3章 赤魔術士は紫空に咲う
48枚目 「赤黒まだらに」
血の匂いがする。
雑然と積まれた記憶が文字の羅列になって、部屋の端から端へと走り回っていた。
腕を取られ、耳をふさぐことも目を閉じる事も許されず、灼熱に焼かれながらも形を保とうとする影が揺れる。一射、肩を貫いたそれに悶える同族。影は燃え、やがて動かなくなった。
そうだ、その通り。私はこの目で惨劇を知った。
かつての勇者一行が魔王城へ侵攻する際に散った同僚の赤色。
焼け焦げていく。飛沫が粉の様に舞って、床を湿らせる。
霧拭いたような。赤の粒がかかとの下で線を引く。同胞の肢体を踏み台にして、生き残るために足掻いて足掻いて、それでも勇者一行の足止めにすらならなかった。
大陸を三つと結晶回廊、その道中を全て横断したにもかかわらず、二年足らずで浮島まで辿り着いた異端たち。
魔族は人族より身体的に優れている部分が多い。体力も筋力も魔力も寿命だってそうだ。だからこそ魔導王国は適度な発展を繰り返して今の地位に登りつめた。はずなのに。どうして彼らが攻め入った時、あんなにも油断していたのだろうか。
まあ、当事者でない者がそれを語るのも愚かというものか。
――私は、戦場に出られなかった白魔術士。出させてもらえなかった役立たず。
身を守る術を持たず、護られるだけの治療者だったあの頃を想起して吐き気がした。
どれだけの人が死んだのだろう。どれだけの人を助けられただろう。
残念なことに、あの時外に旅立って行った同胞たちは一人たりとも戻って来なかった。みんなみんな死んだ。再会は叶わなかった。希望なんか無かった。
魔王様の最後の命令も、よく分からないまま従おうとした。でも、完全に遂行するのは無理だった。結果として生き残ったからこそ、今の私が居るのだが。
空の色が見えない。青がとても醜く見える。嫌いだ。
血の色が霞む。ひたすらに黒で塗りつぶされて。気持ち悪い。
なのにあの日は鮮明に覚えている。戦う意思を墨で塗りつぶすような号令を受けたことも。
――ただちに降伏せよ。私が許す。と。
闘うこともできないくせに、それでも忠誠を誓った城を出ることができなくて。
やって来た勇者一行が魔獣や衛兵を薙ぎ払うさまを呆然と見るしかできなかった。
進んだ。抗った。
進んだ。抗った。
魔王城での戦闘では、双方誰も死ななかった。彼らは事前にこの魔王城の仕組みを理解した上で乗り込んできたのだと、すぐに理解できた。
内通者か、拷問で吐かされたのか。分からなかった。分かりたいとも思わなかった。
彼等は四棟の魔王城の玉座へ一直線に向かって行った。
階段の裏、殺されないかと隅の方で怯えていた私に気づくことなく玉座へ駆けあがった。
……でも、勇者一行が降りてくることはなかった。彼らは魔王様に裁かれたのだ。
それは分かり切っていた「
彼等は命が散らない筈だった魔王城を、魔導王国を、不死鳥を穢した。
私は未だに、人族のことを許せずにいる。
「十三番さーん」
「はいよー」
「スープセットだったよねぇ。ほいどうぞ」
「あざっす」
「十四番さーん」
「おはよ、モスリーさん」
「おはよう。今日も一日頑張りなよ」
「はっはっはー。善処する!」
「軍人がそれでいいのかね……十五番さーん。十五番さーん」
「ご、ごめんなさい、聞き取りがなってなかったです、スープセットです」
「あいよ。昨日も遅くまでご苦労さん。これから仕事かい?」
「はい。連続六十二時間、起きてます、最長には、およびません」
「寝なよ。食べたら寝な?」
「趣味みたいなもの、ですから、あはは」
「はあ、まったく若い者が無理をして……十六番、十七番さーん」
「おはようございます、モスリーさん」
「おはよう叔母さん」
「あら、あんたらかい。おはよう。そして叔母さんじゃなくてお姉さんだよ、アネモネ」
赤黒のまだらな髪をバンダナでまとめ上げたふくよかな女性――女店主モスリーがそう言うと、受け取り口に立っていた男性二人組は肩を竦めた。
赤い瞳に赤い髪を長い三つ編みにまとめている青年がアネモネ。もう一人は鼠の顔の被り物をした、薄手の支給服に身を包んだ少年、ハーミット・ヘッジホッグ。
魔導王国魔王城――浮島駐屯地に所属する魔導王国四天王、その二名である。
「どうしたんだい、今日は随分と早起きじゃないか」
モスリーの言葉に、針鼠の頭の天辺から背中の棘がモサモサと揺れる。
「どうしたっていうか、いつも通り仕事だよ」
「俺は今から烈火隊の朝練」
「ふーん、そうかい」
モスリーは料理を受け渡しながら、厨房の奥の方に目配せをする。生憎、話題の人物にアイコンタクトが通じる事は無かった。
状況を察したのか、針鼠の少年が首を傾ける。
「構わないよ。この後、彼女と会う予定があるんだ」
「へえ、あんたもあの娘にかかわってるのかい?」
「ああ。曰く、念のため……みたいな」
言って、ちらりと隣の長身を見据える。
彼は背が小さいので、アネモネと並ぶと見上げるしか顔を合わせる手がない。
「念のためってなんだよ、念のためって!?」
「一時期話題にもなっちゃったし」
「掘り返すんじゃねえ!」
「恋愛沙汰かい? あんたにもようやく春が来たのかねぇ!」
「っだっから、違うっつーの!」
「はいはい、いくよいくよ。モスリーさん、また後で」
アネモネがギャンギャン言い始めたので、針鼠はモスリーに会釈すると共に支給服の裾を引っ張って席へ向かって行った。
モスリーはというと、接客を続けるつもりらしい。身内に向ける表情をよそ行きに戻して番号札の棚を見ると、注文は先程のもので終わりだった。
一息つくが、後方から誰かがずっこけたような音が響き渡る。
「――モスリーさん! ちょ、ちょっといいです、か」
「おっと。落ち着きなラエル。何かあったのかい?」
「あ、えぇっと」
赤黒のまだら髪が振り向いた先には、彼女と同じように髪を纏め、バンダナで結んだ少女がいる。黒い波打つ髪を丸く纏め、
普段は気丈な黒髪の少女だが、今日はなんだか調子が悪いようだ。顔色が悪いとは言わないが、普段は表に出さないネガティブ気質が視線から漏れていた。
「……落ち着いて聞いて欲しいのだけど」
「はいよ」
「最後に出した鳥料理、砂糖と塩を間違えたわ」
テーブル席の赤い三つ編みが苦悶の声をあげた。
ここは魔王が統べる魔導王国。
どうにか職にありついた黒髪の少女はモスリーキッチンで働きつつ、二割の確率で客に出す料理を失敗する日々を送っていた。
それはそれとして
許容も増悪も色づくように。
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