33枚目 「転寝の後に」


 がちょん、がこん。


 まるで昨日より一つ多く鍵がかけられた様な音を立てて閉まった扉に違和感を覚え振り返るが、時すでに遅し。ラエルはすでに、資料室二階の通路に立っていた。


 身の丈を越える大きい本棚と、その周りにポツポツと灯るカンテラと。入り口から真正面のカウンターには前回来た時と同じく、くるくる巻き毛の女性が突っ伏している。


 彼女こそ、この資料室のレファレンス担当であり、魔導王国内でちらほら見かける蝙蝠という生物を使い魔として管理する魔族、司書ロゼッタだ。


 昨日より一段薄暗い廊下を右回りに行くと、貸出予約棚にラエルが昨日取り置いて貰った本 (魔導書である)と、それとは別に子ども向けの職業紹介本が何冊か揃えてあった。どうやら今日の間に針鼠が推薦してくれたものらしい。


 仕事の片手間によく手を回せるものだと感心しながら、教わったようにブレスレットをかざし、書籍を手にする。


 本の取り置きはともかく貸し出しの方法はまだ聞いていないので、人が空いている今だからこそ知識のある人にご教授願おうと思ったラエルは、本を両腕に抱いたままフラフラとカウンター側へと歩み寄る。


 天板に下ろした際に、本は重みのある音を立てた。


 思わず、眠っているであろう女性の方を振り向く。

 これから起こさなければならないが、寝起きは良い方が好ましいに違いない。


 ラエルは本を置いたまま、依然突っ伏し続けるロゼッタに近寄った。


 くるりとカールした長いまつ毛。白く長い指先が天板の縁にかけられている。


 薄暗いので、明所で鮮やかな赤紫に見えていた髪が、今は青紫にも見えた。

 しかしそれも橙のカンテラで相殺されて、黒い艶にすり替わる。


 黒髪の少女は、その肩でも揺らそうかと手を伸ばす。

 女性の耳を飾る鎖が揺れたのは刹那。


 目が合った。


「……っ!」


 瞳孔の開ききった双眸である。


 ラエルは思わず身を引いたが、伸ばしていた右腕を取られたことで失敗する。何時かの日に似たようなことを金髪少年にされた気がしたが、それは走馬灯のようなものだった。


 でも、そうだ。金髪少年の関連で、何か大切なことを忘れていなかっただろうか? 


 ラエルは手首をロゼッタに掴まれたまま思考する。前回資料室に来た時、彼は何か言おうとしていなかったか?


 あの時ロゼッタを起こそうとしたラエルを――彼は止めやしなかったか?


 黒髪の少女はその訳を聞きそびれたんじゃあなかったろうか。


「!」


 思い出しても手遅れなのだからどうしようもない。


 怒らせてしまったのか、それとも怒らせてしまったのか。

 ラエルにはそれ以外の理由が特に想像できなかった。


 「恐怖」を欠き、人生のほとんどを家族内のコミュニケーションだけで生活してきた彼女にとって、この状況はひたすらに「何か取り返しのつかないことをした」と危機感しか覚えることができず。


「あ、あのっ――」

「音を混ぜないで」


 なのでせめて弁解と謝罪をしようとしたのだが、一言で遮られた。


「波紋が崩れるわ。観えなくなってしまう――ああ、えぇ。ここまで」

「……? …………??」

「一度しか言わないから。……よく、憶えて」


 虚ろな目のままロゼッタは言い、ラエルの腕を引き寄せた。

 赤い瞳が鏡になって、目と鼻の先の紫目が虚像となる。


「……貴方はここで友をもつ。その中の二人が貴方を裏切ることになるでしょう。一人は意に反して、一人は策略を持って。どちらがどちらになるかは貴女の理解次第。ただし、選択を間違えようと間違えなかろうと、貴女はこの国から出ていくことになる……」

「!?」

「憶えていて。忘れてはいけない。貴女は私の言葉を聴いたのだから」


 そこまで一息に言い切って瞼を閉じ――ゴンッ、と。

 司書ロゼッタは勢いよく天板に額を打ち付けた。


「ロゼッタさん!?」

「………………あらぁ? ラエルちゃんじゃなぁい。どうしてこんな時間にぃ」


 妙に間延びした声が帰って来たがこれが普通なのだろう。ラエルは胸を撫で下ろす。先程の様に圧を感じられなかったこともあるが、何より知っている人柄が戻って来て安心した。


 一方で、周囲を見回して二階が消灯していることを確認し、何故ここにラエルが居るのか、どうして自分が彼女の腕を握って離さないのか。半眼の司書の目が揺れる。


「ラエルちゃん」

「は、はい?」

「どうしてここに居るのかしらぁ。この時間、この階には入れないはずなんだけどぉ」

「え、開いたわよ?」

「……ふぅん?」


 相槌を打ってロゼッタは、ラエルの手首を解放する。

 耳の横で、柏手をひとつ。


「ノワールぅ」

『です』

「うわっ」


 伝書蝙蝠が一匹、主の背後にある木のオブジェから声を返す。


 意識していなかっただけで、黒い幹を模したそれにはびっしりとノワールと同じような姿をした使い魔がぶら下がったり留まったり、思い思いに過ごしているではないか。


 ノワール (ラエルには残念ながら見分けがつかなかったが、答えたのは一羽だけなのでそうなのだろう)は閉じていた丸い目を開け、ばさばさとラエルの横に留まる。


「扉ぁ、勝手に開いたぁ?」

『です。いつものように』

「そぅ……あー、もう。面倒ねぇ」

「面倒」

「そぅよう」


 言って立ち上がるロゼッタ。何をするのかと思えば、ラエルが先程積み上げた書籍を貸し出し手続きしようとしているらしい。


 ハードカバーを指でなぞり、タイトルを眺めてはラエルの方をチラ見する。


「面白い本の趣味ねぇ。貴女にはもう少し難しい本でも大丈夫そうだし、追加で何冊か薦めても構わない?」


 呟いて、手のひらに文字を描いたかと思えばもう一度柏手かしわでを打つ。

 黒い幹に留まっていた蝙蝠の幾羽かが目を覚まし、吹き抜けから下の階へ飛んで行った。


 状況が掴めず呆然としていたラエルは、二度目の柏手で気を取り直す。


「あ、あの。ロゼッタさん?」

「ふふ、大丈夫よぅ。何が起きたのかは、なんとなぁく予想がついたからぁ。それよりも、メモするもの要るぅ?」

「メモ」


 はっとしてポーチを探ると、指文字フィンガースペリング対応の手帳があった。慌てて表紙を開き、記録していく。


 多分、先ほどロゼッタが言った言葉を忘れないように書いておけということだろう――一通り書き写し終わって差し出して司書の顔を伺うと、きょとんとした様子であった。


「あらぁ、これは……」

「何か……間違ったことを、したかしら?」

「いえいえ。そうじゃなくてぇ。そう。貴女、私のをはっきり聞いちゃったのねぇ? 耳とか塞がずに。真正面から。運が悪いわねぇ」

「寝言?」

「えぇ。ほぼ十割の確率であたっちゃう、『予言』の言葉」

「予言?」

「そう、予言」


 ロゼッタは言って、蝙蝠に持ってきてもらった本を腕にとった。


 タイトルは『働き方マニュアル』。

 先程目にした子ども向けのものより、少しだけ対象年齢が高そうな装丁だった。




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