38枚目 「炭樹と採血」
「面会申請ですね。では血液の提出を宜しくお願いします」
「想像していた以上に血を求めてくるのね……」
一棟一階の受付にて面会の理由などを聞かれた後、ラエルとハーミットは五棟へと向かった。
申請した書類 (性格検査に始まって、家族構成やら魔導王国滞在の理由、数日前にカルツェに見せられた検査の結果などを踏まえて、面会しても良い人間かどうかを総合的に判断するのだそうだ)の受理に時間がかかるとのことだったので、先に服を受け取りに行くことになったのだ。
小指の長さ程のガラス管一本分、血を抜かれたラエルはそれだけで貧血になったとは言わないものの、複雑な心持だった。
「あれは、魔力パターンの登録に必須だから仕方がないんだよ。面会して後に何か騒ぎになったら誰が首謀者か探さなきゃいけないし、必要とあらば魔術を使って捕まえないといけないからさ」
「分かるわよ、そういう国民の安全第一というか、もしもの時の為の処置とか、そもそも悪事を働かせないようにする抑止力というか……でもねぇ、意外に痛かったのよ」
黒髪の少女は言いながら左の手の甲をさする。五回は針の刺し直しをされた。
何故手の甲なんだ。肘の裏じゃ駄目だったんだろうか。
「まあ、面会自体があまり喜ばれることじゃないからね。会うたびに痛い思いをするぐらいが丁度いいんじゃないかな」
採取した血液は、魔力が蒸発しない特殊なガラス管の中にこの先ずっと保存されることになる――そう契約書にはあった。
目の色や姿を変える魔術が存在することもあって、血液を取引の条件とするのはよく考えたものだ。謀ろうにも自分の血液を入れ替えようなんて常人は思いつかないし、まずできないだろう。
「んー、そうだね。常人はまず素直だし、絶対悪とも違うから」
「……そんな猛者が存在するみたいな言い方ね」
「ははは。過去に一人だけ居たらしい」
ハーミットはそう言ってこげ茶の毛並みを撫でた。針並みがモサモサと揺れる。
「まあ、でも……まさか
「檻、と言われて君が連想したのは『人が入る檻』だったんだろう? 片っ端から探すのも良いけれど、こういう時は直感が何より大事だ」
革手袋を嵌めた腕が組まれる。
「でも、空振りだったら」
「その時は別の『檻』を探せばいいし、その手伝いをすることに不満は無いよ」
「そう、ありがとう。じゃあ次からこういう事があったら頼りまくるわね」
「個人で解決できる事は君自身で片付けて貰う方針なんだけど」
「それはそうでしょう。そこまで頼る予定はないし、貴方はそれを良しとするほど質の悪いお人良しじゃあないでしょう?」
「モチのロンだ」
「……たまーに、
「気のせいじゃないか?」
それもそうか、とラエルは気を取り直して前方に向き直る。
「私の知識不足ね」
「そうそう」
知らないことはこれから知って行けばいいんだ――鼠顔は穏やかな口調で言った。
やはり、その下に秘められた感情を読むことはできない。ラエルは少年の心情を分析することを諦め、話を本筋に戻すことに決めた。
「知らない事といえば。一昨日から私は色んな人にあちこち連れ回されているわけなんだけど、五棟に来るのは久しぶりね。前回の検診以来かも」
「一応、ここは病棟だからなぁ。健康な人が来るのは珍しい」
「病棟」
「そう、病や傷を癒す場所。兼、
といっても、重症者が集まる場所と定期健診を受ける区画は別の階にある。感染が広がる様な病に侵された者はそもそも空間魔術で隔離されているので衛生面の問題も無い――ハリネズミは身振り手振りを交えつつ答えた。
「因みに、俺の職場の一つはここにある」
「え?」
「なんだよ。その、『貴方はとても医者や介護士には見えないし、寧ろ人のいざこざを暴力的に弾圧する為だけに居る、いうなれば国家の犬的な立ち位置じゃあなかったの?』とでも言い出しそうな疑いの視線は……」
