39枚目 「鼠の巣」
種の代わりに胞子をまき散らし、無機質な物体に付着すると発芽する。発芽の手段が限定されている反面、一度芽吹くと成長が目に見えるほど早いのも特徴だ。ラエルも砂漠生活時代に非常にお世話になっていた植物である。
成長を止める方法はひとつ、一片も残さず燃やすこと。『
人族にしては厳しい伐採条件から「森枯らし」、「悪魔の木」とも呼ばれるが、特殊加工した魔法瓶に入れておけば安全ということもあって、木炭や葉を薬の一種として扱うこともある。
魔力量の多い魔族からすれば、幼生の
すっかり炭になった
「それにしても、まさか貴方が薬草学の研究者だったなんて」
ラエルはすっかり片付いた室内を見回して正直な感想を口にする。
壁には薄い魔力障壁が張られているのか、所々に魔法陣が見て取れた。内容から推測するに、汚れが落ちやすい塗装のような役割をするらしい。現に、炭に覆われていた部屋の中は半時間ほどで元のように白い清潔感のある研究室へと様変わりした。
「紆余曲折あってね。俺もまさかこの研究をすることになるとは思って無かったよ」
片づけがいち段落して、コーフィーを淹れたハーミットが戻って来る。手には砂糖とミルクを入れた容器があり、カップを少女に差し出した。
「ありがとう」
「ミルクと砂糖はお好みでどうぞ。カルツェは?」
「僕はミルクだけで、砂糖を下さい」
「いつものでいいのか」
「はい」
カルツェは答えて、ラエルの隣に腰を下ろした。
「……」
「……」
現在ラエルが腰を下ろしている椅子は、四人席の小さなテーブルに備え付けられた物だ。
なので、カルツェはラエルの真隣り以外にも他に二つ選択肢があったにも拘らず、意図的にそれを放棄したということが分かる。
何故真隣りなのだろうか。
ラエルは甘く薄めたコーフィーを口に運んだ。味がしない。
「あ、あの、カルツェ……さん?」
「消去法ですよ」
「消去法?」
「ハーミットさんの隣に座るのは僕が耐えられません。一方で、彼が貴女の隣に座るのもモヤモヤします。故に僕の座る席はここしか無かった。それだけです」
「……」
(これは、もしかしなくても嫉妬だろうか)
どうやらカルツェは、ラエルがハーミットと仲良くしているのが気に入らないらしい。
黒髪の少女からすればそれは杞憂であり、頼る相手が他に居ないから当てにしているだけなのだが……これは、アネモネの件と同様、今後は気にかける必要がありそうだ。
それにしても男子からの人気もあるのか、針鼠。無敵じゃあないか。
(ん? なんだか肌寒い気が……気のせいよね?)
「――ポテーさん」
「あぁ、ごめんなさい。何か言った?」
「いえ、百面相しながら上の空でしたので。どこか痛めたのかと」
「そんなことないわ。健康そのものよ」
「そうですか」
ふむ、と顎の下に指を添えるカルツェは、椅子に座ったまま距離を取ろうとするラエルに前のめりに接近し、瞳の色から指先までを流し見た。
「な、何かついてたりするの?」
「……いいえ? それより、僕が渡したリリアン、使ってくれてるんですか」
「ええ、重宝してるわ」
「それはよかったです」
だからといって、貴女に対する僕の評価が覆る訳でもありませんが――と、カルツェは頬を多少膨らませてそっぽを向いた。やはり、悪い人ではないようだ。
ラエルがそろそろ主題に入るべきかとカップを口に運んだところで、ハーミットが戻って来た。カルツェが頼んだミルクと、自身が飲む為のコーフィーが両手を塞いでいる。
「うん? そっちに座ったのか、カルツェ」
「何処に腰を下ろすかは僕の勝手ですよ」
「はは、それはそうだけど。会って数日の人の隣に君が座るのは珍しいなと思って」
「…………っ!!」
突如カルツェの赤い瞳が深みを増し、彼の周囲に赤い火がちらついたかと思うと火の粉が鳥の形をとってハーミットを強襲した。
鼠顔を取り外す途中だったハーミットはその飛来を目で見ることなく避ける。棚にぶつかることなく、外した頭部が机の物にあたることもなかった。
赤い火の鳥は手のひらほどの大きさであったが、しばらく金髪少年を追尾し続ける――が、その羽は髪の先すら掠められずに空を切った。
ハーミットは笑みを浮かべたまま、慣れた様子でラエルの前に二つのカップを置くと半身で火の鳥を躱しこちらを振り返る。
「ははは。そんなんじゃあ俺は燃えないよ」
「……っ貴方は! 一度、消し炭にした方が良い気がするんですけど……!」
「それは困る。こちとら無闇に怪我しないように言われてるんだ」
何時の間にか右手の手袋を外して、ハーミットは目の前に飛び込んできた火の鳥を素手で掴み取る。
じゅっ。音がして、火を纏う小鳥はかき消えた。
手袋を嵌め直しつつ、針鼠はとどめを刺すことにした。
「誤魔化すのは辞めなよ。同世代の娘と知りあえて嬉しいんだろう?」
「う!! ……うぐっ!!」
「そうだったの?」
「は、ハーミットさん!? い、言わない約束を破りましたね!?」
「約束はしてないな、暗黙の了解を破ったまでのこと。別に悪いことじゃあないし」
「うううううううううう」
「ヘ、ヘッジホッグさん。やりすぎよ」
「ごめんごめん。じゃあ、後は頼むよ」
「は?」
ハーミットは淹れたコーフィーを一息に飲み干し、鼠の頭を被り直していた。
「俺はこれから野暮用があるんだ。審査が終わるぐらいには戻って来る。詳しくはカルツェに聞けば分かるから、よろしくね」
「え、ちょ、まちなさ」
「また後で」
回廊へ続く扉が閉じられ、後には不機嫌な顔をした白魔術士ととばっちりを喰らった黒魔術士しか残らない。
掻きまわすだけ掻きまわして状況を悪化させておきながら何て無責任な役人だ――ラエルが顔を歪めると、カルツェは非常に気まずそうな顔で眼鏡の位置を調整していた。
耳が真っ赤だ。
「……してやられました……」
「大丈夫なの? 私だったら雷撃ってるところなんだけど」
「それはしません。雷の速さで人が動けるとお思いですか」
あれだけ錯乱していたというのに、金髪少年相手に手加減をしていたらしい。
最もラエルなら言い訳を始める前に『
「そういえば、さっきの話なんだけど」
「!?」
忘れていなかったのか、といわんばかりに目を見開くカルツェに、ラエルは慌てて腕を振る。先程の様に火の鳥を飛ばされたらたまったものではない。
「いえ、カルツェさんが良いならなんだけれど。これからも色々教えてもらえると嬉しいと思って」
「……その程度であれば、何時でも構いませんよ」
黒髪おかっぱの少年が無表情のまま、震える声で回答する。
成程、と黒髪の少女は納得する。カルツェという個人の特性をある程度理解したようだ。
空気に耐えられなくなったのか、白衣の裾が踵を返した。とはいえ、狭い研究室には壁と棚と扉しかないのだが。
カルツェはわざとらしく咳払いをする。
「えっ……と、僕はですね。貴女に貸し出すジャケットの合わせを頼まれたんです」
「あ」
黒髪の少女はそう言われるまで、この部屋に来た理由をすっかり忘れていた――白魔術士はやれやれと、師であるスフェーンと似たような憂いの表情を浮かべてみせた。
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