40枚目 「目が回る」


 鼠顔の獣人もどき、ハーミット・ヘッジホッグ。


 彼が回廊に出ると、案の定見たくないものを見ることになった。具体的に言うと、まつ毛の先ほどの位置に目があったのだ。


 目が合い、目玉があった。


「びっ……くりさせるなよ……」


 心臓が口から飛び出しそうだった。叫ばなかっただけでも頑張った方だろう。

 嫌な動悸を押さえつけ、少年は目の前に浮く眼球を視界に入れる。


 視神経が途中から半透明。文字通り人の眼窩がんかに収まる大きさの球体が、虹彩と瞳孔を伸縮させ、白に赤の血管が脈動する。


 どう見ても生きているし、どう考えてもおかしい。

 そもそも眼球が単体で飛行するなど、飛行させるなど。


 確かに、六年も過ごしていれば驚きこそすれ恐ろしくはない。恐ろしくはないが、別に慣れたくて慣れたわけじゃあないのだ。


 ハーミットは背後を気にしながら、さりげなく「鼠の巣」の扉を閉じた。


「……メルデルさん怒ってそうだなあ」


 眼球だけでは表情や意図を読み解くことはできない。せいぜいが瞳孔の収縮を目視できる程度だろう。ああ、血管は浮くのかもしれないが。


 これに一度見つかると四六時中つきまとわれるので、見つかった時点で連行は確実だ。回廊を走り回る訳にもいかないし、それによって魔導王国の住人に迷惑をかけるわけにもいかない。


 被った頭からはみ出たアッシュブロンドを、指で弄ぶ。どうしようもなく嫌なことがあると、思考は現実逃避するようにできているらしい。


 脳裏をよぎったのは、今朝の魔力登録で血を抜かれ悶えていたラエルの姿だった。


 ただ。監獄へのアポイントを取ったは良いが、実のところラエルの面会が許可されるかは半々といったところだろう。

 ラエルは魔導王国の人間ではないし、何より人族である――この国では人族であることが一番の悪印象だ。それはハーミットが身をもって知っている。


 実のところ、保護された人族は就職の期限を満了するまでに出国する者が殆どだ。

 理由は魔導王国への忠誠を誓える者はそう多くないから、である。


 そういう意味では、魔族だって必ずしも魔導王国に就職する訳じゃあない。


 他種族に対して閉鎖的な第四大陸と、第一大陸以外の場所であればどの種族であっても仕事はある。問題は、なりたい職業が魔導王国にしか無いものであった場合だ。


 例えば烈火隊のような魔導軍への入隊。

 豊富な魔力備蓄があるからこそ成立する魔法具錬成の技術獲得。

 魔術を極めたいならば、この国はうってつけの環境といえる。


(けれど、彼女にはそういった欲や目的もない――まぁ、人売りに買われたかもしれない両親を買い戻す資金でも集めようとしているんだろうけど)


 短期労働を続けるのは無理があるし、かといって正規雇用も狙い辛い。どのみち、人族が生活するには法が窮屈なのだ。魔導戦争の影響で、人族の印象は何処に行っても最悪である。


 第三大陸にでも下りた方が仕事も生活もしやすいだろうが、それは現実的ではない。ラエル・イゥルポテーには第三大陸での殺人容疑がかかっているのである。暫定的なものではあるが、観察処分を受けているのは変わらない。


 黒髪の少女は嫌疑が晴れるその日まで、浮島を出ることができない。

 そして、今のままではその日は来ないということを。ハーミットは知っている。


 第三大陸の捜査が難航していることもあるが、それ以前の問題なのだ。

 彼女の右腕のアレが消えない限り、浮島から解放されることはないだろう。


 ハーミットは役人だが、個人的には黒髪の少女を――その故郷を滅ぼした国に死ぬまで軟禁するなんて真似をしたくはない。最低条件として、殺人容疑だけでもどうにかできないものか。


『随分と面白そうな見た目になってるです、ハーミット』

「……ノワールか」


 四棟資料室にやって来た針鼠を出迎えたのは、壁の留まり木で首を回す蝙蝠だった。


 立ち止まったハーミットの周囲を、目玉が一つ旋回する。


「今日は非番なのか? 外にいるなんて珍しいな」

『非番? 働いてないように見えるですか。目が節穴です』

「今、眼球関連のジョークを言うのは辞めてくれ。何だ、メルデルさんにでも頼まれたのか」

『理解が早くて助かりますです』

「ははは、そりゃあこれだけ目玉が飛んでればなぁ……」


 ハーミットは言いつつ視線を落とすと顔をひきつらせた。


 周囲を旋回する眼球の数が一つから四つに増えていたのである。ぐるんぐるんと針鼠の周囲を回り続ける四つの目玉に、廊下を行く人々は奇異と同情の視線を向ける。


 鼠の頭越しでは引きつった顔は見えないので、遠目から見れば蝙蝠と会話する針鼠が眼球を従えているようにすらみえなくもない。表情が無いだけに非常にシュールな光景だった。


「今日は朝の時点で見つかったからな。観念したよ」

『あの。二日前の午後にしっかり来ていれば、このような事態は防げたです』

「仕方がないだろう、仕事があったのは本当だ」


 周囲を飛来する眼球がうっとうしくなったのか、ハーミットは手の甲を眼球向けて追い払うようにして前進する。持ち主の事をいかに苦手としようとも相手は生きた眼球なので、目潰しだけはしないようにしているらしい。


 上着の下に忍ばせているペンダントを取り出し、扉にかざす。


 二階にある扉の四倍はあろう資料室の表扉は、中心の円が二回転した後左右にパージし、内側のパネルがひっくり返って上下し、扉の中身が乱回転しながら開いた。何度見ても仕組みが分からない。


「いつ見ても凄い力の入った絡繰りだよな」

『技術の無駄遣いとも言えますです』


 ノワールは羽音を立てて針鼠の頭上を越えると、扉の内側へ飛び込んで行った。

 真正面に見える受付で、背の高い丸眼鏡の女性が会釈する。


(行きたくないなあ)


 本音を飲み込み、ハーミットは資料室へ足を踏み入れる。きっと、一時間程度かかることだろう。







 ハーミット・ヘッジホッグが鼠の巣に戻って来たのは、予定通り一時間後のことだった。


 資料室を出た所で一棟の受付からどうやら許可が下りたと連絡が入った事もあり、後は黒髪の少女を連れていくだけである。


 女性の着替え中に鉢合わせてはいけないので事前に部屋に鍵を入れるようカルツェには言ってあった。鼠の巣の前まで来て、念のため回線ラインを繋ぎ確認を取る。


 尚、魔導王国の住人の中で最も会いたくない人物と小一時間も話していた彼の声音は普段の様子からは想像もつかないほど疲れきったそれだったが、対する回線ライン越しの声は明るいもので、返答もすぐ返って来た。


『それならとっくに済みましたよ』


 やはり。持つべきは頼れる同僚、である。




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