「流石にそこまで酷い想像はしてないけれど、あながち的外れじゃなかったから流してあげる。っていうか、人族は白魔術士になれないんじゃなかったの」
「俺は別に、白魔術士として居る訳じゃないよ。魔術以前に魔法自体扱えないんだから」
ハーミットはそう言うと、ある扉の前で立ち止まった。
装飾の一つも見られない白い一枚板には釘のような物が打ち込まれ、そこに紐の着いた札が下がっている。
札には「鼠の巣」と刻まれていた。
魔導王国五棟三階、薬学研究室。通称「鼠の巣」。
『強欲』の異名を持つハーミット・ヘッジホッグが時々ねぐらにすることからこの名前がついているが、内部は清潔感のある白を基調としたシンプルなもの――では、なく。
壁から床から、机の上の魔力補給瓶諸々をひっくり返す勢いで根を張った植物に侵食されていた。
「えっ……と」
「ごめん、来る時間が早かったみたいだ」
すっ。と閉じられる白い扉。いや、閉まらない。根が張った部分が膨張して、扉が閉じるのを邪魔しているのだ。これでは空間術式ごと部屋を切り取ることができない。魔王城まで浸食されては元も子もない。
「……おーいっ! 無事か!?」
針鼠の少年の呼びかけに対し、根の茂みからは声が返ってきた。
「はい、ここです――」
聞き覚えのある魔族の声だ。
「燃やすから『
「あ、はい――」
返答から数秒、魔術使用の残り香がラエルの鼻をかすめる。
「って貴方魔法使えないって」
「ああ。
いうと、彼は腰のポーチから手のひらほどの赤い石を取り出した。
間髪入れず、こちらまで侵食してくる根っこに投げつけ、大きな火柱を生成する。
――魔石を媒介とした魔法具としての魔法発現――。
魔石はもっぱら魔法具の核に加工されるか装飾品や観賞用として高値で取引されるものだ。それを、純粋に魔法を発現させるためだけに使うなど。本来であれば、滅多にこのような使用はしないはずだが。
「な、なななな、なんってもったいないっことを」
「あ、君もそう思うんだ……」
ハーミットは苦笑いしながら、燃え上がり消し炭になっていく根っこを眺める。
こういうことは日常茶飯事だとでもいうような表情だった。
根がすっかり燃え尽きて炭になると、奥から黒く顔を汚した白衣が現れた。咳払いと共に黒い煙が宙に舞う。
彼自身、おかっぱの黒髪は一部縮れているだけで、特にこれといったけがをしている様子はない。赤い瞳が恨みがましいと言わんばかりにこちらに向けられた。
丸い眼鏡をかけなおす。
カルチェ。白魔術士の少年魔族だった。
「お騒がせしました。
「それはいいよ、怪我は?」
「しましたが指を切った程度です。先程治療しました」
さすがに指が欠けた状態で彼女の前に出る訳にもいかないでしょう――カルツェはそう詳細をぼやいたが、ラエルはそれを聞かなかったことにした。
「そうか、でも気をつけろよ。俺もたまにやらかすけど、あれ一回で部屋の物全部がおじゃんになる。そして第一に身の安全だ、もし次やったら大人しく誰かを呼び出してくれ。一人で対処しようとしないこと」
「善処します」
炭で汚れてしまった眼鏡を磨きながら答えるカルツェ。
「でもハーミットさん。あれ如きの対処に魔石はもったいないです」
「燃やした方が即効性あって楽じゃないか」
「触れば成長をとめられるでしょう、貴方なら」
「
次があればやってみるけどさ。と返し、ハーミットは廊下に転がった木炭を手にラエルを振り返る。
「イゥルポテーさん、部屋片づけるまでちょっと待ってて」
「いえ、手伝うわ。運び出すぐらいはできると思う」
「それは――心強い」
「今、いらない間があったわよ、何を言いかけたの、ねぇ、ヘッジホッグさん!?」
黒髪の少女は棘まみれの背を追って煤だらけの扉の中へ。
カルツェは回廊を振り返る。首を振って、彼らの後に続いた。
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