘッジホッグ。こう見えて人族だ」
「知ってます……」
「はっはっは、そりゃあそうだね。それじゃあカルツェから反時計回りにいこうか」
話を振られた白魔術士は不意を突かれて赤い目を丸くしたが、それも一瞬のことで、普段通りのクールな雰囲気を身に纏う。
「僕はカルツェ、白魔術士です。こんななりではありますが一応」
「知ってます……」
「……そ、それもそうですね」
冷静な空気が霧散する。途中で遮られたからだろうか、そもそも何を言おうとしていたのだろうか。黒髪の少女は首を傾げたが、追及することはなかった。
「次、イゥルポテーさん」
「私の番ね。初めまして、私はラエル・イゥルポテー。人族だけれど、
「新顔……」
「そうね。ここ一か月の話だもの。よろしくね」
「うん。憶えた……」
こくんこくんと上下する力無き首 (被り物ではない生の首である)に不安を感じつつ、順番は黒髪の獣人へと回る。
「……」
「大丈夫、ラーガさん、知ってます……」
そうして、まるで船を漕ぐようにしている少年は、最後にラエルの方へ向き直った。
どうやら面識が無かったのはラエルだけだったらしい。だとすれば一人だけ聞けばいいところを、彼はラエルの為に全員自己紹介させたことになる。
「おれ、フラン。よろしく……ポテーさん」
そこまで言うと、少年はぷつんと糸が切れた様に地面に倒れ込んだ。
「!?」
「あーあ。早速、工房勤めの寝不足が祟ったな」
「!?」
「それじゃあ始めよう。まずは柔軟体操からやるぞ」
魔術訓練は、さくっと始まる。
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